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検索対象: アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す
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1. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

えにくい。だからこそ、ここで注目を促す必要もあるというわけです。 共依存という言葉を使いはじめたのはアメリカの女性たちで、彼女たちはアルコー ル依存という病気を診るためのクリニックや病院に勤めるセラピストやケースワーカ ーたちでした。 六〇年代の終わりごろから、アメリカの各地でアルコ 1 ル依存、薬物依存の治療を 彼女たちはそこで、医師 ( たいてい男です ) に命 専門にする施設が出来始めました。 , じられて家族カウンセリングを担当したわけですが、嗜癖者 ( つまりアル中でおじさ んが多い ) の配偶者たち ( 女性が多い ) の生き方が、どの人を見ても驚くほど似てい ることに気づくよ一つになりました。 「なによ、この人たち ! ーとケースワーカーたちは叫びました。 「ぜんぜん自分というものをもたないじゃない。夫のアルコールのことばかり頭にあ ってさ。今日会った人なんか、三回結婚して三人ともアル中だったのよ。おまけにお 父さんまでアル中なんですって。要するにあの人の連れあいたちのアル中を支えてき たのは彼女なのよ」というわけです。 セラピストやケースワーカーたちははじめ「共アルコール症」という言葉を使いま したが、この言葉はやがて共依存という、より広いものになりました。広くなったの は、言葉だけではありません。アル中の妻たちに極端なかたちであらわれていた「生 55 第 2 章家族という危険地帯

2. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

のです。アダルト・チルドレンはこれによって、過去の体験に相応する一群の言葉に 出会います。そしてこの言葉を介して仲間 ( もう一人の苦しんでいる人 ) に出会いま す。一人のアダルト・チャイルドと、もう一人のアダルト・チャイルドは、それらの 言葉を介して体験を分かち合い、そこにいままでの体験にはなかった交流が生まれ、 それが彼らの新たな世界観の構築に道を開きます。 言葉が与えられた後の新たな世界観とは、自分が狂っていたのではなかったという こと、「狂っていたかに見えたものは、極端なストレスへの″健康な〃反応だったの だ」という現実に即応した世界観のことです。 アダルト・チルドレンはこのような認識の力を与えてくれたセラピストとの関係の なかに安全を感じます。もう一人の悩む仲間との関係のなかに安全を感じます。こう て して始めて、「過去のストーリ ー」が語られる土台ができるのです。安全な治療環境 め 求 を にいることが次の段階への基本となります。 場 アダルト・チルドレンは「賢い消費者 . になって治療者を選ばなければなりませ 全 安 ん。自分が「安全」を売る商売をしているという自覚をもたない治療者から安全を買 ( 8 ) しかし、性的 章 おうとしても無理です。 無理や に誘惑したり、 治療者の中には、かってのあなた方の親そのものを演じる者がいます。さすがに「あり入院させて拘束した第 ( 8 ) りする治療者も存在し ます。 からさまな虐待」に走る者は少ないにしても、あなた方の魂に侵入し、洗脳を試みると

3. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

・八タード・ウーマン このバタード・ウーマンという言葉は、一九六〇年代の終わりから七〇年にかけ て、使われはじめました。七〇年代のはじめごろというのは、アメリカではバター ド・ウーマンのためのシェルタ 1 をつくる運動に火がついたときだったのです。 火をつけたのはフェミニストたちです。日本でフェミニストというと、大学で女性 学などを講じている学者がイメージされますが、本来フェミニズムというのは、レイ プや暴力の被害者である同性とどう連帯するかという泥臭い仕事から始まるものでは ないでしようかし ゝま、ちょうど日本の社会が、そうした本来のフェミニストを必要 としていると思います。 問題というのは、名前がつけられてはじめて実態が見えてくるものです。名前をつ けてみて調べれば、それに該当する人がいつばい出てくる。このバタード・ウーマン という一言葉ができてから、それまで家庭という密室の内部で夫に殴られていた妻たち の悲鳴が、よく聞こえるようになってきました。 そういう女性たちのためにシェルターを用意すると、そこがたちまち一杯になっ て、また別のシェルターが必要になるというようにして、この運動は燎原の火のよう に広がりました。 ( 9 ) 夫から逃げた 女性たちの避難所のこ と。子どもたちのため のシェルターもある。

4. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

0 0 < の治療にあたったアメリカのセラピストたちは恐らく、両親共に飲まない アダルト・チルドレンたちが、そのことで自分たちの抱えている真の問題を否認しょ うとするのを予防しようとして、このへんを厳密に考えているのでしよう。 ・忘れ去られた子ども アダルト・チルドレンは「忘れ去られた子どもたち、と呼ばれることがあります。 アダルト・チルドレンについて書いた最初の本は、カナダのトロントでひっそりと出 版されましたが、その題名もまた『忘れられた子どもたち』でした。一九六九年のこ とです。 その後、八一年に出版されたクラウディア・プラックの『私は親のようになら ( 9 ) ない』という本は、アダルト・チルドレンのことを真っ正面から取り上げていますか ら、アダルト・チルドレンという言葉は、この十数年の間に一部の専門家たちの間で 使われはじめていたと考えていいでしよう。 アダルト・チルドレン概念がこんなに広まったのは、このプラックの本と、八三年 に出版されたジャネット・ウオイティッの『アダルト・チルドレン・オプ・アルコホ ( 川 ) リックス』という本がともにミリオン・セラーになってからのことです。 回復したアルコ こうして「忘れ去られた子どもたち」という言葉は「アダルト・チルドレン。に置ホリック ( 7 ) そうした精神 療法家の一人、ウェイ ン・クリツツバーグ は、アルコホリックを 抱える家族に次のよう な 4 タイプがあるとい っています。 ロ男性〇女性 0 アルコホリック タイプ 1 タイプ 2

5. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

すが、自傷行為はこの不快な感覚を緩和するという効果をもつようです。 自傷行為に嗜癖して、これを繰り返すようになると、痛覚が鈍麻してきますので、 自傷行為はさらにひんばんに繰り返されることになります。こうなると患者のからだ は、切り傷や打撲におおわれるというグロテスクなものになります。 自傷行為は虐待体験をもった者に高率に生じることが確認されています。虐待を受 けた年齢が低いほど、その人の攻撃性は自分自身に向けられるようです。こうした 人々の場合、自分のなかの攻撃性を調節する能力、あるいは他人からの攻撃に対する 不安を調節する能力が弱まっているといえるでしよう。 「不安や攻撃性 ( 怒り ) を調節する能力」が低くなると、それは自己や他者への 「憎しみへの嗜癖」を生みます。たとえば、ベトナム戦争帰りの復員兵のなかで若い 兵隊で部隊への忠誠心が強いというような人が、自分の仲間が殺されたというような 状況に遭遇した後で、大量殺戮に加わることが多かったそうです。そういうタイプの なかから、重いが発生しているというレポートもあります。 「憎しみへの嗜癖」という言葉は、クリスタルがナチの強制収容所から解放された 人たちの、その後の人生について述べた言葉でもあります。どこへ行っても誰と会っ ても、他人への不安や怒りに圧倒されて、人間関係をつくれないまま人生から逃避す る結果になってしまう。 31 第 1 章家族に心を傷つけられた子どもたち

6. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

たことを感じなかったことにすることが日常行われています。その結果、言葉は敵視 され、喋ることに罪悪感をともなうという、独特の雰囲気がかもし出されます。 そのなかで育っ子どもは、言葉にされないルールにからめとられ、子どもの心 ( 自 己 ) の発達はある段階で止まります。アダルト・チルドレンを世に出す家族 ( 機能不 全家族 ) とは、そうした家族です。 ) Kritsbe 「四 W. 表 1 はクリツツバーグというアメリカのセラピストが「 << 0 0 << 症候群」という本 ( に The Adult Children of のなかでまとめた、アルコール依存症者を抱えた家族と健康家族との相違点です。し AIcoh01ics Syndrome. 工 ealth Communications, かし、アルコール問題の有無にかかわらず、機能不全を起こしている家族はすべて表 Pom をコ 0 Beach 一 FL, 一 985. 1 にあるような特徴を備えています。 機能不全家族は全体主義国家や宗教的カルトのように個々の家族成員を拘束して、 一定のル 1 ルのもとでの生活を強制し、個々人のプライバシーを軽視します。その被 害をとくに受けるのが子どもたちで、親たちから有形無形に侵入され、家のルールに 自ら進んで拘束される「良い子ーになりがちです。 彼らは窒息感を抱きながらも、家族から離れられず、家族の現状を躍起になって守 ろうとします。この努力が重ねられるうちに、子どもたちは機能不全家族を維持し続 けるための一定の役割にはまりこみ、それを演じ続けることになります。以下にそう した役割のうちの典型的なものを紹介しましよう。 8

7. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

・アダルト・チルドレン このアダルト・チルドレンという言葉は、第 2 章で説明した共依存と同じように、 もとをただせばアメリカのアルコール依存症の治療現場のなかから生まれました。 アダルト・チルドレンという一一一一口葉を使い始めたケースワーカーやセラビスト ( 心理 療法士 ) は、アルコール依存症という騒がしい問題を抱えた親たちのもとで育った、 静かで控え目な人々にみられる自己破壊的とも呼べるような他人への献身に注目して ) アダルト・チ いました。アルコホリックの妻という厳しい立場にありながら、その座から降りるこ ルドレン・オプ・アル コホリック。アルコー とを考えもしないような女性たちの多くが、アルコホリックの娘たちだったのです。 ル依存の親のもとで育 ケースワーカーたちは、やがて彼らを 0 0 と呼ぶようになりました。この一言葉ち、大人になった人と いう意味。 によって、彼らの抱えている問題が浮かびあがってきたわけです。 ( 2 ) 自助グループ。 アメリカでは一九八〇年代にアダルト・チルドレン運動とでも呼べるような草の艮 太ー同じ問題を抱える者同 士で集まり、互いに自 的な動きがあって、彼らの回復をめざすセルフヘルプ・グループが、どんな小さな町 分の問題や感情を話 し、いっさいの批判な にも一つや二つ見つかるようになりました。そのせいかアメリカで本屋をのぞくと、 しにそれを聞き合い、 アダルト・チルドレンに関する本が何種類も並んでいますが、そのほとんどは O 。 受け入れ合う。そのこ とをとおして、互いを << についてのものです。 癒し、助け合うグルー ですから、 <<O 。 < がアダルト・チルドレン概念の原点なのですが、とりあえず私プ。

8. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

入院患者たちだって小さいときから「アル中」になろうと思っていたわけではあり ません。「親のようになるまい」と思いながら生きているうちに気がついてみたら、 おやじと同じ生活パターンにはまってしまっていたのです。 その妻たちにすればもっと不本意なことで、彼女たちはたいてい「あんな母にはな るまい」という決意のもとに育っています。そうしながら、いつの間にか母親と寸分 違わない人生の軌跡をたどっているのです。 それではこの人たちがアルコール依存症にならなかったり、その妻にならなかった りすれば「生き残れた」としてよいか、ということになりますが、そうともいえない ところにこの言葉の本当の難しさがあります。ある男が六〇歳近くになってこう言っ たそうです。 「俺はおやじのようにだけはなるまい と思って必死で生きてきた。そしてこの年に なって思うことは、おやじと俺の違いはただ一つだけ、おやじは酒で死んだが、俺は そうではなさそうだということだけだ」 この男は父親から受け継いだ飲酒以外の生活のしかた、価値感のもち方、とくに人 間関係のあり方のことを言っているのです。 要するに、 ここでいう「生き残り」には、酒や夫のために生きないで「自分のため に生きる」という意味がふくまれているのです。アル中にもならず、その配偶者にも

9. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

き方の問題」は、この言葉を使い始めた女性たちをふくむすべての女性たちの、伝統 的な生き方の底に流れていたことが気づかれるようになったのです。それはさらに女 性に固有のものでもないことが注目されるようにもなっています。 要するに共依存的な人間関係はアメリカ社会にもあるし、その病理性は美徳の陰に 隠れ、見えにくいものだったのです。しかしそれを見つけだし、名付けたのはアメリ カ人たちであって日本人ではなかったことを無視してはならないでしよう。 日本の社会的風土は共依存に対して無批判でありすぎた。それどころかこれを支え にして成り立っているところがあります。 ・共依存と親密性の違い 共依存は現在、治療や修正の対象と考えられていますが、その回復の目標は相互に 対等な親密性 ( インティマシイ ) です。この二つは似てるように見えますが、本質は まったく別のものです。 共依存は根本的に「自尊心のなさーがもとになっています。しかし、親密性はそう ではありません。共依存にあって親密性にない特徴を見ると、共依存というものが明 瞭になってくると思います。

10. アダルト・チルドレンと家族 : 心のなかの子どもを癒す

花が光と水を必要とするように、子どもは親の関心を必要としています。こういう ものが遮断されて育っとどうなるかということがここでの問題なのです。 ・機能しない家族 子どもにとっての「安全な基地」であること、そのなかで子どもが自らの「自己ー を充分に発達させることができること、これが健康な家族の機能です。ですから機能 している家族では子どもを脅かしたり、子どもに責任を感じさせてしまったりする親 や親代理がいません。 子どもはそのなかで、一定の役割を押し付けられることもなければ、親の価値観を 無理やり取り込ませられることもありません。 家族の壁はあっても、そこには通気ロやドアがあって、外気が自由に出入りしてい ますし、ときには外の人物も入りこんできます。家族のなかで語ってはならないこと がありませんし、外界に対して秘密にしておかなければならないこともありません。 こうした家族のなかで、子どもは見たものや感じたことを口にし、怖がり、怒り、 不安がり、疑問があれば大人たちに質問します。見たり感じたりしたことを言葉にす る過程のなかに、子どもの心の発達があるのです。 秘密やルールでがんじがらめにされた家族では、見たものを見ないことにし、感じ 87 第 3 章アダルト・チルドレン