分 ) 不可分性をよりどころとしながら第一条八節八項をもってナショナルな性格を主張する論者に反論する。 第四に、カルフーンは、「憲法は完全にフェデラルであることを認めはするものの、政府は一部フェデラルであ 一部ナショナルであると主張する人々ーに反論する。例えば、・マデイソンは、『フェデラリスト』第三九篇 および第四〇篇において合州国の政治体制と憲法に占めるフェデラルな性格とナショナルな性格を指摘したうえで、 「提案された憲法は、ゆえに、厳密にはナショナルな憲法でもフェデラルな憲法でもなく、両者の複合体である」と している。カルフーンはこのような理解を否認する。以下、この点に関し彼の主張する反論を要約しておこう。 マデイソンは、憲法の批准行為に止目して、この点で憲法はフェデラルではあるが、他方、連邦政府の権力源泉やその機能 と範囲の点では、ナショナルな性格とフェデラルな性格とを兼備すると主張するが、政府の基本的性格を規定するものは憲法 であり、憲法がフェデラルであって政府がナショナルなものであることはありえない。これは相矛盾する。 マデイソンは下院の権力の源泉をアメリカ人民に求め、この点で政府はナショナルなものであるとしているが、その権力は 一体としてのアメリカ人民に発するのではなく、「独立し主権ある諸州人民」に由来し、連邦下院議員はネーションに包括さ れた単なる選挙区としての州を代表するものではなく、諸州人民の代表である。また、各州人民は、憲法第一条二節三項によ り「各州の人口に比例して」という「一つの一様な割合あるいは比率」に基づいて代表され、さらには、下院議員の選挙人は、 第一条二節一項により、「州議会の議員数の多い方の一院の選挙人の資格を有しなければならない」としているところからも フェデラルな性格を明示するものである。 各州の大統領選挙人 (electoral vote 「 ) の数は、憲法第二条一節二項により、各州の上・下両院議員数に一致する。マディ ソンは、上院の権力源泉をもってフェデラルな性格を、また、下院のそれをもってナショナルな特徴とするがゆえに、両方の 性格を具備する行政権を「極めて複合的源泉に由来する」としているが、下院のフ = デラルな性格については①で示されたと ころであり、また、各州の選挙人の任命を憲法は「各州議会の定める方法」に従うものとしていること、さらには、大統領の 164
「合州国憲法」は、諸州人民の代表者によって採択され、その批准は各州個別にゆだねられた。従って、「立憲主体」を明示 した憲法前文の「我ら合州国の人民」 (we, the people 。 ( the United States) とは、「自由にして独立し、主権を有する州と して行為するユニオンの諸州人民」を指すものである。ゆえに、憲法の「立憲主体」は主権を有する諸州人民である。また、 例えば、・ウエプスターに代表されるように連邦のナショナルな構成を主張する人々は、同様に、この憲法前文を論拠とし コミュニティ て、「我ら合州国の人民」とは、「個人的性格において単一の共同社会を構成している人民」を指し、「集合的性格」における 人民を呼称しているものであると主張するが、これは次の事実によって否定される。すなわち、憲法原案は、「我らニ = ンプシャー マサチューセッツ : : : 人民」というように、「人民」の後に州名を個別に列記していたが、憲法第七条 ( 九州の 批准による確定、発効の規定 ) によって州名を列挙することができなくなり、また、全州の批准が不確定であったために、 名を個別に列挙しないで「洗礼名」である「アメリカ合州国」という概括的語句を使ったにすぎないものである。 同じく憲法前文は「アメリカ合州国のために、この憲法を制定、確立する」 ()o ordain and establish this Constitution ま the United states) とあるが、ここにいう「合州国」とは、①の意味における諸州を指す。ゆえに、「立憲客体、は、「立憲 主体」たる諸州人民であり、彼ら人民のために憲法は「制定、確立」されたのである。また、連邦をナショナルなものとみる ゴゾフェダレイテド 論者は、この前文結語の「制定、確立する」という文言をもって、「諸州は契約の当事者であること、および連合したユニオ ンの成員たることを放棄し、一つの共通な共同社会ないし国民に融合した」と主張するが、これは、憲法第七条の「この憲法 は、これを承認した諸州の間において確定、発効すべきものとする」という規定と矛盾する。従って、「憲法は、制定、確立 された後といえども、なお存続している諸州間の契約であるという観点で自らをみなしている」のである。 岡では、いかなる目的のために憲法は制定、確立されたのか。憲法前文は、「一層完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内 の平穏を保障し、共同の防衛に備え、全体の福祉を促進し、われらとわれらの子孫に自由の至福を確保する目的をもって、こ こにアメリカ合州国のために」と謳って、その「立憲目的」を明記している。「アメリカ合州国」とは①の意味における諸州 160
加えたものとする。実際の人口算定は、連邦議会の最初の集 会の後三ケ年以内に行い、その後一〇年ごとに法律の規定に 従って行うものとする。下院議員の数は三〇、〇〇〇人に対 し一人を超えてはならないが、各州は少なくとも一人の下院 議員を持つものとする。なお、右の算定がなされるまで、ニ 州は三名、マサチュセッツ州は八名、ロー ハンプシャー デランテーション ド・アイランド州とプロヴィデンス入植地は一名、コネテ 第一条 イカット州は五名、ニューヨーク州は六名、ニュージャージ 第一節この憲法により賦与される一切の立法権は、上・下両 州は四名、。ヘンシルヴァニア州は八名、デラウェア州は六 院からなる合州国連邦議会に属する。 名、メリーランド州は六名、バージニア州は一〇名、ノース・ 第二節〔一項〕下院は二年ごとに諸州人民によって選出され カロライナ州は五名、サウス・カロライナ州は五名、そして た議員から構成され、各州の選挙人は州議会の議員数の多い ジョージア州は三名を選出することができるものとする。 方の一院の選挙人資格要件を有することを要す。 〔四項〕いずれかの州の代表に欠員が生じた場合、当該州の 〔二項〕何人も二五歳の年齢に達していない者、七年以上合 行政府はその補充選挙の命令を発しなければならない。 州国市民でない者、また選挙された時に選出した当該州の住 〔五項〕下院はその議長および他の役員を選任し、また弾劾 民でない者は下院議員となることはできない。 の専権を有する。 録〔三項〕下院議員および直接税は、この連邦内に含まれる諸 州の間にそれぞれの人口数に従って配分されるものとし、各第三節〔一項〕合州国上院は各州選出の二名の上院議員で構 成される。彼らは当該州議会によって選出され、その任期は田 州人口数は、年季奉公人を含めるが、課税されないインディ 付 六年とする。なお、各上院議員は一票の投票権を有する。 アンは除いて、自由人の総数に他の一切の人々の五分の三を 合州国憲法 われら合州国人民は、一層完全な連邦を形成し、正義を樹立 し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、全体の福祉を促 進し、われらとわれらの子孫に自由の至福を確保する目的をも って、ここにアメリカ合州国のためにこの憲法を制定、確立す る。 0 ロ ュ ( 2 ) コノグレス
る。それは、 Q ・ウエプスターをして「最も有能且っ説得力豊かで、ゆえに、革命の特殊形態の最も危険な弁護」と 叫ばしめたものである。また、いわゆるホイッグ学派の一人で『カルフーンとサウス・カロライナ無効宣言運動』を 著わした・バンクロフト (Frederic Bancroft) はこの書簡をカルフーンのマスター ・ビースとさえ呼んでいる。 「書簡」に従えば、「政府は総て、本来的には信託にすぎず、それを運営すべく任命された人々は信託権力を行使す トラスティー べき受託者ないし代理人にすぎない。主権は他に存する。それは政府ではなく人民に。われわれにとって人民とは、 コミュニティー 人民を指す。政治的に言うなら、わが制度に 現在二四ではあるが、もとは一三の独立した共同社会に構成された諸州 関し、他のどんな人民も存在しない」とする。従って 1 「代理人にすぎない中央政府は、憲法の主たる当事者の一つ である州の解釈に抗してその解釈を強制する権利を有せず」、また、「代理人が解釈の名のもとに、委託されることが 意図されなかったか、または委託された権力を信託権限に含ましめることが意図されなかった目的に変えようとす る」場合、当事者 (principal) である州は「その行為を無効且っ不当なものであると宣一言することができるーとされる のであ鬲い . ここにおいて、カルフーンの州の無効宣言の理論は、明確に州人民主権論を理論的基礎としていることが 確認される。 州の無効宣一言は連邦からの離脱と同義ではないかという異論に対し、「書簡」は次のように答える。すなわち、両 者の性格についてみると、「一方は当事者自身に関連し、他はその代理人に関連する」とし、「離脱とはユニオンから デリンシバル の脱退であり、。ハートナーからの分離」であるのに対し、無効宣言は「当事者と代理人の関係を前提ーとし、「代理 ・フリソシ・ハル 人がその権限を越えて権力を行使する場合、当然の形態として当事者の側からその行為が無効且っ不当なものである と宣言することである」とされる。第二に両者の目的についてみると、前者の目的は「連合体あるいはユニオンの解 消」であるのに対し、後者の目的は「代理人にその目的の充足を強いる」ことにあり、従って、「離脱は連合体ある ェイジェント シセション ェイジェント
( 9 ) の弾劾審判権を専有し ( 第一条三節六項 ) 、さらには副大統領の決選投票権を有している ( 第二条一節三項 ) 。また、 下院は弾劾発議権と大統領の決選投票に関する専権を有している。、行政権は、憲法第二条一節一項により大統領 に属し、通過法案に対する拒否権を有するが ( 第一条七節二項 ) 、彼の選出基盤は州と州人民にある。なぜなら、各 州の大統領選挙人の数は当該州の上・下両院議員数に一致し、また、州を単位として選出されるのが通例となってい るからである。岡、司法権は、第三条一節の規定により最高裁および下級裁判所に属しているが、その任命は上院の 助言と同意を得て大統領が行うものとされている ( 第二条二節二項 ) 。以上のような連邦政府の憲法上の規定から、 カルフーンは、合州国連邦政府の構成は州と州人民の二つの要素に集約されるものであり、議会においてはこの二つ の要素が上・下両院において「最も明確且っ簡明な形態」で均等に配分され、行政・司法においては混合していると (2) する。 以上の憲法論的指摘から、カルフーンは「数的多数制ーが合州国連邦政府の唯一の構成要素となっていないことを 示すため、次のような仮説を提示する。すなわち、下院が唯一の立法府であったとするなら、最大人口数を有する六 ( ニューヨーク、ペンシルヴェニア 、バージニア、マサチューセッツ、オハイオ、テネシー ) が残り二四州に代っ 、三四一万 て立法権を行使できるところとなり、他方、上院が唯一の立法府であったとするなら、最少人口州一六丿 一、六七二人が残り一四州一、二七七万五、九三二人に代って立法権を行使できるところとなる。しかし、憲法は総ての 廾と州人民の多数のいずれもが絶対的に優先せ 法案が立法化されるためには両院の合意を必要としているがゆえに、ー ー・ライド ず、両者は上・下両院において二元的に分割されている。また、大統領が拒否権を発動した場合、これを乗り越える ためには、憲法第一条七節二項の規定により両院の三分の二の多数を必要としているところから、下院においては、 一三八名の議員総数中の一五二名、上院においては六〇名中四〇名の賛成を必要としており、これを州人口に換算す 174
るという経緯があったにしろ、「生命、自由および幸福の追求」を天賦の人権と謳い、さらには、政府の創設とこれ を改廃する権利や圧制に対する人民の抵抗権の擁護を世界に先がけて高らかに謳いあげた。 プルジョア革命期に登場してくる近代の国家論は、ほぼ共通に「自然状態ーにおける「自由で平等な」私的個人を 抽象し、彼らの公的・政治的権利の発動による水平的契約という論理をもって国家構成の原理としたが、カルフーン は「自然状態」を「全くの仮説ーとし、「人間の自然状態は社会的・政治的状態ーであるとし、これを否認したこと については既に指摘したところである。それは、彼において自然な人間の本質的同一性ではなく、「知性、賢さ、活 力、忍耐力、技量、勤勉と倹約の習慣、肉体的力、地位と機会という点で大いに違っているー個人の概念が現実の所 与として観念され、この自然的・社会的・経済的条件の不平等こそが社会進歩の動力であるとみなされているからで ある。すなわち、彼は次のように指摘している。 「事実、進行中の隊列の前列としんがりの間のこの条件の不平等こそが、前者にその位置を保持しようとする衝動 を、後者に前列に割込まんとする衝動を与える。政府の干渉によって、前列にしんがりの位置を強いたり、しんがり ( 3 ) を前列と同一線上に並ばせようとする試みは、この衝動を終結させ、事実上、進歩の行進を頓座させる」と。 ところで、カルフーンにおいて「自由」 (Liberty) とは生得的人権とはみなされないで、「我々の精神的・知的能力 ( 4 ) の発達の最も高貴で最高の褒賞」、「それを受けるに価する人々に授けられる最も適切な褒賞」であると考えられてい る。なぜなら、「自由は、それを受けるにふさわしくない人民に強制されると、恵みではなくて、のろいとなろう し」、また「その反動として、直接、アナキー 総ての災厄の最たるものを産み出す」と考えられているからであ る。かくして、彼は次のように指摘する。 「総ての人民が平等に自由を授けられていると考えることは、大きなしかも危険な誤りであるということになる。 146
( ) ed., with intro. notes, by Jacob E. C00ke, The Fe き新 , No. 51, p. 35L 352. ( ) ~ d こ No. 10, や 61. ( 幻 ) 7 d こ NO. 51, や 351. パーナイ イノテレスト ( ) こ No. 10, や 63. また、『フェデラリスト』第一〇篇は次のようにも述べている。「領域が拡大されると、党派および利益群がいっそ う種々雑多になり、全体中の多数者が他の人民の諸権利を侵害しようとする共通の動機をもつなどということが、恐らくは、少なくなること であろうし、また、そのような共通の動機が存在するとしても、それを感ずるすべての人々が、かれら自身の実力を自覚的に意識すること も、また、互に団結して行動することも、いっそう困難となるであろう」 ( 邦訳は、『原典アメリカ史』第二巻、三七二頁 ) 。なお、この点で、 『フェデラリスト』は、「共和制の本性からいって、それは小さな領土しか持たない、然らずんばそれはほとんど存在しえない」 ( モンテスキ ュー、根岸国孝訳『法の精神』世界の大思想⑩、一二七頁 ) とするモンテスキュ 1 の考えとはこの点に関するかぎり基本的に異なっていた。 ( ) The Federalist, op. 、こ p. 349. ( ) T ま 0 、 vol. ミ , や 35. ( ) ミこや 36. ( 四 ) 7 こや 37. ( ) 7 d こや 40. 景 ( 引 ) ミこや 41. ( ) 7 こ pp. 41 ー 42. 史 ( ) 例えば、『フェデラリスト』第五一篇は次のように述べている。「単一の共和制においては、人民によって委託された一切の権力は単一政府 の 1 三ロ の行政に委ねられ、権力簒奪は政府を個別の分離した諸部門に分割することによって防止されている。アメリカの複合共和制においては、人 ムロ 民によって委託された権力は、第一に、二つの個別の政府間に分割され、ついで、各政府に割当られた部分が、更に個別の分離した諸部門に ン 再分される。ここに、人民の権利に対する二重の保障が生まれる」 (ed., with introduction and notes, bY Jacob E. C00k0 op. ご名・ フ 350 ー 351 ) 。 カ ( ) 「ケンタッキー決議」はジェフアソンによって起草され、 John Breckenridge によってケンタッキ 1 州議会に提出され、採択されたもので あるが、カルフ 1 ンは、 T ~ ミミ・の中で幾度もこの決議にふれ、彼の無効宣言の理論的基礎になったことを認めている。だが、マデイソ 章 1 ジニア両決議は世論に対するアピールのためのものであったのであり、一州による無効宣言や ンは一八三二年に至って、ケンタッキー 第 異議介入は「不条理」 (absurdity) であるとして、これを否定したとされている (Gerald Capers, op. きこ p. 134 ) 。
あろうと予測したのである。この認識があったればこそ、後に詳しくみるように、彼の「競合的多数制」の理論が諸 州に割拠する支配階級の同意Ⅱ地域間の階級的均衡と政治的妥協の理論として成立してくるのである。 カントリー 「解明。はついで、政治論、憲法論に移り、「政府を腐敗させ、この国の自由を破壊するこの〔関税〕制度の傾 向」についての考察へと進められる。 「もし普遍的に真の政治原理があるとするならーーそれは人間の本性に直接由来し、状況に左右されないものであ るがーーーそれは、無責任な権力は自由と相矛盾し、それを行使する人々を腐敗させるにちがいないということであ デリゲイテド る。この偉大な原理にわが政治制度は従っている。我々は総ての権力が人民によって委託され、その正当かっ適切な 行使を期待する人民によってコントロールされるべきものと考える。州政府であれ中央政府であれ、わが政府は、こ の基本的原理を公正かっ現実的に機能させるための賢明な方策をそなえた制度に他ならない」。 「これらの〔諸方策〕の中で最も主なもの」として、カルフーンは、選挙権の行使を媒介とした「選挙人に対する 景代表者の責任 , の確立を挙げる。しかし、後の『政治論』においても繰返し指摘されるように、「解明」においても既 に、選挙制度のみでは少数者を、あるいは「弱者」をなんら保護するものとはなりえないということが指摘される。 論すなわち、彼は次のように続けている。 カソトリー 「この国の諸階級や諸セクションにみられる利害の多様性から、法はいろいろに機能し、概括的言葉が用いられ、 フ表面的には公平に見えようとも、現実には、同じ法がある階級ないしセクションの権力と資力を他のそれに移行させ カることになると想定されるなら、この場合、選挙人に対する〔被選挙人の〕責任、それは選挙人の忠実な代表者たら カントリー 一しめる手段にすぎないのであるが、これだけでは、公的代理人の純粋性、あるいはこの国の自由を維持するには全く 不充分なものであると判明するにちがいない。 ・ : 社会の相対立する諸利益は、必然的に、相対立する敵対的諸政党を ェイジェソッ
ればならない」とされている。カルフーンは、当時の連邦構成州三〇州とその人口数を基礎に、三〇州総人口一、六 一八万七、六〇四人中、最少一一州の総人口は一六三万八、五二一人であり、従って、理論的には、全体の約八分の一 の人口数で憲法修正の発議を阻止しえるものであり、逆に、最少人口州二〇州、三五二万六、八一一人 ( 全連邦構成 人口の約四分の一 ) が、残り一〇州、一 、二六六万〇、七九三人の意向に抗して憲法の修正の発議をなしうる制度とな ( 6 ) っていることを挙げる。また、第五条は、改正の批准について「四分の三の州議会によるか、または四分の三の州に おける憲法会議によって承認されるーこと、すなわち、三〇州中二三州の承認を要件としているところから、理論的 には、最少人口州ノ丿 、七七万六、九六九人が他の一三州 一、五四一万〇、六三五人 ( 前者の約二〇倍の人口数 ) の 憲法改正を志向する数的多数派を制しえ、逆に、最少人口州二三州、七二五万四、四〇〇人が残り七州 丿八九三万 ( 7 ) 三、一一〇四人の多数を制して憲法改正をなしうる制度となっている点が指摘される。 第三に、カルフーンは、連邦政府の構造とその構成原理を挙げて合州国の政治体制における「共和制」的特徴につ いて指摘する。カルフーンは、連邦政府の基本的構成要素は州と州人民の二つの要素からなるものであるとし、立 法、行政、司法の各部門に占めるこの二つの要素の組み合せを検討することによって、政府編成の原理が「数的多数 邦 制ーに従うものではないことを指摘する。すなわち、 合州国議会 (Cong 「 ess) は上・下両院から構成され、憲法 連 ン第一条一節一項により立法権を専有している。上院は州の地理的・人口的大小にかかわらず各州一律に二名配分され フた任期六年の議員から構成されており ( 憲法第一条三節一項 ) 、また、下院は任期二年の議員を一〇年ごとのセンサス ( 8 ) 力に基づいて州人口数に従って各州に割りふることになっている ( 第一条二節三項 ) 。この点からも議会の構成は州と 章 三州人口を基礎とするものであり、その権限は立法権のみならず行政、司法の両部門にも及ぶ。例えば、上院は大統領 の条約締結に関し助言と同意を求められるものとされ ( 第一一条二節二項 ) 、大統領や裁判官を含む文官 @ivil 。ョ。舅 ) 173
今後も長きにわたってそうあり続けるであろう。ヨーロッパ人種は富と人口を急速に増やし、同時に、少なくとも道 徳的、知的には、非奴隷保有州の同胞との平等を維持してきたが、アフリカ人種もこれに劣らず急速に人口を増や し、肉体的、知的に大きな向上をはたし、他の諸国の労働する階級が殆ど享受しておらず、また、明らかにこの人種 の自由な人民が非奴隷保有州で保有しているものよりはるかに高い生活程度を得ている。事実、彼らの祖先たちがこ の国につれてこられた時にそうであったように、野蛮人がこの間に人口と進歩の点でこれほどまで急速に向上した例 は歴史上他にないと言ってもよかろう」。 かくして、カルフーンは、「現在の諸関係を破壊することはこの繁栄を破壊し、両人種を対立状態におくものであ り、それはいずれかの放逐ないし滅亡に終るに違いない。両者の平和と安全に矛盾しない他のどんなものも他にはあ ( 四 ) りえないーと断ずるのである。 アリストテレスは、その著『政治学』において、「人間でありながら、その自然によって自分自身に属するのでは なく、他人に属するところの者、これが自然によって奴隷である、そして他人に属する者というのは人間でありなが ら所有物であるところの人間のことであり、所有物というのは行いのための、しかもその所有者から独立な道具のこ とであるーと、また、「生れる早々から或る場合には相違があって、或るものは支配されるように出来ており、また ( 幻 ) 或るものは支配するように出来ている」と語っている。カルフーンもまた「両人種間の社会的・政治的平等は不可能 である。地上のいかなる権力もこの困難を克服しえない」と述べ、人種間の不平等を所与の前提とするのである。か くして、彼は、「アポリショニストの盲目的・犯罪的熱情」は「連邦を構成する二大セクションを完全に離間」させ、 ュニオン 「相互の愛着と信頼の所産たるこの連邦と憲法ーを破壊させることになるであろうと警告している。カルフーンのこ のような危機意識の根底には次のような鋭い状況認識と歴史観があった。すなわち、「報告」は次のように指摘して