下オし こうちゅうたい 東インド第 65 飛行中隊のスピットファイア Mk. IA 戦闘機 せんとうき ひがし せんとうき あったし、ジョンソン大佐のような、めだたないが、最後 せんし までねばり強くがんばる闘志あふれる戦十が、たくさんい じつりよく たので、実力の 、つえに、六、らにみ がきがかけられた ことになる 、い・ : つやく 機械を最高に役 だたせるのは人で い・ : っ あるが、人を最高 はたら に働きやすくしてケ くれるのは機械で ある。スビットフ間 ひと アイアは、人と機 械の和のうえにつ陸 せいきめい くられた世紀の名 戦闘機である。 き力い ひと キ一カ、 ひと せんとうき
ハインケル爆撃機を追い越して行くスピットファイア Mk. IA 戦闘機 ばくげきき せんとうき しゅうりき 修理機まで狩り 出すようになり、 そうじゅうし のこすく 操縦士も残り少 ひこうじよ、つ なく、飛行場も闘 あな 穴だらけになって いた。ー 7 もしドイツ くうぐん 空軍が、もう少しア まくげき つづ 爆撃を続けていたア せんきよくギ、やくてん ら、戦局が逆転 していたかもしれピ イギリスにとっ さいわ て、幸いなことⅱ しんそう は、その真相がヒ そ、つと、つ トラー総統にも、ケ く、つぐんし 丿ング空軍司材 れいかん 令官にも、知られ ていなかったこと である。しかもイ ばくげきき
せんとうき しゅんかんかたはっ の瞬間「片発 きかん せいさくきすう 停止、われ帰還 ☆町の製作機数 す。」これが最 ごれんらく わん 一九三九年・ : 四四九機 (Q) 後の連絡であっ わん 一九四〇年・ : 一五四〇機 (Q) ひこう ねん 一九四一年 : ・二六二八機 ( 、 ) やがて飛行 ド′ようじしムうく・つ 一九四二年・ : 二六六四機 ( c-k ・ ) 5 場の上空に、 きじゅうれんしやおん 一九四三年・ : 六四一八機 ( ) ス機銃の連射音が まん 一九四四年・ : 一万四二一二機 ( 、、 ) ンきこえ、 < じ。よ・つ力し が一機、場外 えん 、じ。よ・つ し、くぎ ねん 力に璧落して炎 以上のほか、一九三八年までの試作機と、 O 、、 じよう カくがた ホ上した。これ一 =.2 各型およびフランス、チ、コスロ・ハキア、スペインの せいさくきあ やくまん が二五八機の 一製作機を合わせると、約三万三〇〇〇機となる。 しょ・つりきろく これに対してスビットファイアは 勝利記録をも げきついおう まん っ撃墜王ノボト ーリン・エンジンっき・ : 一万八二九八機 しょ・つイ一 ニー少佐の最期もグリフォン・エンジンっき : ・二〇五三機 であった。 シーファイアなど : ・約二〇〇〇機 やくまん 合計約二万二三五一機 わん わん ねん
カくとうせいの・つせかい が、これで格闘性能は世界一になるだろ じしんまんまん う。」と自信満々であった。 ほうぶっせん を ~ 、」、わ抛物線テー ーとは、翼を平らに見 せん て、そのまわりの線が、物をはうったと えんきよくせん きにえがく、なめらかなだ円の曲線で かたちととの の形を整え、しかも先にいくほど細くな さきばそよくかたち バる、いわゆる先細翼の形をあらわしてい かたちよく くうきりきがくてき をテる。この形の翼が、いちばん空気力学的 - り・半 : っ 物にすぐれており、つまり、いちばん理想 てきよく 的な翼であった。 しゅよく 「号 スビットファイアでは、主翼のはか すいへいびよく すいちよくびよく 水平尾翼にも、垂直尾翼にも、抛 アぶっせん 物線テー ーの整形法を採用し、すばら せいのう しい性能をあげることができたが、これ 芋し じだい スはミッチェル技師の 4 時代からのアイ の中ディアで、イギリスではのちにテンベス ト、シーファイア戦闘機が、この形態の 試ス翼をつけて成功した。なお、ドイツの ( しき ゅそうき こほんかいぐん インケル間輸送機、印本海軍の九六式 よくかたち はうぶっせん せい一 : っ せいけ、ま、つ せんとうき もの 、いよ、つ ほそ 116
ひこうき 「いままでの飛行機は、機体にエンジンをのせたものだ りゅうせん ざせき が、 5 はエンジンに翼と座席をとりつけ、それを流線 せいけい 型に整形したものだ。」 ぎし 六、らにミッチェル技市は、 すいじよう うきぶわおお あんせん せつけい 「浮舟は大きいほうが安全だが、この設計が水上レーサ ーの生命となる。」 かた と語った。 あたら こ、つくうギ、じゅっけっしょ・つ 新しい航空技術の結品としてできあがった 5 は、一 わんしようわねん 九二七年 ( 昭和二年 ) のレースで四五〇・六四キ。でみごと ゅ・フしょ・つ さいだんしゅんかんじそく に優勝し、最大瞬間時速は五一四・二八五キロで、事実 じよう・くじよ・つき きろく こうにんせかい 上、陸上機の公認世界スビード記録である四四八 一キ。を、はるかにうわまわっていた。 じゅっきそ 「のちにスビットファイアをつくった技術の基礎は、この やしな しまではイギリ ときから養われていた。」という事実は、 じんじよ・つしき ス人の常識になっている。 すいれいしき がた それまでのエンジンは、ネビア・ライオン水冷式型一 きと・つ ばり・き 二気筒七〇〇 ~ 八七五馬力であったが、次の 6 ではロー 等、とう すいれいしき ルス・ロイス水冷式 > 型一二気筒一五〇〇 ~ 一九五〇馬 きしゅほそなが め・キ、きよ、つか ートになった。スビット 力に強化され、機首が細長くスマ きたい じじっ っ じじっ 110
トニング、 プリッ グ町サンダーポレ ト、ノースアメリカン ムスタングなどの しんえいせんとうき機 アメリカ製の新鋭戦闘闘 力しりトでつ くわ戦 蹶亜し 機、さらに改良を加 ・つ日引 えたスビットファイボ と日旧 ア、ホーカー・タイフダ きん ーンなどイギリス製のサ 精鋭を続々と送り込 み、ドイツをとりかこ ト墨 じんえい イ表む陣営をととのえてきリ ラ ~ 代 と / \ にソビエトよ、の おくちぶんさん 奥地に分散したたくさリ こうじようたいりよ・つせい ) ん キ ~ 大 ツ。次んの工場で大量生産ア せんとうき した戦闘機に加えて、 の ~ 第 リはアメリカから送っても メき機 ア闘らったベルェアラ
たたか であ「たのに対して、この 9 は五六六五機で、スビット かくがた ばんめりようさんき ファイア各型のうち二番目の量産機になった。 じたいせんこうはん 第二次大戦の後半に、フォッケ・ウルフ囲、、 および、メッサーシュミット町 0 (..D などを相手に、よく ようと ズで、その用途によって、 戦「たのは、この 9 シリー しゆるい 9 、 i--) 9 、 9 の三種類に大別された。 ちゅうこうどよう 中高度用の 9 は、マ ーリン 6 / 一五一五 ~ 一七一 ばりき さいだいじそく じつようじようしようげんど まん 〇馬力で、最大時速六五六キロ、実用上昇限度一万三四一 ぶそう ほ・つしき ばくだん 〇で、武装は、 O 、方式のどれでもよく、爆弾は四 五〇キ。までとりつけることができるという、スビットファ 一いこ、つ ばんのうせんしゅ かくと・つせいの・つ ィアのなかの最高の万能選手であった。さらに格闘性能 どくとく でんとう は、スビットファイア独特の伝統をうけつぎ、その実力 いじよ・つ ・一うく・つせいの・つ はフォッケ・ウルフ囲シリーズ以上で、高空性能はそ れまでとは逆に、メッサーシュミット 0 / を追いぬ くことになった。 かいはつじかん このようにして生産型は、 に移「たが、開発に時間 とくしゅこうくうよう しようす、つき がかかった 6 、 7 も、特殊高空用として、少数機で せいさん わんしようわ わん はあるが生産された。また、一九四三年 ( 昭和十七年 ) の夏 きた なんばうむ スが、北アフリカ、南アジ からは、南方向きのシリー・ やく せいさんがた たいべっ みなみ じつりよく なっ テンベストから発達したホーカー・シーフュリー艦主戦闘機 166
とうき くうちゅうせん だんがんめいちゅう せんとうき 空中戦で、弾丸が命中して燃えあがった町グスタフ戦闘機 ( スビットフ , ィアの自動力メラが撮影したもの ) くうぐんたい、 せんご ゅそうき じん ではあるが、イギリス空軍大佐となり、戦後はフランス人輸送機一機、 ( インケル爆撃機一機である みんきようわ そ - 一く こっかいいん かつやく 一いけん だいぶぶんせんとうき 民共和派の国会議員として活躍、祖国の再建につくした。 大部分が戦闘機で、スビットファイアは、相手が爆撃機 たたか グロステルマン大佐の撃記録は、報告だけによるものであるときに、よりよく戦ったことがわかる。これにくら じど・つ かくにん せんか ーくげきき ではなく、自動力メラによって確認された戦果ばかりで、 べてハリケーンは、戦闘機よりも爆撃機がよい相手であっ きしゅめいかく その機種が明確であった。三三機のドイツ機は、フォッ せんとうき 0 ケ・ウルフ四戦闘機一九機、メッサーシ、ミ , ト町四戦 ひこうてい ーゼラー 闘機八機、ドルニエー幻飛行艇二機、フィ れんらくぎ ばくげきき 連絡機一機、ユンカース扣爆撃機一機、ユンカース扣 9 げきついきろく げきついかくじっ そんがい なお、三三機の撃璧確実のほかに、 ' ミ書 7 をあたえたが撃 ついふかくじっ 0 璧不確実なものに、フォッケ・ウルフ 9 六機、メッサ ち」し・よ、つ , っ シュミット 0 六戍、八ロ 二機があり、六、らに地上帚 せんとうき ばくげきき 146
第 2 部不滅の名戦闘機・スビットファイア 3 ひこうちゅう すいじようきようそくき 飛行中のスーバーマリーン S. 6 水上競速機 くうきていこう フ , ィアも、この態のエンジンをとりつけ、空気抵抗の 小さな機首になっている。 わんしようわわん (f) 6 は一九二九年 ( 昭和四年 ) のレースで五二八、、 らくしよう こうにんせかいそくどきろく 七キロを出して楽勝し、五七五・七キロの公認世界速度記録 をつくった。 第一一回である最後のシュナイダー・レースは、一九三 わんしようわわん 一年 ( 昭和六年 ) におこなわれ、このときの T) 6 は、 おな 6 と同じような機体であるが、エンジンはこれまでになか ばりき った二三五〇 ~ 二五五〇馬力のロールス・ロイス改で、 じそく ゅ、うしよう 時速五四八・四五キ。で優勝した。 ・一うくうき・よう - 一く かいれんぞくゆうしよう せかい この三回連続の優勝で、世界の航空強国がねらった名 よ じどうしゃ 誉あるシュナイダ ー・トロフィーは、そのころ自動車でも じつりよく おうこく 世界一の実力をもっていたスビード王国イギリスに、永 きゅうおく 久に贈られることになった。 なお、最後のレースが終わった日の午後、もう一機の T) 6 は、六一〇・〇一キロを出し、さらに数日後には六五 れんぞくせかいそくどきろく せかい ひとびと 五・七九キロの連続世界速度記録をつくって、世界の人々を じたいせんご びつくりさせた。こうして、第一次大戦後のシュナイダ ゅ、つしよう すいじよ、つき ・レースで優勝したイギリスの水上機は、すべてミッⅡ せかい きしゅ きたい た すうじつご めい えい
第 2 部不滅の名戦闘機・スビットファイア すいじようきようそくき スーバーマリーン S. 5 水上競速機 ある。 ねんたいしよう ねんたいしよう 一九二三年 ( 大正十一一年 ) と二五年 ( 大正十四年 ) は、ア うきぶね ふくよ・つ しやりん メリカのカーチス複葉レーサーの車輪を、浮舟にかえたカ ゅうしょ・つ ねん ーチス・ネービー ・レーサーが優勝し、続く一九二六年 ていよくたんようすいじようき しようわがんねん ( 昭和元年 ) には、はじめて低翼単葉水上機であるイタリ ゅうしょ・つ じそく アのマッキが時速三九六・六キ。を出して優勝した。 りゅうせんけい せかい このマッキは、すばらしい流線型の機体で、世界 じったんようすいじよう ちゅ、つもく の注目をあつめたが、実は単葉の水上レーサーは、それ ぎし かんせい ねんまえ こミッチェル技師が完成し、ス よりも一年前し せかいさいそく ン 4 と名づけ、すでに三六四・六キ。の当時の世界最速の すいじようき 水上機となっていたのである。 ねんたいしよう わん しかし、この 4 は一九二五年 ( 大正十四年 ) のレース ふこう まえしけんひこう の前の試験飛行で、不幸にも翼ぶれを起こして墜落してし ぎじゅってき しんば まった。技術的にはマッキよりも進歩していた 4 あたら おも こうぞう であったが、すべての構造があまり新しすぎて、思わぬ失 敗をしたのである。 4 から発達した 5 は、さらに美しい外形で、空気抵 どうたい 抗を徹底的に減らすため、胴体の太さを、エンジン・ナセ かくしんてきせつけい ルよりも細くするなど、革新的な設計がおこなわれた。 こうてっていてき ほそ はったっ わん ふと うつく きたい わん くうきてい 109