手 - みる会図書館


検索対象: スプートニクの恋人
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1. スプートニクの恋人

「わたしを抱きたいの ? 」 「そう」 ミウがどう返事をしたものか迷っているあいだに、すみれは手を伸ばして、彼女の手を握っ た。手のひらにも汗の感触が残っていた。温かく柔らかい手だった。それから彼女はミウの背 中に両手をまわした。、、 : ウのおなかの少し上のあたりにすみれの乳房が押しつけられた。ミ ウの乳房のあいだにすみれの頬があった。ふたりは長い間そのままの格好でいた。やがてすみれ は身体をこまかく震わせ始めた。位こうとしているのだとミウは思った。でもうまく泣けない ようだ「た。彼女はすみれの肩に手をまわして抱き寄せてやった。まだ子供なんだ、とミウは 思った。さびしくて怯えて、誰かの温もりをほしがっているのだ。松の枝にしがみついている子 猫のよ、つに。 すみれは身体を少し上の方にずらせた。彼女の鼻先がミウの首に触れた。二人の乳房が触れ 合った。ミウはロにたまった唾液を呑み込んだ。すみれの手が彼女の背中をさまよっていた。 「あなたのことが好き」とすみれが小さな声で言った。 「わたしもあなたのことが好きよ」とミウは言った。ほかにどう言えばいいのかわからなかっ たのだ。そしてそれは真実だった。 それからすみれの指がミウの寝間着の前のボタンをはずし始めた。ミウはそれを止めよう とした。でもすみれはやめなかった。「少しだけ」とすみれは言った。「ほんの少しだけでいいか ュ 168

2. スプートニクの恋人

、 , わノこ↓よ、ゝ ( も力ないのよ。選択肢というものはそこにはまったく存在しないの。どうしてこんな ことになってしまったのか、自分でもわけがわからない。ねえ、そういうものなの ? 」 ぼくはうなずいた。ぼくのペニスはまだその圧倒的な硬さを失っていなかった。すみれがそれ に気づかないことをぼくは祈った。 「グル 1 チョ・マルクスの台詞に素敵なのがある」とぼくは言った。「『彼女はわたしに激しく恋 をしていて、おかげで前後の見境がっかなくなっている。それが彼女がわたしに恋をした理由 すみれは笑った。 「、つまイ、い / 、と しいと思う」とばくは言った。「でもできるだけ注意深くなった方がいし まだ十分にはまもられていないんだ。そのことは忘れないで」 すみれはなにも言わずにぼくの手をとって、そっと握った。やわらかい小さな手で、少しだけ 汗ばんてもオ 。、こ。ばくはその手がばくの硬いペニスに触れて、愛撫するところを思い浮かべた。そ んなことを想像するまいと思っても、だめだった。思い浮かべないわけによ、ゝ ( 力ないのだ。すみ れが言うように、そこには選択肢というものがなかった。ばくは自分の手が彼女の e-* シャツを脱 がせ、ショート。ハンツを脱がせ、下着をとるところを想像した。ぼくの舌の先の、彼女の硬く締 まった乳首の感触を想像した。それからばくは彼女の脚を開いて、その湿った中に人っていっ 。君は

3. スプートニクの恋人

「保管 3 」と書いてあった。それはどうやら中村警備主任が行方を探していた保管庫の鍵である 引き出しの中にそ ようだった。おそらくにんじんは何かの事情で一人で部屋に残されたときに、 れをみつけて、素早くボケットに突っこんだのだろう。どうやらこの子供の心の中には、ぼくの 想像の及ばない謎の領域がまだまだ存在しているようだった。不思議な子供だ。 受け取って手のひらに載せてみると、その鍵には数多くの人々のしがらみがべっとりと重くし みついているように感じられた。太陽のまぶしい光の下では、それはひどくみすぼらしく、汚ら わいしよう しく、矮小に見えた。ばくはちょっと迷ったが、思い切って鍵を川の中に落とした。小さな水し ぶきがあがった。それほど深い川ではなかったが、濁った水のせいで鍵のゆくえはわからなくな っこ。ばくとにんじんは二人で橋の上に並んで、そのあたりの川面をしばらく見おろしていた。 鍵を処分してしまうと、少しだけ気持ちが軽くなった。 「今更返しに行くわけにもいかないしな」とばくはひとりごとのように言った、「それに合い鍵く らいきっとどこかにあるよ。なにしろ大事な保管庫だもの」 ばくが手を差し出すと、にんじんはそっとその手をとった。ばくは手のひらの中ににんじんの 小さなほっそりとした手の感触を感じた。それはずっと昔にどこかでーーどこだろうー・ー経験し たことのある感触だった。ばくはその手を握ったまま、彼の家まで歩いた。 家につくと、彼女がばくらを待っていた。こざっぱりした白いノ 1 ス リー、フのフラウスとフリ 289

4. スプートニクの恋人

いことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。 理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。 それが ( ここだけの話だけれど ) わたしのささやかな世界認識の方法である。 わたしたちの世界にあっては、「知っていること」と「知らないこと」は、実はシャム双子のよ うに宿命的にわかちがたく、混沌として存在している。混沌、混沌。 、ったい誰に、海と、海が反映させるものを見分けることができるだろう ? あるいは雨降り と淋しさを見分けることができるだろう ? そのようにしてわたしは、知と非知とをよりわけることをいさぎよく放棄する。それがわたし の出発点だ。考えようによってはひどい出発点かもしれない。でも人は、うむ、とりあえずどこ かから出発しなくてはならない。そうだよね ? というようなわけで、テーマと文体、主体と客 体、原因と結果、わたしとわたしの手の関節、すべてはよりわけ不可能なるものとして認識され ることになる。すべての粉は台所の床にちらばって、塩も胡椒も小麦粉も片栗粉もひとつに混じ ってしまうーーー一一 = ロうなれば。 わたしとわたしの手の関節ーーーそう、気がつくとわたしはコンビータ 1 の前で、また手の関 節を鳴らしている。煙草をやめてしばらくしてから、この悪い癖がまた復活してしまった。わた 195

5. スプートニクの恋人

「今どれだけ時間をかけても、あなたにはたぶん、まとまったものは書けないと思う」とミウ は穏やかに、でも躊躇のない声で言った。「あなたには才能がある。きっといっか素晴らしいも のを書きあげることができるでしよう。お世辞じゃなくてほんとに心からそう思うのよ。わたし はあなたの中に、そういう自然な力の存在を感じることができるの。でも今のあなたには、まだ 準備ができていない。その扉を開くためのじゅうぶんな力が備わっていないのよ。自分でそんな 風に感じたことはない ? 」 「時間と経験」とすみれは要約した。 ミュウは微笑んだ。「とにかく、今はわたしといっしょにいなさい。その方がいいと思う。そ してもしその時がきたと感じたら、遠慮はいらないからなにもかも放り出して、心ゆくまで小説 を書けばいいのよ。あなたはもともと器用な性格じゃないし、なにか大事なものがうまく出てく るまでに、普通の人より時間がかかるタイプなの。だから圏になってまだ芽が出なくて、ご両親 からの援助を打ち切られてすかんびんになるのなら、そうなればいいじゃない。おなかはいくら か減るかもしれないけれど、小説家にはそういう経験だって必要なんじゃないかしら」 すみれは返事をしようと思って口を開きかけたが、声がうまく出せなかった。だからただ黙っ てうなずいた。 ミウはテーブルの真ん中に右手をのばした。「あなたも手を出して」 すみれが右手を差し出すと、ミ = ウはその手を包みこむように握った。温かく滑らかな手のひ

6. スプートニクの恋人

ていても、どれほど大事なものをこの手から簒奪されていても、あるいは外側の一枚の皮膚だけ を残してまったくちがった人間に変わり果ててしまっていても、ばくらはこのように黙々と生を 送っていくことができるのだ。手をのばして定められた量の時間をたぐり寄せ、そのままうしろ に送っていくことができる。日常的な反復作業としてーー場合によってはとても手際よく。そう 考えるとばくはひどくうつろな気持ちになった。 彼女はたぶん日本には戻ってきたものの、ぼくに連絡をとることがどうしてもできなかったの だろう。それよりは沈黙をまもり、記憶を抱きかかえたまま、どこかの名もなき辺土に呑みこま れていくことを求めたのだろう。ばくはそう想像した。ミュウを責める気持ちにはなれなかっ た。もちろん憎んだりもしない。 そのときぼくがふと思い浮かべたのは、韓国北部の山中の町に建っているというミウの父親 の銅像だった。ばくはそこにある小さな広場と、低い家並みと、土埃をかぶった銅像を想像し た。その土地にはいつも強い風が吹き、すべての木は非現実的なまでにねじ曲がっていた。どう してかはわからないのだが、その銅像はばくの心の中で、ジャガーのステアリングに手を置いた ミュウの姿とひとつにかさなっていった。 すべてのものごとはおそらく、どこか遠くの場所で前もってひそかに失われているのかもしれ ないとばくは思った。少なくともかさなり合うひとつの姿として、それらは失われるべき静かな さんだっ

7. スプートニクの恋人

ばくは歩を止めて背後を振り返った。下りの坂道が、まるで巨大な虫が這ったあとのように白 くぬめりながら町まで続いていた。ばくは空を見上げ、それから月の光の下で、なにげなく自分 の手のひらを眺めてみた。そして出し抜けに、それがもうばくの手ではなくなっていることに気 がついた。うまく説明はできない。でもとにかくひと目でばくにはそれがわかった。ばくの手は すでにばくの手ではなく、ばくの足はすでにばくの足ではなかった。 青白い月の光を受けたばくの身体は、まるで壁土でこしらえられた土偶のように、生命のぬく もりを欠いていた。西インド諸島の魔術師がやるように、誰かがまじないをもちいて、その土く れのかたまりにばくの仮そめの命を吹きこんだのだ。真実の生命の炎はそこにはない。ばくの本 物の生命はどこかで眠りこんでしまっていて、顔のない誰かがそれをかばんにつめて、今まさに 持ち去ろうとしているのだ。 ばくはうまく呼吸ができなくなるほどの、激しい悪寒に襲われた。よくわからないところで、 誰かがぼくの細胞を並べ替え、誰かがばくの意識の糸をほどいていた。考えている余裕はなかっ こ。ばくにできるのは、いつもの避難場所に急いで逃げこむことだった。ばくは息を思いきり吸 いこみ、そのまま意識の海の底に沈んだ。両手で重い水をかいて一気に下降し、そこにある大き な石に両腕でしがみついた。侵入者をおどすように水が妓膜を重く押した。ぼくはしつかりと目 を閉じ、息をつめ、それに耐えた。一度心を決めてしまえばむずかしいことではない。水圧にも、 空気のないことにも、寒々しい薄闇にも、混沌の繰りだす信号にも、すぐに馴れてしまう。それ 4 一

8. スプートニクの恋人

ろでそのまま受け入れることができる人だって」 「それはむしろ少数意見です」とばくは言った。 ミウは目を細め、いつもの小さなしわを作って微笑んオ ぼくは立ち上が「て彼女の前に行き、その手から空にな「たグラスをそ「と取りあげた。キッ チンに行ってグラスにクールヴォアジ = を注ぎ、居間にもどって彼女に手わたした。ミウは礼 を言「てブランディーを受け取「た。時間が過ぎ去り、カーテンが何度か音もなく揺れた。風に はちがった土地の匂いがした。 「ねえ、あなたはほんとうに本当のことを知りたい ? 」とミウはぼくに尋ねた。彼女の声には ようやくなにかを決むしたような乾いた響きがあった。 ばくは顔をあげてミウの顔を見た。そして言った。「ひとつだけ確かなことがあります。そ れは、もし本当のことが知りたくなかったならばくはここには来なかっただろう、ということで ミウはしばらくのあいだ、どことなくまぶしそうな目でカーテンの方を見ていた。それから 静かな声で話し始めた。「わたしたちが港のカフ = で猫の話をした日の夜のことだった」 ヾ、 ) 0 158

9. スプートニクの恋人

それからぼくは上着と伝票をとって、ゆっくりと立ちあがった。にんじんの肩に手をやると、 彼も立ちあがった。そしてばくらは店を出た。 そこから彼女の家までは、歩いて分ほどかかった。並んで歩いているあいだ、ばくとにんじ んは一言も口をきかなかった。 家に近くなったところに小さな川があって、コンクリート の橋がかかっていた。川と呼べるほ ど味気のあるものではない。排水溝をそのまま大きくしたような流れだ。まだこのあたりに畑が 広がっていた頃には、農業用水として使われていたのだろう。でも今では水は濁って、かすかに 床には夏の雑 洗剤のにおいがした。流れているのかいないのか、それさえもよくわからない。川 草が茂り、捨てられた漫画雑誌が開きつばなしになっていた。にんじんは橋のまんなかで立ちど まって、手すりから身を乗り出して下を見た。ばくもその隣に立って、同じように下を見てい た。長いあいだばくらはそのままの格好でじっとしていた。たぶん家にそのまま帰りたくないの だろう。気持ちはわかる。 にんじんはズボンのポケットに手を突っこみ、そこから鍵をひとっ取り出して、ばくの方に差 し出した。ありきたりの格好の鍵で、赤い大きなプラスチックの名札がついていた。名札には 288

10. スプートニクの恋人

声で。 反応はない。 ミュウの声は相手の耳には届いていないようだ。彼女はべッドを出て、すみれの ところまで歩いて行った。敷物の粗さが裸足の足の裏に、いつもより強く感じられた。 「体の具合でも悪いの ? 」とミウはすみれのとなりにしやがみこんでたずねた。 やはり返事はない。 ミュウはそのときすみれがロに何かをくわえていることに気づいたいつも洗面所に置いてあ るビンク色のハンドタオルだった。ミウはそれを取ろうとしたが取れなかった。すみれは強い 力で噛みしめていた。目は開かれていたが、なにも見ていなかった。ミュウはタオルを取ること をあきらめて、すみれの肩に手をかけた。そして。ハジャマがぐっしよりと濡れていることに気が ついた 「ヾジャマを脱いだ方がいい」とミウは言った。「ずいぶん汗をかいているし、そのままだと 風邪をひいちゃうわよ」 でもすみれは一種の放心状態の中にいるように見えた。なにも聞こえてないし、なにも見えて いないのだ。ともあれミウはすみれの。ハジャマを脱がせることにした。このままでは身体が冷 え切ってしまう。八月だったけれど、島の夜はときには肌寒いまでに涼しくなった。二人は毎日 水着も着ずに泳いでいたし、お互いの裸体を目にすることにも慣れていた。こんな場合だし、勝 手に服を脱がせてもすみれは気にしないだろう。 163