言う - みる会図書館


検索対象: キッチン
178件見つかりました。

1. キッチン

月 満 「じゃあ・ : ・ : お茶かしら、やつばり。」 「うーん、わさび漬はどうかな。」 「ええっ ? あれ苦手よ。おいしい ? あれ。」 「ばくも、数の子の奴しか好きじゃない。」 「じゃあ、そいつを買うわ。」 私は笑って、車のドアを開けた。 あたたかい車内に、突然凍った風がびゅうと吹き込む。 「寒い ! 」と私は叫んだ。「雄一、寒い寒い寒い寒い。」そして、雄一の腕に強くしがみ キついて顔を埋めた。セーターは落葉の匂いがしてあたたかかった。 「伊豆のほうはきっと、もう少しあったかいよ。」 そう言って、ほとんど反射的に雄一は、もう片方の腕で私の頭を抱いた。 「いつまで行くって ? 」 彼はそのまま言った。胸から直接、声の響きを聞いた。 「三泊四日。」 私はそっと彼から離れて言った。 「その頃にはもう少しましな気分になってると思う、そうしたら、また外でお茶をしょ うではないか。」 やっ

2. キッチン

169 らい、おだやかな気候だ。 「ところで。」私は言った。「本当はどうやって番号がわかったの ? 」 「いや、本当。」ほほえんで彼女は言った。「長いこと、いろんな所を転々としてひとり で暮らしていると、感覚のどこかがけものみたいに冴えてくるのよ。いっ頃から、そう んーと、さっきさん いうことができるようになったのかはよくおばえてないけど。 の番号は ? と思うとね、ダイヤルを回す時にはもう自然と手が動いて、おおかた合っ ウ てるのよ。」 、冖「おおかた ? 」 と私は笑った。 「そう、おおかた。間違ってた時は、すいませんって笑って切る。それでびとり、照れ ン ムるの。」 そ、 2 一一口って、つららは、 ~ 暑しそ、つに笑った。 私は、電話番号を調。へる方法なんかいくらでもあるということより、淡々と語る彼女 のほうを信じたかった。ノ 彼女は人をそういう気にさせた。私は、自分の心の中にあるど こかがずっと昔から彼女と知り合いで、再会をなっかしみ喜んで泣いているように思え 「でも、今日はありがとう。愛人のようで嬉しかったわ。」

3. キッチン

136 えり子さんがいなくても、二人の間にはあの明るいムード が戻ってきた。雄一はカッ 丼を食べ、私はお茶を飲み、闇はもう死を含んでいない。それで、もうよかった。 「じゃあ、帰るわ。」 私は立ち上がった。 「帰る ? 」雄一がびつくりしたように言った。「どこに ? どこから来たんだ ? 」 「そうよ。」私は鼻にしわを寄せて、からかう言い方で言った。「言っとくけど、これは 現実の夜よ。」そうしたら、ロが止まらなくなった。「私は伊豆から、タクシーでここま で飛んできたの。ねえ雄一、私、雄一を失いたくない。私たちはずっと、とても淋しい けどふわふわして楽なところにいた。死はあんまり重いから、本当はそんなこと知らな いはずの若い私たちはそうするしかなかったの。 : 今より後は、私といると苦しいこ とや面倒くさいことや汚いことも見てしまうかもしれないけれど、雄一さえもしよけれ ば、二人してもっと大変で、もっと明るいところへ行こう。元気になってからでいいカ ら、ゆっくり考えてみて。このまま、消えてしまわないで。」 雄一は箸を置き、まっすぐ私の目を見つめて言った。 「こんなカッ丼は生涯もう食うことはないだろう。 : 大変、おいしかった。」 「うん。」私は笑った。 「全体的に、情けなかったね。今度会う時は、もっと男らしい、カのあるところを見せ さび

4. キッチン

満 「失礼ですが、どちら様でしたか ? 」 「奥野と申します。お話があって来ました。」 と、かすれた高い声で彼女は言った。 「申しわけありませんが、今は仕事中ですので、夜にでも自宅のほうにお電話いただけ ますか ? 」 私がそう言い終えたとたん、彼女は、 「それは田辺くんの家のことですか ? 」 チ と強い調子で言った。やっと、わかった。今朝の電話の人に違いない。確信して、 キ「違いますよ。」 と私は言った。栗ちゃんが、 「みかげちゃん、もう抜けていいよ。先生には急な旅行で買い物があるからってうまく 言っといてあげるよ。」 いえ、それには及びません。すぐすみますから。」 と彼女は言った。 「田辺雄一くんのお友達の方ですか。」 私はっとめておだやかに言った。

5. キッチン

うれ 分でも嬉しかった。私の心の奥底が雄一に会えたことを素直に喜んでいる。 「上がっていいんでしよう ? 」 きよとんとしたままの雄一にそう言うと、はっとした彼はカなくほほえみ、言った。 いや、きっと、ものすごく怒ってるだろうなと覚悟していた 「うん、もちろんだ。 こめんね。上がってくれよ。」 からちょっとびつくりしたんだ。。 「私は。」私は言った。「こういうことでは怒らない。知ってるくせに。」 雄一は少し無理をしていつものような笑顔を見せて、うんと言った。私はほほえみを 返して、靴を脱いだ。 少し前まで暮らしていた部屋は、初め妙に落ち着かなくても、すぐその匂いになじん できて、独特のなっかしさがこみ上げてくる。ソフアに沈み込んで、しみじみそう思っ ていたら雄一がコーヒーを運んできた。 「私、久しぶりにここに上がった気がする。」 私が一一一一口うと、 「そうだね。君、ちょうど忙しかったからな。仕事はどう ? 面白い ? 」 と雄一がおだやかに言った。 時期なの。」 「うん。今はなんでもね。いもの皮むきすら楽しいわ。そういう ほほえんで私は答えた。すると、雄一はカップを置いてふいに切り出した。

6. キッチン

満 チン、とエレベーターが止まり、私の心が瞬間、真空になった。歩きながら私は言っ 「もっと、本質的に ? 」 「そうそう。人間的にね。」 「あるの。絶対にあるわ。」 私はすぐさま言った。もしこれが「クイズ 100 人に聞きました」の会場だったら、 あるあるの声が怒号のように響き渡っただろう。 「やつばり、そうか。いや、みかげは芸術家になるとばっかり思っていたから、きっと 君にとってはそれが料理なんだなと勝手に納得してたんだ。そうかあ。みかげは本当に 台所仕事を好きなんだなあ。やつはり。よかったなあ。」 雄一はひとりで何度もうなずいて、納得していた。おしまいのほうは、ほとんどひと り言のような声だった。私は、 「子供みたいね。」 と笑った。さっきの真空がふいに一言葉になって頭をよぎる。 ′雄一がいたらなにもいらない〃 それは瞬間のことだったけれど、私はひどく困惑した。あまり強く光って目がくらみ そうになったからだ。、いに満ちてしまう。 、 0

7. キッチン

「じゃ、よろしく。みかげさんが来てくれるのをぼくも母も楽しみにしてるから。」 彼は笑った。あんまり晴れやかに笑うので見慣れた玄関に立っその人の、瞳がぐんと 近く見えて、目が離せなかった。ふいに名を呼ばれたせいもあると思う。 「 : : : じゃ、とにかく、つカかいます。」 悪く言えば、魔がさしたというのでしよう。しかし、彼の態度はとても " クール , だ ったので、私は信じることができた。目の前の闇には、魔がさす時いつもそうなように、 一本道が見えた。白く光って確かそうに見えて、私はそう答えた。 彼は、じや後で、と言って笑って出ていった。 私は、祖母の葬式までほとんど彼を知らなかった。葬式の日、突然田辺雄一がやって きた時、本気で祖母の愛人だったのかと思った。焼香しながら彼は、泣きはらした瞳を 閉じて手をふるわせ、祖母の遺影を見ると、またぼろほろと涙をこぼした。 私はそれを見ていたら、自分の祖母への愛がこの人よりも少ないのでは、と思わず考 えてしまった。そのくらい彼は悲しそうに見えた。 そして、 ンカチで顔を押さえながら、 「なにか手伝わせて下さい。」 と言うので、その後、いろいろ手伝ってもらったのだ。 ひとみ

8. キッチン

「ドライヤーの音で聞こえなかった。」 と私は言った。洗いざらしのみつともない髪をしていたのでどぎまぎしたが、 「電話したらひどい風邪で、知恵熱らしいって君のお母さんが言うもんだから見舞いに と柊は全然かまわずに笑った。そういえばよく等と一緒に彼はここに来たことを田 5 い 出した。祭りの時や、野球を見た帰りや。だから、まるでいつものようにクッションを つばり出してよいしよとすわった。忘れていたのは私だ。 「これが見舞いの品だ。」柊は大きな紙袋を見せて笑った。私は今さらもう治ったとは ト言いづらくなって、わざとせきをしてみせざるをえないくらい、彼は親切だった。「君 の大好きなケンタッキーのチキンフィレサンドと、シャーベットだ。コーラもあるよ。 ワタシの分もあるからさ、一緒に食べよう。」 あまり、そう思いたくなかったが彼は私に対して " ハレモノに触るよう。だった。き 「と、母親がなにか言ったのだろう、と私は思って恥ずかしかった。かといって、私は 元気よ、なに言ってんのと言えるほど調子がいいわけでもなかった。 ーブの熱気の中で、床にすわ「て二人は淡々とそれらの 明るい部屋、あたたかいスト ものを食べた。私はとても、とてもおなかが空いていたことに気づいて、とてもおいし 8 く食。へた。この子の前では私はいつもおいしくものを食。へている気がした。そして、そ

9. キッチン

ン チ 気づくと、うしろで雄一がぞうきんを手に床をふいてくれていた。そのことに、私は とても救われていた。 「少し休んで、お茶にしましよう。」 と私は言った。がらんとしているので声がよく響いた。広く、とても広く感じた。 「うん。」 と雄一が顔を上げた。人の家の、しかも引っ越す所の床を、そんなに汗かいてみがか なくても : : と私は思った。とても彼らしい 「ここが、君んちの台所かー。」 床に敷いたざぶとんにすわって、私の運んだお茶をー・ーもう、湯のみはしまってしま ったので、カップに淹れたのを・ーー・飲みながら雄一が言った。 「いい台所だったんだろうね。」 「うん、そうなの」 私は言った。私の場合は、ごはん茶わんで茶道のように両手でお茶を飲んでいた。 ガラスケースの中にいるような静けさだった。見上げた壁には、時計のあとだけがあ 「今、何時。」 私が言うと、 っこ 0

10. キッチン

不思議に感じた。 テープルがないもので、床に直接いろんなものを置いて食。へていた。コップが陽にす けて、袵たい日本茶のみどりが床にきれいに揺れた。 「雄一がね。」ふいにえり子さんが私をまじまじと見て言った。「あなたのこと、昔飼っ てたのんちゃんに似てるって前から言ってたけど、本当・ー・・に似てるわ。」 「のんちゃんと中しますと ? 」 「ワンちゃん。」 「はあー。」ワンちゃん。 「その目の感じといい、 毛の感じといし 。昨日初めてお見かけした時、ふきだしそ うになっちゃったわ。本当にねえ。」 「そうですか ? 」ないとは思うけど、セント。ハーナードとかだったらいやだな、と田 5 っ 「のんちゃんが死んじゃった時、雄一はごはんものどを通らなかったのよ。だから、あ なたのことも人ごととは思えないのね。男女の愛かどうかは保証できないけど。」 くすくすお母さんは笑った。 「ありがたく思います。」 私は言った。