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検索対象: アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論
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1. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

院議員としての活動等の多忙な生活がその脱稿を遅らしめ、完成をみたのは、死を目前にした一八四九年六月のこと であった。だが、彼はその公刊を生きてみることなく、翌五〇年三月、享年六八歳で死亡したのである。 いかなる思想や理論といえども、それは、客観的には、特定の歴史的社会の反映であり、また同時に、主体的には 先行する諸思想や理論の継承と鋳直しの過程を通して形成されるという、二重の意味で歴史的産物に他ならず、存在 被拘束性を免れるものではない。前章において、カルフーンがどのような歴史的状況の中からその政治論を構築し、 また逆に、その理論をどのような政況の中で機能させようとしたかを概観した。ついで本章においては、カルフーン の四十余年にわたる政治家としての実践的営為と政治学的・哲学的思索の集大成として書かれた『政治論』を中心と しながら、彼の政治論の骨格をあとづけ、そこに内在する理論的諸問題について検討することにする。 ( 1 ) ・ホーフスタッター、田口・泉訳『アメリカの政治的伝統—』、九四頁。 ーツ、有賀・松平訳『アメリカ自由主義の伝統』、一一三頁。 ( 3 ) Vernon Louis Parrington, 、 C ミ・、 ~ ) 、、ミ c ミ一 Though 、 , vol. =. や 6 一 927. ( 4 ) Government という訳語にその機能的・動態的側面を注視して「政治」あるいは「統治」と訳すべきか、それとも機構的・静態的側面から 「政府」と訳すべきかについては問題はあるが、彼の別の論稿『合州国憲法および政府論』と区別し、ここでは「政治」という訳語をあてて おく。なお、既に筆者が訳出した本書の表題は『政治論』 ( 未来社社会科学ゼミナール ) としておいた。 ( 5 ) CharIes M. WiItse, 、 0 C. C 0 . ・ Sectionalist ( 7840 廴 85e , 195L pp. 425 ー 426. 二政府論 ヴィルツェ (Charles M. Wiltse) は、カルフーンが独立革命以来のアメリカ憲政史に詳しかっただけでなく、プラ トンやアリストテレス、マキャヴェリからホッ・フズ、ロックに至るまで、彼に先行する理論家達の学説に通じ、ギリ 108

2. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

瞬時にして回復された。党派間の不和や暴力、またそれにつきまとう動揺や無秩序はたちどころに消滅した。二つの セクション間の友好的感情、相互の愛着が党派的感情にとって代り、ほとんど四〇年以上も中断されることなく続い ている。この州は、その州内問題に関するかぎり、この全期間にわたって、文字通り、政党の存在しない状態にあっ たと言ってもよかろう。党組織、党規律、党員追放、そしてその所産たる猟官原理〔スポイルズ・システム〕はこの のかかわり知らないところとなっている」。 しかし、カルフーンのこの指摘に対し、齋藤眞教授は、「プランティション・システムの拡大による、高原地方の、 少なくともその上層部の沿岸地方化、その意味における奴隷制利益による州の一体化、その限りにおけるセクション 間の異質性の相対的解消の前提があって、はじめて一八〇八年の憲法修正は成立した、のであって、「棉作・奴隷制 の拡大を契機として、南部セクションの中の二つのセクションは、一方のセクションによって相対的に統一され、セ クショナリズムの中のセクショナリズムは、上位のセクショナリズムの中に吸収されつつあったのである」と指摘し ている。このかぎりでは、異質の階級間の同意導出論としての「競合的多数制」論は、実は、階級間の勢力関係が相 対的に均衡的安定関係にあるか、あるいは、同質的階級間においてのみ機能しえるものでありながら、極めて流動的 歴史状況においてもなお、これを異質の階級間においても機能せしめんとしたところに彼の理論的弱点が伏在した と言わざるをえない。この点で、「実際政治家としてのカルフーンの誤ちの本質は、彼がダイナミックな状況にたい して、スタティックな解決をなそうと努めたことにあった」とするホーフスタッターの指摘は至当なものと言えよ 第三に、支配の機構としての政府あるいは、その権力機構とは、人間存在にとって不可避的・生得的現象というよ りはむしろ、最も一般的には、歴史的・階級的現象である。また、「基本法」 ( 憲法 ) とは、カルフーンが想定したよ 128

3. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

産業資本主義の抬頭と空間的拡大は、資本主義とは異質の南部奴隷制プランテーションの打破と再編を要求し、 農民、小商人、都市労働者、黒人奴隷をその〈ゲモニーの下に引寄せることによって、奴隷制の撤廃を全国化させ た。旧社会の体内で孵化した「物質的な実存諸条件ー ( マルクス ) は、連邦権力をめぐる政治的対立として、さらに は、イデオロギー上の ~ ゲモニーをめぐる諸階級、諸階層間の闘争として展開され、やがては物理的対決 ( 内乱Ⅱ南 北戦争 ) に結果せざるをえなかった。南北戦争に至るこの歴史のダイナミズムの中にこの時代に特徴的な政治史と理 論史がある。この危機的状況の中で、アメリカ政治史上傑出した一群の政治家が輩出した。カルフーンもその一人で あった。本書は、アンティ・べラム (ante bellum) 南部の最大のイデオローグとして登場し、連邦分裂の危機の淵に あって、南部のために万丈の気をはいたカルフーンの政治論の理論的性格を分析し、彼の理論を一九世紀の第Ⅱ四半 期のアメリカの政治過程の中に定位せしめることを通して、危機状況下にあって発現したこの南部の理論の政治・政 体論的特徴とその歴史的性格の理解に接近せんとするものである。 ( 1 ) レ 1 ニン「アメリカ労働者への手紙」『レーニン全集』第二八巻、五三頁。 ( 2 ) ・ア。フセ 1 カ 1 は、当時の植民地人口の約二割、六〇万人が黒人で、その中五五万人が奴隷であったが、少なく見積っても、「アメリカ革 命軍 . に五、〇〇〇人が参加し、他に、御者、コック、ガイド等に従事した黒人の数はそれ以上であったと推定している。 Herbert Aptheker, T 、ミ」 4 ミミ・に、 ~ R ) ミご・ ( ミ ( 7763 ー 7783Y 一 96P third printing, 一 969 , て . 207. 226. なお、同書において、ア。フセ 1 カ 1 はアメリカ独立 革命をめぐる多様な議論を批判的に整理したうえで、「アメリカ革命は、相互に浸透する三つの流れの結果」であったことを指摘している。 すなわち、アメリカの独立革命は、「植栽権力 (colonizing power) である支配者と植民地の大多数の人民との間の利益をめぐる基本的対立、 ストラティフイケーシ第ン 植民地自身内部における階級的成層化とそこから生まれた階級闘争 : : : そして、階級的ちがいを越えて高まったアメリカ国民としての 意識の抬頭」 ( 二〇ー一一一頁 ) の相互作用の結果として理解されるべきであるとしている。また、他にアメリカ独立革命をめぐる諸学説を整理 したものとして、平出宣道「『アメリカ革命』学説批判」『思想』 ( 一九七〇年四月号 ) がある。 Harry Frankel, "Class Forces in the Amer ・ ican Revolution," in George Novack, ed. , ミミ・に、 ~ R さ、 ~ 、、、ミ、受、、ミ、 ~ ・、 ag pp. 1 一 5 ー 126. ( 3 ) ・ N ・フォスタ 1 、貫名義隆訳『黒人の歴史ーーナメリカ史のなかのニグロ人民』四二頁。

4. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

今後も長きにわたってそうあり続けるであろう。ヨーロッパ人種は富と人口を急速に増やし、同時に、少なくとも道 徳的、知的には、非奴隷保有州の同胞との平等を維持してきたが、アフリカ人種もこれに劣らず急速に人口を増や し、肉体的、知的に大きな向上をはたし、他の諸国の労働する階級が殆ど享受しておらず、また、明らかにこの人種 の自由な人民が非奴隷保有州で保有しているものよりはるかに高い生活程度を得ている。事実、彼らの祖先たちがこ の国につれてこられた時にそうであったように、野蛮人がこの間に人口と進歩の点でこれほどまで急速に向上した例 は歴史上他にないと言ってもよかろう」。 かくして、カルフーンは、「現在の諸関係を破壊することはこの繁栄を破壊し、両人種を対立状態におくものであ り、それはいずれかの放逐ないし滅亡に終るに違いない。両者の平和と安全に矛盾しない他のどんなものも他にはあ ( 四 ) りえないーと断ずるのである。 アリストテレスは、その著『政治学』において、「人間でありながら、その自然によって自分自身に属するのでは なく、他人に属するところの者、これが自然によって奴隷である、そして他人に属する者というのは人間でありなが ら所有物であるところの人間のことであり、所有物というのは行いのための、しかもその所有者から独立な道具のこ とであるーと、また、「生れる早々から或る場合には相違があって、或るものは支配されるように出来ており、また ( 幻 ) 或るものは支配するように出来ている」と語っている。カルフーンもまた「両人種間の社会的・政治的平等は不可能 である。地上のいかなる権力もこの困難を克服しえない」と述べ、人種間の不平等を所与の前提とするのである。か くして、彼は、「アポリショニストの盲目的・犯罪的熱情」は「連邦を構成する二大セクションを完全に離間」させ、 ュニオン 「相互の愛着と信頼の所産たるこの連邦と憲法ーを破壊させることになるであろうと警告している。カルフーンのこ のような危機意識の根底には次のような鋭い状況認識と歴史観があった。すなわち、「報告」は次のように指摘して

5. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

のではなく、社会的・政治的状態の中に生まれるということになる。そして勿論、生まれながらにして自由であり平 等なのではなく、両親の権威のみならず、生まれた国の法や諸制度に服し、その保護を受けて呱々の声をあげたので ある」。 以上の引用に明らかなように、カルフーンは自然状態とそこにおける自由で平等な個の歴史的仮構性を指摘し、自 然権思想を拒否する。この点で、彼はジェフアソンやマデイソン、さらには・タイラー等のロックの思想的潮流に 属する人々と軌を異にし、一方では、不平等を「自然」とみる点ではアリストテレスに、また他方では、意識してい たか否かは明確ではないが、社会契約の仮構性を指摘する点では・ヒューム (David Hume,1711-76) や・べンサ ム ()e 「 emy Bentham, 一 748 ム 832 ) 等のイギリス経験論の思想的潮流に属するものといえよう。それは、不平等を歴史貫 通的法則とみなすことによって南部奴隷制を擁護するための論理内的必然性によるものだけでなく、平等権の財産権 一般に対する危険な論理内的胚芽を見ていたからである。 しかし、人間存在にとって不可避の政府は、カルフーンが第三の自明の事実とする自己中心的人間 ( 観 ) によって 統轄、運営されるかぎり、それは社会の存続をおびやかさざるをえないという矛盾 ( Ⅱ番犬の狼 ( の豹変 ) に陥らざ 論 治るをえないという難問に逢着する。この矛盾の解決の糸口をカルフーンは「基本法」 ( 憲法 ) に求め、「基本法」こそ が政府の「無秩序と権力の乱用に陥る強い傾向、を阻止し、これを秩序の枠の中に留めおくものであるとする。つま フり、カルフーンは、人間存在にとって生得的・不可避的政府が世俗的・自己中心的人間によって運営されざるをえな カ いという、社会の存在にとっては敵対的矛盾を解決するものとして「基本法 [ を設定し、「社会の存立目的は政府な 章 二くしては挫折するように、政府の存立目的もまた、一般に、基本法なくしては挫折するであろう」とするのである。 これがカルフーンの政治認識の、また理論展開の基本的シェーマである。 113

6. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

「私は広義の十全な意味で保守主義者である。政府が腐敗し、無秩序に陥るあまり、革命以外のどんな方法もその ( 8 ) 改革に役立ちえないなら、今後もなお保守主義に留まり続けるであろう」。 ここで、カルフーンの「競合的多数制ー論の政治的意味とその問題点をまとめておこう。 近代プルジョア民主政治、あるいはその国家形態は、権力の階級的性格にそくして考えてみるとき、経済的に主導 的な階級の政治支配の方法ではあるが、それは、なお「市民間の平等の形式的承認を意味し、国家制度を決定し国家 を統治することにたいして全市民が平等の権利をもっことの形式的承認」を意味している。そしてこの統治形式のも とでは、普選を媒介とすることによって初めて被治者は治者に制度的に転化する。そこでは、政治は人民の政治的カ を抽出しながら、国民 ( 人民 ) の名においてその支配を正統的に貫徹する。プルジョア民主政治、あるいはその統治論 が、いわば形式と内実との矛盾した緊張関係をはらんでおり、またこのような構造を持たざるをえなかったことの背 景には、一つには ( これだけではないが ) 、プルジョアジーが 旧封建諸勢力の政治支配を打破し、国家権力を掌握す ることによってプルジョア的生産関係の全面的開花を図るためには、広範な諸階層をその〈ゲモニーの下に結集しな ければならなかったことによるものであった。この点においてこそ、一七、八世紀に始まるプルジョア革命は進歩的 役割を果しえたのである。 カルフーンの「競合的多数制」論は、単一の支配階級による国家権力の機能的・擬制的分割論Ⅱ支配階級の実質的 一元的支配論ではなく、対立的利害諸集団相互間への権力分割と相互拒否権を媒介とした妥協導出の原理としての「同 意」形成の理論であり、その志向するところは、歴史的にみて、北部の産業プルジョアジーの ~ ゲモニー下に結集した 「数的多数派」の政治支配に対するカウンターの理論であったわけだが、それは、カルフーンが生きた具体的歴史状況 にすえてみるとき、余りにも復古的価値観を内包し、近代民主制の政治原理の一つとしての数的多数制を拒否し、歴 130

7. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

( 4 ) 内に含ましめられるところとなった。本書が分析の対象としたカルフーンの南部奴隷制擁護の憲法論的正統化論はこ こに求められていたのである。また、彼における「自由」の概念は、社会を構成する諸個人相互の竸争の自由に求め ( 5 ) られ、「条件の不平等は自由の必然的結果」と考えられている。そして政府の目的が、相互の私的欲求の充足と拡大が はらむ矛盾を解決し、妥協導出の調整機構と観念されているかぎりにおいては資本主義的イデオロギーを共有するも のではあるが、それは、奴隷の社会的存在を「自然」とみ、動産としての奴隷の所有者と他の財産所有者との関係に おいてのみのことである。従って、奴隷の全人格的所有を所与とし、奴隷主と奴隷の社会関係あるいは社会的結合形 態が親和的恭順関係とされ、資本ー賃労働関係の対比において奴隷の社会的存在が正当化されるかぎりにおいて、彼 の南部奴隷制弁護論は資本主義社会の基軸的構成原理とは矛盾する。なぜなら、商品生産社会の基軸的構成原理は、 経済的強制関係を媒介として結合した「自由で平等な」私的個人相互の社会関係を基本的原理として措定しているか らである。この点で、建国の指導的勢力間の階級的矛盾の反映としての憲法上の前資本主義的痕跡はカルフーンの理 論的支えではあったが、同時にまた、歴史の流れにおいては彼の弱点ともなったわけである。とは言え、奴隷制が廃 棄された今日にあっても、独占資本主義の超過利潤の収奪の構造に深く組み込まれている黒人人民の社会状態は看過 されるべきではない。 合州国憲法は、前資本主義的遺制を留めながらも、基本的には近代市民革命期の一つの歴史的成果であり、政府の 構成は世俗的・機械論的原理に服せしめられただけでなく、専制 (autocracy) を回避すべく地理的・機能的権力分立 論が導入されることによって、少数のみならず多数者による一元的権力掌握と専制の防護策とされ、また同時にその ことによって各地に割拠する主導的諸勢力の妥協的均衡を計りながら連邦国家の建国が企図された。すなわち、制憲 議会の議事録や『フェデラリスト』の諸篇にも明らかなように、「建国の父祖達」は、生産手段の所有関係とその大 188

8. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

の横の、いわば水平的対立関係とみて、支配的階級あるいはその諸分派から構成された権力プロックと従属的諸階級、 諸勢力との縦の、いわば垂直的対立関係、支配・被支配の階級的編成関係にもあるということを見落しているのでは あるまいかということ、つまり、縦横の対立的編成関係にある立体的階級関係を横断的・水平的対立関係として把握 しているのではあるまいかということである。また、彼は利害諸集団相互の妥協と同意導出の理論として「競合的多 数制ーの採用を強調するが、それは、相対的に異質の再生産構造を持ち、相互に異質の支配的階級の連衡としてのユ ニオンの権力関係においては、理論的に立論可能であるとしても、州のレベル、しかも最も南部的南部と呼ばれたサ ウス・カロライナという地域レベルにおいてこの人工的メキャニズムは機能可能か否かという問題もあろう。この疑 問を解く鍵をカルフーン自身が与えてくれている。すなわち、彼は、かって奴隷制撤廃論者に反論し、また北部のプ ルジョアジーに警告を発する意味をこめて、「現在南部諸州の〔奴隷〕制度に向けられている攻撃は、非常に容易に 北部人の財産と安全とを維持している諸制度にも向けられるであろう。南部の〔奴隷〕制度に反対するために用いら れている議論は、ごくわずかの修正を加えれば、銀行業を含む北部の諸制度の攻撃にも同じように効果的でありうる アパラティ・フズ だろう」と、また、「わが南部〔プランター〕が一掃されてしまった後、対立は資本家と労働者達との間に生じ、社 ( 菊 ) 会を究極的にこの二つの階級に分裂させることになるにちがいない」とも語っている。カルフーンのこの言辞からも うかがえるように、彼の階級諸関係の構造と歴史認識には非常に鋭いものを認めないわけにはゆかない。彼が、実は このような階級関係の構造と歴史認識を持っていたがゆえにこそ、逆に、その理論が諸階級による水平的妥協導出と 統一の理論として発現するのである。つまり、カルフーンの理論は、アメリカ社会がユニオンのレベルでは相互に異 質の、セクションのレベルでは相対的に同質の再生産構造と階級構造を持った連邦共和国であるという認識を基軸と して、諸州に割拠する支配的諸階級相互の、あるいは諸州を横断する同質的セクションに支配的階級と別のセクショ 126

9. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

地域間の均衡が破壊されたという事実の中に求められるーべきであるとする。すなわち、カルフーンらは、一七九〇 年と一八四〇年のセンサスを例示しながら、上・下両議会議員数、大統領選挙人数に占める南部の割合の漸次的低落 傾向とそこから生ずる政治的発言力の低下について指摘し、「政府構成の二要素、すなわち州の多数と連邦人民の多 数」を北部地域が吸収し、連邦政府の全領域における支配権を握るに至ったと指摘する。 ついで、カルフーンは、以上のような南北両地域間の政治的均衡の崩壊原因を「時の流れーによるものではなく、 人為的な「政府の介入」、「総ての州の共通の機関として任命され、総ての州の利益と安全の保持と充足を責務とする この政府の立法」に起因せしめ、この種の一連の立法を歴史的に次の三項に概括する。 一、「フェデラル・ユニオンの成員として総ての州に帰属する共同の領地から南部を排除した諸立法」。 一一、「課税負担の不当な割合が南部に課せられる一方、税収の不当な割合が北部に流用される結果をともなった歳入 と歳出制度の採用」。 三、「建国期の政府の性格が根本的に変えられてしまうことになった政治運営の体制」。 第一の合州国領地からの南部排除にかかわる歴史的事例として、カルフーンは、一七八七年に西部公有地の統治に 関する立法として成立をみた「北西部領地条令」 (Northwest Ordinance) の奴隷制禁止規定 ( 第六条 ) 、北緯三六度三 〇分を奴隷制度の北限と定めた「ミズーリ協定」 ( 一八一一〇年 ) 、さらにはオレゴン全域からの奴隷制の排除を挙げ、 その結果、建国以後、合州国が領有した土地二三七万三、〇四六平方マイルのうち、その四分の三を北部が占有した とし、ここに「連邦政府内における両地域間の均衡崩壊の原因」があるとする。 第二の「不平等な歳入・採用制度」について、南部は輸出することによって中央政府の輸入品関税の調達を援けて おきながら、その税収は北部に不平等に流用され、さらには、北部産業資本の育成を直接目的として高関税策が採用

10. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

う、この限りでは近代の政治思想家と問題意識を共通にし、普選を制度的基礎とし政党を媒介として形成される政府 構成原理の「多数専制ーと少数抑圧の問題、支配政党の一元的権力掌握に内在する権力分立原理と司法権の独立性の もつイデオロギー的性格を看取し、ここから、利害を異にする集団間の否定的権力の発動による妥協導出の原理とし て「競合的多数制」を提示するのである。この限りでは、彼の近代民主制原理の実態的機能認識は極めて鋭いものと 言えよう。だが、今、社会構成上に占める階級的多数と国家の、あるいは政府の階級的性格との乖離や基軸的生産関 係に占める主導的階級の階級意志の民意抽出を媒介とした国家意志への転化のメキャニズムを問題としなければ、カ ルフーンの「競合的多数制」の原理は、少数者階級の権利の擁護という問題はあるにしろ、数的多数による国家意志 の形成という近代民主制の制度的基本原理への対抗理論であると言える。 合州国の成立史と連邦政体の深い理解のもとに、カルフーンの「競合的多数制ーの原理が、主要な生産関係と支配 的勢力を地域的に異にする連邦国家における合意導出の原理にまで広げられるとき、それは、憲法上の諸規定と結び つけられて、不可分の主権を有する諸州の「無効宣言」の理論となり、州の権利日州権擁護の理論として発現し、各 地に割拠する主導的勢力の妥協導出の原理となって理論化されてくるのである。この点でも国家の政策形成およびそ の執行と地方利益の擁護という緊張関係に関する彼の鋭い指摘は認めざるをえないが、それが、南部奴隷制の弁護、 少数化しつつはあるが、なお南部では支配的な奴隷主階級の階級的利益の擁護という彼の理論の現実的意図にまで結 びつけて考えてみるとき、その歴史的性格は自ずと明らかであろう。結局、歴史的にみて、建国期の主導的勢力の全 国的および連邦権力内における階級的配置状況とその反映としてのイデオロギー的制約性とが、後に、南部の、ひい ては連邦分裂の危機状況下において、カルフーンという人物をとおして、近代民主制の理論的・制度的諸問題をも突 かれるなかで、その諸矛盾を顕現させたのである。 190