二人 - みる会図書館


検索対象: スプートニクの恋人
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1. スプートニクの恋人

のをよく見物に出かけた。そして冷たいものを飲みながら、船から降りてくる人たちの姿を、飽 4 一 きもせずに眺めた。 わたしは世界の端っこにいて、そこに静かに腰かけていて、誰にもわたしの姿は見えない。そ んな気がしたわ。ここにいるのはわたしとすみれだけ。ほかのことはなにも考えなくていも もち と思った。どこにも行きたくない。、 しつまでもこうしていたい。 こからもう動きたくない、 ろんそれが不可能なことは、わたしにもよくわかっていた。ここにある生活はいっときの幻想に すぎないし、いっかは現実がわたしたちを捕まえにやってくる。そしてわたしたちはもとの世界 に戻らなくてはならない。そうよね ? しかし少なくともそのときがくるまで、余計なことは考 えずに心ゆくまで日々を楽しんでやろうと思ったの。そしてわたしはじっさいに、 ただ純粋にこ こでの生活を楽しんだ。もちろん 4 日前まではということなのだけれど」 4 日めの朝も二人はいつものようにビーチに行って裸で泳ぎ、 いったん家に戻ってから港に出 かけた。カフェのウェイタ 1 は二人の顔を ( それからミュウがいつも置いていく多めのチップの ことを ) 覚えていて、とても愛想良くあいさつをした。二人の美しさについてお世辞らしきこと を口にした。すみれはキオスクで、アテネで印刷されている英字新聞を買った。それが二人を外 の世界に結びつけているただひとつの情報源だった。新聞を読むのはすみれの役目だった。彼女

2. スプートニクの恋人

の反映はいつもそこにあった。 やはり断っておいた方がいいと思うのだけれど、ばくはすみれに恋をしていた。最初に言葉を 交わしたときから強く心を惹かれたし、それはあと戻りできないような気持ちへと少しずつ変っ ていった。ぼくにとっては長いあいだすみれしか存在しないのも同じだった。当然のことなが ら、ばくは何度もそんな気持ちを彼女に伝えようとした。でもすみれを前にするとなぜか、自分 の感情を正当な意味を含む一言葉に換えることができなくなった。もっともそれは結果的には、ば もしばくがうまく気持ちを伝えることができたとして くにとってよいことだったかもしれない。 も、すみれは間違いなく笑いとばしてしまったはずだから。 ぼくはすみれと「友だち」としてつきあっているあいだに、二人か三人の女性と交際した ( 数 をよく覚えていないというのではない。数え方によって二人になったり、三人になったりするの だ ) 。一度か二度だけ寝た相手を加えれば、そのリストはもう少し長いものになる。彼女たちと 身体を触れ合わせているあいだ、ばくはよくすみれのことを考えた。というか、頭の片隅には多 、こ。ぼくが抱いているのはほんとうはすみれなの かれ少なかれいつもすみれの姿がちらついてしオ だと想像したりもした。もちろんそれはまともなことではなかっただろう。でも正しいとか正し ( し力なかったのだ。 くないとかいう以前に、そうしないわけによ、ゝ

3. スプートニクの恋人

になってしオ 、こ。「泊まるところはあるの ? 」と訊かれて、ないと答えると ( ばくはその当時宿泊の と 予約というものをしたことがなかった ) 、ホテルの部屋をとってあるから一緒に泊まればいい 彼女は言った。「気にしなくてもいいのよ。一人でも二人でも払うお金は同じだから」 ばくが緊張していたせいで、最初のセックスはぎくしやくしたものだった。ばくはそのことを 詫びた。 「そんなの、いちいち謝ることないわ」と彼女は言った。「ずいぶん礼儀正しいのね」 彼女はシャワーを出たあとバスロープに身をくるみ、冷蔵庫から冷えた缶ビールを二本出し て、一本をぼくに勧めた。 ビールを半分飲んだあとで彼女は、ふと思いついたように言った。「あなた、車は運転する ? 」 する、とぼくは答えた。 「どう、運転はうまい方 ? 」 「免許を取ったばかりだし、そんなにうまくはない。普通ですね」 彼女は微笑んだ。「わたしもよ。自分ではけっこううまいと思っているんだけど、まわりの人 はなかなかそう言ってはくれない。だからまあ普通でしようね。でもあなたのまわりにはきっ と、運転がすごく得意だっていう人が何人かいるわよね ? 」 「いますね」 「逆にそんなにうまくない人もいる」

4. スプートニクの恋人

く近づいてきた。そしてそのような機会を自然にとらえさえすれば、彼女たちと性的な関係を持 つのはそれほどむずかしいことではないという事実をばくはあるとき発見した。そこには情熱と 呼べるほどのものは見いだせなかったが、 少なくともある種の心地よさはあった。 ほかの女性たちとそのような性的関係を持っていることを、すみれに対してばくはあえて隠さ なかった。細かいところまでは話さなか「たが、だいたいのことを彼女は知っていた。でもとく に気にはしなかった。そこになにか問題があるとすれば、相手の女性たちの全員がぼくより年上 で、夫なり婚約者なり決まった恋人なりがいたことだ「た。いちばん新しい相手は、ぼくのクラ スの生徒の母親だった。ぼくは彼女と月に二度ばかり、こっそりと会って寝ていた。 そういうのっていっかは命取りになるわよ、とすみれは一度だけぼくに忠告した。おそらくそ のとおりだろう、とぼくも思った。でもそれはぼくにもどうしようもないことだった。 七月の始めの土曜日に遠足があった。ぼくはクラスの生徒肪人をつれて奥多摩の山に登った。 しつものようにそれは陽気な興奮のうちに始まり、収拾のつかないどたばたのうちに終わった。 山頂に着いてみると、クラスの生徒のうちの二人が弁当をリックに入れ忘れてきたことがわか った。まわりには売店なんてない。仕方がないから、ばくは学校から支給された海苔巻きの弁当 を、二人に半分ずつ与えた。ばくが食べるものはなくなった。誰かがミルク・チョコレートをわ けてくれたが、朝からタ方までのあいだにぼくがロにしたのはそれだけだった。それから女の子

5. スプートニクの恋人

で、二人で顔を合わせているときに とくに別れ際にーーー何を口にすればいいのかわからなく なってしまうことがあった。それはすみれと一緒にいるときには経験したことのない思いだ こ。ぼくが彼女と会うことによっていつも確認するのは、自分がどれくらいすみれを必要として いるかという、動かしようのない事実だった。 彼女が帰ると、ぼくは一人で散歩に出て、しばらくあてもなく歩き、それから駅の近くにある 1 に人ってカナディアン・クラブのオンザロックを注文した。そういうときにはいつものこと なのだけれど、自分がこの上なくみすばらしい人間であるように感じられた。ばくは最初のグラ スをすぐに飲み干し、二杯目を注文した。それから眼を閉じて、すみれのことを考えた。ギリシ ヤの島の真っ白なビーチで胸を出して日光浴をしているすみれのことを。となりのテ 1 ブルで は、大学生らしい四人の男女が、ビールを飲みながら楽しそうな笑い声をあげていた。スビーカ ーからはヒュ ーイ・ルイス・アンド・ザ・ニーズの懐かしい曲が流れていた。ビザの焼ける匂 も。カ / ぼくは昔の日々のことをふと思い出した。ぼくの成長期 ( と呼ばれるべきもの ) はいったいど こでいっ終わりを生ロげたのたろう ? そもそもそれは終わったのだろうか ? ついこのあいだま ーイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズ で、ばくは間違いなく成熟への不完全な途上にいた。ヒ のいくつかの曲がヒットしていた。数年前のことだ。そしてばくは今こうして、ひとつの閉じら 116

6. スプートニクの恋人

ミウと二人でまた話ができるというだけで、わたしの胸はこんなにわくわくしている。だと一 したら、もしミュウとあのままなにごともなく別れていたら、それはかなりつらい気持ちのする ものであったに違いない。 これは美しく洗練された年上の女性に対する憧れなのだろうか ? やそうじゃないはずだ、とすみれは打ち消す。わたしはあの人のそばにいて、その身体のどこか にずっと手を触れていたいと望んでいる。それはただの「憧れ」とはちょっと違うものだ。 すみれは溜息をつき、しばらく天井を眺め、それから煙草に火をつけた。考えてみれば妙なも のだ。歳になって初めて真剣に恋に落ちたら、その相手がたまたま女性だっただなんて。 ミュウに指定されたレストランは、地下鉄の表参道の駅から歩いて川分くらいの距離にあっ た。初めての人には見つけにくいし、入りにく、 。店名だって一度聞いただけでは覚えられな 入り口でミュウの名前を告げると、すみれは二階の小さな個室に通された。、、 : ウはすでに 席について、氷の人ったペリエを飲みながら、料理についてウ = イターと熱心に相談をしてい 彼女は紺のポロシャツの上に、同じ色のコットンのセータ 1 を着て、装飾のない銀の細い髪飾 りをつけていた。ズ犬ンは白い細身のジーンズだった。テーブルの隅には鮮やかなプルーのサン グラスが置かれていた。椅子の上にはスカッシュのラケットと、ミッソーニのデザインしたビニ ルのスポーツ・ヾツ、、、ゝ グカあった。おそらく昼前にスカッシ、を何ゲームかこなしてその帰りな

7. スプートニクの恋人

大学に入って初めての夏休みに、一人で北陸をふらりと旅行していて、やはり一人旅をしてい る八つ年上の女性と電車の中で知り合い、一夜をともにしたことがある。なんだか『三四郎』の 冒頭の話みたいだなとそのときに思った。 かわせ 彼女は東京の銀行で外国為替を扱う仕事をしているということだった。休みが取れると、いっ も本を何冊か抱えて一人で旅行をした。「誰かと一緒に旅行をしても気疲れするだけだもの」と 言った。なかなかすてきな雰囲気を持った人だったし、どうしてばくのようなひょろっとして無 ロな歳の学生に興味を持ったのか、理由はよくわからない。でも彼女は向かいの座席に座って ぼくと害のない話をしながら、とてもリラックスしているようだった。よく声をあげて笑った。 ばくも珍しく気楽にいろんな話をすることができた。二人ともたまたま同じ金沢駅で降りること

8. スプートニクの恋人

ーツのスカートに着替えていた。目は赤く腫れていた。家に戻ってからたぶんずっと一人で泣い ていたのだろう。彼女の夫は都内で不動産の会社を経営していたが、日曜日は仕事かゴルフでほ とんど家を空けていた。 / 彼女はにんじんを二階の自分の部屋にやり、ばくを居間にではなく、台 所の食事用のテーブルに連れていった。たぶんそこの方が話をしやすいからだろうとぼくは思っ た。アボカド・クー 丿ーンの巨大な冷蔵庫とアイランド・キッチン、東向きの大きな明るい窓。 「さっきより顔が少しまともになったみたい」と彼女は小さな声でばくに言った、「あそこの警備 員の部屋で最初にあの子の顔を見たときには、ほんとにどうすればいいのかわからなかった。あ んな目つきをしているのを見たのは初めて。まるでーー別の世界に行ってしまっているみたいだ った」 「心配することはないよ。時間がたてばもとに戻る。だから少しのあいだ、なにも言わずに放っ ておいた方がいいと思う」 「あれから二人で何をしてたの ? 」 「話をしてたんだ」とばくは言った。 「どんなことを話したの ? 」 「たいした話じゃない。 ル」も、つカ ゝ、ばくが一人で勝手にしゃべってたんだ。どうでもいし ことをね」 ような

9. スプートニクの恋人

そのようなミウの「個人的な事業」がどれほどの利益をあげているのか、そこまではわから ない。経理のディスクはべつに保管されているようだったし、ディスクの中には。ハスワ 1 ドがな いと開けなくなっているものもあった。いずれにせよ、すみれは、、 : ウと会って話ができるだけ でうれしくてたまらなかったし、胸がときめいた。あれがミウの座る椅子で、あれがミ、ウの 使っているボールペンで、あれがミウがコ 1 ヒーを飲むマグなんだ、と思った。言いつけられ たことには、どんなに些細なことでも全力を尽くした。 ときどきミウに誘われて二人で食事をすることがあった。ワインを扱う仕事をしているか ら、名のあるレストランを定期的にまわって、いろんな情報を頭に入れておく必要があったの だ。ミウはいつも白身の魚を食べ ( たまにチキンを注文して半分残した ) 、デザートを。ハスし た。ワイン ・リストを子細に検討し、ボトルを選んでとったが、本人はグラスに一杯しか飲まな かった。「あなたは好きなだけ飲みなさい」とミウは言ったが、すみれにしても、 いくらなんで も一人でそんなには飲めない。だから高価なワインのボトルはいつも半分以上残ったが、、、 : ウ はとくに気にしなかった。 「二人でボトルを一本取るのはもったいないんじゃない、半分も飲めないのに」とすみれはある ときミュウに一一 = ロってみた。 のよ、それは」とミウは笑って言った。「ワインというのはね、たくさん残せば残すほ

10. スプートニクの恋人

ぼくはうなずいた。彼女は静かにビールをもうひとくち飲み、少し考えていた。 「そういうのはたぶん、ある程度まで生まれつきのものかもしれない。才能とでも呼べばいいの でもそれと同時に、わたしたちの かしら。手先の器用な人がいたり、不器用な人がいたり : まわりには、注意深い人もいるし、あまり注意深くない人もいる。そうよね ? 」 ばくはもう一度うなずいた。 「それで、ちょっと考えてみて。もしあなたが、誰かと一緒に車で長い旅行をするとするわね。 ートナーを組んで、ときどき運転を交代する。それでそういう場合にあなたは、相手としてど ちらのタイプを選ぶかしら。運転がうまいけれど注意深くない人と、運転はあまりうまくないけ れど注意深い人と」 「あとの方ですね」とばくは答えた。 「わたしも同じ」と彼女は言った。「こういうのもたぶんそれと同じようなものじゃないかし ら。うまいとか下手とか、器用だとか器用じゃないとか、そんなのはたいして重要じゃないの よ。わたしはそう思うわ。注意深くなるーー・それがいちばん大事なことよ。心を落ちつけて、 ろんなものごとに注意深く耳を澄ませること」 「耳を澄ませる ? 」とばくは訊いた。 彼女は微笑んだだけで、何も言わなかった。 少しあとで二度目のセックスをしたとき、それはとてもスムーズで、心の通いあったものにな