( 貯 ) ~ こ vol. IV, pp. 347 ー 348. ( ) 前頁の第 2 表のとおり。 ( ) Calhoun, TI ミ = 、ミ・ k. vol. IV, p. 396. ( ) マルクスは次のように指摘している。「周知のように、連邦議会下院における個々の州の代表数は、それぞれの人口に依存している。自由 諸州の人口は奴隷諸州とは比較にならぬほど急速に増大するので、北部の下院議員数は、南部のそれをはるかに凌駕して急速に増大せざるを えなかった。そこで南部の政治権力の本来の座は、ますます各州がその人口の大小によらず一一人の上院議員を送りこむアメリカの上院へと移 行した。上院での影響力を強め、その上院によって合衆国にたいするヘゲモニーを維持するために、南部はつぎつぎと新奴隷州の形成を必要 としているのである」 ( 『マルクス日エンゲルス全集』第一五巻、三二〇頁 ) 。 ( ) 占拠者主権説は、一八四八年の大統領選挙で民主党より指名された・キャス (Lewis Cass, 一 782 ー一 866 ) が一八四七年一一月その著『ニ コルソン書簡』で公にしたものであるとされている。 ( ) C 0 、 0 Co 洋にミい Dec. 16, 一 847 , quoted in Charles M. Wiltse,John C. Ca 戔 ~ 0 ミこ Se ミ list, p. 326. ( ) Calhoun, ミ .. vol. IV, p. 513. の日付 ( 一八四九年八月一九日 ) は、編者 Richard K. Crallé ( 一 800 ー 1864 ) の間違いであるとされて いる (Charles . WiItse, op. 、こ p. 537 ) 。 ( ) Calhoun, op. ci 、こ vo 一 . IV, や 513. ( ) 「提言」の最終タイトルは、 "Address to the people of the United States" に変更された。 ( ) Calhoun, op. 、こ vol. ミ , pp. 291 ー 294. ( ) lbid. , を . 296 ー 297. ( ) 7 ~ こ pp. 302 ー 303. ( ) 7 こ vol. IV, pp. 535 ー 54L (S) ニュ 1 ョ 1 クの上院議員ウィリアム・Ⅱ・シュワ 1 ド (WiIIiam H. Seward, 1801 ー 1872 ) が一八五八年、ロチェスタの演説の中で語った 言葉といわれている。 ( 礙 ) CaIhoun, op. 、 . vol. IV, p. 542. ( ) まミこ pp. 543 ー 544. ( ) ミ . , p. 544. ( ) ミこ pp. 544 ー 546. 102
( 9 ) の弾劾審判権を専有し ( 第一条三節六項 ) 、さらには副大統領の決選投票権を有している ( 第二条一節三項 ) 。また、 下院は弾劾発議権と大統領の決選投票に関する専権を有している。、行政権は、憲法第二条一節一項により大統領 に属し、通過法案に対する拒否権を有するが ( 第一条七節二項 ) 、彼の選出基盤は州と州人民にある。なぜなら、各 州の大統領選挙人の数は当該州の上・下両院議員数に一致し、また、州を単位として選出されるのが通例となってい るからである。岡、司法権は、第三条一節の規定により最高裁および下級裁判所に属しているが、その任命は上院の 助言と同意を得て大統領が行うものとされている ( 第二条二節二項 ) 。以上のような連邦政府の憲法上の規定から、 カルフーンは、合州国連邦政府の構成は州と州人民の二つの要素に集約されるものであり、議会においてはこの二つ の要素が上・下両院において「最も明確且っ簡明な形態」で均等に配分され、行政・司法においては混合していると (2) する。 以上の憲法論的指摘から、カルフーンは「数的多数制ーが合州国連邦政府の唯一の構成要素となっていないことを 示すため、次のような仮説を提示する。すなわち、下院が唯一の立法府であったとするなら、最大人口数を有する六 ( ニューヨーク、ペンシルヴェニア 、バージニア、マサチューセッツ、オハイオ、テネシー ) が残り二四州に代っ 、三四一万 て立法権を行使できるところとなり、他方、上院が唯一の立法府であったとするなら、最少人口州一六丿 一、六七二人が残り一四州一、二七七万五、九三二人に代って立法権を行使できるところとなる。しかし、憲法は総ての 廾と州人民の多数のいずれもが絶対的に優先せ 法案が立法化されるためには両院の合意を必要としているがゆえに、ー ー・ライド ず、両者は上・下両院において二元的に分割されている。また、大統領が拒否権を発動した場合、これを乗り越える ためには、憲法第一条七節二項の規定により両院の三分の二の多数を必要としているところから、下院においては、 一三八名の議員総数中の一五二名、上院においては六〇名中四〇名の賛成を必要としており、これを州人口に換算す 174
分 ) 不可分性をよりどころとしながら第一条八節八項をもってナショナルな性格を主張する論者に反論する。 第四に、カルフーンは、「憲法は完全にフェデラルであることを認めはするものの、政府は一部フェデラルであ 一部ナショナルであると主張する人々ーに反論する。例えば、・マデイソンは、『フェデラリスト』第三九篇 および第四〇篇において合州国の政治体制と憲法に占めるフェデラルな性格とナショナルな性格を指摘したうえで、 「提案された憲法は、ゆえに、厳密にはナショナルな憲法でもフェデラルな憲法でもなく、両者の複合体である」と している。カルフーンはこのような理解を否認する。以下、この点に関し彼の主張する反論を要約しておこう。 マデイソンは、憲法の批准行為に止目して、この点で憲法はフェデラルではあるが、他方、連邦政府の権力源泉やその機能 と範囲の点では、ナショナルな性格とフェデラルな性格とを兼備すると主張するが、政府の基本的性格を規定するものは憲法 であり、憲法がフェデラルであって政府がナショナルなものであることはありえない。これは相矛盾する。 マデイソンは下院の権力の源泉をアメリカ人民に求め、この点で政府はナショナルなものであるとしているが、その権力は 一体としてのアメリカ人民に発するのではなく、「独立し主権ある諸州人民」に由来し、連邦下院議員はネーションに包括さ れた単なる選挙区としての州を代表するものではなく、諸州人民の代表である。また、各州人民は、憲法第一条二節三項によ り「各州の人口に比例して」という「一つの一様な割合あるいは比率」に基づいて代表され、さらには、下院議員の選挙人は、 第一条二節一項により、「州議会の議員数の多い方の一院の選挙人の資格を有しなければならない」としているところからも フェデラルな性格を明示するものである。 各州の大統領選挙人 (electoral vote 「 ) の数は、憲法第二条一節二項により、各州の上・下両院議員数に一致する。マディ ソンは、上院の権力源泉をもってフェデラルな性格を、また、下院のそれをもってナショナルな特徴とするがゆえに、両方の 性格を具備する行政権を「極めて複合的源泉に由来する」としているが、下院のフ = デラルな性格については①で示されたと ころであり、また、各州の選挙人の任命を憲法は「各州議会の定める方法」に従うものとしていること、さらには、大統領の 164
( 4 ) スペインやポルトガル領のラテン・アメリカ植民地、あるいはカナダに起った革命連動の諸潮流については、・ N ・フォスタアメリ カ政治史研究会訳『アメリカ政治史概説 ( 上 ) 』の第八、九、十章に詳しい。 ( 5 ) 『マルクス日エンゲルス全集』第二三巻第一分冊、一〇頁。 ( 6 ) マルクス「アメリカ合衆国大統領エープラハム・リンカーンへ」『マルクスⅡエンゲルス全集』第一六巻、一六頁。 ( 7 ) レ 1 ニン『平和のための闘争』 ( 国民文庫 ) 五三頁。 ( 8 ) 憲法に規定されたいわゆる奴隷条項は、その後、修正第一一一条 ( 一八六五年確定 ) と修正第一四条 ( 一八六八年確定 ) によって廃止された ものとみなされている。 ( 9 ) 『マルクス日エンゲルス全集』第二〇巻、一一〇頁。 ( ) マルクス「ロンドン『タイムズ』のアメリカにおけるオルレアン諸侯論。『マルクスⅱエンゲルス全集』第一五巻、三二頁。 ( Ⅱ ) マルクス、前掲同書、三一〇頁。 ( 肥 ) マルクス「合衆国の内戦」『マルクス日エンゲルス全集』第一五巻、一一三九頁。 ( ) マルクス「北アメリカの内戦」『マルクスⅱエンゲルス全集』第一五巻、三一一二頁。 ( 凵 ) ?- ・・フォスター『黒人の歴史』四三頁。 ( ) H. Aptheker, E ミ・ ~ Y き冫 of 、、ミえ e 、 ~ 、ミ ~ ・ c. ・、・ 0 ミ、、ミ E 、ミ 0 、、 7 ミき 0 ~ 、、 ~ 、 0 、 he First ゝ戔、ミ・ミ、ミ、 ~ ・ 0 洋 2 、ゞ廴 ~ ~ ・、 ~ ミ 0 ( 7783 ー 7793Y p 55. Harry FrankeI, "How the Constitution Was Written," in George Novack, ed. , OP•、こ PP. 一 27 ー一 34. ( ) 『マルクスエンゲルス全集」第二三巻第一一分冊、七〇〇頁。 ( ) アメリカにおける黒人奴隷の解放運動史については、・ア。フセーカ 1 の次の一連の文献参照。 ミミ・洋 Neg ・、・ 0 S ミ R さ ~ 、 . ・ . 一 94 戰 New Editi011' 一 969. 0 、ミミ ~ こ、ト、 0 、受 Q 、・、、ミ ~ e ・ 0 People the U ミ・窄 S 、 ) , 2 vols, 一 95L eighth paperbound edition, 一 969. E. ・ミ、、ミ H ~ ・ st ミ 0 ト、、ミミミ・ ~ ~ 、 ~ ~ 、・ 0 , 一 945 , Fourth p 「 inting' 1969. To be . f? ・ミ . ・ S ミ戔 ~ ) ゝ、、ミこ c ミ ~ ~ eg7 ・ 0 、・ s 、 0 こい一 948. 1969. ( ) 革命軍兵士・シ = イズ (Daniel Shays) にひきいられたマサチ = セッツ西部の小農民による租税の公平、負債の帳消しを要求した運動。 ( 四 ) 憲法制定会議にマサチ = セッツの代表の一人として出席した・ゲリイ (Elbridge Gerry' 一 774 ー一 8 一 4 ) が席上述べた言葉。 in K にを・ミ、 is 、 0 NO. 6 ・ Fall, 1977 , pp• 章 ( ) Margit Mayer and Margaret A. FaY' "The Formation 0 『 the Ame 「 ican Nation-State'" 67 も一 . また、・マディスンは、憲法制定会議の席で次のように述べている。「人口の増大は、必然的に、人生のあらゆる苦痛に苦しんでいⅡ 序 る人々の割合を増やすことになろうが、彼らは内心、人生の至福のもっと公平な配分を求めるようになるであろう。彼らは、時がたてば、極
第三章カルフーンの連邦政体論 計られるところとなり、「政党組織、党規律、党員追放、およびこれらのものから生ずる猟官原理はこの州にはみら れない」と述べて本書を閉じている。 ( 1 ) calhoun, The ミミ vol. I, 名 . 3 。 3 . 事実、裁判所法第一一五条を違憲とし、連邦最高裁が州最高裁の判決の破棄を宣言しても、 二三六頁参照のこと。 州最高裁はこれを無視するものがあったという。詳しくは、田中英夫『アメリカ法の歴史田』二三一一ー ( 2 ) .. 名 . 36 一 , 388. 建国期に南北拮抗していた州と州人口の両者の崩壊原因をカルフ 1 ンは政府の活動によるものであるとし、南部は、 一七八七年の「北西部領地条令」によってオ ( イオ・ミシシッ。ヒ 1 両河川間にひろがる土地から奴隷制を排除され、一八〇三年にフランスか ら購入したルイジアナ地方の三分の二から、さらには、オレゴン地方全域から奴隷制を排除されたとしている ( ミ .. 名 . 388 ・ 3 田 ) 。 ( 3 ) , や 391. 邦訳は『原典アメリカ史』第三巻、四三二頁に従った。 ( 4 ) こや 392. ( 5 ) ミこ p. 395. ( 6 ) こ pp. 396 ー 406. low ・ country とは、社会経済的観点を軸として、 Beauf0 「 (・ colleton' Cha 「 leston' Geo 「 getown の四つの沿海地方を 指し、その他の地方は up ・ count 「 y とされている (William w. F 「 eehling' 、、ミ ~ に e ざき ~ 7 一まミ・ . ・ The 「ミ、 ~ 0 、 ~ CO ミ、・ミミ ) So Ca き新 78 836 , や 7 ) 。 ( 6 ) 185
三共和制論 デモクラティック・プエデラル・ 『合州国憲法および政府論』において、カルフーンはその冒頭で合州国の政治体制を「民主的連邦共和制」と規 定し、「デモクラティック」と「フェデラル」な要素について憲法と合州国の成立史を援用しながら位置づけたが、 残る問題は「リ。ハプリック」な特徴についてである。 一般に、例えば、モンテスキューにおけるように、共和制は主権の帰属位置を基軸として君主制や貴族制の対抗概 念、対抗的国家形態と考えられているが、カルフーンにおいては、むしろ、君主制や貴族制が民主制の対抗概念とさ 邦れ、共和制は立憲民主制 (constitutional democracy) と同一視され、絶対民主制 (absolute democracy) Ⅱ「数的多数 ( 1 ) ン制」政治の対抗的政治形態として捉えられている。従って、カルフーンは、既に『政治論』の中で展開した「競合的 フ多数制」の原理がいかに「合州国憲法」と連邦政府の基軸的構成原理として重要な位置を占めているかということを レ カ明示することによって、合州国の政治体制における「共和制」的特徴について詳論するという構成を辿る。まず、彼 三は次のように指摘する。 第 「合州国の政府は、ただ人口だけを基礎とした政府であり、数がその唯一の要素で、数的多数派がその唯一の支配 ( ) ミ .. vol. I や 142. ( ) ミ .. pp. 164 ー 165. ( ) ~ 'd. - . 165 ー 166. ( ) ミこ p. 166. ( ) ~ a. , ℃ P. 166 ー 168. ′プリック 171
ところで、モンテスキューは、「権力を担当するあらゆる人間がそれを濫用しがちだということは永遠の経験であ るーと述べ、また、「代表は容易に堕落し、そうならないことはきわめて稀である」とはルソーの指摘したところで ある。カルフーンの『政治論』もまたこの問題に直面する。すなわち、カルフーンは「政府の権力の乱用と圧制への 傾向をいかに阻止するか」という「重大にして困難な問題」に答えんとする。カルフーンのこの問題意識は、トクヴ イルが「それ故に北部は南部よりも一層商業的でありエ業的でもある。北部では人口と富とが南部においてよりも一 層はやく増えることは当然である」と指摘しているように、漸次少数者化し続ける南部の権力をなお死守せんとする 意識の所産であったとしても、支配と被支配という原理的には緊張にみちた対抗関係をいかに解決するかという問題 とも係わっている。 カルフーンが政府の権力の乱用を防止する方策を「人間の案出物」としての「基本法」に求めたことについては既 に指摘したところであるが、問題は、「基本法」をいかなる構成原理に服せしめることによって政府に内在的な権力 乱用を防止するかということだけでなく、成文憲法内にこれを防止する規定を含ましめることで充分であるか否かと いうことでもある。『フェデラリスト』は、第五一篇において「野心は野心に対抗せしめられねばならないーという認 識の下に、、 しわゆる抑制と均衡論を展開したが、カルフーンもまた、「権力は権力によって、傾向は傾向によってのみ 対抗されうる」という認識から、権力の乱用を防止する方法は、「治者の側の権力の乱用と圧制に対し、被治者の側 オーガ = ズム ( 浦 ) の抵抗が組織的、平穏に行われる手段を与えるような組織」を「基本法ーの構成原理とし、これを政府の構造内部 に含ましめる他はないとし、これを欠くならば、「子羊に狼の監視をさせるようなもの」であると指摘する。そして、 この組織こそが立憲政府 (Constitutiona1 Government) 形成の「不可欠の第一歩」であり、それは立憲政府を絶対政府 から区別する基軸的メルクマールでもあるとした。すなわち、『政治論』は、「政府はどんな原理に従って、それ自身 114
れているか、あるいは委託された権力の一部「を実行に移すため〕の手段として必要かっ適切なものであることを示 す義務にあることになる。〔ところが〕、関税法の提唱者たちはこのような証拠を提出してはいないのである。憲法第 一条三節「八節の誤りー訳者〕は、連邦議会に関税を賦課徴収する権限を認めているが、それは、歳入を唯一の目的 とした課税権として認めているものであって、保護的あるいは禁止的関税を課する権限とは、その性格上本質的に異 なるものなのである」。 以上に明らかなように、カルフーンは、一一八年関税法が歳入の徴収を目的とした連邦政府の課税権を悪用して、そ カソトリー れを「他の産業の破滅の上にこの国のある地域の産業を育成するための手段ーに変えようとするものであるがゆえ に違憲であり、しかも、「最も陰険で阻止困難なものであるがゆえに、あらゆるものの中で最も危険なものである」 と指摘するのである。彼は、さらに次のように続けている。 「この〔制度〕は、南西部も含めて南部の農業利益と、特に通商・航海業に従事している地域に対し、この制度自体 を維持することのみならず、中央政府も維持しなければならないという負担を強いるものである」。 「米、タバコ、綿花がわが輸出品の大部分を占めているので、このような関税は、必然的に、これらだけを栽培して いる南部諸州に負わされることになろう。ゆえに、関税負担が南部諸州に殆どもつばらかかるということを証明する ためには、南部諸州の利益に関する限り、輸出品関税と輸入品関税との間には、殆どないし全く差異がないというこ とを示すだけで充分である。我々南部は、輸入するために輸出するのである」。 ・ : 南部あるいは商品作物生産 「国内生産物の輸出品額は、おおむね、年平均五、三〇〇万ドルと考えられるが、 〔 staple 〕州と他の諸州との輸出額は、三、七〇〇万ドル対一、六〇 0 万ドルーーすなわち、二対一の割合以上にもな っている。ところが一方、両者の人口は、連邦議員数で測ってみると逆比例の関係にある。すなわち、南部諸州は下
である」。 かくして、一 八三六年五月一八日、連邦議会は、奴隷制の問題あるいは奴隷制の廃止にかかわる請願書や陳情書、 ギャグ・ルール 決議の一切を棚上げにするという決議 ( 事実上の「箝ロ令」 ) を、連邦議会が州の奴隷制について論ずる権限を持た ないこと、また、ワシントン Q ・ O の奴隷制について論じないことを定めた決議とともに採択したのである。ここに 南部の要求は一応の成功をみたと言えよう。 さらに、翌三七年二月六日、カルフーンは、「南部の特殊な制度ー ( Ⅱ奴隷制度 ) は「悪であり忌むべきものであ る」という主張に対し次のように反論している。 「中央アフリカの黒人人種は、歴史の曙から今日に至るまで、肉体的のみならず道徳的、知的にもこれほど文明化し 改善された状態を得たことはなかった。それは下等で堕落し、野蛮な状態で我々のところ〈来るが、数世代の間に、 非難こそ受けておれ、わが制度の愛情深い配慮を受けて現在のような比較的文明化した状態にまで達したのである。 景それは、誇張された反対論もあるが、その人口の急速な増加にも示されるように、 この人種の全般的幸福を包括的に ( 四 ) 史示すものである」と。また続けて、 の 論「故に、社会の一部が、事実上、他の部分の労働に依存しないような豊かで文明的な社会は、これまで存在したため 政 しがないと思う。 : : : 南部の二人種間に存在する関係は、盲目的で狂信的反対論者もいるが、自由で安定した政治制 ン フ度をはぐくむうえで、最も堅実で永続的な基礎を構成するものであると断言する。事実を偽ることはむだなことであ カる。富と文明の高い発達段階において、労働と資本の対立があり、また常に存在した。南部の社会状態は、この対立 一から生ずる無秩序と危険から我々を救うものであり、それは奴隷保有州の政治状態が北部のそれに比してなぜかくも 第 安定し、平穏であり続けたかを示すものである」。
bill of blood) と呼んだ。 無効宣言論争をイム。ハクトとしてジャクソンとの対立を決定的なものとしたカルフーンは、一 八三二年一二月二八 日、副大統領の職を辞任し、新たに州知事に就任したヘインの後を継いで連邦上院議員となり、翌三三年一月四日、 議会に登院した。議場は傍聴者で満員であったという。かくして、彼は、二月一五、一六の両日にわたり、「強制法」 に反対する陳述を行うのである。 カルフーンの主張するところに従えば、「サウス・カロライナの目的は、一方で政府の恩恵を受けておきながら負 担すべき公財政から逃れんとするものである」とする意見があるが、独立戦争に際して「最も多くその血を流し」、 富と人口に比して他のどの州よりも輸出し、そのことによって輸入を助け公財政を支えてきたのはサウス・カロライ ナに他ならなかったことを指摘し、サウス・カロライナの目的は全く別のところにあることを指摘する。それは、 「解明と抗議ー以来、繰返し指摘してきたように、連邦政府は憲法第一条八節一項を悪用し、「歳入のためでなく、あ る産業を保護するために輸入品に関税を課した」がゆえにこそ、サウス・カロライナは「非立憲的な権力の行使で スティ・フル・スティッ あり、本〔サウス・カロライナ〕州および他の商品作物生産州に極度に有害且っ抑圧的なものであるーとみなし、こ の法に「断固対抗せんとした」のであると陳述する。また、「サウス・カロライナは合州国憲法および法を無効にせん とする権利を欲求している」というブ に難に答えて、「本〔サウス・カロライナ〕州の目的は、憲法の遂行のために作 られた法律ではなく、憲法の権威を伴わず制定され、本州に留保された権利を侵害するような法律に対抗することに ある」と述べる。さらに、「サウス・カロライナ州は軽率な行動を起した」という意見に対し、カルフーンは、一二 年間に及ぶ連邦議会における反対意見の表明や州議会の多数の反対決議や抗議を行った後、「わが政体と自由を一掃 する惧れのある政治腐敗の洪水」を阻止すべく留保権に訴え無効宣言を発動せざるをえなかったものであると反論す