大丈夫 - みる会図書館


検索対象: とかげ
10件見つかりました。

1. とかげ

162 げ 私は言った。 「何を言えばいいのさ。」 彼は言った。 「別れるとか、無理だとか、軽べっするとか、いろいろ。」 私は言った。 「もしかすると、あなたの会社やお兄さんにも迷惑がかかるかもしれないし。」 「大丈夫だよ。」 彼は言った。 私は黙った。どうしていいか見当もっかなくなったからだ。 彼は言った。 「君は何で結婚を決めたんだ。」 「なんとなく、大丈夫な感じがして。」 私は答えた。 「でしょ ? 僕もそうなんだ。そういうのは理屈じゃないよ。」 彼は言った。 「でも、困ることもあるでしよう : : : 。」

2. とかげ

げ 108 「それでお友達が ? 」 「そうなの。でも誰にでも作ってくれるものじゃないって言うから、緊張しちゃった。」 彼女は笑った。 「大丈夫ですよ。」 私は言った。こんな細々とした仕事依頼の中にも、確かに断るケースはまれにあったが、 昭の傾向から行くとこういう人は大丈夫だった。それはこれまでやって来たこととかで判断 されるものじゃなくて、人生に対する姿勢のあり方みたいなものが大丈夫と感じられるらし いのだ。 昭は、お客の事情を私以上に聞きたがらない。知ってしまうと考えてしまって、うまく作 れないと言う。こんなこともあった。ある日、末期の癌で病院にいる母親が欲しいと言って いるからぜひ作ってほしいと言ってやってきた男の人がいた。男がいくら必死で頼んでも、 昭は作れないと言った。何でだか作れないと言い張った。男は母親の思い出や性格を事細か に話して哀願し始めた。心の柔らかい昭はとうとう泣き出して、それでもやはり、私の作る ものはあなたのお母さんには合わないと思うんです、と言った。男はしかたなく帰っていき、 私は、どうして作れないんだろうと泣き続ける昭をいつまでも慰めなくてはならなかった。 後日、その男はおまじないグッズを製造、販売している会社のス。ハイだったことを人づて

3. とかげ

130 「そんな、すごいおうちにお嫁にいって大丈夫なの ? あなた。」 母が言った。 実家に帰るのは久しぶりだった。 思ったとおり父は別に反対しなかった。私には姉が 1 人、兄が 1 人いて、みんな結婚して いる。慣れてしまったのだ。反対しないばかりか、誘われて麻雀をしに出かけてしまった。 母と応接間で 2 人になった。 兄と兄の嫁は誰だかの。ハーティーに行ってまだ帰ってこない。ほんとうにうちは絵に描い たような上流の下の家なのだ。みんながみんなきちんとそういう生活をしている。 何で私だけが、それをしながらもそれにはまりきれないままきてしまったんだろう。 母は、お祝いだからと言って取って置きのワインを開けてくれた。そして少し酔ってそう いうことを初めて言った。 「大丈夫よ。後をつぐということもないし、要するに道楽息子だし。」 私は言った。 「昔からなにか、そういうかんじでいたけれど、あなたはそのままいっちゃうのねえ。」

4. とかげ

げ 大丈夫だよ、と私は言った。 「でもいいわ。」 とかげは言った。 「地獄のほうが、患者さん多そうだから。」 そして、すうすうと寝息をたてはじめた。子供の寝顔で眠っていた。 私はそれをしばらく眺め、 2 人の子供時代のために数分間泣いた。 なが

5. とかげ

ん せ なことを、すっかり忘れちゃったりもするらしいわ。」 「自分が執着してることってこと ? 」 「そうとも限らないみたい。これは勘だけど、彼女は離婚のショックでノイローゼになって、 そのことを忘れたくて行くんだけど、私は多分、彼女はそのこと忘れないと思う。」 「やめなよ、行くの。」 私は言った。 「だって、ひとりで行かせられないわ、相談に乗ってしまったし。」 彼女は言った。 「それに、興味あるし。行ってみないといいところかどうかわからないし。」 「悪いよ、そんなところ。全部忘れてしまうなんていいわけないだろう ? 」 「忘れちゃいけないの ? 嫌なことも ? 」 「自分で決めていくんだよ、それ。」 「大丈夫、つまり : : : 」 彼女は目を閉じて一一一口葉を選んだ。そして目を開けて言った。 「そうそう、少なくともあなたのこと忘れたりはしないから。」 「どうしてわかるのさ。」 いや

6. とかげ

「だめよ、他のお客さんが人ってきちゃう。」 「じゃ、暗いままここにいるのか。」 「何かたのしくていいでしよう。」 と言ってウェイトレスのように、ジュースの人ったコップをトレーにのせて、やってきた。 「ビールはないのかな。」 「宿酔いなんじゃないの ? 」 「何でわかるんだ ? 」 私はびつくりして言った。 「言ったつけ ? 」 「留守電に人ってたじゃない。」 彼女はくすくす笑い、私はほっとした。 「もう夜だから大丈夫だよ。」 「じゃあ。」 と言って彼女は冷蔵庫に歩いてゆき、ビールを出してくれた。 どうも雲行きがおかしかった。彼女はいつにもましてにこにこと徴笑み、その靴音は遠ざ 引かって行くように大きく響いた。いやな子感がした。 ら ん なえ

7. とかげ

げ 一部になりたかった。窓に立ち、その風の冷たさまでもが伝わってくる大きな川の、風景の 中に溶けたかった。 「そう言ってくれると思っていたよ。」 彼は言った。 「でもあれかね、結婚式で、なれそめは、新郎の父の葬式で出会って一目惚れしたんです、 っていわれるのかね。何となくいきなり縁起が悪いね。」 「本当ね。でも何もかも正直に言わなくてもいいものみたいよ。友達の式とかでると、うそ ついてるのが多いもの。」 あいさっ 「よし、そうとなればご両親にもお会いしてきちんとご挨拶しよう。いつごろがいいだろ うれ 彼が嬉しそうなことが、何よりも嬉しかった。 「私から電話してきいてみるわ。大丈夫、絶対に反対したりしないから。意地悪もしない 私は笑った。 「問題ないわよ。恋人がいるって言ってあるし、この年で恋人がいるっていうことはそうい う覚悟もあると思うし。」 ひとめを

8. とかげ

げ 「わかるわよ、大丈夫。」 にこにこして彼女は言ったが、彼女の心の底のもう一人の彼女の不安をようく知っていた。 聞こえてくるようだった。 「あなたのことをみんな忘れてしまいたいと思っている自分を忘れたい。」 それが痛ましくて、もう説得をやめた。 「二人の今までのこと、全部忘れちゃうかもしれないね。」 私は笑った。 「千年分全部 ? 」 彼女も笑った。彼女がそういうことを言うと、その明るく深い声の響きのせいで一瞬それ が真実のように思える。そうか、千年ものあいだだったのか、と。 「初めて旅行にいったときのことも ? 」 「まだ四かそこらだったね。」 「そう、旅館に泊まって、意地悪な仲居さんに『ずいぶんお若い奥様ですね』って言われた のよね。」 とし 「僕たち歳、変わんないのにね。」 「あなた、老けて見えたのよ : : : 部屋が広すぎて、天井が暗くてこわかった。」 ふ

9. とかげ

げ うえきばち 供を何人も見ている。守ると約束した植木鉢を枯らせたからと首をつった子やら、決まった 時刻にお祈りをし忘れたと手首を切った子。 戦っていたんだな、と田 5 った。いいことをすればするほど、才能をのばせばのばすほど。 重くのしかかること。生理や性欲や排泄みたいに、まったく自分だけの、決して他人と分か ち合えない無意識の重み。どんどんふくらんでくる、この世のあらゆる殺人や自殺のもとに なっている、暗いエネルギー そして私は理解できてもなにもできないことにいつもいらだちを覚える。患者にも、いっ も。自分が無力なマザコンのオカマみたいに思えてくる。そうなるともう、何もできなくな とかげがこんなに長く話したのは初めてかもしれなかった。私は言った。 「出かけよう。」 まゆ とかげは眉をひそめた。 「大丈夫、嫌なところには行かないから。家にいるとうまく話せないから。」 私は言った。 「まさか、あなたの勤め先にいって私よりももっとひどい患者を見せて、頑張れよ : いうんじゃないでしようね。」 はいせつ がんば

10. とかげ

げ とかげはいつものように私に鼻づらをつよく食い込ませ、眠りにつこうとしていた。私も 眠くて、まぶたが落ちてくるのがわかった。 とかげが何かむにやむにやいうので、聞き取れず「何 ? 」と聞いた。 とかげは言った。 「だからね、だれか神様みたいなこの世のきまりごとの担当の人がいて、これはあんまりだ から絶対あってはいけない、とかこのひとはここまでなら大丈夫だから、とか見ててくれれ ばいいのに。でもいない。もしいるなら止めてくれればいいのにね。でも止めてくれない。 自分でやるのね。どんなにひどいことを見ても、何でも起こりうるって思うしかないのね。 今夜、どれだけの悲しい人がいるんだろう ? 身内を亡くす人や、死ぬ人や。裏切られる人 や、殺される人。現実に、今。世界は広いの。少しでも、止めてくれるといいのに。少しで もへるといいのに。私たちみたいな、生きてくのがつらい子がすこしでもへるようにね。」 悲しい祈りは、悲しい詩のように暗く湿った和室に響いた。私は半分眠りながら、 でも、あの暗い参道も朝になればにぎわい、大勢の人がやってきて、店も全部開いて、寺 もばーんと門を開いて、とにかくまったくちがう顔になる。どっちがどうじゃなくて、変わ って行く。楽しもうよ。うなぎの焼ける匂い、せんべいの匂い、漢方薬を買って、お参りし て、お札でも買って、新居に貼ろう。人々の往来を見よう。今夜は無人だった町の生き返る ふだ