第 2 部不滅の名戦闘機・スビットファイア しゃ カくかた」 : つけい 射などで破壊したものは、爆撃機をとして各型合 挙、・つ曰」い 機があった。総計六九機てある。 ☆ジョンソン大佐 ししトうひ - : つき りようせんしやりようすいらい 以上の飛行機のほかに、機関車七二両、戦車五両、水雷 せきせんすいかん くうぐん 艇三隻、潜水艦一 イギリス空軍のジョ ・ジョンソン大佐は、三八機 げきつい せんか じたいせん 隻、トラックおよ撃の戦果をあげて、第二次大戦におけるイギリス最高の エースとな「たが、そのうちの大半をスビットファイア 石両の破壊が、戦 9 によって勝ちとることができた。 機 じたいせんこうはん ちゅうたい 闘果のなかにふくま 第二次大戦の後半、スビット中隊および大隊を指揮し げキ一ついきろく しれいかん たんき た戦闘機部隊の司令官ジョンソン大佐は、単機の撃璧記録 せんたい げきついきろくじゅうし たいさじしん て、これらのエモよりも、戦隊の撃墜記録を重視したが、大佐自身もスビッ だいかつやく ノは、合計四三二 耨 トファイア・マンのひとりとして大活躍をしている しゆっげき わんしようわ わん わんしようわ わん レ回の出撃で得ら 一九四三年 ( 昭和十八年 ) から一九四四年 ( 昭和十九年 ) く・つぐん こちゅうたい ウ れたものであっ にかけて、イギリス空軍の九六個中隊がスビットファイ せんそう ケ アを採用したが、戦争もなかばをすぎると、スビード オ じ画・つしト ` ・つりよく きょ・つてき フ や上昇力も、強敵メッサーシュミ ットⅢ四グスタフ にくらべて、けっして劣ってはいなかった。 くうぐんせんとうたい にもかかわらす、ドイツ空軍の戦闘隊は、メッサーシュ ・ : っそく 0 ミット 0 やフォッケ・ウルフ 9 による高速一撃離 だっせんばうす 脱の戦法を捨て切れす、いつまでもスビットファイアに対凵 きかんしゃ せんとうき せき 0 せん せんとうきぶたい と たいはん だいたい
下オし こうちゅうたい 東インド第 65 飛行中隊のスピットファイア Mk. IA 戦闘機 せんとうき ひがし せんとうき あったし、ジョンソン大佐のような、めだたないが、最後 せんし までねばり強くがんばる闘志あふれる戦十が、たくさんい じつりよく たので、実力の 、つえに、六、らにみ がきがかけられた ことになる 、い・ : つやく 機械を最高に役 だたせるのは人で い・ : っ あるが、人を最高 はたら に働きやすくしてケ くれるのは機械で ある。スビットフ間 ひと アイアは、人と機 械の和のうえにつ陸 せいきめい くられた世紀の名 戦闘機である。 き力い ひと キ一カ、 ひと せんとうき
つよきちょうせん しては、強気で挑戦してきたのである。とくにスビット れんごうぐんばくげききた、 ゅうかん ファイアがついていない連合軍の爆撃機に対しては、勇敢 たたか せんか に戦い、その戦果も大きかった く - つぐん ジョンソン大佐は、イギリス空軍のランカスターやノ ばっ { くげきキ一 えんご ファッグスの四発爆撃機を援護して、しばしばドイツの いししっ ~ 、、つ 上空でメッサーシュミット町 0 グスタフやフォッケ・ くうちゅうせんまじ みかたき 0 つも味方機とスク ウルフ四と空中戦を交えたが、い ち ば・つく・つせんと、つき お ラムを組んで、爆撃機に近づく敵の防空戦闘機を追い散ら ぜんりよく すのに全力をあげた。 げきつい もくてき みかたばくげ・きき 敵機を撃墜するよりも、味方の爆撃機をまもるのが目的 であったから、逃げる敵機を深追いすることは、できるだ げきついすうすく けしなかったのである - しこ、、 オがって、輟数は少ないが みかたそんがい ナ 味方の損害も少なく、 ハイロットの疲労や死傷も、その物 コ りに少なかった。 しをっ げきついす・つ たす・つきげきっ きろくほ し ドイツの撃王は、三〇〇機以の多数機撃墜の記録保 の じしゃ ド」、よ、つ 持者がふたり、二〇〇機以上が八名、一 0 〇機以上が二三も きいじよ , っ げきついきろく 人、五〇機以上が二三人、それ以下の二ケタの撃墜記録を ッ かぞ もっエースは、数えきれないほどいたが、イギリスの公認 ス げきついきす - っ 撃阜機数は、ジョンソン大佐の三八機が最高で、以下一〇 てつき てつき きしどう おおぞら ☆大空の騎十道 えいふつかいきよう くドル・オフ・プリテンのとき、英仏海峡には、イ ひ - 一うき ふじちゃく ギリスとドイツの飛行機が、たくさん不時着したが、 りようぐんきゅうなんぶたい すいドに伀つき てきみかたべっ そうなん 両車の救難部隊の水上機は、敵味方の別なく、遭難し ぜんぶすく ているパイロットを全部救ってやった。 ひ - 一うき らっかさん また、落している飛行機からとび出して、落下傘で 降りているハイロ ころ ずツットは、撃ち殺さ 当 - イないのが、敵味方 れいぎ 物ー 難 の礼儀だった。 遭 れこれは、第一次 7 篠ド六、たいせん 容大戦からの「しき 一 ~ 一でたり」であり、 イロットたちのみ きしどうせいしん ポ ムごとな騎十道精ネ コ の発揮であった。 はっき 150
〈付録 、りんひ長う ッ 、ツトのデータ一覧表 スビットファイアのデータ一覧表 せんそうせん当よくすい ハ戦争の戦局推移図 せんそうねんびよう ヨーロッパ戦争年表 くうせんようこかいせつ 「空戦」用語解説 クロステルマン大佐 : ジョンソン大佐 : 世界に誇るスピットファイア せんとうき はんどはうえい 本上防衛に活躍した戦闘機 : かいぞう 改造されたスビットファイア へんけいき スヒットファイアの変型機 せ力い かつやく 写図すさロ表第装 し 真版絵絵ぇ紙し丁、 本の湯ゅ伊、、杉ー小こサ ン あ ムっ 毛お , 沢ミ禎藤・ , 崎 : デ の 輝 ザ あ イ 、正を郎ろ博膏肝茂 し る そうて、・ 155 147 142 172 158 155 てる
せんししやすく きいじ、つ ごうけい れんごうぐんげきついおう それだけに連合軍の撃璧王には戦死者が少なく、反対に 機以上のエースは、合計二〇名だけしかいなかった せんし せんとうきの だいせんか こじんせんか ドイツと日本には、大戦果をあげて戦死した戦闘機乗りが イギリスは、個人の戦果よりも、チーム・ワーグによる じゅうし せんか 多かった。 戦果を重視したためであるが、また判定の審査がきびしく、 めいしきかん ぶかせんししやだ みと かくじっ ジョンソン大佐は、部下に戦死者を出さない名指揮官と 確実なものだけしか認めなかったからでもある。二機が し きょ・つど・つてき せんたいぜんぶせん きしムう・よく ばあい 協力して敵の一機をおとした場合には、ふたりで一機しても知られ、いつも協同で敵をたおし、戦隊全部で戦 こじんてきえいゅう かんが ぶん ぶん てん ふかくじつほ、つこく 分、つまりひとりが二分の一点であった。不確実な報告果をあげることを考えていた。個人的な英雄をつくること あたら くうちゅうせん かえって不利になることがある は、新しい空中戦には、 っさい採用しなかったのである。 りくぐんこう アメリカやフランスも同様で、アメリカの最高は陸軍航ことを、はやくからさとっていたのである。 えいゅう せんとうき しよ、つ一 くうたい メッサーンユミット・ 戦闘機は、英雄をたくさんつくって 空隊ポング少佐の四〇機、フランスの最高はムショット し、当っ癶」 負けたが、スビットファイアとハリケーンをはじめとする 少佐の三五機である。 かすおお えいゅう せんとうき く・フぐん それに対してドイツ空軍は、英雄をたくさんつくって兵イギリスの戦闘機は、有名ではないが数多いチーム・ワー し きト々っ・しムく せんそう さいてん しきたか グのじようすなパイロット の協力によって、戦争を勝ち 十の十気を高めるため、採点のしかたが、あまかったよう ー ) よう一 、い・ごっ れんごうぐんげき である。最高の ハルトマン少佐の三五二機は、連合軍の撃 . ぬくことができたのである。 そく・よくじよ・つしよう・レ、く ・ : っ、くりよくじゅ・つ カく・かた とくにスビット各型は、速力、上昇力、航続力の重 王にくらべると、あまりにも差が大きい うんどう せいのう へいきん きゅ・つか くうぐんせんとうきの 要な三つの性能が、平均してすぐれており、そのうえ運動 一説に、ドイツ空軍の戦闘機乗りは、休暇がみじかく、 ばつぐん そ・つじゅ・つし かんとせいしん れんごう しゆっどうかいすうおお ひとりあたりの出動回数が多かったのにくらべて、連合性が抜群で、さらに操縦十の敢闘精神がみごとで、良い しんきゅう きゅ・つか ことがか六、なっていた。 軍の戦闘機乗りは、休暇がながく、進級するのにしたが ひこ、つき おお スビットファイアには、ゼロ戦やムスタングやメッサー って、飛行機に乗る回数が減らされたことも、大きな差が よ でんとうてき げんいん シュミットとは別な、イキリス古来からの伝統的な良さが ついた原囚だといわれる。 ぐんせんとうきの ついおう てき のかいすう ど・つよう へ さおお はんてい しん、 おお ま につばん たい、 ゅうめい ん はんたい