ればならない」とされている。カルフーンは、当時の連邦構成州三〇州とその人口数を基礎に、三〇州総人口一、六 一八万七、六〇四人中、最少一一州の総人口は一六三万八、五二一人であり、従って、理論的には、全体の約八分の一 の人口数で憲法修正の発議を阻止しえるものであり、逆に、最少人口州二〇州、三五二万六、八一一人 ( 全連邦構成 人口の約四分の一 ) が、残り一〇州、一 、二六六万〇、七九三人の意向に抗して憲法の修正の発議をなしうる制度とな ( 6 ) っていることを挙げる。また、第五条は、改正の批准について「四分の三の州議会によるか、または四分の三の州に おける憲法会議によって承認されるーこと、すなわち、三〇州中二三州の承認を要件としているところから、理論的 には、最少人口州ノ丿 、七七万六、九六九人が他の一三州 一、五四一万〇、六三五人 ( 前者の約二〇倍の人口数 ) の 憲法改正を志向する数的多数派を制しえ、逆に、最少人口州二三州、七二五万四、四〇〇人が残り七州 丿八九三万 ( 7 ) 三、一一〇四人の多数を制して憲法改正をなしうる制度となっている点が指摘される。 第三に、カルフーンは、連邦政府の構造とその構成原理を挙げて合州国の政治体制における「共和制」的特徴につ いて指摘する。カルフーンは、連邦政府の基本的構成要素は州と州人民の二つの要素からなるものであるとし、立 法、行政、司法の各部門に占めるこの二つの要素の組み合せを検討することによって、政府編成の原理が「数的多数 邦 制ーに従うものではないことを指摘する。すなわち、 合州国議会 (Cong 「 ess) は上・下両院から構成され、憲法 連 ン第一条一節一項により立法権を専有している。上院は州の地理的・人口的大小にかかわらず各州一律に二名配分され フた任期六年の議員から構成されており ( 憲法第一条三節一項 ) 、また、下院は任期二年の議員を一〇年ごとのセンサス ( 8 ) 力に基づいて州人口数に従って各州に割りふることになっている ( 第一条二節三項 ) 。この点からも議会の構成は州と 章 三州人口を基礎とするものであり、その権限は立法権のみならず行政、司法の両部門にも及ぶ。例えば、上院は大統領 の条約締結に関し助言と同意を求められるものとされ ( 第一一条二節二項 ) 、大統領や裁判官を含む文官 @ivil 。ョ。舅 ) 173
アグレリアリズム ( ) ジェフアソンの農本主義については、さしあたり、富田虎男「ジェフアソンと農本主義」『講座アメリカの文化 3 』参照。 ( 四 ) カルフーンに先行する他の、いわゆる州権論者としてくくられている人々として次の人達とその著作が挙げられるのが通例である。 John 2 Taylor, ミミ、受 ~ ミ 0 、 7 ミ、・ミき ~ ミ ~ 、 0 ~ 0 ト、 7 ミ G ミミこ ~ ミミ ~ 、 Qf 、、ミ U ミ・ミ S 、 (Fredericksburg, 一 8 一 4 ) , CO 、 ~ 4 、ミ 0 ・ 、洋 Construed 、 ~ CO 洋ミ・、ミ ~ 、冫まに、 e (Richmond, 一 820Y 、它、ミミ U 、 ~ 、、ミ (Washington, 一 822 ) , ン「 0 V 2. ・ 0 、 the Co 、 ~ st ミ ~ io 、 ~ o- 、・ the U e S 、こ (Washington, 一 823Y St. George Tucker, よ、 W' 、 the ト aw 0 、・ V g き Member of 斗 6 FederaI U ミい appendix to BIackstone's Commentaries (Philadelphia, 1803 ) , William Rawle, View ミ・、、ミ Co sti 、新 0 洋 of the U 、、 e S 、 0.f ゝミミ、 4 (PhiIadelphia, 1825 ). 一一「解明と抗議」論 一般に、当時にあって南部と総称される地域は、メースン・ディキソン線 ( Mas 。 n and Dixon line) の南にひろがる ミシシッビ ー、ルイジアナ、アーカンソー、テ バージニア、南北両カロライナ、ジョージア、フロリダ、アラバマ、 テキサス、メリーランド、ケンタッキー ミズーリの諸州にデラウェアを加えた一五の州域を指し、その後 太平洋沿岸まで広がった諸州を加えて、今日にあっては、いわゆる「サザン・リム」、「サン・ベルト」と呼ばれ、農 事産業のみならず、軍事・宇宙・テクノロジー産業、石油産業の中心地となっている。 南部は南北戦争に至るまで、常にアメリカの黒人人口の九〇パーセント以上を集中させてきたが、その中でもサウ ス・カロライナは、全人口中に占める黒人人口の割合を一つの指標とするなら、南部一五州の中でも最も南部的な州 コトン・イズ・キング コトソ・キングダム であった。また、「綿は王様である」とか、「綿王国」と呼ばれたように、南部は奴隷の労働力を基礎とした綿花の対 英輸出に大きく依存した産業構造をもっていた。この点で、南部の産業構造は北部のそれと大きな質的差異を有し、 憲法制定会議の席においても、例えば、・バトラー (Pierce Butler) をして南北の利害は「ロシアとトルコの利害
加えたものとする。実際の人口算定は、連邦議会の最初の集 会の後三ケ年以内に行い、その後一〇年ごとに法律の規定に 従って行うものとする。下院議員の数は三〇、〇〇〇人に対 し一人を超えてはならないが、各州は少なくとも一人の下院 議員を持つものとする。なお、右の算定がなされるまで、ニ 州は三名、マサチュセッツ州は八名、ロー ハンプシャー デランテーション ド・アイランド州とプロヴィデンス入植地は一名、コネテ 第一条 イカット州は五名、ニューヨーク州は六名、ニュージャージ 第一節この憲法により賦与される一切の立法権は、上・下両 州は四名、。ヘンシルヴァニア州は八名、デラウェア州は六 院からなる合州国連邦議会に属する。 名、メリーランド州は六名、バージニア州は一〇名、ノース・ 第二節〔一項〕下院は二年ごとに諸州人民によって選出され カロライナ州は五名、サウス・カロライナ州は五名、そして た議員から構成され、各州の選挙人は州議会の議員数の多い ジョージア州は三名を選出することができるものとする。 方の一院の選挙人資格要件を有することを要す。 〔四項〕いずれかの州の代表に欠員が生じた場合、当該州の 〔二項〕何人も二五歳の年齢に達していない者、七年以上合 行政府はその補充選挙の命令を発しなければならない。 州国市民でない者、また選挙された時に選出した当該州の住 〔五項〕下院はその議長および他の役員を選任し、また弾劾 民でない者は下院議員となることはできない。 の専権を有する。 録〔三項〕下院議員および直接税は、この連邦内に含まれる諸 州の間にそれぞれの人口数に従って配分されるものとし、各第三節〔一項〕合州国上院は各州選出の二名の上院議員で構 成される。彼らは当該州議会によって選出され、その任期は田 州人口数は、年季奉公人を含めるが、課税されないインディ 付 六年とする。なお、各上院議員は一票の投票権を有する。 アンは除いて、自由人の総数に他の一切の人々の五分の三を 合州国憲法 われら合州国人民は、一層完全な連邦を形成し、正義を樹立 し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、全体の福祉を促 進し、われらとわれらの子孫に自由の至福を確保する目的をも って、ここにアメリカ合州国のためにこの憲法を制定、確立す る。 0 ロ ュ ( 2 ) コノグレス
力である。要するに、それは絶対民主制の政府であるとする考えは別に珍しいものではない。 これほど間違った意見 も他にない。これは決して正しくなく、合州国の政府はどの点をとってみても総ての面ですぐれて競合的多数制の政 府であり、 : ・古代、あるいは近代を問わず、複雑且っ精巧ではあるが、過去の一切の政府にまして全体の意志を表 ( 2 ) 明するにはるかに適した組織を具備しているものである」。 カルフーンは、数的多数制を唯一の政治的基礎とした「絶対民主制」の政府ではなく「競合的多数制ーを原理とし た政府こそが案出しうる最良の政治形態であるとし、合州国の政治はこの原理に従うものであり、ゆえに「共和制」 の政府であるとし、その傍証として、まず第一に憲法の制定、批准の過程が検証される。 、制憲議会の開催は過半数七州代表の出席を定足数としたが、一七九〇年の合州国最初のセンサスに占める連邦 構成諸州人口数、三三九万四、五六三人中最少七州の人口総数は九五万九、八〇一人であり、従って、連邦構成州総人 ロ中の三分の一以下の人口数で制憲議会の開催を阻止しうる状態にあったこと。 、会議の議決は一州一票主義の過 半数を原則としたので、人口数に換算して、①より同様に三分の一以下の数で憲法案の採択が阻止されうる状況にあ ったこと。岡、憲法案は批准を求めて諸州に送付されるに際し連合会議の承認を必要としていたので、ここにおいて も同様に、総人口の三分の一以下の数がこれを否認しえたこと。、憲法の確定発効には、第七条により、一三州中 九州の批准を必要なものとしていたがゆえに、五州の批准拒否によって、さらにはこの五州を最も人口数の少ない州 ( 3 ) ( 4 ) に換算すると極めて少数人口数によって憲法の確定、発効を阻止しえたということ、以上四点をカルフーンは挙げ、 ( 5 ) ここから「人口上の数的多数は憲法の制定、採択の過程においていかなる力ともなりえなかったーとするのである。 第二に、合州国の政治体制が「競合的多数制」を原理としていることの例証として、憲法第五条の改正手続が援用 コソヴェンション される。憲法改正の発議の一つに「三分の二の州議会の請求があるときは、修正発議のための憲法会議を召集しなけ オーガニゼイション 172
論を提示し、もって敵対的利害集団間の妥協と調和導出の原理としているのである。従って、地理的境界線が階級的 相違を画する当時のアメリカにあっては、カルフーンのこの「競合的多数制」論は、・・パリントンの指摘に従 えば、「地域的レファレンダムの特殊形態」とも言えよう。 カルフーンは、「競合的多数制ーを排除し、普通選挙権のみによって国家意志を形成し、支配政党に国家権力の掌 握と運用を委ねることは何ら「政府の圧制」を阻止するものではなく、また権力の獲得と保持をめぐる支配・従属両 政党間の対抗を抑止するものではないと指摘するのであるが、それは、彼において、両政党の主目的は公的権力の獲 得と保持におかれ、そのためには「分裂を避け、〔党内の〕統一を保つことが成功をおさめるための不可欠」の要件 とされるだけでなく、「政府の位階や利得」 ( スポイルズ ) が党務の代償とされ、党規律や党幹部会の寡頭制化は必然 とする・ミヘルス ) という政党認識があったからである。 これに対し「競合的多数制」の政府においては、単に多数派による政府の権力乱用の抑制がはかられるだけでな く、選挙権も確実に拡大され普選〈の道を開くことになるとする。その理由として、カルフーンは、社会が「人口密 度を高め、富み、洗練され、高度に文明化するにつれて、富者と貧者の差が一層著しくなり、無知で従属的人々の数 が共同体の残りの人々に比べてより多くなる」ので、「数的多数制」の下においては、政府を社会の中で「より無知 で従属的部分の支配下におくことになる」が、これに対し、「競合的多数制」の政府においては、「単に数だけが絶対 に優先せず、富裕な有識層は、共同体の各々の利益層ないし諸部分の中の貧乏で無知な人々とも利害をともにするか ら、彼らの指導者や保護者にー留まり、その結果、「選挙権は、安心して、このような政府においては既述の〔普選 の〕程度にまで拡大される」と述べている。 以上のカルフーンの論述の中に彼が構築した「競合的多数制」という一つの社会技術が何を意図し、どのような課 122
ると、下院においては最大一〇州一、〇八五万三、一七五人の賛成が、上院においては前記の最大一〇州に加えて最少 一〇州、計二〇州一、一一一九万九、七四八名の賛成が必要となる。従って、単に全州の三分の二の州数も連邦構成人口 の三分の二の人口数のいずれもが第一条七節二項の規定を充たすものとはなりえないこと、さらには、大統領選挙に ついてみると、 州と州人口数を各州の選挙人の基礎単位とした間接選挙制をひいているため、勝利を収めた州数も得 票総数も大統領選挙人の票数に比例せず、制度的には、三〇州中最大の選挙人を有する七州だけでも過半数を占める ことが可能であるということ、以上のことから、合州国連邦政府の構成原理においては「数的多数制」を唯一の要素 とした「絶対民主制」の政府ではなく、「競合的多数制」を原理とした「立憲民主制」 (constitutional democracy) の 「共和制」であるとされる。以上の論述をカルフーンは次のように約言する。 「合州国の政府は民主的連邦共和制である。すなわち、貴族制や君主制と相容れない民主制であり、また、一方で コンフェデラシイ はナショナルな、他方では連合と相容れないフェデラルなものであり、さらには、絶対民主制、すなわち、数的 ( 昭 ) 多数制の政府とは相容れない競合的多数制の政府、つまり共和制の政府である」。 論 政 ( 1 ) Calhoun. The ま or ト vol• l' p. 一 68. 邦 ( 2 ) ミこ pp. 一 68 ー一 69. の ( 3 ) カルフ 1 ンは、ロード・アイランドを含めて四州とし、その総人口数を連邦人口の約一一分の一としているが、これでは残り九州間におい て憲法は確定、発効することになるので、この点で憲法制定会議に参加しなかったロード・アイランドを四州に含ましめない方が妥当であろ フ う ( ミこ p. 171 ) 。 カ ( 4 ) ~ 'd こ pp. 169 ー 171. ( 5 ) ミこ p. 17L 174. 章 ( 7 ) ミこ pp. 172 ー 173. 175
ほど違っている」と叫ばしめ、また、マデイソンは大州と小州の利害の対立もさることながら、奴隷制の存否の中に 南北の同意をまとめ上げることの困難性を見ていたのである。 ( 2 ) 南部社会の支配権を掌握していたプランター階級がきわめて少数から構成されていたことはもとより、アメリカ全 ( 3 ) 体に占める南部の人口割合も建国以来漸減し続けている。それは州とその人口数を政治的単位として構成される国家 この点に関し、マルクスは、「自由諸州の 権力レベルにおける南部の政治的発言力の低下と結びつかざるをえない。 人口は奴隷諸州とは比較にならぬほど急速に増大するので、北部の下院議員数は、南部のそれをはるかに凌駕して急 速に増大せざるをえなかった。そこで南部の政治権力の本来の座は、ますます各州がその人口の大小によらず二人の 上院議員を送りこむアメリカの上院へと移行した。上院での影響力を強め、その上院によって合衆国にたいするヘゲ ( 4 ) モニーを維持するために、南部はつぎつぎと新奴隷州の形成を必要としているのである」と指摘している。南部プラ ンターが南北戦争に至るまで連邦権力の一角にとどまりえた背景の一つには、南部プランターが上院におけるヘゲモ 景ニーを維持し民主党政権を掌握していたことによるものであった。 史関税問題が憲法論争ともからんで、最大の政治的イッシュとなろうとしていた頃に、二八年秋の大統領選挙がおこ 論なわれた。この選挙は、サウス・カロライナとデラウェアが依然として大統領選挙人を州議会で選出し、ロード・アイ ムロ ランドやバージニアが財産資格制限を、また、ルイジアナは課税支払条件を課すという制限選挙制をひいていたが、 ′・フリカン ( -0 ) ナンヨナル・リぐ フその他の諸州においては、大統領選挙資格にかかわる財産上の資格制限がとりのそかれる状況下で、国民共和派の デモクラティック・リバ・フリカン ( ) カ・・アダムズと民主共和派の・ジャクソンの間で争われた。その結果、「コモン・マン」とうたわれ、「老 ( 7 ) 一ヒッコリー」を標榜したジャクソンが、広範に政治の場に参加してきた人民の支持を集めて地すべり的勝利を収め、 第 第七代大統領に就任することになった。カルフーンは、この選挙に際し、ジャクソン派にまわり、。ヘンシルヴェニア
今後も長きにわたってそうあり続けるであろう。ヨーロッパ人種は富と人口を急速に増やし、同時に、少なくとも道 徳的、知的には、非奴隷保有州の同胞との平等を維持してきたが、アフリカ人種もこれに劣らず急速に人口を増や し、肉体的、知的に大きな向上をはたし、他の諸国の労働する階級が殆ど享受しておらず、また、明らかにこの人種 の自由な人民が非奴隷保有州で保有しているものよりはるかに高い生活程度を得ている。事実、彼らの祖先たちがこ の国につれてこられた時にそうであったように、野蛮人がこの間に人口と進歩の点でこれほどまで急速に向上した例 は歴史上他にないと言ってもよかろう」。 かくして、カルフーンは、「現在の諸関係を破壊することはこの繁栄を破壊し、両人種を対立状態におくものであ り、それはいずれかの放逐ないし滅亡に終るに違いない。両者の平和と安全に矛盾しない他のどんなものも他にはあ ( 四 ) りえないーと断ずるのである。 アリストテレスは、その著『政治学』において、「人間でありながら、その自然によって自分自身に属するのでは なく、他人に属するところの者、これが自然によって奴隷である、そして他人に属する者というのは人間でありなが ら所有物であるところの人間のことであり、所有物というのは行いのための、しかもその所有者から独立な道具のこ とであるーと、また、「生れる早々から或る場合には相違があって、或るものは支配されるように出来ており、また ( 幻 ) 或るものは支配するように出来ている」と語っている。カルフーンもまた「両人種間の社会的・政治的平等は不可能 である。地上のいかなる権力もこの困難を克服しえない」と述べ、人種間の不平等を所与の前提とするのである。か くして、彼は、「アポリショニストの盲目的・犯罪的熱情」は「連邦を構成する二大セクションを完全に離間」させ、 ュニオン 「相互の愛着と信頼の所産たるこの連邦と憲法ーを破壊させることになるであろうと警告している。カルフーンのこ のような危機意識の根底には次のような鋭い状況認識と歴史観があった。すなわち、「報告」は次のように指摘して
第十四条〔一八六六年六月一三日発議、一八六八年七月二八日確定〕 何人も連邦議会の上・下両院議員、大統領および副大統領の 第一節合州国において出生し、または帰化し、その管轄権に 選挙人となり、あるいは文武を問わずアメリカ合州国もしく幻 服する全ての人は、合州国およびその居住する州の市民であ は各州の公職に就いてはならない。ただし、連邦議会は、各 る。いかなる州も、合州国市民としての特権あるいは免除を 院の三分の二の投票によりこの欠格を解きうる。 制限する法律を制定あるいは施行してはならない。いかなる第四節動乱あるいは叛乱鎮圧の職務に対して支給される恩給 州も、適法手続によらないで、生命、自由、財産を奪っては および賜金支払のために起債された公債を含め、合州国の法 ならない。また、その管轄権内にある何人に対しても、平等 律をもって定められた国債の効力は、これを問われることが な法の保護を拒んではならない。 ない。ただし、合州国に対する動乱もしくは叛乱の援助のた めに生じた負債もしくは債務、あるいは奴隷の喪失もしくは 第二節下院議員は、各州の人口に従って各州に配分され、課 解放のために生じた請求に対し、合州国またはいかなる州も 税されないインディアンを除いた総人口を各州の人口とす これを負担し、引受けることはない。これら全ての負債、債 る。ただし、合州国大統領および副大統領の選挙人、連邦議 務、および請求は、違法且っ無効である。 会の下院議員、各州の行政官および司法官、あるいはその州 第五節連邦議会は、適当な法律の制定によって本条を施行す の州議会の議員のいずれの選挙における投票権も、それが、 る権限を有する。 叛乱への参加あるいはその他の犯罪による場合を除いて、当 該州の男子住民中、年齢二十一歳に達し、合州国市民たる者第十五条〔一八六九年二月一一六日発議、一八七〇年三月三〇日確定〕 に対し拒否されたり、または何らかの形で制限される場合に第一節合州国市民の投票権は、人種、肌の色、あるいは過去 は、その州より選出する下院議員の数は、このような二十一 の労役状態を理由として、合州国あるいは各州により拒否、 制限されることはない。 歳以上の男子市民の数の当該州における二十一歳以上の男子 市民の総数に占める割合に応じて減少される。 第二節連邦議会は、適当な法律の制定により、本条を施行す る権限を有する。 第三節かって連邦議会の議員、合州国の官吏、各州議会の議 員、あるいは州の行政官もしくは司法官として、合州国憲法第十六条〔一九〇九年七月一二日発議、一九一三年一一月二五日確定〕 連邦議会は、 の支持を宣誓した後に合州国に対する動乱もしくは叛乱に加 いかなる源泉から得られた所得に対しても、各 担し、あるいは合州国の敵に援助または助力を与えた者は、 州に配布することなく、また国勢調査あるいは人口算定に準
第一章カルフーン政治論の史的背景 するにとどめざるをえない。すなわち、「カルフーンは、ナショナリズムから狭いセクショナルな視点に転向しつつ ュニオン あったのではなく、また、連邦を破壊せんとする個人的野心という動機からでもなかった。彼は、連邦市民の忠誠を 確保することによって、言葉の真の意味において、可能な唯一の方法で連邦を救おうとしていたのであるーと。 一一八年関税法に対し、サウス・カロライナは新任の大統領ジャクソンが関税率の引下げに応ずるであろうという期 待もあって、特別会議を開いて無効宣言を発動するというところまでは進まなかった。しかし、やがて再び、「一 三ニ年関税法」をめぐって無効宣言論争は激化するのである。 ( 1 ) サウス・カロライナ州の総人口中に占める黒人人口の割合は、一八五〇年に自由黒人と奴隷の総数が五八・九三パ 1 セント ( うち奴隷五七・ 五九パ 1 セント ) で、他の南部一四奴隷州に比べて最も高い割合を占めている ( 本田創造『アメリカ南部奴隷制社会の経済構造』の付表参照 ) 。 ( 2 ) 一八五〇年のセンサスを一例にとるなら、南部一五州の総人口九六一万二、九六九人中、白人が六一八万四、四七七人、自由黒人が一三万 八、一二八人、奴隷が三二〇万〇、三六四人となっているが、その中の奴隷所有者は、わずか三四万六、〇四八人にすぎず、しかもその階層別 構成をみると、圧倒的に一 ~ 九人の所有に集中し、一〇〇人以上の奴隷所有者は全奴隷所有者の〇・五パ 1 セントにすぎない ( 本田創造、前 掲書、一五二ー一五三頁 ) 。 1 セント ) か ( 3 ) アメリカ全体中に占める南部の人口割合 ( カッコ内の数字は白人の割合 ) は、一七九〇年の四九・九パ 1 セント ( 四〇・一バ 1 セント ( 一一九・九。ハ 1 セント ) へと漸減 ら一八三〇年の四五・三。ハ 1 セント ( 三四・六 ノバ 1 セント ) へ、さらには一八六〇年の三九・一。、 している。それは下院議員および大統領選挙人の構成にもはねかえり ( 各州の大統領選挙人の数は、憲法の定めによりその州の上下両院議員 1 セントへ、さらに一 の人数と一致する ) 、全下院議員中に占める南部議員の割合は、一七九〇年の四四パ 1 セントから一八三〇年の四一。、 1 セントへ、さらに 八六〇年の三五パ 1 セントへ下がり、また大統領選挙人の割合は、一七九〇年の四五。ハ 1 セントから一八三〇年の四一。、 は一八六〇年の三五パ 1 セントへと減少している ( 」 esse T. Carpenter, The S 。ミ 4 Co 、 ~ ~ ious ・、 ~ ミド・ 7789 ー、 86 ト一 930 , rep- rinted, 一 963- 名 . 2 一ー 23 ) 。南部社会におけるプランタ 1 の寡頭支配を可能ならしめた要因の一つとして、マルクスは次のように書いている。 「連邦の南部における本来的な奴隷所有者の数は、三〇万をこえない。それは少数者の寡頭支配であって、それにたいしては幾百万の、いわ ゆる『貧乏白人』 (poor whites) が対立しており、その数は土地所有の集中によってたえず増大し、その状態はロ 1 マの最も衰亡した時代の レデス 平民のそれとのみ比較しうるほどのものである。新しい領域の獲得および獲得の見込みと、また海賊遠征によってのみ、この『貧乏白人』の ュニオン