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検索対象: もっと素直に生きてみないか
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1. もっと素直に生きてみないか

なことをしたら何と言われるか、あんなことをしたら何と言われるか、たえす心配していなけれ ばならな、。 他人を支配するのに有効な方法の一つは、恥の意識や罪の意識に訴えて支配することである。 自分の言動についての判断をある人にまかせると、その人の都合のいいようにひきずりまわされ てしまう。 他人をそのように支配する人は、けっしてあなたのためにあなたの言動を判断するわけではな 。彼らは自分の必要をみたすために、あなたの言動を判断するのである。自分が価値ある人間 と感じるために、あなたの言動を判断しているのである。 電話一本であなたがその人の言うなりのところにでかけていくとする。するとその人は自分の る 無力感等からそのときのみ解放される。そこで飛んできたあなたの言動を「さすが〇〇さんーと 知 係評価する。その人との用件が長引き、次の人との約東をその人のためにキャンセルする。その人 関 間は自分の重要感を確認できて喜ぶ。「〇〇君もかなり思い切ったことやるね、感心した」となる。 獄その人自身が自分を重要と感じられるかどうかによって、あなたの言動の価値は判断される。 地 あなたの言動がその人の必要をみたせば、あなたの言動は肯定され、その人の必要をみたさなけ ア 章れば、あなたの言動は否定される。そんな人があなたについて言うことをいちいち気にしていた ら、つねに煩悶していなければならない。自分の必要を犠牲にして、他人の必要をかなえようと 2

2. もっと素直に生きてみないか

られるか、それは印象的である」 ( 前掲書、一四二。ヘージ ) 。 ではなぜサラが血祭りに選ばれたのであろうか。それはサラが弱かったからである。「父親や 母親によると、一二歳までの彼女は最も愛らしい子供であった」 ( 前掲書、一四二ページ ) という。 親はサラにだけ完全な従順さを要求できたのである。情緒的未成熟な人間は自分の心の矛盾を 解決するために、自分の価値を信じるために、他人を必要とする。けっして自分を批判してはい けない人間、けっして自分の欺瞞に気づいてはいけない人間、そんな人間を必要とする。甘えか らくる自分の不満をぶつけられる対象、怒って罵倒しても自分から離れることのできない人間を 必要とする。自分の重要性が信じられない人間は、自分に感謝し、自分に恩を感じる人間を必要 とする。自分を尊敬してくれる人間であるが、同時に自分の人間嫌いを爆発させても許される人 れ 切間を必要とする。 係 関 人従順になることを強制される 従 他人に矛盾した感情を持つ人間がいる。他人は離れていてほしいが、そばにもいてほしいとい 配う人間がいる。そんなとき、「おまえなんかあっち行け」と怒鳴っても、そばにいさせて下さい 章と頼む人間が都合がよい。 自分の内面の葛藤を自分で解決できない人間が獲物をさがしている。その犠牲になるのはつね

3. もっと素直に生きてみないか

ことによってでてくるものである。しかもその人と自分とが大人になってもまだ別個の人格と感 じられていない、 心理的にその人から独立していない、 ということになろう。 入社した、係長になった、 ; 課長になった、部長になった、しかしなぜか、そこの社員として、 係長として、課長として、部長として、社の内外に堂々として振る舞えない 、という人は、二つ の反省が必要であろう。 ひとつは自分は育っ過程で「重要なる他者」がずるい人ではなかったかということである。 第二には、その人と自分とが大人になってもまだまったく別個の人格と感じられていないので 。なしか、ということである。 その人がずるいということと、自分がずるいということとは違う。しかし自我境界が不鮮明だ と、その人をずるいと感じることが、同時に自分がずるいと感じることにつながってしまう。要 するに、自我イメージが未形成なのである。 自我境界が確立されれば、。 とこにいても「君にはそのポストにいる資格はない」などという陰 の声は消えてなくなる。その地位にある人間として自信を持って内外に堂々として振る舞える。 158

4. もっと素直に生きてみないか

うとしたなどということもあるたろう。子供の側からすれ。、そこまで従順になる必要はないの に、そこまで従順になって、あげくのはてに神経が消耗しておかしくなる。大人の側からすれば、 そこまで他人にしてやる必要はないのにそこまでしてあげて、あげくのはてに神経症などという こともあろう。 焦りつばなしで神経がおかしくなった人は、仕事をする必要もないし、熟睡する必要もない。 今までの生き方に無理があったのである。もし大変なことがおきるなら大変なことがおきてそれ がキッカケとなって生き方を変えるのが最もよい。 多忙すぎて肉体的に無理をしすぎた人もいれば、神経質で心理的に無理をしすぎた人もいるで かあろう。 的 失敗したら失敗したでよい。そのような失敗は、自分はその道に向いていないということを示 のしてくれたのである。 極 積 姿何かをする前に疲れている る き焦っている人はまた疲れている人である。ただ仕事に没頭して疲れたのではない。 章焦る人は仕事をする前に疲れたのである。仕事をして疲れた人、運動をして疲れた人、このよ うな人は焦ることはない。 117

5. もっと素直に生きてみないか

しかし、心の底では愛情への飢餓感がある。それを自己の重要感でいやそうとしているのでは なかろうか。子供のときの愛情への飢餓感が、大人になって尊敬への飢餓感に変化したのではな 自分がどんな人間であるかという自分のイメージはどうしてできあがってくるか。それは他人 小さい頃愛されなかった子供は、自分は愛されるに値しない の反応を通してできあがってくる。 人間であると感じとる。 だがそれは、なんと悲しいことであろうか。そこで愛されるに値する人間でありたいという願 望を持ったとして、なんの不思議があろう。ある人は愛されるに値する人間でありたいと願い、 かある人は自暴自棄になる。 極愛されるに値する人間でありたいと願った人間は、その証拠を手に入れるためならいかなる犠 牲をも払う。その証拠とは、尊敬されることである。 尊敬されることで他人を自分に引きつけたいのである。小さい頃受け入れられ、愛された子供 姿は、成長してからそんなに他人を引きつけたいとは思わない。 き校内暴力においても、一般に事件を起こした生徒は自己顕示欲が強いという。それらの生徒は 章学習意欲が低いため、そちらのほうで他人の注目を集めることができない。 愛情で満足し、自己評価の高い人間は、自我防衛の必要がない。 135

6. もっと素直に生きてみないか

ような人間になります」と必死だったであろう。私たちがけっして言ってはならない言葉は、 : 一 will be what you w 目 (. ご ( 私はあなたがお望みの人間になりましよう ) である (Zimbard0' S ミ p. 256 ー 257. 木村駿・小川和彦訳『シャイネス』勁草書房 ) 。 ごのように言うことは、その人の所有物になることである。その人の貯金通帳の残高になるよ うなものである。そのように言わねばならないとき、よく自分の心にきいてみることである。す ると、自分はその人に親しみを感じていないことがわかるにちがいない。そしてそれは同時に、 相手も自分に親しみを感じていないということでもある。 われわれにとって必要なことは、他人と親しくなることであって、他人の望むような人間にな ることではない。 切他人と親しくなれる人は、けっして他人を自分の望むようなかたらに変えようなどとはしない。 係 関 人拘束服を着せるな 膨そううつ病患者を出す家庭というのは、社会的体面を重視して、地域社会での評価をあげよう 配と努力している家庭である。子供はその目標に向かって努力させられる。そしてそのために、と 章にかく子供は高い行動基準に同調することを期待される。ただここで注意すべきことがある。そ れは何を根拠にしてそのような期待が子供にかけられるか、ということである。

7. もっと素直に生きてみないか

ープ・ユア・イメージー 自分のイメージ改善法 自分のイメージを改善していくのに必要なことはまず第一に、頭の中に望ましい自分を想像す ることである。自分は強くなれる、そう書いた紙をさいふの中に入れておいたりすることももち ろん効果がある。 第二に必要なことは、人的環境を変えることである。つまり自分はなぜ自分について否定的な イメージを持ってしまったかということを考えれば、人的環境を変える必要性はわかるであろう。 小さい頃あな あなたはあなた自身の言動によって自分のイメージをつくってきたのではない。 たの言動に対する周囲の人間の反応によって、あなたのイメージをつくってきたのである。あな るさい頃あなたの言動にため息をついて失望し えたは自分に失望しているとする。しかしそれは、、 変 陸た親を見て、あなたはあなたに失望したのである。 同し言葉を言っても、もし他の大人であったら、あなたを励ましてくれたかもしれない。そし イ 己てあなたは自分に希望を持ったかもしれない。 章あなたは自分に失望しているとすれば、小さい頃からあまりにも多くの失望した人間に囲まれ て生きてきたのである。もしあなたが消極的であるならば、それはあなたがあまりにも多くの消 これこそが奇跡のために必要なことである。

8. もっと素直に生きてみないか

努力や意志の方向を間違えると、最後には息をするのさえ自然にできなくなってくるときがあ る。息をするのにも意志と努力が必要になってくるのである。 私は以前、次のような手紙をもらったことがある。 「小生は浪人です。忍耐力が異常に乏しく悩んでいます。 現役のときから勉強が三か月と続いたことがありません。二か月ほど調子よくできたと思うと、 次の三か月ほどは勉強意欲をなくし、まったくなにもできないのです。もちろんなるがままにな しっているのではありません。なんとか勉強しようと思って必死になるのですが、心と体がどうし すても言うことをきかず、カが抜けたようになり、諦めてしまうのです。 お高校入試のときはこんなことは少しもなく、一年間コンスタントに勉強できたのに、三年ほど る でこんなにも忍耐力が衰えたのかと不思議でなりません。 て っ 二か月ほど勉強して、次の三か月は全然勉強しないといったことを繰り返しているうちに、自 分は忍耐力のなさを、受験制度の矛盾に悩んでいるということでごまかしていると思うようにな 分 よりました。 ことなかれ主義で、ひたすら忍耐、忍耐と言っている奴隷根性の人間も、生きている価値があ あ 章りませんが、僕のようにかなり積極的な意欲を持ちながら忍耐力のない人間も生きている価値が ありません。いや今では忍耐カどころかなんとか自分のための勉強をしてやろうという意欲も枯 163

9. もっと素直に生きてみないか

自分が自分であることによって価値があるのだ。ある基準に自分をあわせる必要はないと感じ ることが大切なのではなかろうか。 他人と同しであることによって自分を低く評価する必要もない。他人と違うことによって自分 を低く評価する必要もない。 やせているからといって価値があるわけではない。自分だから価値があるのた。太っているか らといって価値がないわけではない。自分だから価値があるのだ。 し大切なことは自分を無条件に受け入れることである。自分を無条件に愛することである。これ すはナルシシズムといわれるものとはまったく違う。正反対である。 上 以 . る 自意識過剰を克服するには っナルシシズムとは、自分が白鳥であるのに、自分が小夜鳴鳥であることを期待して、偽りの自 が分を愛することである。 は自分を愛するとは、自分が白鳥であれば白鳥として生きることである。白鳥である自分にきれ ないな声で鳴くことを期待されたとて、それは無理な話なのである。きれいな声で鳴けないのが悪 章いのではない。白鳥にきれいな声で鳴くことを期待するのが間違っているのである。 自分を愛するとは、自分が小夜鳴鳥であるならば、美しく鳴こうとすることである。 171

10. もっと素直に生きてみないか

期待される人間を疑う 親の望むような人間でなければ親に受け入れられなかったか、別の言葉で言えば必要とされな かったか、それともありのままの自分でも自分は受け入れられたか、必要とされたか、というこ とが子供の心にとっては決定的な影響を持つ。 子供をそううつ病にしたある親の例である。子供は小さい頃から成績優秀、従順な良い子、し かし東大に不合格。ところが、親は親戚の人に、息子は東大に合格したと言ってしまった。この 子供の心境を考えてみればわかるであろう。この子供は優秀で東大にはいらなければ自分は親に 必要とされない人間であると思うであろう。やがてその子供の心の中にある親のイメージが他人 に転位されて、その子供は他人と接したとき同じように、自分は優秀でなければ他人に受け入れ られないと感じるようになるだろう。 このそううつ病になった人は、小さい頃から親に受け入れられるために「私はあなた方の望む 1 他人に気に入られるために生まれてきたのではない