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検索対象: 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア
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1. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

れた しんせつけい えんちょうせつだんよく 幻は、新設計の延長切断翼をつけた戦後型。の ☆スピットファイアの変型機 」しゅこっ カた ・ : つきカた せんご 後期型は、三枚プロペラを前後にくし型に二重にとりつけ すいちよくびよく かくがた 1 一うけい スビットファイアの各型合計の機数は、グリフォン・ス たコントラ・プロペラをとりつけ、啝直尾翼はなめらかな きふく おおがた せんごせいさんだいひょうてき ビットファイアの二〇五三機を含めて二万三五一機で、メ 整形の大型になり、戦後生産の代表的なスビットファイ まん アとなった。 ッサーシュミットⅢ 0 の三万四八〇機には、はるかに及ば まんき 幻は、スビットファイアの最後の型で、から発達ないが、フォッケ・ウルフ囲の二万一機よりわすかに多 ま、 - 一うじよ・つで いしゅ・つキ一 せんとうきせいさんだか わんしようわ ねん し、最終機が工場を出たのは一九四七年 ( 昭和二十二年 ) く、ゼロ戦の約二倍に近い。戦闘機の生産高としては、世 癶 ) いだいじそく ば・キ、 九月であった。グリフォン礙 / 二〇五〇馬力、最大時速界第二位で、もちろんイギリスでは最高である。 きかんほ・つ もん かたきよくと、つ へんけい ねんしようわ 七二四キ。、二〇 ' 、リ機関砲四門で、この型は極東のイギリ スビットファイアの変型としては、一九三八年 ( 昭和十 そくどじつけんき くうぐんはいち ちょうせんせんそう かつやく わん ス空軍に配置され、朝鮮戦争のときに活躍した。 三年 ) のハイ・スビード・スビットファイア速度実験機、 かず・ 4 れお かくがたせつめい かいぞうすいじようせんとうき ねんしようわ ねん 以上で、数多いスビットファイアの各型の説明をおわる一九四二年 ( 昭和十七年 ) の 5 改造の水上戦闘機、一九 み きたい かいぞうすいじようせんとうき わんしようわ わん 1 とが見あたらないのは、計画だけで機体がつく四三年 ( 昭和十八年 ) の 9 改造の水上戦闘機および戦後 ふくざれんしゅうき きじゅん られなかったからである の 9 を基準とした複座練習機 ( スビットファイア・トレー ナー ) などがある がっ 、せ ん た はったっ かいだ、 せんやく 0 ほかこ、スヒットファイ きしゅ はったっ あたら アから発達した新しい機種 としては、シーファイア艦 じよ・つせんとうき 上戦闘機とスパイトフル きすう まん ん き およ おお かん せ 172

2. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

だいじそく じつようじようしようげんどまん 大時速六五六キ。、実用上昇限度一万三四一〇というす ぶそう ほうしき えんちょうよく ばらしいもので、これも延長翼で、武装は方式 ( 二〇 きじゅうちょう もん きかんほ - っ など リ機関砲二門、七・七い機銃四丁 ) であった。 ぶそうほうしき ( カくがた ここで、スビットファイア各型の、いろいろな武装方式 LO 8 ' をまとめてみよう。 、 ) ノ、ーノ しよき きじゅうちょ、つ かた ほうしき に 1 2 方式は、初期の型で七・七 = 、。機銃八丁。方式は二〇類Ⅷ邯Ⅷ きじゅ、っちょ・つ きかんほう リ機関砲二門と七・七い機銃四丁。 O 方式は、 < 、のど . レ 「レ、レレ」レ一レ の きかんほう 翼 ちらでもとりつけることができ、さらに二〇ミリ機関砲だけ ほ、つしき もんきじゅう ばあい メメメメメ 四門で機銃なしの場合もあ「た。ほかに方式というのがの 2 方方 2 方方方勵方 きじゅうちょう きかんほ・つ ア ~ 平 ~ 平 ~ 平一平一平 ~ 平 8 4 、 6 0 8 あり、これは二〇ミリ機関砲二門と一二・七 ' リ機銃二丁であ イ -4 0 -4- 4 ワ」 00 1 1 亠、 1 アワワワ」ワ」ワ る。 フ積積積い積積き責き責 ひょうじゅんよく せつだんよく かくかた 面面面面面面面 これでスビットファイア各型には、標準翼、切断翼、ト しゆるい えんちょうよく ンー / ・レー / ーレーレーレ、レ 延長翼の三つの種類の翼と、 < 、、 O 、の四つの種 類の武装方式のための翼があることがわか「たが、さらにス一一 メメメメメメメ ・ 3 4 よ、つと きめい とちゅう にんむ かい挈、う っ乙ワ 8 改造の途中から、任務が多くなってきたので、機名も用途 1 人ワ】 9 、 9 、 9 ~ 0 1 1 11 、 1 11 べつりやくしようよ 叔幅叔幅叔幅叔幅叔幅叔幅叔幅 別の略称で呼ぶようになった。 全全財全全全財全財全 かた・ヘっ 1 、 2 、 3 : : : ) であったの つまり、はじめは型別 ( ようとべっふごう とちゅう かたべつまえ 準い長断断断財断型 が、途中から型別の前に、用途別の符号をつけるようにな 基延切切一切切新 った。それは、次のようなものである。 もん っギ、 もん ほうしき ほうしき しゅ しゆるい しゅよく 新型翼 えんちょうよく 切断翼 基準翼 延長翼 160

3. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

ちゃくちゃくせんか 着々と戦果をあげていた。 りよ、つよくたんき カくがた なお、スビットファイア 5 各型には、両翼端を切り ひょ、つ がた せつだんよく ート・スパン ) 型があり、これは標 落とした切断翼 ( ショ ・ : っそく 準翼のスビットファイアよりも、高速を出すことができ こころ がたおな りよ・つよくたん につばん せん た。日本のゼロ戦三二型と同じような試みで、両翼端が とくちょう かくがた 角型になっているのが特徴である。 じっせんけつか 実戦の結果では、スビットファイア 5 はメッサーシ = わんしようわ わん ミット四のライ・ ( ルで、一九四三年 ( 昭和十八年 ) の しゅ・、よく かつやく 終わりころまでスビットファイアの主力として活躍した。・ ひょうじゅんよく ぜんふく せつだんよく 切断翼は、標準翼よりも、全幅がみじかくなっている く、つきていこ・つ ので、それだけ空気抵抗がすくなく、スビードを出すのに よくちい ぶん 有利であるが、切り取った分だけ翼が小さくなり、その分 よ、つりよく - : つく、っせんとう ド′よ、つしょ・つ・よくムわ だけ揚力が減るので、上昇力が弱くなり、高空の戦闘 ふり には不利である。 せつだんよく 機したがって、切断翼のスビットファイアは、おもに低高 第 : つく・つトでつ どちゅうこうど くうちゅうせんつか はんたい 度か中高度の空中戦に使われ、反対に高空用には、翼の っギ、 めんせきひろ えんちょうよく のりようたんえんちょう 滅両端を延長して、面積を広くした延長翼が、次の から使れるようになった。 じゅんよく ぶん せんとうき せつだんよく 157

4. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

ひこうき 「いままでの飛行機は、機体にエンジンをのせたものだ りゅうせん ざせき が、 5 はエンジンに翼と座席をとりつけ、それを流線 せいけい 型に整形したものだ。」 ぎし 六、らにミッチェル技市は、 すいじよう うきぶわおお あんせん せつけい 「浮舟は大きいほうが安全だが、この設計が水上レーサ ーの生命となる。」 かた と語った。 あたら こ、つくうギ、じゅっけっしょ・つ 新しい航空技術の結品としてできあがった 5 は、一 わんしようわねん 九二七年 ( 昭和二年 ) のレースで四五〇・六四キ。でみごと ゅ・フしょ・つ さいだんしゅんかんじそく に優勝し、最大瞬間時速は五一四・二八五キロで、事実 じよう・くじよ・つき きろく こうにんせかい 上、陸上機の公認世界スビード記録である四四八 一キ。を、はるかにうわまわっていた。 じゅっきそ 「のちにスビットファイアをつくった技術の基礎は、この やしな しまではイギリ ときから養われていた。」という事実は、 じんじよ・つしき ス人の常識になっている。 すいれいしき がた それまでのエンジンは、ネビア・ライオン水冷式型一 きと・つ ばり・き 二気筒七〇〇 ~ 八七五馬力であったが、次の 6 ではロー 等、とう すいれいしき ルス・ロイス水冷式 > 型一二気筒一五〇〇 ~ 一九五〇馬 きしゅほそなが め・キ、きよ、つか ートになった。スビット 力に強化され、機首が細長くスマ きたい じじっ っ じじっ 110

5. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

められた。 きようてきあら せいぶせんせん ねんしようわ ねん 一九四二年 ( 昭和十七年 ) になると、西部線戦ではスビ ☆メッサーの強敵現わる じゅう ットファイアのほかタイフーンやモスキトーのような重 せいさん とうぶせんせん こうそくきすがたあら ぶそう く・つぐん ほんどじようりくさくせんしつばい イギリス本上上陸作戦が失敗したあと、ドイツ空軍は武装の高速機が姿を現わし、東部戦線ではばく大な生産 しゅうげきき ゅうしゅう ドリッヒを第一線力を誇るヤク、ラグ戦闘機それにイリ = ーシン襲撃機な スビットファイアよりも優秀なフリー ていくうせいのう き・かんほう かた まえせつめい はいち この型にも機関砲をど、低空で性能のよいソビエト機を相手にしなければなら に配置したことは、前に説明したが、 じゅうぶそうがた 翼に二門つけた重武装型と、プロペラ軸に一門をつけた軽なくなった。 がた また北アフリカでは、砂ばく型のモホーク、トマホーグ、 武装型があった。 しゆくてき ゅうめい げきついおう せんそう キティホーグ、それに宿敵ハリケーンなど、さらにイギ スペイン戦争いらいの有名な撃墜王メルダース大佐は、 せいせんとうき しんがた しよう けいぶそうしゅしゃ くうせんほう リスに送りこまれた新型のアメリカ製戦闘機などが相手 たくみな空戦法を生かした軽武装主義者であったが、将 れんごう しんえい ちゅう一 げきついおう ゅうめい らいせいかんが ドリッヒは、連合 ールと新鋭のフリー 来性を考えたもうひとりの有名な撃墜王ガーランド中佐で、生き残りの工、、 げきせんつづ せんとうきてき しんねん じゅうぶそうしゅしゃ げきひつつい は、一撃必墜を信念とする重武装主義者であ「た。このた軍のあらゆる戦闘機を敵として激戦を続けることにな「 ぶそう 丿ードリッヒの武装もまちまちた め 1 から 6 まであるフー しよう せんじようじようきよう かくだい しかし、岦卞いなことに、 で、拡大された戦場の状況によって、使用する型式がき ぶそうがた もん もん けいしき たい、 3 ・ドイツ空軍の落日 せん ぐん きた さいわ せんとうき このころになって、ドイツのゼ きあいて らくじっ

6. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

せんとうき くうちゅうせん でも、らくに空中戦りつけたが、このカ はつば馬 ができるようになってロケット弾は四発 おおがたばくげきき げきつい 大型焼撃機を撃墜筒 グスタフはドイツ空するのに役だっ たいりようせいさんけっ 軍最後の大量生産決た。 シリ 戦機として、あらゆる スによ作 ズのなかまであり、 しき ~ 攸 タ 0 シリー かたかいぞう グで、いちばんたくさんろいろな型に改造 そくりよく g つくられ、なかでも空 されたが、速カ一 じよ、つしようりよく ちゅうせんかつやく 町中戦で活躍したのは と上昇力はスビノ ()D 5 、 6 で、 5 はブットファイア 7 、ペ 、カく・かた ロペラ軸に二〇、 : リ機関 8 、 9 、各型に一 一フ もん そうと・つ れんごうぐん エンジンのう 相当し、連合軍のム きじゅうちょう ばくげききたし ッえに一三 = リ機銃二丁、 爆撃機に対してはダ おお せんか 6 はプロペラ軸の機大きな戦果をあげ かんほ・つ 関砲が三〇いになり、 ねんしよう さらに翼の下に二〇 "Z 一九四四年 ( 昭 きかんほう もん せんそう わん 機関砲二門か二一拜一大和十九年 ) 、戦争が がた さい′一だんかい 型ロケット弾二本をと最後の段階にはい町 ぐんさい 1 ) せんき よくした きかん を 0

7. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

PS94b りようイ一ん なり量産されてからは、すべてが 4 と呼ばれるよう れい・かし しかし例外として、 o-«〃みを 7 といったよう しめ じゅんばんすうじ に、アルファベットの順番を数字で示したものがあった。 せいさんがた もちろん一機だけで、生産型の名まえではない。 一はり・キ、 かた ー ) ン一四八〇馬力 なお、の名のついた型は、マ せいの・フこうじようし々 ) くき しきびりん をつけた性能向上試作機で、はじめて引き込み式の尾輪 ばうだんそうちつよ けつか 一をとりつけ、防弾装置を強くした。その結果、一〇〇〇機 ちゅうもん せいさん じかん の注文が出されたが、生産に時間がかかるため、計画は ちゅうし っとりやめになり、二機の試作だけで中止になった。かわり きたい ラ ーリン / 一四四〇馬力をつけて、 し 1 の機体に、マ まえ 急いで生産したのが、前に書いたである。だから、 5 よ 1 / 2 によく似ている なっえいふつかいきよう く・つれいしきほしがた わんしようわ 一九四一年 ( 昭和十六年 ) の夏、英仏海峡に空冷式星型 せんとうきあら 主エンジンっきのナゾのドイツ戦闘機が現われ、スビットフ くる け = - ロ アイアを苦しめたことがあり、のちになって、これがフォ せ - 三 ッケ・ウルフ囲 < 戦闘機であることがわか「た。 ドイツ空軍は、メッサーシュミット 0 の次に 0 炻 かめん かんじようせんとうき じゅうはんてん しゅよく せいさん く・つぐん わん

8. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

りようさんつづ ってからもグスタフは量産が続けられ、ほかの戦闘機よ お だ せんせんおく じゅくれん りもたくさん戦線に送り出された。しかし熟練パイロッ ☆追いつめられたメッサー わんりようふそく れんごうぐん じよ、つりく ) くせん トと燃料の不足で、連合軍のノルマンジー上陸作戦のあ こうき かつどうしようきよくてき せんきよく ねんしようわ わん とでは、活動が消極的になった。 戦局も後期の一九四四年 ( 昭和十九年 ) の夏になると、 がた せんとうき ばうくうせんお ほんど カくかた 型のあとに、、、、、 N の各型もっくられた ドイツの戦闘機は、防空戦に追いまくられ、イギリス本土 じよ、つり・く しんげき せんりよう せんりよく せいさんがた がた が、戦力となった最後の生産型は型で、 4 の最大時への上陸も、モスグワへの進撃も、北アフリカの占領 じつようじようしようげんどまん かこゅめき 速は七二七キ。、実用上昇限度一万三五〇〇であった。 も、すべてが過去の夢と消え去った。 し * 」く がたじそく こうどまん はっ ひこうばくだん ドイツは > 1 ジェット飛行爆弾、 > 2 ロケット爆弾な なお試作の型は時速七五〇キロで高度一万四六〇〇と発 てい・一う びよう だ 、いこ・つせいのう むさべつほうふくへいき ど、無差別の報復兵器までくり出して最後の抵抗をこころ 表された。これはのなかの最高の性能である。 一一うくうしじよ、つ、い - : っ ぜんせいさくきすう まん せいしんてききようふ れんごうぐんせんりよく の全製作機数は三万四八〇機で、航空史上最高のみたが、精神的な恐怖をあたえただけで、連合軍の戦力 きろく せんやく 記録である。ゼロ戦の約三倍、ムスタングの約二倍でを弱らせることはできなかった。 ッ きろく ゃぶひこうき れんごうぐん ぐんようひ ねんご げんざい これに対して連合軍は、アメリカからたくさんの軍用飛 、あった。この記録を破る飛行機は、二七年後の現在まで、 シ ちゃくちゃく へいきおうえん 一まだ現われていない。 行機と兵器の応援をうけて、着々とドイツをとりかこむ じんえい ばくげきき せんとうきせんりよく ッ メ 陣営をととのえ、とくに爆撃機と戦闘機の戦力は、ドイ 川のなかで、いちばん変わっているのは、二機のフリ 、ゆう そうはっそう せいりよく ぐんなんばい ス ードリッヒを左右につなぎ合わせた町四 N で、双発、双ツ軍の何倍もの勢力にふくれあが「ていた。 そうどう した どうそうびよく ばくだん せいさん 工 胴、双尾翼、ひとり乗り、双胴の下に一トン爆弾を一個ずつ アメリカが大急ぎで生産したフォートレス、幻 の かいそくばくげきき さいだいじそく かくちれんごうぐんきち 戦 、リペレータがヨーロッパ各地の連合軍基地に配置さ 撃とりつける快速爆撃機で、最大時速は七一〇キ。であった。 電 じっせん じゅうてんてき さんか れ、イギリスもランカスターやハリファックスを重点的 しかし、試作だけで実戦には参加しなかった。 部 ちょうきよりばくげききしゆりよく 第 に生産して、長距離爆撃機の主力とした。 あら の カ あ せんとうき よわ せいさん おおいそ きた なっ ん

9. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

ほんど ひげき レこ対して、新しく「フリー 悲劇がおこなわれ、イギリスの残存機はイギリス本上に逃したⅢ四で、型のエミーノ あいしよう ドリッヒ」の愛称がつけられた。 ルは初めてイギリス空 げのびた。しかし、このときエミー きゅうがた しんがた わたあ ぐんひぞうしんえいき ードリッヒは、旧型のエ ルにくらべて 新型のフリ 軍秘蔵の新鋭機であるスビットファイアと渡り合った。ス おおがた ばりき ールであっ 一三〇〇馬力エンジンをとりつけ、大型のプロペ ペイン戦争いらい、向かうところ敵なしの工、 きしゅ びよく りゅうせんけいカ ルと同じ ラ・スビンナーと流線型化された機首まわりをもち、尾翼 たが、このとき初めてスビットファイアがエミー しちゅう かたもちしきあらた よくかめん けつかあき つよせんとうき も支柱のない片持式に改められ、翼下面のラジェーターも くらいの強い戦闘機であることが、実戦の結果、明らかに くうきていこうすく かた よっこ。 空気抵抗の少ない浅い型になった。 しゅよくりようたん けつかせいさんがた こうせん テストの結果、生産型の主翼の両端は、スビットファ 交戦したスビットファイアの数が、まだ少ないので、そ どくとく えんけい ぶこっかん じつりよくせいかく ールのイアのようなだ円型に整形され、エミ ール独特の武骨な感 の実力を正確に知ることはできなかったが、エ、 じよ、つしよ、つり・よく さいたいじそく どうとう りよ、つ一んがた パイロットは、初めて同等のスビードと上昇力をもっ敵じがなくなり、量産型のⅢ川 3 の最大時速は六二八キ じし・つし、ようり・よく ・ : っ挈、くりよく うんどうせい しゆっげん ーし力いしんつよ 口にはねあがった。上昇力も航続力もわすかによくな 機の出現に、警戒心を強め、とくにその軽快な運動性に せんかい はや せんばうかんが って、旋回も速くなり、エミ ールにくらべると、かなり性 対しては、新しい戦法を考えなければならなかった。 じ 力いしゅう せいのう せんとうき くうぐんしどうしゃ ルの性能をいつまで能のすぐれた戦闘機になった。しかしテストと改修に時 ドイツ空軍の指導者たちは、エ 」しト ` ・つま・つ かん せんりよく わんしようわ わん しんようつづ 間がかかり、戦力になったのは一九四一年 ( 昭和十六年 ) も信用し続けていたが、あらかじめ情報をつかんでいた じつりよく スピットファイアの実力については、わすかながら警戒の夏からであった。 さくせんまえ しん 心をもっていた。そして、ダンケルク作戦の前から、スビ かい」う かくと、っせいの・つおと ットファイアよりも速く、しかも格闘性能も劣らない改造 かいはつめいれい ールの開発命令をメッサーシュミット社にあたえてい がつはつひこう しんがた わんしよっわ わん たが、この新型が一九四〇年 ( 昭和十五年 ) 七月に初飛行 せんそう あたら し はや ざんぞんき かず じっせん てき しゃ おな てつ のう なっ た あさ あたら ワ 3

10. 空戦 メッサーシュミット対スピットファイア

かずすく かいりよう りゅうせんけい せつだんよく たものである。数は少ないが、タイフーンやテンベストと た。のちに切断翼と流線型の水滴風防つきに改良された きようりよく せんとうばくげきかつやく どくとく すがた が、スビットファイア独特のなめらかな姿は、兵器ではな協力して、戦闘爆撃に活躍した。 ほんかくてきせいさんがた さいだいじそく しよう、ん げいじゅっさくひん グリフォン・スビットファイアの本格的な生産型は、一 く、芸術作品であるとも賞賛されている。最大時速六五 せんりよく わんしよっわ まうしきぶそう ばくだん 九四四年 ( 昭和十九年 ) にはいってから戦力になった凵 二キ。、およびガ式の武装で、爆弾は四五〇キ。 ばりきさいだいじそく じようたい で、グリフォン二〇五〇馬力、最大時速七二一キ。で、ス このは、 いまも数機が飛べる状態で残っており、 きよく せんとうき ビットファイア戦闘機のなかで、いちばんスビードが速カ アメリカやイギリスの航空ショーなどで、すばらしい曲 えいが くうぐんだいせんりやく ひこう 技飛行をみせている。映画「空軍大戦略」では、 じようりく一くせん しゅやく ノルマンジー上陸作戦からあとのフランス領内のドイ ル・オプ・プリテンの主役として再現した。 ひみつへいき げきつい ぐんついげき ツ軍の追撃や、ドイツの秘密兵器 >—の撃鱶、さらに じたいせん けっせん せんとうき きとう えきれいしきがた 液冷式 > 型一二気筒エンジンでは、世界一の傑作といわジ、ツト戦闘機との決戦などに加わり、第二次大戦におけ きようりよく せんとうき しゃ ンよりも、さらに強力るスビットファイア戦闘機の最後を飾った。 れたロールス・ロイス社のマー丿 かんせい わんしようわ なお、このシリーズからのグリフォン・スビットフ なグリフォンが、一九四一年 ( 昭和十六年 ) に完成し、そ まー すいちよくびよく ・ヘつきたい アイアは、五枚プロペラをとりつけ、垂直尾翼の幅がわ れをスビットファイアの原型 ( とは別の機体 ) に ひろ ぶそう とりつけてみた。これがと改名され、さらに一九四三ずか広くな「ている。式装もいろいろで、基準型の せんとうばくげきき せんとうていさっき げんけい わんしようわ のはか、戦闘偵察機やⅡ戦闘爆撃機などがあっ 年 ( 昭和十八年 ) に貶の原型となった。 イ一いしょ カくかた′一うけい ばりき 肥は、グリフォン 3 / 4 一七三五馬力をつけた最初のた。各型合計一〇五五機。 さいだいじそく せいさんがた 次のは、グリフォン二三四〇馬力つきで、あらゆ グリフォン・スビットファイアの生産型で、最大時速は六 たい・一う 三二キ。であるが、これはフォッケ・ウルフ < に対抗するスビットファイアのなかで、最大の馬力をも「ていた じそく ぜんびじゅうりようさいだい きたいきようかかいぞう ちゅ、っていく・つよう が、全備重量も最大になり、時速は七一一キ。であった。 るための中低空用で、さきの 5 0 の機体を強化改造し わん すうき ・んけい すいてきふうばう と かいめ、 せかい ねん けっ一く へいき ねん さいだい かざ きじゅんがた ・よ、つない はや