第二講怒りの源をさぐる 糧をすべて打ち砕こう このように私を害する以外 なりわい この敵にはなんの生業もないのだから ここでいう「敵」とは、私たちの真の敵、究極の敵、心の内に住する敵「怒り」です。怒りという くつろ 感情は私たちの心の安らぎや寛ぎをたちどころに打ち砕き、私たちを混乱状態に陥れます。私たちが たえず厄介事をかかえているのも、この怒りが原因なのです。 わざ 内なる敵「怒り」は私たちを害する以外、何の業もないことをこの詩句は語っています。私たちの 現在と将来を破壊する以外何もできないのです。 これは通常ならざる敵です。人の姿をした敵ならば、ここでいう敵というのは私たちに害を与えよ うとしている相手という意味ですが、二十四時間ひたすら私たちを打ち負かそうとするわけもなく、 食事を摂る、寝るといった別の行為をしないでもありません。ところが怒りや憎しみは私たちを破壊 するだけです。修行者はこのことを吾って、怒りや憎しみという敵を決して自らの心の中におこすま いと決意するのです。
自、ら妨げ、威ばしている せつかくの機会にめぐまれたにもかかわらず、自分の過失により、敵を許すことができず、癇癪を おこしたならば、忍耐の行を通じて福徳を得る機会を自ら捨て去ったことになります。ある意味で自 ら福徳の因を破壊してしまったのです。 忍耐は敵の存在があってこそーー・ それがなければ生ぜす それがあれば生じる それ ( 敵 ) こそが〔忍耐の〕因てあるならば と、つして敵が〔忍耐の行〕を妨げているなどどいえよう っ 断 を シャーンテイデーヴァはここで「因」の意味を簡潔に定義しています。何事も因なしには生ぜず、 の 妬因に拠って物事は生じるのです。敵の行動という因がなれば、忍耐行を行う機会もありません。実 際、忍耐の行に敵は必要不可欠な要素なのです。 講 第 187
菩提心などどこにあろう シャーンテイデーヴァはこの詩句でこう問いかけてきます。「他人が物質的に何かを得たり、成功 をおさめたり、喜んだりすることに耐えられないなら、どうして人を完全なる悟りへと導くことなど しいところです。そんな人の心に菩提心が育まれるはずもありませ できよう ? 」それでは偽善も ) ん。 他人の利益を妬まず、不幸も願わないーー・ もし〔敵が施主から何かを〕もらおうが 施主の家にそれが残っていようか いすれにせよ、あなたのものてはない っ 〔敵に〕それが与えられようど、与えられまいど何の関係があろう 断 を の スポンサ 1 妬 敵が施主から物質的な利益を得たからといって羨んだり、憤慨したりするのは無意味です。敵が 嫉 スポンサーからなにも手に入れることができなくても、私たちにはなんの違いもありません。敵がそ 講 ルれを手に入れそこなったとしても、私たちにそれが回ってくるわけではないのですから。敵がそのも 17 5
この世には多くの乞食がいる、ということは布施行の機会はふんだんにあるわけです。それと比べ ると忍耐行の機会はずっと少ないと申せましよう。こちらが手を出さないのに、敵が一方的にこちら に危害を加えるなど稀なことです、互いにやりあうのが普通でしようから。そのような機会に恵まれ たなら、感謝の気持ちをもって受け入れるべきです。自分の家に宝を発見したかのように喜び、あり がたく思うべきなのです。 鬮これ ( 敵 ) どともに私は〔忍耐を〕行しるこどかてきたのだから 忍耐行の果は 最初に敵が受け取る資格がある このように忍耐の因どなってくれたのだから 敵と出会うという機会に恵まれ、さらにあなた自身の努力があって、忍耐行はうまくいくのです。 断それゆえ、忍耐の果はまず自分の敵に廻向しなければなりません。 を の 妬鬮もし〔私に〕忍耐行を行じさせようなどど思ってもいない〔敵を〕 供養する必要などないどいうなら 講 第 成就の因どなる 189
第六講嫉妬の心を断っ そこであなたはこう答えるかもしれません。「なるほど、あなたのいうとおり、苦を断ち切った境 地とそこに至る修行の道を説く正法それ自身には、私たちを助ける意図などないだろう。だが敵は、 よこしま 私を助ける意図がないだけではなく、危害を加えようという邪な意図を抱いている。崇拝の対象にな るわけがない」 シャーンテイデ 1 ヴァにいわせると、敵の邪な心、あなたを傷つけようとする悪心こそが、敵の行 動をユニークなものにしているのです。単に人を傷つけるという行為なら、医師でもやっています。 医師たちは他人に危害を加えようという意図はなくても、患者に痛みを与えるような処置を、時に外 科的手術などを執り行います。だからといって、医師を敵とみなすことはありません。医師には私た ちに危害を加えようという意図がないからです。つまり敵をユニークな存在としているのは、望んで 危害を加えようとするその意図であり、これがあってこそ、あなた方は忍耐を行じるまたとない機会 を得ることができるのです。 このように百十一番目の詩句でシャーンテイデーヴァは正法と同様に、敵も崇拝の対象にしなさい と結論を出しています。なぜなら、敵こそあなたの忍耐行の因となってくれるからです。 瞑想の実践ー・・・ーートンレン ( 与えて引き受ける ) の瞑想 ではここで、沈黙の時間をとり、「与えて引き受ける ( トンレン ) 」の瞑想をやってみましよう。ま 191
第六講嫉妬の心を断っ 敵が称賛を受けたときー、 - よ 他人が〔自分の敵を〕有徳の人ど褒めるこどて 喜びをるな、ら 心よ、どうしておまえもまた、その〔敵〕を袞めて 同じように喜ひを得ないのか 自分や親族、友人に直接向けられた危害や悪意にどう対処するかを述べた後に、シャーンテイデー ヴァはさらに、自分にとっての敵が他人から称賛されたとき、自分の嫌う相手が人から高い評価を受 170
第六講嫉妬の心を断っ $ 8 ) 目にしたからといって、嫉妬したり、苦々しく思ったり、腹を立てたりするかわりに、敵の成功を共 に喜ぶべきなのです。もし共に喜ぶことができるならば、相手の成功を分かち合うこともできるかも しれません。おそらくその可能性はあるでしよう。逆に他人の成功を羨み、苦々しく思うなら、過去 に犯した悪業を深く悔いるどころか、ある意味で他人の善行の果 ( 今生での富や成功は過去の善行の 果とされる ) と積極的に競うことになります。 敵か不幸になったところて それをど、つして直〕ぶこどかて医、よ、つ あなたの心が願っただけて 敵に危害かおよぶこどはない あなたの願いどおり、〔敵に〕苦しみが生したどしても それをと、つして士吾ぶこどかて医、よ、つ もし「〔敵が苦しめば〕満足だ」どいう人かいるならば よこしま これはと邪なこどはあろ、つか 煩脳どいう漁師の投じた 釣針は恐ろしく鋭く、それに捕らわれた生きものは 奈落の獄卒たちによって 177
地獄の釜の中て煮られるこどだろう 最初の詩句でシャーンテイデーヴァはこう質問を投げかけてきます。私たちの行動によって、敵が 不幸におちいったからといって、どうしてそれが喜べるのかと。単に誰かを傷つけたいと思うだけで は、敵の身になにか悪いことが起きるように願うだけでは、相手に害を与えることはできません。願 をかけたとおり、敵の身に災いや不幸が生じたとしても、それをどうして喜ぶことなどできましよう か。「〔敵が苦しめば〕満足だ」と返事をする人に対してシャーンテイデーヴァはこうコメントしま す。「これほど邪なことがあろうか」 名誉や称賛の弊害ーー・ 称賛ど名声どいう尊敬は 畠恵にも寿命にも転じはしない 力にもならす、無病にもならす 身体が楽になるわけてもない なにが自分の利益になるかを知れば そんなもの ( 称賛や名誉 ) が何の利益ももたらさないどわかるはす 178
正法をどうして供養するのか あが ここで人は思うかもしれません。「どうして敵の功績を認めたり、崇めたりする必要があるのだ ? 私に修行のチャンスを与えようとか、私の手助けをしようとか思ってもいない相手なのに ? 」ならば 三宝の一つである正法も崇めるべきではないでしよう。なぜなら、正法とは、苦を断じた境地を、そ こへ至るまでの修行の道を説くものであり、正法そのものには私たちを助けようなどという意図はな いからです。それでも私たちは正法を尊び、崇めるべき対象としてみています。ここで大切なのは結 果であり、他の諸々の意図ではないのです。 もし〔私に〕危害を加えようどする意図のある敵を 供養するこどはて医、ないどいうなら 医師のよう に、〔私の〕利益のために労を惜しまない〔者を相手に〕 ど、つして刃耐を ~ 仟じるこどかて医、よ、つ それゆえ〔敵の〕憤激の心に拠って 忍耐が生じるゆえ それ ( 敵 ) こそが忍耐の因てあり 正法の如く供養すべきてある 190
第六講嫉妬の心を断っ ( 7 の けたとき、それにどう対処すべきかを説いています。通常私たちはそんな言葉は聞くだけでも不愉快 になるものです。しかし、人があなたの敵を称えたからといって腹を立てるのはまったくの間違いで す。よく観察してみてください、褒めている最中、その人物は嬉しげで満ち足りた様子です。その人 物はあなたの敵から幸福を、喜びを得たために、そのように称えたのです。ならば、あなたもそれを 共に喜ぶべきでしよう。あなたの敵が他人をそれほど満足させ、喜ばせることができたわけですか ら。できるならそれを妨げるかわりに、一緒になってあなたの敵を称えたほうがいいのです。このよ うな態度をとることで、喜びが生じるのです。また、こうすることで、他の人々もあなたへの態度を 変えることでしよう。なぜなら、このような状況下でも、ここで述べたような態度をとれる人は、嫉 妬がらみの問題にまきこまれることも少なく、妬みにとらわれるより、ずっと幸せで満ち足りた心持 ちでいられるからです。 あなたのこの喜楽は 〔将来の〕幸福の源てあり、罪てはない 〔菩薩などの〕有徳の者たちが勧める 他者をひきつける最高の方法てある 「〔褒められることて〕幸福になるのは他人だから」ど もしあなたが、〔相手に〕この幸福が〔もたらされることを〕望まないならば 171