ことによってでてくるものである。しかもその人と自分とが大人になってもまだ別個の人格と感 じられていない、 心理的にその人から独立していない、 ということになろう。 入社した、係長になった、 ; 課長になった、部長になった、しかしなぜか、そこの社員として、 係長として、課長として、部長として、社の内外に堂々として振る舞えない 、という人は、二つ の反省が必要であろう。 ひとつは自分は育っ過程で「重要なる他者」がずるい人ではなかったかということである。 第二には、その人と自分とが大人になってもまだまったく別個の人格と感じられていないので 。なしか、ということである。 その人がずるいということと、自分がずるいということとは違う。しかし自我境界が不鮮明だ と、その人をずるいと感じることが、同時に自分がずるいと感じることにつながってしまう。要 するに、自我イメージが未形成なのである。 自我境界が確立されれば、。 とこにいても「君にはそのポストにいる資格はない」などという陰 の声は消えてなくなる。その地位にある人間として自信を持って内外に堂々として振る舞える。 158
を言っているのではない。育っ環境が悪かったというのは、その人の周囲に偽者の人間が多かっ たということである。 じつはその人のまわりにいた人が、そのポストにいる資格のない人たちだったのである。 たとえばその人の父親が、事実、部長の資格がないのに部長になった人だったり、大学教授の 資格がないのに大学教授になった人だったのである。その他の生活面においてもいろいろな点で ごまかしの多い人だった。 そして何よりも、そのごまかしの多い人に自分を同一化して育ってきた、その人自身の生き方 にごまかしがあったというより、ごまかしの多い人に自分を同一化して育ってきたということな のである。まじめに働いてお金を稼いできたというより、うまく他人をごまかしてお金を貯えて きた人がいる。そのような人に自分を同一化して成長してきた。そこに問題があるのではなかろ その人自身が成長する過程でずるくたちまわってうまく財産をきずいたのではなくても、ずる い人に自分を同一化して成長すれば、やましさがでてくる。 ずるい人に同一化する悲劇 新入社員から一〇年たち係長になっても、なお係長として堂々としていられないのは、その人 巧 6
快なことばかりになる。 もちろん常務があなたを可愛がっていないということと、あなたが無能であるということとは 同しではない。あなたは自分が有能だから部長に信頼されているつもりになって、その前提で動 いているから摩擦がおきるのだ、と今書いた。しかし、部長はあなたが有能だからこそあなたの やることが何か腹だたしい、ということだってある。あなたは自分が有能だから課長に可愛がら れているつもりになっているけれど、しつはあなたが有能だから、逆にあなたのライ。ハルのほう と一緒になって飲んでいるほうが楽しいということだってある。 部長にとって自分は必要な人間だから、部長は自分を信頼しているあなたは思っている。し ということもある。 かし部長にとってはだからこそ信頼できない、 短絡思考していないか つまり部長なり課長なりを、よいほうに解釈するにしろ悪いほうに解釈するにしろ、あなたは 正しくは解釈していない。そして間違った前提で行動するから周囲とたえず衝突する。自分のほ うが信頼されていると「間違って」思っているから、部長はなんでライバルのあいつに、あんな ことを平気でさせておくのたと不愉快になる。なんであいつがあんなことをするのを部長は許し ておくのだ、と部長の指導力に不満を持つ。しかし、部長はしつはあなたよりあなたのライバル
基本のところで自分が間違った前提に立っていたから、不快なことばかりであったが、その前 提をとりはらってみれば、腹だたしかった同僚の横柄な態度も、よく理解できるということもあ る。自分が横柄だと感じていたのも、あいつは課長に信頼されていないと思っていたからで、信 煩されていたのは自分ではなくあいつのほうだとわかれば、あいつがあのような態度をとるのも 無理もないことだとなる。 もちろんこのことは、会社の発展のために信頼されるにふさわしい人間はどちらか、というこ ととは別である。 ここで言っているのは、課長のライバルへの信頼が会社にとって正しいことかどうか、という ことではない。課長が信頼しているのはあなたではなくてライバルだ、ということである。 部長はあいつにあそこまでしてやる必要はない。部長はあいつをかばいすぎる、とあなたは不 満になる、面白くない。 しかし、なぜそこまで面白くないのか。それは部長はあいつをそんなに好きであるはずがない、 部長とあいつは性格的に合わないなど、いろいろの前提があるからではないか。しかし部長は人 間的に自分よりあいつのほうが好きだ、という事実を認めれば、部長のやることもよく理解でき るであろう。 会社の発展にとってあなたが正しいか、部長が正しいかはわからない。しかしあなたが部長を
に喜ぶ。しかし、そのように単純に考え素直に喜べない人がいる。 自分のポストに負い目を感じているのである。自分は部長の実力があったから部長になった。 部長の実力がなければ部長にはなれない。自分が部長になったということは、自分にそれだけの 実力があることを周囲が認めてくれたからである。ごく普通にそう考える人がいる。それなのに、 他方で自分は本当は部長の実力がないのに部長になってしまったと感じる人がいる。そう感じて しまう人は、自分のポストに負い目を感じる。 し負い目があるからこそ、そのポストの責任を完全に果たそうとして神経質になる。自分のベス ら トをつくそうとする意欲より、自分自身に対する不安が強いから神経質になる。 す おでは、昇進でうつ病になったり軽い神経症になったりというように情緒障害をきたす人と、ま 以 - る すますやる気になる人との間に、能力において差があるかといえば差はない。ただ片方はいつも 。不安だから実力がだせないだけである。いつも不安で緊張しているから疲労も激しい。長い間に がは差がでる。 私は昇進して不安な緊張から神経症になるような人は、じつは心の底で、なんとなく自分は偽 者であると感じている人ではなかろうかと思う。 あ 章事実はそのポストを得たのになんのごまかしもない。しかしごまかしがあると感じてしまう。 部長であれ、課長であれ、実力があって昇進したのであるが、実力がないのにそのポストにいる 巧 3
昇進うつ病 自分の育った環境は自分に多大な影響を与えてはいるが、自分の価値と自分の育った環境とは 関係がない。自分と環境とはまったく別のものである。 こう言うと当り前のようであるが、神経症などになる人はこのことが感情の面でわかっていな いとい一つことが多一い。 ある人は部長に昇進して喜び、さらに意欲をかきたてる。なのに、な・せある人は部長に昇進し てうつ病になるのか。昇進うつ病という言葉がある。 部長であれ、課長であれ、昇進をきっかけにうつ病になる人がいる。そのような人は責任感が 強いという。責任感が強すぎると表現する人もいる。自分に部長というポストはっとまるだろう かと心配になる。 普通の人は自分は部長になる実力があったからこそ部長になったと単純に考える。そして素直 1 自分と他人の境界をはっきりさせる 152
何かを錯覚していないか 会社において、何か人間関係がうまくいかない という人もいよう。どうしても納得がい力な いことが多すぎる、面白くないことが多すぎる、腹がたってしようがない、予想したことが予想 〔通りこよ、 、よ、、顔を合わすのも不愉快だ、あいつを見るだけでもムシャクシャする、口惜し くてしようがない。 いろいろとありすぎるくらいある人もいよう。もしそれほど腹のたっことが多いとすれば、じ つはその人は周囲の人間について錯覚していることが多いということなのである。 たとえば、あの上司は自分をだれよりも信頼していると思っている。ライ・ ( ルのあいつよりも 部長は自分のほうをかっている、常務は自分を可愛がっている、課長が自分にあのような態度を とったのは、部長のてまえしようがなかったのだ、部長はもともとあのような人間ではない、部 長はじつはライ・ ( ルのあいつのあっかましさに手をやいている、社内の人間関係についていろい 4 なぜ人間関係がうまくいかないのか
ろなことを考えているにちがいない。上司は自分をこう見ているにちがいない。 しかし、じつを一一 = ロえば、そこがまったく違っているのである。今あなたは、部長はライバルの あいつよりも自分のことをかっていると思っているが、じつは部長はあなたよりライバルのほう を評価している。だから人間関係がギクシャクするのである。つまりあなたの言動の前提となっ ていることが間違っているのである。部長はしつはライ、、ハルのほうを評価しているのに、自分の ほうを評価していると思って行動しているから、いろいろのところで、自分の思うように他人が 動かなくて腹がたつのである。 課長が自分にあのような態度をとったのは部長のてまえ、とあなたは思っている。自分に都合 切よく課長の心理を解釈している。しかしじつはあのように課長が動いたのは、課長の本心である 錯のだ。あなたは課長の本心を間違 0 て自分に都合よく解釈して行動するから、あっちこっちで他 ン人との摩擦がおきるのではなかろうか。同僚は課長の本心を正しく解釈して行動している。そこ であなたと衝突することもでてくる。 = あなたは常務の腹心のつもりでいる。しかし常務はあなたより、あなたのライバルと一緒にい ュ ることのほうが楽しい。むしろ常務はあなたにすねられるのがいやで、あなたとは適当に付き合 コ 章っている。周囲の人たちはそれそれ正しく現実を解釈している。それなのにあなたは腹心のつも りで動くから、周囲と摩擦がでてくる。結果として面白くないことが多すぎることになる。不愉
のほうを信頼しているのだとわかれば、部長の指導力に不満を持っこともないであろう。 あなたが部長の指導力に不満を持つのは、部長を間違って解釈しているからである。もちろん この場合も、だからといってあなたよりあなたのライバルのほうが有能だ、ということにはなら 有能な人間の最もおちいりやすい間違いは、つねにここにある。自分のほうが有能だから、上 司は自分を : : : という解釈である。この点について他人のケースはよくわかる。しかし人間は自 分のことになると、このことについても他のことと同様わからなくなる。 課長は他の人間より自分を大切にするはすだ、という前提から出発している人がよくいる。し 切かもその前提は本人にとっては自明のことであるがゆえに意識されていない。そこで課長に不満 覚になる。「課長は自分のことを大切にしない」と不満を言う人と話してみると、その人の意識さ ンれない前提に、課長は自分を他の同僚より大切にするはずだ、というのがあることに気づくこと シがある。 = 過保護に育てられて、課長のえこひいきを無意識のうちに当然のこととしている人もいる。 ュ 課長はしつはライ・ ( ルのあいっと一緒に雑談していることのほうが楽しいのだ、楽しいふりを コ 章しているのではなく本心楽しいのた、という事実を受け入れさえすれば、社内の人間関係はあま りにも明央にスッキリとよくわかるということがある。
無能を嘲笑するのは、陰の声を抑圧するためである。自分はこのポストにいる資格がないと自分 自身で感じているからこそ、同僚や上司や部下に対して、彼らには資格がない 、と非難する。 他人に極端に厳しいのはそのためである。大学教授でも他人の業績に極端に厳しい人がいる。 「彼はこのところ論文がでていない」と非難し、大学教授の資格がない 、と非難する。情緒不安 定で何かいつも落ち着かない。そんな人は、たいてい心の底で「君には資格がない」という陰の 声をきいている人である。業績、業績と騒ぐ人のなかに業績のない人がいるのはこのためである。 し他人を声高に非難するのは、陰の声の自分への非難が激しい人ではなかろうか。「君がこんな ずポストにいるのは間違っているーという陰の声の大きさに悩んで他人を非難する。 お問題は、他人からみてその人がそのポストにいるのはけっして僣越でもなんでもないのに、当 る の本人が陰の声をきいてしまうのはなぜかということである。 つもともと裏口入学した学生が引け目を感しるのは納得がいく。しかしそうではないのに引け目 がを感じるのはなぜかということである。部長の実力があって部長に昇進したのに、自分が部長で よあることに引け目を感じるのはなぜかということである。 なそれがこの章のはじめにいった、自分と自分の環境とはまったく別だということを感じること 章ができないためである。 このような人は、育っ環境があまりよくなかった。というのは、経済的なことや社会的な地位 1 ラ 5