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検索対象: アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論
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1. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

the Confederated States America) を採択し、ミシシッビー 廾の、デービス (Jefferson Davis, 1808 ー 1889 ) を連合 、バージニア ( 四月一七日 ) 、アーカンソー ( 五月六日 ) 、テネシ 国大統領に選出した。さらに、これら七州に加えて ( 五月七日 ) 、ノース・カロライナ ( 五月二〇日 ) の南部諸州が「アメリカ連合」に加入し、連邦離脱州は一一川 にのぼった。 「避けられない衝突」が一八六一年四月一二日、チャールストン港のサムター要塞をめぐって勃発し、ここに、 八六五年四月九日、リー (Robert E ・ Lee, 1807 ー 1870 ) 将軍の降伏で終る内戦が、南部一一州九〇〇万人対北部二三州 二、二〇〇万人の間で南北を二分して戦われることになるのである。 南部一一州の連邦離脱と「アメリカ連合」の形成は、連邦の分裂を意味するものであっただけでなく、リンカーン 当選によって連邦権力から追われた三〇万奴隷所有者の反革命的全国制覇の目論みでもあった。当時イギリスにあっ てこの帰趨を注意深く見守っていたマルクスは、簡明にも、「南部連合の戦争は、ことばの真の意味において、奴隷 ( 町 ) 制の拡大と永遠化のための侵略戦争であることは明らかであるーと指摘している。 ( 1 ) H. Aptheker, きレ the fI 、 0 、 0 ト the ミミ、ミ、 N ・、、 & p. 73. ( 2 ) ミ .. p. 11. ( 3 ) H. Aptheker, メミミ・き Negro S ドミさ ~ 、 pp. 282 ー 292. なお、 Eugene D. Genovese のこの書に対する批判と黒人解放運動の 歴史的位置づけをめぐる H. Aptheker との論争、および C. Vann W00dward, Frank Kofsky のコメントについては、 S 、 ~ ミ s 0 the トミ 4 vol. 6 , NO. 6, 1966. 参照。 一八三〇年から一八六〇年までの間に、南部から北部に成功裡に逃亡しえた奴隷の数は、少なく見積っても六万人に達するといわれる。そ の他一部はバ 1 ジニアのディズマル・スワン。フのように山間や沼地にマル 1 ンの集団部落を形成する場合も多かったとされている。 ( 4 ) タ 1 ナ 1 の反乱については、 Henry lrving Tragle, The So ミ h ミ、 ~ ト、 0 S ミミ、、、 83A ゝ Co ミこ、 ~ ;o 洋 o. 、・ Source 、ミミ・、守 clz ミ哥 the FulI Text 。、・ the Co 、、 . sio 0 ト N ミ T に、代 ) 1971. に詳しい。

2. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

ment 0 ( the United States) 、「ユ一一オンの中央政府」 (gene 「 al gove 「 nment the Union) 、「合州国政府」 (gove 「 n ・ ment 象 the United S ( a ( e 。 ) というように、中央政府の呼称に関し異なった表現を使っているが、これらは総て同一の 政府を指し、「ナショナルな政府ではなくフェデラルな政府」を指していたことは大略認められるところである。ま た、一七八一年の「連合規約」 (Articles 望 Confederation and PerpetuaI Union) の第一条は「本連合の名称は。アメリ カ合州国。とする」とし、これに先だって採択された「独立宣一言」 ( 一七七六年 ) は「一三のアメリカ連合諸州の全 員一致の宀旦一一一一口」 (The Unanimous Declaration 象 the Thirteen United States 0 ( America) とされたところからみても、 「合州国ー (United states) という呼称は、独立戦争当時の大陸会議以来、諸州が自らの連合体をアイデンティファイす る際の「洗礼名」 (baptismal name) であったと言えよう。だが問題は、以上の文献学的考証から、カルフーンが「こ れら諸州間の政治的関係は、現行憲法と政府下においても、連合および革命政府下におけると実質的に同一である」 ファウンデーション ノーストラクチャー とし、「現憲法によって起った変化は、土台におけるものではなく、体制の上部構造におけるものにすぎない」 と推断し、ここから次のように述べていることである。 「ゆえに、同一の名称を保持しているところからみて、彼ら〔制憲会議議員ー訳者〕は、『合州国』 (United States) と 邦いう表現に、それが以前に保持していたものと実質的に同一の意味を与えようとしたこと、また、勿論、現在の政 府を『これら諸州の連邦政府』 (federal government of these States) と呼ぶに際し、『フェデラル』という言葉によ フって諸州が同一の関係にあることを示し、そのユニオンは実質的変化を蒙ることなく、連合および革命政府と同一の コンフェダレイテド フェデラル 力基礎に依拠しているものであること、そして、連邦諸州と連合した諸州は同一のことを含意していたということ、以 ( 7 ) 章 ニ上のことは正当にも推断されるところである」。 ユナイテド・スティッ 以上の引用に明らかなように、カルフーンは、「合州国という呼称の「独立宣言」以来の連続性をもって、独 ( 6 ) 157

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( 6 ) H. Aptheker, The N ミ 0f し e ミ 02 ミ 2 F 、・戔 0 ミえ一 0 ~ ~ 、、ド P. 20. ( 7 ) 南北戦争に至る時代の基本的経済変動の波は次のように繰返されたとされる。一八〇〇ー一八〇七年 ( 繁栄期 ) 、 0 八ー〇九年 ( 不況期 ) 、 ー一八年 ( 不況期 ) 、一九年恐慌、二〇ー二一年 ( 小不況期 ) 、一三ー二四 一〇ー一四年 ( 段階的回復と一四年のプ 1 ム ) 、一五年恐慌、一六 年 ( 繁栄期 ) 、一一五ー一一六年 ( 後退期 ) 、一一七ー三六年 ( 上昇的繁栄期 ) 、三七年恐慌、三七ー四三年 ( 全般的不況期 ) 、四四ー四八年 ( 小繁栄 期 ) 、四九ー五六年 ( 大繁栄期 ) 、五七年恐慌、五八年不況、五九ー六〇年 ( 回復と繁栄期 ) (Douglas F. Dowd' ド Tw ミ & D 、、ミミ . ・ Ca 、 ~ ミ新 st Dev ミ 0 、ミミ ~ 、き the U ミ・ S 、 Since 、 7 、 6 , PP. 84 ー 85 ) 。 ( 8 ) Charles E. Merriam, I-I 、ミ 0 、・ゝミミ・、 0 新、ミ The ミ・を PP. 302 ー 304. 三三、三五の各頁より引用。 ( 9 ) ・ゴ 1 ルドウォ 1 タ 1 、渡辺善一郎訳『保守主義の本領』、二五、三二ー ( 川 ) Text of the American lndependent party platform' まミ Re 、ミド Oct. 25 , 一 968 , P. 2962. 194

4. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

( 四 ) Calhoun, TJ ミミ・ k 具率 0 8 14 -0 イ / 0- ゥー 1 人 8 , 〈 0 0- -4 ー 00 ・ 4 ・ 0 ) 0- 0- 4 4 丿マ vol. II, や 630. 面拡 ロ平 ( ) こ pp. 631 ー 632. 表員 ) 0 - -0 ワ朝つひ -4 っ 0 ワ -4 ・ 0- 41 ー戸 0 00 CO -4- -4 ・ ( 引 ) ・ホーフスタッター 大 LO 0- 。り . く 0 へ小 7 拡 【 0 っ 0 & ・ 8 ' 亠の・か 『アメリカの政治的伝統—』 ド 9 1 6 で域を・た 1 の方 の地ン・ 一一四ー一一五頁。 、もの。ヒ こ 5 る他リ ( ) Calhoun, T/ ミ、ミ、 - よのイ ナダスン領ンカイ ンコムア帯島島領他 にそフ 4 く 01. II, p. 631. 域 た・ コ 計計約 サゴ デス 域 合 地諸諸治 条ルし 0 . ( ) ミ : pp. 632 。 633. ワ ジ シ のイ立〃 ンカ統の 地リル 地 ロキレ キズラ 、 5 とマ独 。 o ( ) Calhoun. The 一まミ・ k 表 総ン方に : u 地成ルフテオメガア イ平。年 0 他フプグサ連コ。 ( 信そ vol. III, pp. 140 ー 141. の 0 CO 10 8 00 ー《 0 8 0 4 4 ーワー ~ 刊る ~ ( 肪 ) 合州国の成立とその憲法 0- 0- -11 11 ・ 4 ・ 9 で & 年・月 0 ー 8 8 8 8 8 8 00 8 一一 ・ー人 1 ・一 1 ・ -1 、 1 、 1 1 人、 1 の性格規定をめぐる最近の 論稿としては次のものがあげられよう。 Margit Mayer and Margaret A. Fay, "The Formation of the American Nation ・ state,' ・ in K 、、、 NO. 6 , FaII, 】 977. H. Aptheker, r ~ Years 、 the e 、ミ ~ ・ c. ・ From 6 、 ~ d of the Revo ~ 、、 ~ 、 0 、、ミ F, ~ ・こ、 d ミ is 、ミ、 ~ 'o of ま廴 ~ ミ 0 、 ~ ( 、 783 ー 7793Y 1976. ( ) CaIhoun, op. 、こ vol. ミ . pp. 296 ー 297. 同様の指摘は。 ( 1 ジニアの上院議員のジョン・テイラー (John Tay10r, 一 753 ー一 824 ) の一八 一一一年の議会陳述にもみられる (). T. Carpenter, op. ~ 、こ p. 40 ) 。 ( ) 右図第 1 表のとおり。 ( ) 憲法第一一条二節二項参照。 ( ) John L. O'SuIIivan ( 一 8 一 3 ー一 895 ) のゝ、 ~ ミトミ ~ 、 ~ ( 7845 ) で使われ有名になった言葉である。 ( ) CaIhoun, The まミト vol. III, pp. 462 ー 463. ( れ ) CaIhoun, ミこ vol. ミ . pp. 239 ー 254. ( 貶 ) メキシコ政府と交わされた条約文の全文については、 T 、ミミ vol. V, 名 . 322 ー 327. 参照。 ( 昭 ) Eugene H. Roseboom, ゝ Short History 0 、 Pr ミミ ~ 、ミ ~ 、、、夛 pp. 55 ー 60. 888 , 685 827 , 192 ( 1 ) 72 , 003 390 , 143 285 , 580 529 , 017 29 , 640 586 , 412 6 , 450 3 , 615 , 122 小 一三員 小 100

5. アメリカ南部危機の政治論―J.C.カルフーンの理論

組織しこの地方への移住を促進した。その結果、自由地派のト。へカ政府と奴隷制派のレプンワス政府がカンザスに並 立組織され、それぞれが「ト。へカ自由憲法」 (Topeka Constitution) と「レコンプトン憲法」 (Lecompton Constitution) を採択し連邦に加入申請を求めるに至り、ここに、「流血のカンザスー (Bleeding Kansas) と呼ばれる内乱状況が起 ったのである。カンザスが自由州として連邦へ加入するのは、奴隷州の連邦離脱が事実となった後の一八六一年一月 二九日のことである。 一八五六年の大統領選挙に際し、「パ ース・ファインダーの名称で親しまれていた探険家のフレモント (John Charles Frémont, 18 一 3 ー 1890 ) を擁して敗れた共和党は、六〇年の大統領選挙にあたり、イリノイの・リンカーン (Abraham Lincoln, 1809 ー 1865 ) を指名した。他方、民主党は、六〇年四月、チャールストンで党全国大会を開いたが、占拠人主 権説をめぐって分裂し、・・ダグラスと・ O ・プレッケンリッジ (J0hn Cabell Breckinridge, 1821 ー 1875 ) の二名 を立てざるをえない状態に陥った。ダグラスは南部民主党員、プレッケンリッジは北部民主党員によってそれそれ推 景され、両者は共に全民主党の候補者であると主張した。その結果、リンカーンが選挙人票の圧倒的多数を占めて第一 史六代大統領に当選したのである。 の 論リンカーンの当選の確定をみるや、サウス・カロライナ州議会は、同年一二月二〇日、特別会議を開き、「サウス ムロ ・カロライナの連邦離脱法ーを満場一致で採択し、さらには、「脱退の原因の宣言」 (Declaration of the lmmediate フ Causes Which lnduce and Justify the Secession 望 South Carolina from the FederaI Union) を採択し、連邦離脱の正当 力性、合憲性を主張するに至った。その後、一八、 六一年一月九日から同年二月一日までの間に、フロリダ、ジョージ 章 ミシシッビ ー、ルイジアナ、テキサスの六州が相ついで連邦を離脱した。そして、これら七州の代表 第 は、六一年二月六日、アラバマ州モントゴメリに参集し、三月一一日、「アメリカ連合国憲法」 (The Constitutionof

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アグレリアリズム ( ) ジェフアソンの農本主義については、さしあたり、富田虎男「ジェフアソンと農本主義」『講座アメリカの文化 3 』参照。 ( 四 ) カルフーンに先行する他の、いわゆる州権論者としてくくられている人々として次の人達とその著作が挙げられるのが通例である。 John 2 Taylor, ミミ、受 ~ ミ 0 、 7 ミ、・ミき ~ ミ ~ 、 0 ~ 0 ト、 7 ミ G ミミこ ~ ミミ ~ 、 Qf 、、ミ U ミ・ミ S 、 (Fredericksburg, 一 8 一 4 ) , CO 、 ~ 4 、ミ 0 ・ 、洋 Construed 、 ~ CO 洋ミ・、ミ ~ 、冫まに、 e (Richmond, 一 820Y 、它、ミミ U 、 ~ 、、ミ (Washington, 一 822 ) , ン「 0 V 2. ・ 0 、 the Co 、 ~ st ミ ~ io 、 ~ o- 、・ the U e S 、こ (Washington, 一 823Y St. George Tucker, よ、 W' 、 the ト aw 0 、・ V g き Member of 斗 6 FederaI U ミい appendix to BIackstone's Commentaries (Philadelphia, 1803 ) , William Rawle, View ミ・、、ミ Co sti 、新 0 洋 of the U 、、 e S 、 0.f ゝミミ、 4 (PhiIadelphia, 1825 ). 一一「解明と抗議」論 一般に、当時にあって南部と総称される地域は、メースン・ディキソン線 ( Mas 。 n and Dixon line) の南にひろがる ミシシッビ ー、ルイジアナ、アーカンソー、テ バージニア、南北両カロライナ、ジョージア、フロリダ、アラバマ、 テキサス、メリーランド、ケンタッキー ミズーリの諸州にデラウェアを加えた一五の州域を指し、その後 太平洋沿岸まで広がった諸州を加えて、今日にあっては、いわゆる「サザン・リム」、「サン・ベルト」と呼ばれ、農 事産業のみならず、軍事・宇宙・テクノロジー産業、石油産業の中心地となっている。 南部は南北戦争に至るまで、常にアメリカの黒人人口の九〇パーセント以上を集中させてきたが、その中でもサウ ス・カロライナは、全人口中に占める黒人人口の割合を一つの指標とするなら、南部一五州の中でも最も南部的な州 コトン・イズ・キング コトソ・キングダム であった。また、「綿は王様である」とか、「綿王国」と呼ばれたように、南部は奴隷の労働力を基礎とした綿花の対 英輸出に大きく依存した産業構造をもっていた。この点で、南部の産業構造は北部のそれと大きな質的差異を有し、 憲法制定会議の席においても、例えば、・バトラー (Pierce Butler) をして南北の利害は「ロシアとトルコの利害

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かれたが、五月二九日 : ハ 1 ジニア州知事・ランドルフ (Edmund Randolph, 一 753 ー一 8 一 3 ) によって提案された憲法案が「。ハ 1 ラージ・スティッ・・フラン ン」で、別名「大州案」とも呼はれているように、大州に有利な憲法案であった。その起案者は・マデイソンと・ウイルソン (James WiIson, 一 742 ー一 798 ) であったと言われている。これに対し、六月一九日、ニュ 1 ジャージ 1 州の代表・パターソン (William Paterson, スキール・スナイツ・・プラン 一 745 ー一 806 ) が提案した憲法案が「ニ = ージャ 1 ジー・。フラン」で、別名「小州案」とも呼ばれ、相対的にフ = デラルな性格の強い政 体が提議された。採択された憲法案は両者の妥協的性格のものであるということはっとに指摘されているところである。 ( 6 ) Calhoun, 0A3 、こ vol. I, PP. 1 一 4 ー 116. ( 7 ) ミこ pp. 116 ー 117. ( 8 ) 「諸植民地を一三の独立して主権ある諸州」に転換させたのは「独立 ~ 彗ロ」であり、「独立宣一一 = ロ」から「連合規約」を経て「合州国憲法、に 至るまで、「ユナイテッド・スティッ」という呼称が一貫して使われているがゆえに、諸州は依然として「自由な主権ある諸州」であるとする カルフーンの論拠は、次の「独立 ~ 彗こおよび「連合規約」の文一 = ロである。「独立宣言」の正式名称は、 "The unanimous Declaration of the thirteen United states of America" とされ、その宣一言文において、「これらの植民地は自由にして独立したスティッであり、また当然にそ うあるべきこと」 (these United C010nies are, and 0f right ought ( 0 be, free and independent States) と謳われている。また、「連合 規約」は、第一条において、 "The stile of this confederacy shall be 'The United states of America'" とされ、第二条においては「各ス ティッは、その主権、自由、独立、および本連合によって、明確に連合議会に委託されていない一切の権限、管轄権および権利を保有する」 (Each States retains 一 ( s sovereignty, freedom and independence 一 and every power, jurisdiction, and right, which is not, by this confederation, expressly delegated t0 the United States in Congress assembled) と規定されている。なお、「独立宀具一一口」原文にみられ るように、動詞は複数動詞 are を採り、補語は、当然のことながら複数の States を採っている。従って、この一句を字句どおり忠実にフォ ローすれば、カルフーンが解したように、 一三の植民地 (Colonies) が文字どおり各々個別に free and independent な存在であることを表 記したものであって、連合した一三の植民地が、一体として「自由にして独立のスティッ」であると宣一言したものではないという解釈が成り 立つ。また、一七七六年、・ハージニアの・リー (Richard Henry Lee, 一 732 ー 1794 ) が大陸会議に提示した「独立の決議」 (Res01ution for lndependence) はその第一決議において、「独立宀彗一口」の先の文言と全く同一の語句を含んでいることを付言しておく。 ( 9 ) 『高木八尺著作集』第一巻、一一九六頁。 ・プライス、名原訳『アメリカ国家論』上巻、三二頁。 ( 川 ) C) Calhoun, op. 、 .. を . 119 ー一 20. 憲法案は、紆余曲折に妥協を重ね、一七八七年九月一七日、制憲会議において採択され、ついで各州の批 准に付されるところとなった。まず、同年一二月七日、デラウェアが最初に批准し、その後、各州が次々とこれを批准するにいたり、一七八 168

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イナ州議会は、同年三月一一日、特別会議を開き、同年三月一四日、一方では「強制法」に対する無効を訴えながら も、一五五対四の大差で、関税法に対する無効宣言の取下げを決定し散会するのである。こうして、「二八年関税法」 の成立以来、連邦を震撼させた無効宣言論争は一応の結末を迎えた。しかし、関税問題をめぐる対立は、基本的には 経済的基盤を異にする南北の利害対立であり、それはまた、南部の奴隷制経済をめぐる対立であ 0 たがゆえに、大統 領ジャクソンが「次の口実は黒人、あるいは奴隷制問題であろう」と予測したごとく、南北の対立は、直接、南部の 奴隷制問題をめぐる論争とな 0 て顕現するのである。それは文字通り = = オンの存否にかかわる問題とな 0 てあらわ れざるをえない ( 1 ) Chauncy Samuel Bouche 7S0 「 ~ 、、トミ、 c 。、 ~ 、きミ、、 so ミ h Ca き新、 ~ 一 0 】 0 , 「 0 一芻 ue 一 00 pp. 一も . ( 2 ) 例えば、一八二八年一〇月一 = 日、カルフ 1 ンの生地アヴ = ヴィルで開かれた反対集会には約五、〇〇〇人が参集したといわれる。 ( 3 ) Cong. Deb., 一 0 0, 0 0 0 = 0 ( 00 in F 「 000 ュ 0 Banc 「 0 洋 , ca 、 ho ~ ミミ ~ 、 he so ミ h ミ・ 0 、 ~ ) ミン「 ~ 、、、きミ 0 A70 ミミ 0 、ド一 0 ~ reissued, 196P pp. 67 ー 69. 景 ( 4 ) 『原典アメリカ史』第三巻、四二六ー四三〇頁。憲法は契約ではなく国家最高法規であるというウ = プスターの主張に対し、カルフーンは、 黼 「契約は国家最高法規ではありえないのか。私は逆に尋ねたい。条約は契約ではないのか。また条約は〔憲法第六条により〕憲法と同様に国 史 の 家最高法規であると宣一言されているではないか」と反論している ccalhoun, The 。 3 vol. II, 「 . 、 ) 。また、憲法を契約とする論理 1 三ロ ムロ の歴史的先例については、 Cha 「 les M. W ミ 00 op. 、こ vol. 11, p. 423. 参照のこと。 政 ( 5 ) 「イ 1 トン・ラリア」 (Eaton Ma1aria) とも呼ばれ、ジ〉クソンの親友で陸軍省長官を務める・イ 1 トン 0 。 = 。 H. Eaton) とその夫人 オ = ール (O'Neale) の結婚前のスキャンダルをカルフーン夫人が暴露したことに始まると言われる事件。 フ レ ( 6 ) ジャクソンが、「われわれの死守しなければならないわが連邦のために」 ( 「 Fede 「 al Union 洋 must be preserved ) と乾盃の辞 カ を述べたのに対し、カルフーンは、「最も貴い自由に次ぐ連邦のために。州の権利を重んじ = = オンの利益と負担を公平に分配することによ 0 章 てユニオンは維持されうるのだということを記憶されんことを」 ("The Union next tO our Liberty most dear. May we all remem ・ 第 be 「 that 一 ( 0 be 「「 000 「 ved only by 「 00 「 00 ( 一 ng the rights of s ( 00 0n0 0 一 0 ( ュ 0 = = g 000 一 y the 000 = 〔 = 0 = 「 00 = 0 ( ( = 0 3 Union ・じと応酬した。

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( 5 ) H. Aptheker, ed., A し 02 ミき r 旁、 or 0 ト the g 、・ 0 P 代 0 、、 United S き、 . vol. I . pp. 82 ー 85. ( 6 ) H. Aptheker, ミこ vol. I, pp. 90 ー 97. H. Aptheker, One ContinuaI Cry 】にミ「にミ壽ゝ、、 e ミ、 0 、 Co ~ 0 、ミ C ~ 、滝 e ド・ of ・、 7 ミ V まミ・ I ト、 829 ー 7830. ( 7 ) H. Aptheker, 0 ミミ ~ ミ、、、 0 、 o. 、、 Ne ミ・ 0 P き ~ the U 、 ~ ed S 、ミ , VOI. I , P. 108. ( 8 ) 『マルクス = エンゲルス全集』二三巻第一分冊、三九五頁。 ( 9 ) ・・フォスター『黒人の歴史ーアメリカ史のなかのニグロ人民』一一一頁。 ( ) Calhoun to Pickens, Jan. 4 , 一 834 , quoted in CharIes M. Wiltse, 、ミ C. C 0 ミこ Nullifier, や 27P ( Ⅱ ) 巻末の憲法修正第一条参照。 ( 貶 ) Calhoun, 7 、ミ Tまミ・ ks, vol. ドや 190. ( ) ~ 'd こづ p. 一 93 ー 194. (ä) lb ミこ p. 198. ( ) ミこ p. 199. ( ) 巻末の憲法第四条四節参照。 ( 貨 ) CaIhoun, T 、ミま 0 、 vol. p. 203. 景 ( ) ミこ p. 204. 史 ( ) アリストテレス『政治学』山本光雄訳 ( 岩波文庫 ) 、三九頁。 の 論 ( 幻 ) アリストテレス、同右訳書、四〇頁。 ムい 政 ( ) Calhoum, OP. ci 、こ P. 205. ン ( ) こ p. 206. フ ( ) ミ .. や 207. レ カ ( ) ま ~ こ p. 205. 章 ( ) Calhoun, T 、ミまミ・ k• vol• ll. づや 468 ー 469. ( ) まミこや 488. 第 ( ) この問題に関する後年のカルフ 1 ンの述懐については、 The 「ミ vol. IV, pp. 554 ー 555. 参照。

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「合州国憲法」は、諸州人民の代表者によって採択され、その批准は各州個別にゆだねられた。従って、「立憲主体」を明示 した憲法前文の「我ら合州国の人民」 (we, the people 。 ( the United States) とは、「自由にして独立し、主権を有する州と して行為するユニオンの諸州人民」を指すものである。ゆえに、憲法の「立憲主体」は主権を有する諸州人民である。また、 例えば、・ウエプスターに代表されるように連邦のナショナルな構成を主張する人々は、同様に、この憲法前文を論拠とし コミュニティ て、「我ら合州国の人民」とは、「個人的性格において単一の共同社会を構成している人民」を指し、「集合的性格」における 人民を呼称しているものであると主張するが、これは次の事実によって否定される。すなわち、憲法原案は、「我らニ = ンプシャー マサチューセッツ : : : 人民」というように、「人民」の後に州名を個別に列記していたが、憲法第七条 ( 九州の 批准による確定、発効の規定 ) によって州名を列挙することができなくなり、また、全州の批准が不確定であったために、 名を個別に列挙しないで「洗礼名」である「アメリカ合州国」という概括的語句を使ったにすぎないものである。 同じく憲法前文は「アメリカ合州国のために、この憲法を制定、確立する」 ()o ordain and establish this Constitution ま the United states) とあるが、ここにいう「合州国」とは、①の意味における諸州を指す。ゆえに、「立憲客体、は、「立憲 主体」たる諸州人民であり、彼ら人民のために憲法は「制定、確立」されたのである。また、連邦をナショナルなものとみる ゴゾフェダレイテド 論者は、この前文結語の「制定、確立する」という文言をもって、「諸州は契約の当事者であること、および連合したユニオ ンの成員たることを放棄し、一つの共通な共同社会ないし国民に融合した」と主張するが、これは、憲法第七条の「この憲法 は、これを承認した諸州の間において確定、発効すべきものとする」という規定と矛盾する。従って、「憲法は、制定、確立 された後といえども、なお存続している諸州間の契約であるという観点で自らをみなしている」のである。 岡では、いかなる目的のために憲法は制定、確立されたのか。憲法前文は、「一層完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内 の平穏を保障し、共同の防衛に備え、全体の福祉を促進し、われらとわれらの子孫に自由の至福を確保する目的をもって、こ こにアメリカ合州国のために」と謳って、その「立憲目的」を明記している。「アメリカ合州国」とは①の意味における諸州 160