12 章ガイダンスの技法構造論と過程理論 151 クライエント 来談 ガイダンス開始 インテーク 面接 所 ) 契約 ガイダンス計画 課題の明確化 問題の分析 問題レビュー クライエント 探索 カウンセラー 探索 個人内情報 外的情報 構造的 アセスメント クライエント アセスメント カウンセラー アセスメント 試行計画 情報収集 課題への フィードバック 終結 問題状況の 総合的理解 決断 行動 図 12 ・ 1 ガイダンス基本過程図 説⑤ ) , に基づくものであり , 自己紹介のイニシアチプを取り , クライエント は , 率直で防衛的構えのない ( 基本仮説⑥ ) , 温かみのある積極的関心 ( 基本仮 ここでのガイダンスカウンセラー ( 以下カウンセラーと略記 ) の基本的態度 境への適応行動を直接観察できる空間だからである。 重なものである。なぜなら , この最初の出会いの空間が , クライエントの新環 この最初の出会い "First Encounter" の情報は , 後のどのような情報よりも貴 が最も問われる時であり , ホームズの専門性が最初に生かされる場面である。 ライエントの表出があるか , 誰がクライエントか , 本書第 2 章で触れた観察カ いに伴われて来談することもあろう。どのような来訪で , そこにどのようなク クライエントは , 1 人で来談することもあれば , グループであるいは付き添 第 1 位相 : クライエントの来談 除いては , 原則としては , 少なくとも 2 回はセッションを取ることが望ましい。 ロセシングを行う。ただし , カウンセリングやサイコセラピーにつなぐ場合を 際には , 著者の場合は , インテークを 30 分取り , 休憩を入れて , その後のプ 分から 120 分 , 数回続く場合は , 2 回目以降は , 45 分前後となる。 1 回で行う て 10 回くらいのセッション数となり , セッション時間は , 1 回の場合は , 90 があって , 終わりがある過程である。時間構造は , 通常 , 1 回から数回 , 長く と体系化の方向を表すものである。いうまでもなくこの過程は , 明確な始まり いる。縦軸はそれぞれのプロセス位相における作業内容を示し , 作業の深まり のときどきの問題状況に応じて , スイッチバックするものであることを示して
15 章カウンセリングの効果 205 カウンセラーは二郎君の提出してくる身体症状を性急に心の問題に結びつけ ~ ず , 身体と心のそれぞれのひとり歩きを自由にして , 心がゆっくりと身体に近 づき , その距離が縮まるのを待っ姿勢を保持し続けようと努力した。そこを基 点として同盟者としての信頼関係が築かれ , ひとりで立ち向かうには苦しすぎ る身体と心のつながりとそこに包含される内容に触れることができたのだと考 えられる。 このようなカウンセリングを通して一番大きな仕事は , 心の護りを取り除く ことではなく , その取り除かれた後の責任を負うことであると筆者は考えてい る。それまで有効であった心の護り方が取り除かれることは , たとえカウンセ リング場面のように最大限に安全を配慮した空間の中であっても決して完全に 安全ではあり得ない。まだ新しい護り方ができていないからである。この症例 の場合 , # 21 以後がそれに当たる。二郎君が自分の足と自分のエネルギーを 使って , 自分の責任のもとで「したいこと」を探す作業をカウンセラーは見守 り続けた。一見逸脱的に見える行動に対しても , 新しい心の護り方や成長を求 める姿として受け止め , 待っ姿勢を継続した。カウンセリングの大部分は「待 っ」仕事である。しかし , それには 2 種類ある。最初は現在の心の護り方をは ずす準備が十分にできるまで待っことであり , 次に新しい護り方ができるまで 責任を持って待っことである。このことは「からだ」以外の他の護り方の場合 も同じである。 症例に挙げた二郎君は「自分は何を求めているのか」というテーマから , 最 終的には看護士の道 , つまり人のケアをすることを選んだ。この選択は「から だ」という護り方から治療者への投影や同一化ともいえる新しい心の護り方へ の移行であるとも考えられる。しかし , 自己を見つめる中から二郎君が探し出 した道であることも確かな事実であり , 筆者は見守りたいと考えている。カウ ンセリングの目標はカウンセラーとクライエントの関係の中からクライエント の内界に潜在する可能性が開かれていくことにあり , 「完全な人間」を目指す ものではないからである。 [ 後藤清恵 ]
198 第 V 部効果の意味 〔 c 〕カウンセリングの効果 本事例の効果は , 経過と考察から明らかなように , クライエントの現実適応 と人格発達と , 認識の変容に見られた。カウンセリングを通じ , クライエント の自分らしく生きたいという思いがよみがえり , 自己の実現傾向が発揮された のである。これを阻害していたのが , 夫に反発を感じながらもよい妻であろう とする矛盾した気持ちであり , さかのほ。れば自分の父親に対する思いであった。 反発して嫌われること , 愛されなくなることの恐れが , 不本意な生き方をさせ ることとなり , 諦めが恨みに替わり , 抑うっ感情を伴った怒りとなって現れた のである。この夫への気持ちを見つめることで , 父への思いを再体験する中で , 再び伸子の成長力が目覚めたのである。 [ 福田憲明 ] 15 ・ 2 種々な身体症状を訴える青年のカウンセリング 〔 a 〕はじめに 「こころ」と「からだ」は切り離せない , あるいは , 心一身二元論は便宜的 なものといわれる。確かにその通りなのであるが , カウンセリングに訪れる人 の主訴が「こころ」か「からだ」か , では大きな違いがあるように思える。 「こころ」の場合には , クライエント自身 , その問題の解決も自分の責任範囲 と考えていることが多いのに対して , 「からだ」の場合 , 苦痛だけは自分に所 属しているが , その解決は自分の範囲外にあると考えていることが多いただ 0 この場合には「からだ」が「こころ」を護っているともいうこともできる。そ れゆえ , この護りを取り払って「からだ」から「こころ」に向かうことは , ク ライエントにとっては , より苦痛を増すかもしれないつらい道筋となる。ここ に「からだ」を主訴として来院した場合のカウンセリングの難しさがあるのか もしれない。 以下に紹介するのは種々な身体の症状を表現し続けながら「こころ」に近づ
11 章 シャーロック・ホームズにみる専門性 11 ・ 3 推理の学 143 プロの要件が明らかになったところで , 改めてホームズの卓越した専門性の 中核となっている「推理の学」を整理して本節を終えることにしよう。 彼の推理の源は , 観察 ( データ収集カ ) と探偵の仕事という目的に絞った徹 底的な知識である。材料がないところで推理することは厳しく戒め , 当て推量 と推理の学を区別している。推理は , 観察された事実と知識の論理的帰結であ り , 推理に不思議はない。推理を不思議がるのは , その思考の筋道がわからず , 重大な推定の基礎となる小さな事実の観察を怠るからである , と彼は戒める。 事実と事実の間をつなぐ推理は , 事象の原理やメカニズムの知識と , 「・・・・・・太 陽の下に新しきものなし。みないっか以前に起こっている」経験 ( 事例 ) の知 識と , 後は確率の原理である。そして推理の学のもっとも大事な部分は , 推理 には前向きと逆向きのふたつの方向性があるということである。 一番大切なのは , 逆に推理してゆけるかどうかということですよ。 「・・・・・異常であるということは , 手がかりにこそなれ決して障害にはなら ない。 ほとんどいない。ばくが逆推理とか分析的推理というときに意味するのは , う段階があったかを心のなかで論理的に引き出してくることのできる人は , するだろう。しかしあるひとつの結果を示されて , その結果に至るにどうい 心の中で総合してみて , そこからこんなことも生まれてくるだろうと , 推測 どういう結果が生まれるかが分かったというだろう。そのいろいろのことを ・・たいていの人は , 一連の出来事を聞かされたならば , それから次に の割合だ」 ( 前掲書 , p. 172 ) 総合的推理のできる人が 50 人あるとすれば , 分析的推理のできるのは 1 人 場合が多いから , 逆向きに推理する方は , 自然なおざりにされることになる。 人はこれをあまり活用しない。日常生活では前向きに推理する方が役に立っ これは非常に有効な方法でもあり , またやさしいものなのだけれど , 世間の
12 序人間理解と人間の成長 込む。個人に対するガイダンスの場合も , 伝統的にテストやその個人の成育歴 や家族状況などの外部よりの情報が用いられることが多いけれど , この場合は もし相手の内面に触れて , 共感による理解を得ることが心がけられるなら , そ の情報による理解が得られる。 カウンセリングの場合 , グループカウンセリングにおいては , グループ全体 の現在の凝集のあり方 , お互いの交流の様相を読み取ることによって , グルー プ全体への共感的理解が持てるし , 交流している個々のメンバーの個人的心情 に触れての理解が生ずる。個人力ウンセリングの場での共感的理解が重視され ていることはいうまでもない。 しかし , 個人力ウンセリングの場でも , テストによる理解や , 外部からの情 報が , さまざまな形で , さまざまな程度に活用されていることは見逃してはな らない。カウンセリングの学派や立場による相違はあるにしても , インテーク 面接において , クライエント個人やその家族からの情報を得て , それに基づい て , カウンセリングの方針や , 何が中心問題かについての最初の見通しが立て られるのが通例である。また HTP の描画や , サンドプレイ ( 箱庭 ) などの作 品は , 見方によっては , 疾患分類に役立っ外部情報とも , 精神内界に共感する ための内的情報ともなるし , 普通は両者にまたがる理解の材料であると考えら れる。 重要なのは , このような理解が , どのようなプロセスを経て , その個人の成 長に役立つものとなり得るかという点である。外部情報にせよ , 内部情報にせ よ , それがガイダンスをする側やカウンセラーにのみ蓄積されているのでは , クライエントにとって役に立たない。テストで得た情報や , 生活史を聞くこと で得た情報は , それがカウンセラー ( ガイダンスカウンセラー , 治療的カウンセ ラーを両者含めて ) とクライエントの共有の資源として生かされる必要がある。 一例として , 生活史に関連する外部から得た情報でも , それをクライエントに 適切なときに共感とともに伝え返すことができれば , それは , 今まで自分に とって意味あることと受け取っていなかったクライエントが , 自分を理解する 大切な資源となる。テストの結果にしても同じように用い得る。他者によるそ
70 第Ⅱ部基礎理論 母一息子連合による父 , または他の子どもの排除があり , 夫婦間のストレス緩 和のために , 子どもを自分の味方につける三角関係化や , 夫婦で子どもを攻撃 して偽りの連合を維持する迂回連合などがある。 ノヾワ 如である。たとえば , 子どもをしつけるパワーを持たない親は , 子どもの適切 家族の心理構造上 , 最も問題になるのは , システム内の機能的なパワーの欠 ということである。 とをいう。つまり , 家族の誰が , 誰との関係で , 何に対して力をもっているか 家族内のパワーとは , 家族メンバーの活動の成果に対する相対的影響力のこ 〔 d 〕家族の心理過程 軟性があるといわれている。 . 化しており , 伸康な、家族は . 寬大なリーダーのもと . パワーの分担か適切て柔 使えない子どももいる。間題のある家族は . パワーの構造が沌としたり固定 な言動を促進できないし , ほとんどのパワーを家族のために使い , 自己成長に が異なって伝わるだろう。前者の場合は , 「今日は洗濯はよそうかしら」 , 後者 う場合と , 子どもが玄関を出ようとしているところでいう場合では , その意味 予報は雨だった」というコンテント ( 内容・話題 ) を , 洗濯機の前で子供にい (content) とコンテクスト (context) がある。たとえば母親が , 「今日の天気 家族内コミュニケーションを考える上で非常に重要な概念に , コンテント ニケーション ( 1 ) 家族内コミュ ションと家族内の変化の観点から見ることができる。 い構造やプロセスが生起する。そのプロセスの特徴は , 家族内コミュ 第三者が二者関係に巻き込まれる事態など , 二者のみの関係には全く起こらな ころで幾度も出てきたように , 家族の中には , 第三者が二者関係に及ほ。す影響 , 関係の応用として理解することはできないということである。家族の構造のと 二者以上の関係の問題は , 全く異なったものであり , 二者以上の関係を , 二者 うことである。換言すれば , 夫婦 , または親子二者のみによる関係の問題と , 家族の心理過程の特徴とは , 三者関係以上によって生起するプロセスだとい
132 第Ⅲ部連用理論としての人格理論 徴を反映している。それぞれに人格の側面としては意味があるものであり , そ れぞれの機能を有している。どれが良くどれが悪いという価値とは , 無関係で ある。 〔 b 〕適応 ①構成要素の基本型バーソナリティースタイルがそれぞれにはっきりして おり , それぞれ認知 , 感情 , 行動の程度がある一定の限度を越えていない ときは , 健康な適応的状態と見る。 ②人格全体で柔軟性があり , 異なる状況には別のパーソナリティースタイ ルがスムーズに機能し , 異なった役割か取れれば , 適応的と見られる。 〔 c 〕不適応および病理 ①基本型の特徴が , 自我の現実吟味能力を越えて表面化するする場合 , 不 適応状態もしくは人格の何らかの障害の可能性があり , さらに詳しく調べ る必要がある 6 ②その場の現実に合わないスタイルを起動させ , それにこだわる場合 9 特 定のスタイルにこだわり , そのスタイルの特徴の誇張や固執が見られる場 合 , そのスタイルの型の人格障害が疑われる。人格障害としては , ここで は触れていないが , さらに重度な「境界例型」「パラノイド型」「シゾタイ バル」もある。これらについては , 稿を改め別の機会に述べよう。 10 ・ 4 機能理論としての有用性 バーソナリティースタイルを , 人格の機能様式すなわち機能パターンの要素 ここに概念化した各基本型は , われわれの システムとして定義した。しかも , 発達途上にいずれも経験されるものであり , 普通に育っていれば , 基本的にど のスタイルもわれわれの人格には内在している可能性があを。ある個人にいく っかのバーソナリティースタイルの特徴が見られるということは , その個人に は , それらのスタイルしかないということではなく , そのとき見いだされたス タイルが現在は優勢であり , それらのシステムの機能が起動していると見なす のである。
30 第Ⅱ部基礎理論 前述のセグメントに絞るときに , 観察者はある基準 , 単位を規定する。間接 観察法では , 個人の挙動から個人の内面へと深める技法として使われる。一方 直接観察法では , 個人の挙動を個人とその背景である外的環境に広げる技法と して活用される場合が多い。一例で考えると間接観察の利点は , VTR などの 映像機器であり , 一方直接観察は今でも観察者という人の肉眼である。前者 は事実を繰り返し再生できる利点がある。また肉眼では瞬時に現れ消えてゆ く事実を扱い即応性が常に要求されている。しかしこの違いは , 実は観察 (vision) の違いなのである。 VTR だけで訓練された者は映像画面の枠から絞 ることに慣れており , またその枠を詳しく知るために専門的距離を縮めようと する。一方直接観察では , 自然の広がりも対象に含めるので個々の内部の機能 より背景の中の個々を観察しようとする。そのため全体の構造を重視し , 専門 的距離を延ばそうとする。しかも面接場面では , 治療者は治療的変化を創造す るために来談者との直接観察が中心であり , 治療はいつでも双方が交わす動き やことばなどの身体の直接性に依存していることを見逃してはならない。 すべての心理療法の技法は , 方法のいかんを問わず , 治療関係における治療 者の直接的影響を重視する。そしてよき治療関係を作るにも相手を理解するに も , 態度 , 動作 , しぐさなど非言語的コミュニケーションを治療的情報として 活用する。心理治療の専門性は , 実はこの導入部で生身の身体性をいかに専門 的な治療関係へと置換するかにかかっている。つまり治療者は生身の自分から 専門家へ , そして来談者は混乱した患者から問題解決者へ形をいかに変えるか なのである。事実多くの治療者は相手が求めることの代役として自分のくわた し〉を変貌させる。これは心理治療で発生する自然な共感の姿であり〈あなた への擬人化〉といえる。 この治療者によるこころの操作は , 相手に変化を求めるための導入となる。 しかし変化は常に正しいとは限らない。また人間の変化は自分の利害につな がっているときだけ変化するものである。治療者は相手を目の前にして , ①〈わたし〉は無理に変化のための変化をつくりだそうとしていないか ? ②くわたし〉は本当は自分の恐れ , 不安の衝動に駆られていないか ?
5 章集団心理学的基礎 61 想定グループ (basic assumption group) とワークグループ (work group), が有用な概念として注目されている。 また , 集団の発達を見ていく指標としては , 役割の分化 , リーダーシップの 分散が重要であろう。これらの概念は , 先述の「集団に異質性に対する許容性 と柔軟性を持たせること」と関連が深い。集団が発達するということは , 集団 が組織化され , 自律的な機能を持っことを意味する。このとき , 異質性や個人 性は , 凝集性を拡散するものではなく , 集団目標の達成に貢献するさまざまな 役割として生かされ , 集団に幾つかのリーダーシップが生まれるであろう。職 場や学級の連営の鍵は , この役割・リーダーシップをいかに生かすかにある。 5 ・ 3 ガイダンス・カウンセリングにおける集団の活用 ガイダンスとカウンセリングにおける集団の位置づけは , 若干違いがある。 指導が集団規範を軸とした個人の集団への順応を強調する一方で , ガイダンス は集団および個人の分析に基づく適材適所の発想を軸とした個人の集団への適 応を , カウンセリングは個人の価値観と主体性を軸とした集団との関係の再構 築を強調する。しかし , 本来は指導もガイダンスもカウンセリングも , 教育・ 心理的援助として軸を一にする「個人の成長」を目的とした活動である。いず れも集団に対するスタンスは「いかにすれば集団のよさを最大限に生かしなが ら , 個人の能力を発揮させたり伸ばしたりできるか」というものとなる。集団 の共通目標とこのスタンスを明確にすることによって , 指導とガイダンスおよ びカウンセリングとの混乱や対立は整理される。 このスタンスから , ガイダンス・カウンセリングにおいて集団心理学の知識 を生かす方法には , 大別して 3 つある。 ①個人の集団体験および内的対象としての集団 * 2 を理解し , 個人の成長を 促進するよう個人へ直接的に働き掛ける場合 : 個人力ウンセリング・ガイ ダンスなど。 ②個人が所属している既成集団の発達を促進し , 個人へ間接的に働きかけ る場合 : 家族カウンセリング・ガイダンス , 学校または職場カウンセリン
10 章人格理論とアセスメント ( 3 ) 依存スタイル : 従順型 ( 化 / になルし勢い ) 127 常に頼れそうな人物 , 情緒的支えになる人物を求め , そこに安定感の保証を 得ようとするスタイル。決断に際しては , 権威を求め , 権威に対する愛着を示 す。対人的には指導的立場には立てず , 追随者の立場 , 受け身的役割を取る。 競争場面に弱く , 敵意や攻撃性の表出が困難であり , 友人を失うことを恐れて 相手に合わせる対人態度を取る点に特徴がある。第 e55 / 。り 4 第第オを 2 , -. 典型例は , アメリカ漫画のチャーリー・プラウンであり , 普通は好ましい人 物として好かれるが , ことが起きると決して強く立場を主張しないために , 優 柔不断と見られたり頼りなく見られる。強い , 権威的な相手には屈従的にもな るため , 自己尊重感に欠け , 信頼がおけないと批判されることにもなる。 ( 4 ) 演技スタイル : 社交型′ 華やかで , 情動的であり , 現代人的スタイルといえるかもしれない。刺激 , 興奮 , 注目を求める傾向が強く , まわりの状況には敏感に反応し , 刺激的なも のに対してはすぐに夢中になるが , 長続きはしない。この熱しやすく冷めやす い傾向は , 反復的といえるほどにいろいろな事柄を対象に繰り返される。アド リプに強く , このスタイルのサプシステムが起動している人は , 初対面に好印 象を与える社交技術に長けている。したがって , バーティーや懇親会で活躍す るタイプであるが , あまりに派手すぎて自己顕示的であり , わざとらしさが目 立っ側面もあって , 敬遠されることもある。特に熱中すると , 要求がましくな り自制心がなくなる。人間関係的には , 安定感は弱く , 一時的に深い情緒的関 係を結んだかと思うと , 簡単にあきてしまうということが起こる。 対他者関係の特徴は , 依存性において , 依存スタイルと似ているが , 演技ス タイルの場合 , 他者からの情緒的支えを得るよりも , 「注目」を得ることが一 義的になることから , 関係の間に流れる趣は非常に異なったものとなる。 ( 5 ) 自己愛スタイル : 自己中心型 ( クしⅵ亡 / ↑ ) 特徴は際立ち , 自分は周囲よりも有能で才能があると信ずる傾向が強い。そ の感覚のゆえに対人関係においては , 尊大な雰囲気を漂わせ , 支配的であり搾 取的でさえある。自分のまわりに配する人物や友人としては , 自分の自己愛を