向日葵の柩 135 九官鳥オカエリナサイ 暗闇で急に声がしたので栄貴はびくっとする。 九官鳥オカエリナサイ 栄貴は声の主を捜す。 九官鳥オカエリナサイオカエリナサイ 栄貴は暗闇の中に目を凝らし、鳥籠の中の九官鳥を見つける。 鳥籠を抱えて、しばらくどうしたものか迷っているが、大事そうに鳥籠を抱えて立 ち去る。
栄貴 ( 曇った夜空を見上げ ) ああ : : : 明日はきっと雨よ。雨は嫌い。雨を見ると不安に なるの : : : 。濡れたら死ぬような気がする。 栄貴の話し方はまるで現実のようではなく、どこか遠くに心を置き去りにした人の ような話し方である。栄貴は立ち上がる。 : 聞いてくれてありがとう。ア・ 栄貴 ( 九官鳥に ) 私、こんなこと、話すの初めて : リ・ガ・ト・ウ。おやすみなさい。 ( 九官鳥に言葉を教える ) オ・ヤ・ス・ ナ・サ・イー 柩 の 九官鳥オカエリナサイ 葵 向栄貴 ( こっそり九官鳥に教える ) マ サイ ! マ・マ・マ 九官鳥オカエリナサイ 短い沈黙。 ぬ ・マ : : : オカエリナサイ : : : オカエリナ
229 向日葵の柩 九官鳥ママオカエリナサイママオカエリナサイママ 兄妹は九官鳥の言葉に凍りつく。 九官鳥オカエリナサイオカエリナサイママオカエリナサイ 栄貴は鳥籠を抱えて立ち上がる。 栄敏どこに一何くの ? 栄貴は兄の顔を見ずに、鳥籠を抱えて外に飛び出す。 栄貴と九官鳥 Part 4 〈家の前の通り〉 栄貴は鳥籠を抱きしめる。 シーン圏 とりか′」
かな 栄貴の顔には哀しげな微笑が浮かんでいるーー・それは不可能なもの、手の届かない ものに身を預けた微笑である。 栄貴 ( 月を見上げて ) 真っ赤な月。月の光に当たると気が狂うって : : : ほんとかしら ? 九官鳥オカエリナサイ こ・ん・ば・ん・は ! 栄貴 ( 九官鳥に言葉を教える ) こんばんは ! 九官鳥オカエリナサイ 栄貴どうして、「おかえりなさい」しか覚えていないの ? あんたに言葉を教えた人は きっとひとりぼっちだったのね。家に帰ったとき、誰かに「おかえりなさい」って : いなくなった誰か いってほしいから、あんたに言葉を教えたのね : : : それとも : ・ に帰ってきてほしくって : : : それで : : : そのとき : : : その人を喜ばせようと思った かご のかしら ? あんたの飼い主はどうしてあんたを捨てたのかしら ? ねえ、籠の中 の に閉し込めたまま捨てられたら、すぐ死んでしまうわよねえ : : : ひどい人ね : 向九官鳥オカエリナサイ 栄貴あんたは待ってるの ? あんたを捨てた飼い主が迎えにきてくれるのを : ・ 九官鳥オカエリナサイ
230 九官鳥ママ ! 九官鳥ママ、オカエリナサイ ! ママ、 栄貴は鳥籠の扉をあけて、九官鳥を外に逃がす。 九官鳥は「ママ」という言葉だけを残して飛び去る。 栄貴は空つぼの鳥籠を最初に捨ててあった場所に力なく置き、今、出てきたばかり の家に逃げこむ。 街灯の周囲には、まるで水中のように光輪ができている。 ひまわりひつぎ シーン為向日葵の柩 Part1 〈李家の居間〉 柩のような家の中で、兄妹は水のせせらぎのような時計の秒針の流れる音を聴いて
栄貴 男犬、飼ってるんですかっ・ 栄貴は首を横に振る。 九官鳥オカエリナサイオカエリナサイ 男は気味悪がって逃げるように立ち去る。 栄貴は男が捨てて行ったガラクタを一つ一つ手に取り、鉄屑の山に乗せる。 栄貴と九官鳥 Part3 〈鉄屑置き場〉 の 衄栄貴 ( 誰にいうでもなく ) 私ん家のルイは四年前にいなくなったのよ。 九官鳥オカエリナサイ 栄貴 ( 楽しい話でもするかのように ) ルイもママといっぺんにいなくなったの。ママは シーン凵
222 九官鳥オカエリナサイオカエリナサイママオカエリナサイママ 栄貴は籠の中の九官鳥を見詰める。 栄貴は鏡台の前に座って母親の櫛で髪を梳かす。 ロの端の凝固した血を母親のレースのハンカチで拭う。 そして、自分の体に母親の香水をかける。 だんらん シーン李家の団欒風景 Part 3 〈李家の居間〉 父親が帰宅する。 アポジどうしたんだ ? 電気もつけないで : 栄貴 ( 父親には顔を向けずに ) すこし : : : 眠ろうと思ったの。
円 0 男 おび 男 ( 不自然な微笑みを唇の端に浮かべ ) こんばんは。 ( 栄貴の怯えた表情を見て ) 私、 怪しいものではありませんよ。この近所に住んでいるものです。 栄貴は男の足元に転がっているガラクタに目をやる。 男 ( 慌てて言いわけする ) これは私が捨てたんじゃないですよ。悪いことする人がい るもんですね。 九官鳥オカエリナサイ 男は不審な表情で九官鳥と栄貴を見比べる。 ・ : 今・ : ・ : さっき : : : あなたん家に入っていった人は誰ですか ? 彼女は見知らぬ男の姿を見つけ、水中に飛び込もうとしている人のように息を止め る。 いつの間にか月が雲に隠れ、空には星一つない。
153 向日葵の柩 父親は奇妙な目付きで九官鳥を見詰める。 アポジカラスを捕まえてきたのか ? 栄貴カラスじゃないわ。九官鳥よ。 アポジ ( 聞き馴れぬ言葉を舌に乗せてみる ) キュウカンチョウ ? 栄貴知らないの ? しゃべるのよ。 アポジ ( 威厳をもって ) アポジに知らないことがあるか ! ( 話題を逸らす ) 手を洗えよ。 ふろば 栄貴は風呂場に手を洗いに行き、手を洗い、居間に戻ってくる。 アポジはやいなあ : : : ちゃんと洗ったのか ? 見せてみろ ! 栄貴は父親に両の掌をひろげて見せる。 アポジ手はよく洗わなきゃいけない。石鹸をつけてな : : : 裏表 : : : アポジはお前たちを 教育してるんだ。 せつけん
198 栄貴 ( 九官鳥のように ) オカエリナサイ ! オカエリナサイ ! ママ : : : おかえりなさ うめ 、。 ( 呻くように ) ママ・ 栄貴は九官鳥に囁きかけながら家の中に入って行く。 だんらん シーン新李家の団欒風景 Part 2 〈李家の居間〉 早朝。 ちゃぶだい 食卓ーーー卓袱台を囲み、栄敏と栄貴と父親はあまり映りのよくないテレビを見なが ら朝食を食べている。 栄貴と父親はそれそれ出掛け着ーー父親は仕事着、栄貴は朝鮮高校の制服に着替え ている。 テレビでは天気予報をやっている。今日の雨の確率は六〇パーセントだそうだ。 柱時計が七時を告げる。 ささや