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検索対象: 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--
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1. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

取引先の設備投資の需要が急激に落ち込み、鈴萬工業は業績が悪化。 2009 年 8 月期 の売上高は前期を % 程度下回る約肥億 4600 万円、経常損益は約 1200 万円の赤 字に転落したと見られる ( 帝国データバンク調べ ) 。 取引先は発注を絞るだけでなく、厳しいコスト削減も要求してきた。実際、ある得意 先は「発注の際には相見積もりを必ず取って、高い値段を提示した会社からは仕入れな しように徹底した」と話す。 これに対し、鈴萬工業は需要全体が落ち込んでいる弱みもあって、受注単価の下落に 応じざるを得なくなった。卸以外に突出したサービスがあまり見られなかった鈴萬工業 は、「おおむね最も安い値段を提示していた」と前出の得意先は話す。 経営環境が厳しさを増す中、 2010 年頃、誠一氏は今度は息子の耕治氏 ( 仮名 ) を社 長に据え、事業承継を図った。だが、業績を劇的に改善させるほどの目立った実績を出 せないまま時が過ぎた。結局、一度は会長を退いた誠一氏が耕治氏に代わって 3 度目の 社長就任としう事態になった。 追い打ちをかけたのが、営業で中心的な役割を果たしていた柚本氏と誠一氏との間で 確執が深まったことだ。一度は社長を任された柚本氏だったが、 2012 年 8 月に取締 109 ー 0 章ビジネ、デ ~ が陳腐化したときの分かれ道

2. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

ったことが判明。資金調達の手段が尽き、法的整理の申請に至った。 大型機械に伴うリスク 破綻に至った理由は 3 っ挙げられる。 1 つは新興国リスクへの甘さだ。ホンマ・マシナ リーは「中国・上海に駐在員事務所を構え、直接取引を続けてきた」 ( 関係者 ) という。債 権者に話を聞くと一番に挙がるのが「直接取引の利点は分かるが、商社を入れるなどのリ スク回避はできなかったのか」という声だ。新興国での貿易に詳しい専門家も「商社や現 地販売店を介せば、彼らが販売先から代金を集金するためリスクへッジになる」と語る。 2 つ目に挙げられるのは、特定業界への依存というリスクだ。ホンマ・マシナリーは 原子力発電関連への依存度を高め、それによっていったんは業績回復を果たした。ただ、 特定業界に依存することは、予期せぬ環境変化でマーケットが縮小した場合、大きなリ スクと隣り合わせであるということを認識しておかねばならない。 3 つ目は受注の波の大きさだ。景気変動に翻弄され、手元資金は常に不安定なままだ った。特定業界への依存とも関連するが、大型の工作機械に注力した結果、「ホンマ・マ 217 ー第 3 章リスク管理の甘さはいつでも命取りになる

3. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

取引先が仕事を拒否 錦織社長は 2015 年川月、従業員に対して必要最小限の人数に絞って事業を立て直 すと説明。家賃の支払い額を抑えるため、これまでよりスペースの狭いオフィスに移る ことを模索した。 だが、この頃になると、事態はさらに悪くなる。キッズコーポレーションの経営状態 が厳しいとの話が業界内に広まり、信用不安が拡大。一部の取引先からは、これまでの 仕事に対する支払いの遅延が解消されない限り、新たな仕事は引き受けないと言われる までになった。 2015 年Ⅱ月、最後の頼みの綱だった錦織社長の親族の知り合いからも融資が受け られないことが確定。資金繰りの目途が立たず、経営の継続を断念した。 業績が悪化してからのキッズコーポレーションの対応について、信用調査会社の担当 者は、こう指摘する。「経営が苦しいことを信頼できる大口顧客などに、もっと早い段階 で正直に打ち明け、売掛金の支払いを前倒ししてもらうなどすべきだったのではないか。

4. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

よそ 4 割減の約億 1000 万円。その後も減収は止まらず、 2015 年 9 月期には約 四億 5 0 0 0 万円まで落ち込んでいる。 急激に業績が悪化すると資金繰りは苦しくなる。 2016 年 3 月 7 日が支払日となっ ていた手形で、まず不渡りを出した。続く 4 月 5 日に支払日を迎える支払手形も、設備 など経営の継続に必要な資産を売却しなければ決済が困難な見通しとなり、民事再生法 の適用申請に至った。 事業譲渡を軸に再生検討 今回の事態を招いたことについて、別府社長はどのように受け止めているのか。弁護 士を通じて取材を申し込んだが、応諾は得られなかった。 「爆買いの追い風もあり、化粧品業界は手堅く商売を続けていれば、経営が傾くケース はあまりない。マネジメントに問題があったのではないか」とある取引先は指摘する。 実際、経済産業省の生産動態統計によると、化粧品の出荷額は回復の兆しを見せて しる。 2 0 8 年川月のリーマン・ショック後、 2 0 0 8 年の 1 兆 5 0 71 億円から

5. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

エプコットは将来のヒット作を求めて、欧米など複数の国に版権の買い付けに出向い ていた。特大ホームランは見込めなくても、映画やドラマファン向けに少しずつヒット を積み重ねて得点に結びつけるスタイルで成長してきた。 韓流プームで業績好調に そんな同社に大きな転機が訪れる。それが韓流プームだ。これは事業拡大の願っても ないチャンス。遠藤秀隆社長 ( 仮名 ) は積極的に韓国ドラマの買い付けに動き、 2 0 0 4 年から素早く韓国ドラマの販売を開始した。 韓流プームだけでなく、レンタルビデオ店の記録メディア入れ替えに伴う特需もエフ コットを後押しした。「フレーヤーが家庭に普及したことに伴い、 2 0 0 5 年頃、 レンタルビデオ店は貸し出す商品をビデオテーフからに変え始めた。その結果、業 務用パッケージの需要が急拡大した」 ( 業界関係者 ) 。 市場環境に恵まれたこともあり、 2 010 年 6 月期に収入高 ( 売上高に相当 ) は約 % 億 5400 万円を計上 ( 帝国データバンク調べ ) 。順風満帆に見えた。 063 第 1 章急成長には落とし穴がある

6. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

装いの道の業績推移 売 30 業績悪化に歯止めをかけられなかった 当期損益 ( 億円 ) 20 20 10 。 10 売上高 当期損益 ー 10 16 15 14 2012 年 13 12 月期 1 99 ー第 2 章ビジネスモデルが陳腐化したときの分かれ道

7. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

プレスコの業績推移 売 40 業績の急落に歯止めがかからなかった 20 10 売上高 当期損益 ( 億円プ 当期損益 ー 10 ー 20 2013 年 9 月期 14 15 259 第 3 章リスク管理の甘さはいつでも命取りになる

8. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

ため、 2 億円を超える新規融資を受けた。この大型投資が経営の転機になった。 ランニングプームを追い風に、新店舗で売り上げを伸ばす狙いは、裏目に出た。 2011 年 3 月、東日本大震災が発生し、スポーツィベントやレジャーの自粛が広がり、 売り上げ低迷が始まったからだ。 2011 年 5 月には赤字続きだった池袋店を閉店するなどして一息ついたものの、し ばらくすると、再び業績が低迷するようになった。 低迷から抜け出せなくなった背景として、東京商工リサーチ情報部の担当者は「イン ターネット販売の影響がある」との見方を示す。実際、アート破産後の閉店セールでス タッフに尋ねると「商品の特徴を説明した直後に、店の外に出てスマートフォンで購人 するお客様がいた」という。実店舗で商品を見て、価格の安いインターネット販売店で 購入することがスポーツ用品でも増えていた。 再び窮地に立ったアートは、前述のように、 2 013 年秋、スキーや登山用品に強い 石井と業務提携。店舗の整理をするための融資を受けた。 2014 年には御徒町周辺の 店舗を集約し、 2015 年には日比谷店を閉鎖した。その一方で、新宿などにある石井 の一部店舗内にアート専用のコーナーを設けて販売拡大も目指した。

9. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

グルメンの資料によると、遅くとも 2006 年頃から売り上げの水増しなどに着手し、 2011 年までに累計億円に上る帳簿操作がなされていた。営業一筋で経理を社員任 せにしていた井上社長は黒字と信じていたが、実態は赤字続きだった。 グルメンを長年取材してきた食品業界専門の信用調査会社、食品速報 ( 東京・新宿 ) の 担当者は「売上至上主義の井上社長に押された営業の担当が、経理社員を巻き込んで架 空売り上げを実行したようだ」と説明する。 つまり井上社長の機嫌を損なわないために粉飾に手を染めたというのだ。井上社長が 本当に気付いていなかったかどうかは定かでないが、約幻億円に及ぶ債務超過の現実だ けが残された。 粉飾という 3 つ目の問題が発覚し、グルメンの信用力は大きく低下する。とどめを刺 したのが、売上高の 2 割を占めるテスコジャパンの日本撤退。英テスコは 2 0 0 3 年に 不ットワークを買収し日本に参入したが、業績 「つるかめランド」を展開するシートウー 不振のため、イオンに株式を売却した。 グルメンはテスコジャパンの物流部門を受託していたほか、食品の卸売先としても大 ートプランド ( ) に注力するイオンの物流網の中に組 ロ顧客だった。それがプライベ

10. 23社の破綻に学ぶ失敗の法則 : こうするよりほかなかったのか--

。苦 「今の工場設備では生産が追い付きません。発注数を減らしてもらえませんか」 渋の申し出が、破産のきっかけとなった。 2017 年 7 月肥日、菓子メーカーのアルべリ ( 横浜市 ) は、横浜地方裁判所から破産 手続き開始の決定を受けた。負債総額は約億円だった。 ュ、 - っド ) し ぜんきあん アルべリは 1923 年に「全機庵 . の屋号で創業。曹洞宗の大本山である總持寺御用達 の和菓子店として繁盛していた。 1951 年、現社長である藤本幸男氏 ( 仮名 ) の義父が全機庵製菓として法人化。工場 と店舗を構え、洋菓子の製造・販売にも乗り出した。 ~ 果子作りの腕を武器にホテルなど から ( 相手先プランドによる生産 ) を受注するなど順調に業績を伸ばした。 1991 年には業務内容が近いアルべリ服部製パンを吸収合併し、社名をアルべリに 変更。同年 9 月期にはビークとなる億 2100 万円を売り上げた。本社近くの住民は 当時をこう振り返る。 「アルべリの看板商品は『赤いくつの詩』というサプレ。横浜土産として人気だった。ま た、当時の横浜でケーキ店といえば、不二家かアルべリ。記念日にはアルべリのケーキ を食べるのが恒例で、幼い頃からの思い出の味だった」 241 第 3 章リスク管理の甘さはいつでも命取りになる