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検索対象: もっと素直に生きてみないか
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1. もっと素直に生きてみないか

「それは雄弁な話し手となったときの自己を予見したからたと私は確信します。つまり自己を未 来に投影し、そこから逆に投影された自己の未来像を現実のものとするために努力したのです。」 問題はそうはわかっても自分について。フラスのイメージが持てないということであろう。。フラ スのイメージを持っためには、ます第一に、実際に今自分が持っているイメージを否定しない ということである。実際に自分が小心であると感じているのに、自分は大胆だなどと思おうとし ても無理である。 とにかく、いったんは自分のイメージを自分が認めること、もし今まで述べてきたような傾向 が自分にあると思えば、自分が自分のことを意識のうえでどう思おうと、自分が実際に心の底で 感じている自分は、自分の望む自分とは違うということである。つまり、現実の自己像と理想の 自己像は逆である。 えあなたが、どんなに自分は勇気がある、強い、たくましいと自分で誇らしげに言っても、心の を底では自分は恥すべき人間であると感している。この二つの自己像の矛盾こそがあなたのストレ スであり、どうしても自分が自分の思うようにならない原因である。 己 自 章自分のイメージを素直に受け入れる ニクラウスやカーネギーが、どんなに自分について積極的なイメージを持てと言っても、その

2. もっと素直に生きてみないか

しかし、このような人こそが、心の底にある自分の否定的なイメージに支配されて、いざとい うとき何事もうまくいかない人なのである。 人生においては、何事も最高最良のことというのは、本人の努力たけで可能になるわけではな そこには運がある。 しかし、最悪を避けることは、本人の努力によってできる。その最悪を避けるための方法を、 この本では書いてきたのである。 自分についてちょっとしたことに気づき、それを認めることで、すいぶん明るく生きられるよ うになるような気がする。 ものごとに対する津々たる興味、そこから生まれる深い満足感、それらをもって、私たちは生 きられる可能性を持っている。 その可能性を実現するためには、自分が自分を信頼していることが必要である。この本では、 そうした点から自分についての否定的な考え方を問題にしてきた。自分についての否定的な考え 方が、どれほど生きていくうえで障害になるかについては、この本で繰り返し述べてきたつもり である。 さらにどうすればその否定的な自分のイメージから脱却できるか、ということにもふれたつも りである。 、 0 2 2 2

3. もっと素直に生きてみないか

趣味を持っことがよいとわか 0 ても、彼は趣味を持っことができない。趣味を持っ時間とお金 があっても趣味を持てない。内面から仕事にせきたてられているからである。彼には英気を養う などということはとてもできない だらしのないことはたしかによくないことである。人間は困難に立ち向かわなければならない こともある。困難と闘って頑張らねばならないこともある。子供はそのように育てられなければ ならない。自分のやらなければならないことを、すぐにほったらかしにして遊んでばかりいたの では困る。ときには苦しみにも我慢して耐えなければならないことを学ぶ必要がある。遊びたい ときに、遊ぶことを我慢して勉強しなければならないときもある。忍耐も必要である。勤勉でな ければならないときは勤勉でなければならない。 切しかし、これらのことを、普通の親から子供が教えられるなら、大人になって仕事は熱心にや 関るが、疲労がたま 0 ても仕事から離れられずに休養がとれない、などということはないであろう。 人そしてついにぶつつりと緊張の糸が切れて、うつ病になるなどということがないであろう。仕事 従 熱心だけれども休養が必要になり、客観的にその条件がととのえば休養はとる。自分の趣味に没 配頭して、仕事の疲れをとる。 このようなことができないのは、だらしのない親が、自分のだらしのなさを自分に隠して、そ の心の緊張から、子供を「だらしがない」と批判しつづけたからである。その批判の陰湿さと徹 107

4. もっと素直に生きてみないか

あろう。 その基準にあわせようというもがきが意志の過剰に映る。しかし、この基準にあわせようとす る動機は不安である。不安なのはその基準のみが自分の評価を決めると錯覚しているからである。 その基準にあわせられなかったときの失望は大きい。自分はダメなんだという失望の体験を避 けたいと神経症者は願って、不安なのである。 神経症者を恐れさせているのは、この自分の評価を決める基準である。またある人を神経症に 追い込んでしまうのもこの基準である。 世界的なベストセラー『予言』の著者ギブランとその恋人との書簡集の中に、私には忘れられ ない言葉がある。一 have no standard for you ( 。 conform to. ( 私はあなたを従わせるべき基準はな に一つ持っていない。 ) なんと美しい言葉であろう。本当にこのような親を持った子供は神経症にならないであろう。 本当にこのような恋人や友人を持った人は神経症がなおるのではないだろうか。 神経症の人は間違った基準で自分を評価しつづけてきてしまったのである。したがって神経症 をなおそうと自ら願う人は、その間違った基準を自分に与えた人から心理的に独立するしかない ・こソっ .- っ . 。間違った基準を自分に与えた人に認めてもらうことを喜びとしている限り、神経症は根 本的には治らないのではなかろうか。 170

5. もっと素直に生きてみないか

いつま 自分について否定的な暗示を与えた人から離れること、その人と付き合っている限り、 でたっても自分についての否定的なイメージを改善することはできない。 競争すると負けるのではないか、人と会うと嫌われるのではないか、何かしてあげなければ嫌 われるのではないか、自分はなんたか一〇 % の失敗者のほうにはいってしまったのではないか、 何か自分には好運がまわってこないのではないか、そんな馬鹿馬鹿しいほどの否定的なイメージ を、な。せ持ってしまうのだろう。それこそが恐ろしいことた、と大空の下で思ってみることであ 失敗したとき、ある人はその失敗から学んで、次には失敗しないように、より意欲を燃やす。 しかし、別の人は失敗したとき、その一回の失敗に心をとられて、なにか次にも失敗するような 気持になる。そしてなにかおじけてしまう。 前に失敗したのと同じような状況に接すると、おしけて、また失敗するのではないかと感じて しまう。その同じような状況に過大な反応を繰り返す。そして人生前半のささいな失敗に一生支 配されつづける。 き この違いがどこからでてくるのか。この点をはっきりとわからない限り、生きることに自信を と持っことはできない。 あ その天国と地獄を分けるのが、「抑圧」である。抑圧の強い人は、一度の失敗に気をとられ、 223

6. もっと素直に生きてみないか

そしてこの作文を書いてくれた学生はさらに、自分が日本で受けた受験竸争教育を次のように 書いている。 「 : : : たえず周囲と自分との順位をくらべ、上位になれば教師も両親も喜ぶ。このことによって 子供は先生や親によく思われるような発言をしなければ、成績に影響すると考え、つねに警戒心 を持つようになる。つねに自分の主張を歪曲して言わねばと人間不信になる。順位がひとつでも 下がると自分も親も嘆く。そして次第にほんの些細なことで嘆くようになる。」 このようにして競争意識を持って育ってくれば、いっしか休んでいれば遅れるという観念にと ーマンがでてきても不思議ではない。休んでいたからといって実際に落後する りつかれるサラリ わけではない。 しかし、このようにして育てられると、落後するのではないかという不安にとりつかれ、休ん でも休めない、疲れても休めない。ただ体を強引に横にしていても気持が落ち着かないという人 がでてきたとしても不思議ではないであろう。 競争意識から間違った大学の選択をし、さらに間違った職業を選択する。このように自分には 不適当な学部、不適当な職業を選択していくことで、いよいよ競争意識だけは強くなる。ますま す気持は落ち着かなくなる。 かくて休んでいたら落後するのではないかという強迫観念にとりつかれ、疲れても休めない人 120

7. もっと素直に生きてみないか

ことによってでてくるものである。しかもその人と自分とが大人になってもまだ別個の人格と感 じられていない、 心理的にその人から独立していない、 ということになろう。 入社した、係長になった、 ; 課長になった、部長になった、しかしなぜか、そこの社員として、 係長として、課長として、部長として、社の内外に堂々として振る舞えない 、という人は、二つ の反省が必要であろう。 ひとつは自分は育っ過程で「重要なる他者」がずるい人ではなかったかということである。 第二には、その人と自分とが大人になってもまだまったく別個の人格と感じられていないので 。なしか、ということである。 その人がずるいということと、自分がずるいということとは違う。しかし自我境界が不鮮明だ と、その人をずるいと感じることが、同時に自分がずるいと感じることにつながってしまう。要 するに、自我イメージが未形成なのである。 自我境界が確立されれば、。 とこにいても「君にはそのポストにいる資格はない」などという陰 の声は消えてなくなる。その地位にある人間として自信を持って内外に堂々として振る舞える。 158

8. もっと素直に生きてみないか

れ果てました。 もっとも、受験勉強がいやならいやでもいいと思います。何か他に没頭できるものがあれば、 大学へ行かなくてもよいと思います。 しかし今、受験勉強をしないでもよいから毎日好きなことをしろと言われたら、何もないので す。寝るのも忘れて一心不乱になれるようなものが何もないのです。命を賭けてもよいと思うよ うな何かがないのです。 毎日毎日、息をするのさえ重苦しい状態です。死ぬのが怖いから生きているだけです。いや生 きているというより、ただ存在しているといったほうが適切かもしれません。 毎日食べて寝て新聞を読んでテレビを見る。それを繰り返しているだけです。こんなくだらな い人間があるでしようか。 以前は成績が悪かろうと大学に落ちょうと自分に誇りを持っていました。しかし今では自分で ツ。ハリ・ , わ、刀・り・ 最も嫌いなタイプの忍耐力のない人間になりつつあります。どうしたらよいのかサ ません。 学歴も富も名誉もいりません。どんなことでもよいからすべてのことを忘れて熱中するものが 欲しいのです。 忍耐力に欠け、すべての意欲を失った現在のような状態から抜け出し、はつらっとした毎日を 164

9. もっと素直に生きてみないか

期待される人間を疑う 親の望むような人間でなければ親に受け入れられなかったか、別の言葉で言えば必要とされな かったか、それともありのままの自分でも自分は受け入れられたか、必要とされたか、というこ とが子供の心にとっては決定的な影響を持つ。 子供をそううつ病にしたある親の例である。子供は小さい頃から成績優秀、従順な良い子、し かし東大に不合格。ところが、親は親戚の人に、息子は東大に合格したと言ってしまった。この 子供の心境を考えてみればわかるであろう。この子供は優秀で東大にはいらなければ自分は親に 必要とされない人間であると思うであろう。やがてその子供の心の中にある親のイメージが他人 に転位されて、その子供は他人と接したとき同じように、自分は優秀でなければ他人に受け入れ られないと感じるようになるだろう。 このそううつ病になった人は、小さい頃から親に受け入れられるために「私はあなた方の望む 1 他人に気に入られるために生まれてきたのではない

10. もっと素直に生きてみないか

また自己喪失した人間は、「あの人面白くないわよ」とか「あいっ付き合いが悪い」とか「あ の人魅力のない人ねーと他人から言われることを恐れるのである。 しかし、何かのきっかけで自己発見しはじめたら、こんな馬鹿げた非難に負けないことである。 依存心の強い人間に「つまらぬ男だ」とか「魅力のない人間だ」と言われたほうがよい場合も多 。 ( スカルが。 ( ンセの中で「人間的でやさしい感情を持った人たちから気に入られなければいけ と言っているが、その通りである。 依存心の強い人の言いなりになって気に入られていた人は、やさしい感情を持った人間からは 気に入られていなかったのではなかろうか。やさしい感情を持った人間は、「何かあの人不自然 だ」とか「何か思いあがっている」とか思っても、そんなことを声高に言わない。たから自己喪 失した人には聞こえない。しかし依存心の強い人から悪く言われだしたということは、やさしい 感情を持った人からよく思われだした、ということでもある。 やさしい感情を持った人とは やさしい感情を持った人は、相手は自分に気に入られるために生まれてきたなどと錯覚はして いない。人間は他人に気に入られるために生まれてきたのではない。お互いに自分の興味や関心 、 0