その支配権を掌握することは〔人間の〕欲求の対象であると思えるからだ」と述べ、「いかなる観点からみても、出 版は、それだけでは投票権と同様に権力の乱用を防ぐことはできないーと断ずるのである。それは、カルフーンが出 版の政治的機能を鋭くも次のように捉えていたことによるものである。 「もし、いわゆる世論が、常に、全共同体の意見であるとするなら、出版は、共同体の機関として、権力の乱用を効 : しかし、このようなことはありえない。それどころ 果的に防ぎ、競合的多数制の必要性を無用にするであろう。 か、いわゆる世論は、全共同体の一致した意見なのではなく、通常最強の利益層、あるいは利益層の結合体の意見ま : ・世論は、政府とその政策との関連では、共同体の諸利益層と全く同じように分裂し、多様で たは声にすぎない。 ある。従って、出版は全体の機関なのではなく、これらの多様で多彩な利益層それそれの機関にすぎない。あるいは むしろ、これらの利益層から成立する諸党派のそれにすぎない。出版は、これらの党派によって世論を支配するため の、また、その特殊利益を促進し、政党争いを遂行する助けとなるように世論を形作るための手段として使われる。 数的多数制の政府においては、政党の機関や道具としての出版は、選挙権自体と同様に、権力の乱用と圧制への傾向 を阻止するものでありえないし、また、選挙権と同様、競合的多数制を無用にするものでもありえない」。 「競合的多数制」は、たとえ理論的には可能であるとしても、それを現実に適用することは困難ではあるまいかとい う当然予想されると思われる反論に対し、カルフーンは、「人間の創意がいままで考案した最も確実で、最も賢明且 っ最善のもの」として陪審裁判制度を一つの例として提示し、さらには、政府の不可避性とアナキーの恐怖をもって 利益層間の妥協導出の必然性を指摘する。また、その歴史的先例としては、二元的執行機関を有したスパルタの統治 構、モホーク (Mohawks) 、オナイダ ( On 。一 d ) 、カイユース (Cayugas) 、セネカ (Senecas) 、オナンダガ (Onanda ・ gas) 、タスカローラ (Tuscororas) の六部族から構成され、部族代表者全員の一致を原則としたイロクオイ族の連合 124
の横の、いわば水平的対立関係とみて、支配的階級あるいはその諸分派から構成された権力プロックと従属的諸階級、 諸勢力との縦の、いわば垂直的対立関係、支配・被支配の階級的編成関係にもあるということを見落しているのでは あるまいかということ、つまり、縦横の対立的編成関係にある立体的階級関係を横断的・水平的対立関係として把握 しているのではあるまいかということである。また、彼は利害諸集団相互の妥協と同意導出の理論として「競合的多 数制ーの採用を強調するが、それは、相対的に異質の再生産構造を持ち、相互に異質の支配的階級の連衡としてのユ ニオンの権力関係においては、理論的に立論可能であるとしても、州のレベル、しかも最も南部的南部と呼ばれたサ ウス・カロライナという地域レベルにおいてこの人工的メキャニズムは機能可能か否かという問題もあろう。この疑 問を解く鍵をカルフーン自身が与えてくれている。すなわち、彼は、かって奴隷制撤廃論者に反論し、また北部のプ ルジョアジーに警告を発する意味をこめて、「現在南部諸州の〔奴隷〕制度に向けられている攻撃は、非常に容易に 北部人の財産と安全とを維持している諸制度にも向けられるであろう。南部の〔奴隷〕制度に反対するために用いら れている議論は、ごくわずかの修正を加えれば、銀行業を含む北部の諸制度の攻撃にも同じように効果的でありうる アパラティ・フズ だろう」と、また、「わが南部〔プランター〕が一掃されてしまった後、対立は資本家と労働者達との間に生じ、社 ( 菊 ) 会を究極的にこの二つの階級に分裂させることになるにちがいない」とも語っている。カルフーンのこの言辞からも うかがえるように、彼の階級諸関係の構造と歴史認識には非常に鋭いものを認めないわけにはゆかない。彼が、実は このような階級関係の構造と歴史認識を持っていたがゆえにこそ、逆に、その理論が諸階級による水平的妥協導出と 統一の理論として発現するのである。つまり、カルフーンの理論は、アメリカ社会がユニオンのレベルでは相互に異 質の、セクションのレベルでは相対的に同質の再生産構造と階級構造を持った連邦共和国であるという認識を基軸と して、諸州に割拠する支配的諸階級相互の、あるいは諸州を横断する同質的セクションに支配的階級と別のセクショ 126
の精神によって正当化されえず、憲法が基礎としている全原則に矛盾するものであって、憲法形成の偉大な目的を破 壊するものであると考えるーと述べる。さらに、サウス・カロライナは不平等な課税を徴収せんとする関税法は憲法 に違反すると主張するが、「立憲権力下で制定された法に同意を与えた人々の意図が非立憲的であるからその法を無 効にすることができるという主張を認めることほど危険なことは他こよ、 よぜよら、一体その目的はいかにして確 認されるのか。だれが一体精査できようか」と反論し、「この理論を認めるなら、州に無制限の決定権を与え、総て の法はこの口実のもとに無効にされうることになる」と危惧を表明している。かくして、「ユニオンは契約によって 形成されたがゆえに、その当事者は侵害されたと感じた時はユニオンから離脱できると主張するが、ユニオンはまさ に契約であるがゆえにこそそれはできない。契約とは協定あるいは拘東的義務である」とし、「彼らの目的は分裂で ( 四 ) ある。 : : : 武力による分裂は反逆である」と断じた。かっては州権論に同調的であった大統領ジャクソンが、統合の 理論として援用した理論は、契約論の公約・規範的側面を強調し、多数支配の原理を強制の正統的・規範的原理とす るのであった。 大統領ジャクソンの「サウス・カロライナ人民〈の布告」に対し、同年一二月二〇日、サウス・カロライナ州議会 はその対抗決議として一〇ケ条の「サウス・カロライナ反対決議ー (ResoIution 象 south carolina on Jackson's Nullifi ・ cation Proclamation) を発した。ここにその主要部分を引用しておこう。 決議憲法および法律によって賦与された大統領の宣言発布権は、彼が適切と判断する場合にはいつでも、各州の問題に関与 できるという形態において認められているものではない。 決議州の憲法上の権威を無視し、宣言によってその立法を撤回するよう命ずることは合州国大統領の権限たらず、かくせん とする大統領の今度の試みは憲法に違反し、明らかに自由を根底から破壊するような権力を僣称、行使せんとする方向を明示す
カントリー かくして、『解明』は、「もし阻止されないと、その結果、必ずや公徳心を腐敗せしめ、この国の自由を破壊する ような専断の昻進を防止するため、異議を介入させることは州自身のみならず連邦と現在および将来の世代に対し、 ( れ ) さらには世界の自由の大義に対する神聖な義務である」と結んでいる。つまり、カルフーンの異議介入権の理論の特徴 は、・デービス (Warren Davis) 、・ク ーパー (Thomas Cooper) 、・マクダフィ (Geo 「 ge McDuffe) の連邦分裂を も辞さない理論として展開されるというよりは、連邦の分裂を回避するための保守の理論として主張される点にある。 八二八年の関税法の成立を契機としてカルフーンによって起草された「解明 [ は、プレストンの主宰する委員会 において一部変更されたうえで、一 八一一八年一一月に開かれたサウス・カロライナ州議会に上提された。しかし、こ れは採択されるところとはならず、また、この会期において、翌年に特別会議を開き新関税法に対して無効宣言を発 ( 犯 ) 動すべきだとする・ ーバー等の意見も開陳されたが、この段階ではそこまでは進まなかった。だが、サウス・カロ ライナ州議会は「解明」五、〇〇〇部の印刷、流布に合意し、さらには、カルフーン起草の八項目からなる抗議理由 書を採択し散会している。それは、一 八ニ八年関税法が議会に委託された権限領域を越え、南部農業の犠牲のうえに 工業を育成しようとする法律であるがゆえに、「違憲で、抑圧的且っ不正なものである」と宣一言するものであった。す なわち、一一八年関税法は、合州国憲法の委任権限主義 (Doctrine of Delegated Powers) および委任された権限を明示 した列挙主義 (Doctrine of Enumerated Powers) の原則を侵し、隹木権政府 (Consolidated Government) に導くような 「権力の乱用」であるとされたのである。 八二八年関税法の反論として書かれた「サウス・カロライナ解明と抗議」の執筆は、カルフーンの一つの転換点 であったと言えよう。カルフーンのこの転換をめぐって様々な史的検討が加えられ、「ナショナリストからセクショ ナリストへの転向」とか「日和見主義者」と呼称されたりもしているが、ここでは・ヴィルツェの次の指摘を引用
1 三ロ ム目 八六一ー六五年 ) に連なる激動の移行期であった。すなわち、建国期にはまだ潜在的であった南北に割拠する支配 的諸勢力相互の対立は顕在化し、連邦権力内における主導的地位の保持をめぐって、両者は従属的諸階級、諸勢力と 対立や同盟を繰返しながら分裂の状況をむかえるのである。この危機的状況の中にカルフーンはいたのである。 カルフーンは以上のような状況の中に身を置き、その議会内外の諸活動と政治学的・哲学的考察の理論的総括とも ( 4 ) いうべき『政治論』 (A ~ 、旁ミをミ G 。ミこミき 4 一 85D と『合州国憲法および政府論』 D ミミを、 ~ 0 、 ~ ・ 、ミ ~ を G 。ミミミ、、 ~ U 、 ~ ~ 、ミ S き 0 一 85 一 ) の二つの論稿を残した。前者は彼の政治についての基礎理論を展 開したものであり、後者は主としてアメリカ合州国という連邦国家の政体論と憲法論について詳述したものである。 この一一つの論稿において系統的に展開された「競合的多数制」 (Concurrent' 日 Concurring Majority) の理論は、カレ デルーラリズム フーン研究で有名な O ・・ヴィルツェ (Charles M. Wiltse) によって「一種の多元論」、「圧力集団的アプローチの マス・ソサイアティ ( 5 ) 否定的変種」とも評されているように、政治理論史的にみても、二〇世紀初頭の、いわゆる「大衆社会」あるいは 「大衆国家」と呼ばれるアメリカ社会の構造的変貌とのかかわりの中で成立してくる集団理論分析や均衡理論にも多 大の影響を与えたと想定するも困難ではあるまい。また、カルフーンが、アンティ・べラム (ante ・ bellum) 南部を代 表する最大のイデオローグであっただけでなく連邦レベルにおいても指導的政治家として活躍したことを想えば、そ ンの理論の志向するところが、結局は、危機状況にある南部奴隷制寡頭権力の死守の理論であったとしても、それが深 フい哲学的・政治学的素養と合州国憲法の咀嚼のうえに構築されたものであるだけに、連邦国家の政体論とその危機状 カ況における理論的発現形態を理解するうえでも重要であろう。 章 一一本章で主として扱う『政治論』の執筆にカルフーンがとりかかったのは、一八四三年の夏か初秋の頃であったろう とされている。しかし、その年暮に始まる大統領選挙の準備の思惑と翌年の国務長官への就任、さらにはその後の上 マス・ステ 107
ビュラー・ガヴァメソト する「民主政治」の理念と矛盾するものであると断じている。カルフーンの主張する「競合的多数制」とは、支配 集団が掌握した国家権力の機能的・制度的分割と相互の抑制的均衡論なのではなく、利害諸集団の意志が政府の権力 機構内に反映されるだけでなく、これら政府部門間の競合的合意によって国家の意志を形成するという民意徴集の、 あるいは国家意志形成の方法について述べているのである。従って、カルフーンの「競合的多数制」は単なる権力の 三権への機能的分割論や中央・地方への地理的分割論ではなく、数的多数制によって個別利害内の意志徴集をはかる だけでなく、徴集された個別意志相互間の合意を導出せしめる制度を基本的政体とし、これを「基本法ー内に含まし めることを主張しているのである。このかぎりでは、彼の主張する「競合的多数制」とは、経済的要素を基底とした 権力の一種の職能的分割と相互の合意の理論であり、少数利益と多数利益の妥協導出の理論であると言えよう。従っ て、そこでは個の意志が公的意志導出の基本単位とされるのではなく、利害集団の意志が基本単位とされるがゆえ に、公的意志形成における少数利益の意志は相対的に浮上する。例えば、彼は次のように述べている。 「政府を別個の、互いに独立した諸部門に分割してみても、それは〔政府を無限の権力を具えたものに変えるという〕 この結果を阻止するものではなかろう。このような分割は政府の機能を促進し、その行政により多くの注意と熟慮を 確保するのに大いに役立つかもしれない。しかし、〔この場合といえども〕各部門や全部門ーーーそして、勿論、政府 全体ーーが数的多数派の支配下にあるので、政府の権限を代理機関ないし代表に単に配分してみても、政府の権力の 乱用と圧制への傾向を抑えるに殆ど、ないしは全く役立たないであろうということは、議論の余地がないほど明白な ことである。政府の権力の乱用と圧制を阻止するためには、さらに一歩進んで〔政府の〕諸部門を社会の異なった利 益層ないし部分の機関とし、各々に他に対する否定権を与えることが必要であろう」と。 カルフーンが、「競合的多数制」という用語を初めて使ったのは、折から「無効宣言」論争がユニオンを沸返らせ 118
う、この限りでは近代の政治思想家と問題意識を共通にし、普選を制度的基礎とし政党を媒介として形成される政府 構成原理の「多数専制ーと少数抑圧の問題、支配政党の一元的権力掌握に内在する権力分立原理と司法権の独立性の もつイデオロギー的性格を看取し、ここから、利害を異にする集団間の否定的権力の発動による妥協導出の原理とし て「競合的多数制」を提示するのである。この限りでは、彼の近代民主制原理の実態的機能認識は極めて鋭いものと 言えよう。だが、今、社会構成上に占める階級的多数と国家の、あるいは政府の階級的性格との乖離や基軸的生産関 係に占める主導的階級の階級意志の民意抽出を媒介とした国家意志への転化のメキャニズムを問題としなければ、カ ルフーンの「競合的多数制」の原理は、少数者階級の権利の擁護という問題はあるにしろ、数的多数による国家意志 の形成という近代民主制の制度的基本原理への対抗理論であると言える。 合州国の成立史と連邦政体の深い理解のもとに、カルフーンの「競合的多数制ーの原理が、主要な生産関係と支配 的勢力を地域的に異にする連邦国家における合意導出の原理にまで広げられるとき、それは、憲法上の諸規定と結び つけられて、不可分の主権を有する諸州の「無効宣言」の理論となり、州の権利日州権擁護の理論として発現し、各 地に割拠する主導的勢力の妥協導出の原理となって理論化されてくるのである。この点でも国家の政策形成およびそ の執行と地方利益の擁護という緊張関係に関する彼の鋭い指摘は認めざるをえないが、それが、南部奴隷制の弁護、 少数化しつつはあるが、なお南部では支配的な奴隷主階級の階級的利益の擁護という彼の理論の現実的意図にまで結 びつけて考えてみるとき、その歴史的性格は自ずと明らかであろう。結局、歴史的にみて、建国期の主導的勢力の全 国的および連邦権力内における階級的配置状況とその反映としてのイデオロギー的制約性とが、後に、南部の、ひい ては連邦分裂の危機状況下において、カルフーンという人物をとおして、近代民主制の理論的・制度的諸問題をも突 かれるなかで、その諸矛盾を顕現させたのである。 190
院議員としての活動等の多忙な生活がその脱稿を遅らしめ、完成をみたのは、死を目前にした一八四九年六月のこと であった。だが、彼はその公刊を生きてみることなく、翌五〇年三月、享年六八歳で死亡したのである。 いかなる思想や理論といえども、それは、客観的には、特定の歴史的社会の反映であり、また同時に、主体的には 先行する諸思想や理論の継承と鋳直しの過程を通して形成されるという、二重の意味で歴史的産物に他ならず、存在 被拘束性を免れるものではない。前章において、カルフーンがどのような歴史的状況の中からその政治論を構築し、 また逆に、その理論をどのような政況の中で機能させようとしたかを概観した。ついで本章においては、カルフーン の四十余年にわたる政治家としての実践的営為と政治学的・哲学的思索の集大成として書かれた『政治論』を中心と しながら、彼の政治論の骨格をあとづけ、そこに内在する理論的諸問題について検討することにする。 ( 1 ) ・ホーフスタッター、田口・泉訳『アメリカの政治的伝統—』、九四頁。 ーツ、有賀・松平訳『アメリカ自由主義の伝統』、一一三頁。 ( 3 ) Vernon Louis Parrington, 、 C ミ・、 ~ ) 、、ミ c ミ一 Though 、 , vol. =. や 6 一 927. ( 4 ) Government という訳語にその機能的・動態的側面を注視して「政治」あるいは「統治」と訳すべきか、それとも機構的・静態的側面から 「政府」と訳すべきかについては問題はあるが、彼の別の論稿『合州国憲法および政府論』と区別し、ここでは「政治」という訳語をあてて おく。なお、既に筆者が訳出した本書の表題は『政治論』 ( 未来社社会科学ゼミナール ) としておいた。 ( 5 ) CharIes M. WiItse, 、 0 C. C 0 . ・ Sectionalist ( 7840 廴 85e , 195L pp. 425 ー 426. 二政府論 ヴィルツェ (Charles M. Wiltse) は、カルフーンが独立革命以来のアメリカ憲政史に詳しかっただけでなく、プラ トンやアリストテレス、マキャヴェリからホッ・フズ、ロックに至るまで、彼に先行する理論家達の学説に通じ、ギリ 108
「事実、権力を分割しながら、各々に配分された部分に関する排他的決定権を当事者の一方の側に与えるなら、そ れは、事実上、権力を全く分割しないに等しい。このような排他的権利を ( どの部門によって行使されるにしろ ) 中 央政府に留保することは、事実上、中央政府を無制限の権限をそなえた巨大な集権政府に変え、諸州から、事実上、 その権利の一切を奪いとることになる。 : : : 諸州が自らの権限について決定する権利を有するということは、州の主 権から明確に確定されるところであるが、これはまた、中央政府の活動や権威の係争点について、その範囲内で拒否 権あるいは規制権の行使を含むことは同様に明白なところである。そしてこの規制権こそが、州に留保された権利に 対する中央政府の侵害を防ぐために憲法が定めた救済策なのであり、これによって中央政府と州政府間の権力配分は 憲法によって確定された基盤の上に不可侵のものとして永久に維持されるのである。このような効果的保護策こそが 多数派の圧制から少数派を守るためにに与えられているものなのである」。 以上のように、カルフーンは、連邦国家の権力を中央政府に委託された権力と州に留保された権力とに分けるので 景 あるが、主権は州に帰属し、主権的意志の発動として中央政府の越権行為の規制権を位置づける。 史カルフーンの以上のような連邦権力の州政府と連邦中央政府への地理的分割論は、彼自身が「解明」の中でも指摘 論しているように、既に、『フェデラリスト』の中で論じられており、また、。 ーこよる拒否権あるいは規制権の理論的 ムロ ン先例としては、既に指摘したように、「外人法および治安取締法に反対してジェフアソンによって起草された「ケ フンタッキー決議ーやマデイソンの「 バージニア決議」にもみられるところであったが、カルフーンはこれらの中で展 力開された憲法論、民主主義の原理的プロテストの理論を継承しながら、主権を州に帰属せしめ、その被創造物として 一の中央政府の権限逸脱行為に対する規制権、拒否権として州の異議介入権の理論を引出し、さらには、ジェフアソン 第 やマデイソンにおいては、必ずしも明確に、あるいは系統的に展開されなかったこれらの理論を整理し、次にみるよ
て南部と東北部の支配的・主導的諸勢力間の妥協的均衡をはかりながら、相互補完的階級支配を制度的に確立した。 合州国憲法は、基本的には、相対的に最も進んだ成文憲法であったとはいえ、「抑制と均衡」、「権力分立」を理論 的中心とすゑいわゆる「マデイソンのモデルーを基軸として、人民大衆の政治的抬頭を抑制し支配的諸階級相互の 政治的妥協をはかるべく、政治上の諸権限を複雑に分割し、相互に排他的機能を持たせた。権力分立論は、国家権力 の専制的・恣意的発動による権利侵害を防止せんとするかぎりにおいては積極的意味を持ってはいるが、同時に、歴 史的にみて、人民大衆の政治的進出を制度的に抑制せんとする意図も介在させていたということを免れるものではな かった。例 歹えば、議会の二院構成によって人民の意志を分割し、上院を「財産権の保塁ーたらしめ、間接選挙を媒介 とすることによって人民の意志の行政権への直接的反映を阻止し、さらには、大統領に対し全法案に対する拒否権を 与え、これをのり越えるには上下両院の三分の二以上の多数を必要とするものとした。他に、裁判所の独立性と裁判 官身分の終身保障、違憲立法審査権 (Judicia1 Review) の制度も挙げられるであろうし、また、上院議員の選出方法 は、初期の段階においては、財産資格を基礎に構成された州議会によって選出されていたのである。 コモン・グッド ファウンディング・フアザーズ 「建国の父祖達」は、ロックやモンテ、キューの静態的政治論を基礎とした勢力均衡の中にこそ「共通善」が実現 されるという一種のオプテイミズムをもって連邦国家構成の理論とした。すなわち、王権と貴族と新興の・フルジョア ジーとが支配権をめぐって戦っていた資本主義開花期のイデオロギーがアメリカに移植されて諸矛盾を解消するため の論理として機能せしめられたのである。 「抑制と均衡ー論が支配的な政治論として理論化されてくる過程は、一般に、小農民や都市職人層をバックとしたプ この理論は、相互 ルジョアジーの政治的抬頭と既存の封建諸勢力の譲歩と駆逐の過程を背景としているが、同時に、 に敵対的な諸階級間の対立を緩和、抑制しあいながら、実質的には、その中の主導的支配階級の階級支配を国家権力