仕事 - みる会図書館


検索対象: もっと素直に生きてみないか
47件見つかりました。

1. もっと素直に生きてみないか

認めてもらえなくても当然と思えた自分への変化は、驚くほどの安心感を与えてくれた。 自分を評価してくれない人がいれば、けしからんと不満になっていたのが、評価してくれる人 がいれば感謝するようになっていた。トゲトゲした気持から、安らかな気持へ大きく変わった。 自分への非現実的に高い要求水準から、どんな仕事でもこなせなければ気がすまなかったのが、 それからはできる仕事があれば満足できるようになっていた。今、もし療養生活しているとすれ ば、と考えると、今日できる仕事量の少なさと、やさしさに不満足はなかった。 今までだれからも信用されないと気がすまなかったのが、信用されなくても驚かなくなった。 一人でも信用してくれればうれしく思えた。病院にいる自分など信用してくれる人はいないのだ かから。強がりも虚勢も迎合もなくなった。療養生活をしながら強がりを言っても無意味である。 極そしてなんと元気になったことか。周囲との適応に消耗することがなくなったからである。 的周囲との適応に消耗しなくなって、かえって周囲との関係はうまくいくようになった。一日の 極 日の仕一垣は増加した。もっとしなければ、もっ 仕事量の少なさに満足てきるようにな 姿としなければと、内面からせきたてられることがなくなったので安心して仕事にとりくめるから る きだろう。ささいなことに臆病にならなくてよくなったからだろう。 章他人から間違いを注意されても感謝できるようになって、他人から学ぶこともふえた。療養生 活をしていることを考えれば、社会人として生活していられるだけで自信がでてきた。だから他 12 ア

2. もっと素直に生きてみないか

ない。それでは一寝入りしてから仕事をしようと思って床にはいっても、その一寝入りができな い。時は非情に流れていく。焦る。 こんなときには疲れすぎているのだから、仕事もやらないでいいし、眠らなくてもいいのであ ろう。そうよ をいかないという気持もわかる。しかし、眠りがどうしても浅いというところまで疲 れたら、運を天にまかせて八方やぶれの自然流でいくより仕方ない。 自然が、あなたの生き方は間違っている、そう教えてくれているのである。焦っている人間は 疲れすぎているのである。精神のバランスがくずれてしまっている。早くこれを片づけなければ、 早くあの人に手紙を書かなければ、早く食事をすませなければ、早く原稿を書かなければ、早く : どうしようもない仕事の山にう 報告書をつくらなければ、早く眠らなければ、早く、早く 的 極ずもれて気持は焦るばかり。 そしてたしかにそのひとつひとつを早く片づけなければ大変なことになる。会社で昇進が遅く 極 なる。入学試験に落ちてしまう。家のローンが払えなくなる。手形が落ちなくて会社が倒産して 姿しまう : : : もっともっと大変なことがおきる。もうあとは自殺しかないように思えてくる。だか る きらなんとしても早くこの仕事を片づけなければならないし、今日こそは熟睡しなければならない。 しかし、じつはその大変なことがどうしてもおきるならおきてしまったほうがよい。できれば 章 人生の早い時期に。 115

3. もっと素直に生きてみないか

しかし彼はこのような自分の攻撃性におびえている。彼がおびえているのは他者の視線ではな く、自分の中にあるこのような憎悪にみちた他人への攻撃性なのではなかろうか。 他人に向ける自分の攻撃性におびえて、自分に向けてしまったから、自分が会社をやめる、と なるのであろう。そこで言うことが他人に迷惑をかけられない、同僚が弱り切っているのを見る のがつらい、となる。 この人は、他人によく思ってもらおうとして自分の攻撃性を抑圧した。結果として他人が怖く て仕方ないとなってしまったのである。 「小生は、神経質だという一つの自分の世界に慣れてきたので、毎日が苦痛であっても初めのこ ろのように弱くはないのです。頑張りつづけることもできるつもりです。 この頃は人と顔を見合わせるときに目がオロオロするようです。それでも顔形が違うだけで、 皆と同じなんだと思うときもあります。こんなことで小生が引きまわされているので小生は燃え るときがないんですね。」 この人は、頑張る、頑張る、という。毎日が苦痛だ、という。しかし他人と比べてそんなに頑 張っているようでもないし、ことさらこの人の生活が苦痛というのでもなさそうである。しかし 主観的には頑張って苦痛なのである。 この人が頑張っているのは仕事についてではない。 この人は仕事に集中し、自分のエネルギー 194

4. もっと素直に生きてみないか

趣味を持っことがよいとわか 0 ても、彼は趣味を持っことができない。趣味を持っ時間とお金 があっても趣味を持てない。内面から仕事にせきたてられているからである。彼には英気を養う などということはとてもできない だらしのないことはたしかによくないことである。人間は困難に立ち向かわなければならない こともある。困難と闘って頑張らねばならないこともある。子供はそのように育てられなければ ならない。自分のやらなければならないことを、すぐにほったらかしにして遊んでばかりいたの では困る。ときには苦しみにも我慢して耐えなければならないことを学ぶ必要がある。遊びたい ときに、遊ぶことを我慢して勉強しなければならないときもある。忍耐も必要である。勤勉でな ければならないときは勤勉でなければならない。 切しかし、これらのことを、普通の親から子供が教えられるなら、大人になって仕事は熱心にや 関るが、疲労がたま 0 ても仕事から離れられずに休養がとれない、などということはないであろう。 人そしてついにぶつつりと緊張の糸が切れて、うつ病になるなどということがないであろう。仕事 従 熱心だけれども休養が必要になり、客観的にその条件がととのえば休養はとる。自分の趣味に没 配頭して、仕事の疲れをとる。 このようなことができないのは、だらしのない親が、自分のだらしのなさを自分に隠して、そ の心の緊張から、子供を「だらしがない」と批判しつづけたからである。その批判の陰湿さと徹 107

5. もっと素直に生きてみないか

正反対のものをうつ病患者に感しさせる。 つまり、自己卑下することはその本人にとって自分の善良さを感じさせるものなのである。自 分を卑下するものは、まさに卑下するということによって自分の価値を高めることができる。 それが証拠に自分を卑しめ、責めている人に、同しような言葉をこちらがその人に向かって言 えば怒りだす。他人が自分を同じように責めるのは許さないのである。 「私はダメな人間だ」と言っている人に「そうだ、おまえはダメだ」とか「よくそわかってくれ た」と言ってみるとよ い。たいてい怒りだす。 歪んだ良心を通して人を見ると : いつもいつも、私のような者がこんな仕事を、と言って自分を卑下している人を見ていればわ 発かることであるが、けっして努力をしない。 出 のしたがってこの種のことを書いたりしている人のものを読むと、言葉のうえでは自分を責めて 頼いても、全体としての印象はまったく他人事のような感じを受けるのである。本気でほかならぬ 己自分を卑しめている、という感じを受けない。 この人でも、もし小学校の教員が楽しかったのなら、よしそれでは正式に教員免許をとろう、 章 そのように努力しよう、というような姿勢にはならない。 189

6. もっと素直に生きてみないか

精神のバランスをくずす 眠りが浅い。朝、目が覚めても疲れがとれていない。思いきって一日休んで眠ろうと思っても なかなかもう一度は寝つけない。かといって仕事にも身がはいらない。疲れてポーツとしている くせに、眠ることもできず、仕事もできず、気持はあせるばかり、そんなときがよくある。 言ってみれば神経が疲れすぎたのである。疲れてもぐっすりと眠られるときがある。心身とも に疲れはてて、床にはいったまま一〇時間も一五時間もぶつつづけにぐっすりと眠ってしまうと きがある。長時間にわたってまさに熟睡してしまうときがある。 こんなときもたしかに疲れている。疲れているから一〇時間以上も死んだように眠ってしまう のである。しかし、短くて浅い眠りのときはもっと疲れているというときがある。神経が疲れす ぎて眠れないのである。 やらねばならない仕事は山ほどある。体にムチ打つように仕事を始めてもまったく身がはいら 1 焦りの構造 114

7. もっと素直に生きてみないか

うとしたなどということもあるたろう。子供の側からすれ。、そこまで従順になる必要はないの に、そこまで従順になって、あげくのはてに神経が消耗しておかしくなる。大人の側からすれば、 そこまで他人にしてやる必要はないのにそこまでしてあげて、あげくのはてに神経症などという こともあろう。 焦りつばなしで神経がおかしくなった人は、仕事をする必要もないし、熟睡する必要もない。 今までの生き方に無理があったのである。もし大変なことがおきるなら大変なことがおきてそれ がキッカケとなって生き方を変えるのが最もよい。 多忙すぎて肉体的に無理をしすぎた人もいれば、神経質で心理的に無理をしすぎた人もいるで かあろう。 的 失敗したら失敗したでよい。そのような失敗は、自分はその道に向いていないということを示 のしてくれたのである。 極 積 姿何かをする前に疲れている る き焦っている人はまた疲れている人である。ただ仕事に没頭して疲れたのではない。 章焦る人は仕事をする前に疲れたのである。仕事をして疲れた人、運動をして疲れた人、このよ うな人は焦ることはない。 117

8. もっと素直に生きてみないか

しようと思ってもどうしても気持がそわそわする。 ョットが思うように帆走しないように、自分だって思うようにならない。 ョットが自然の法則 にさからえないように、自分も自然の法則にさからえない。 ストレスで自分を疲れさせてしまって、なおかつよりよく休養しよう、熟睡しようと自分を思 うように動かそうとすることは、風のない日にヨットを帆走させようとする努力と同じく、自然 の理に反する努力である。 自分の中の自然を肯定して生きてきたらそんなに疲れはないはずなのである。スポーツで疲れ、 なんの心配もなければぐっすりと眠れる。そして翌日も爽快である。 それを自分は水の中で生きているカメなのに、他人がウサギのように陸ではねることを期待し、 自分もそれにこたえようとしたから、神経の消耗がおきたのである。 それなのになお、自分を他人の期待にこたえさせるべく努力する。十分な休養をとってまた働 こう、熟睡してまた勉強しようというように、いらぬ努力をする。生活の仕方を効率よくするこ とばかり考えて、休養まで効率よくとろうとする。休養を効率よくとろうとろうとしたところで、 とれる休養しかとれない。仕事に執着し、休養に執着する。 川の笹舟 そんなとき、自然に反抗する努力をしようとしている自分の愚を反省するために、小 や、風のない海のヨットを頭の中に思い描いてみることである。 142

9. もっと素直に生きてみないか

この親犬が仕事場にきたとき、。 ( ンをあけたら、そのパンを持って子犬のところに行こうとす る。自分はガリガリにやせているのに、それでも乳をあげようとし、さらに。 ( ンさえ持っていこ うとする。それだけ子犬を可愛がっているのに、その子犬を抱こうとする見知らぬ人間に対して 警戒しない。 これは可愛がられて育った大なのであろう。ノラ大のなかにはいつもビクビクしているのがい る。このビクビクしているノラ大と、今話した大とどこが違うか。 生まれてから自分の本性にノーと言われつづけて生きてきた人は、どんなに努力しても自信を 持っことはでぎない。、 しゃ逆に、努力すれば努力するほどさらに自信を失っていく。自分を認め ていない人に自分を認めてもらおうとすればするほど自分を傷つけてしまう。それは自分を認め ていない人に自分を認めてもらおうとして、自分の本性を否定するからである。 ただここで、自分を傷つけたのは他人ではなく自分だ、ということも忘れてはならない。た も自分を傷つけることはできない、もしわれわれが自分で自分を傷つけることを拒否するならば。 つまり「世界のうちでおまえほど、歩みののろい者はない」と言われて、ウサギのほうを向いた のはカメ自身なのである。 カメはウサギの言葉を無視することもできたし、ウサギのほうを自分に向けることもできた。 ウサギがカメを認めるか認めないかということは、しつはカメの幸福にとって本質的なことで

10. もっと素直に生きてみないか

たとえば、水泳の選手が、どう泳いだら早く泳げるかと研究し、繰り返し繰り返し練習する。 そうして疲れた選手はぐっすり眠れるのである。 疲れても何か焦って休養できないという人は、何かをやったから疲れたのではない。基本的に は何かをやる前に疲れたのであろう。 何かをやる前に感情が緊張して疲れたのである。激しい感情疲労はその人がじつは何かをやっ ていないということをあらわしている。 会社に行って一日仕事に没頭して疲れた人は、疲れたら休養をとれる。しかし会社に行って何 もしないのに朝から疲れている人は、疲れても休養できない人である。いつも焦ってばかりいる 人である。 たとえて言えば、魚が水の中で泳いで疲れたのではなく、陸のうえで泳がないで疲れたのであ る。そのようにして疲れた人は、どんなに疲れても休養がとれない 。うつ病の病前性格者が疲れ ても休養がとれないというのは、彼らが自分を裏切りつづけて生きてきたからである。 したがって焦りを解決するためには、自分に適した仕事や環境を見つけることである。 そんな仕事や環境はない、と焦っている人は言うかもしれない。おそらくそんなことはあるま そんな仕事や環境がないのではなく、そのようなところに行くのを自分の自尊心が妨けてい るのではないか。それまで感情疲労が激しいのに、現在の状態にしがみついているのは、ひとっ 118