こう考えることて、上師の慈悲を本当の意味て理解てきます。上師の慈悲は仏陀釈迦牟尼の慈悲にも まさるのてす。功徳や知識という観点からは、どの仏陀も同レヴェルてす。しかし恩という観点に立て ば、われわれが上師から受けた恩は、他のどんな仏陀から受けた恩よりもはるかに大きいのてす。 てすから、①上師は仏陀てあると受けとめて、②上師に深い信頼を持ち、③上師から受けた恩を思っ て、④上師を深く尊敬する。これこそ観想をとおして上師との関係を築く方法てす。 0 + 行動をとおして上師への信頼を深める 行動をとおして上師への信頼を深める修行とは、上師の教えに従い、上師の忠告を守って生活し、上Ⅳ 師に供養を捧げ、上師に奉仕する修行てす。 上師のアドヴァイスに従って生活することが、本当の意味て上師への供養てす 上師の指導を盲信しない が、万が一、上師の教えが一般的な仏の教えと矛盾すると感じたときは、よく 検討したうえて、なぜその教えを受け入れることがてきないか上師に説明すべきぞす。「自分に適して いない指導を受けたときは、よく検討したうえて、なぜ適していないのか言葉て説明しなさい」 『上師五十頌』てアシュヴァゴーシャは述べています。さらに「もし不健全な指導を受けたなら、それ にそむかなくてはいけよい」 『律教』てグナバラバも述べています。同様の意味て、「健全な理想に しかし仏教教義にそむいた教えに従ってはなりません」と、大乗て 基づいた教えにはよく足いなさ、 122
+ 観想をとおして信頼を育む まず自分の頭項に上師を観想してください。上師は全仏陀の体現てあり、胸から光が射しています。 上師の前には、自分が直接教えを受けたことのある上師を全員観想します。 いまからわれわれは、 もし上師の肉体や容姿に欠点があっても、そのままのお姿て観想してください 上師に欠点があると感じる自分の気持ちの克服を目的として「上師への特別の帰依」を行なうのて、 まの時点ては、上師の欠点や短所をすべて観想することが大切てす。 ては、最初に、上師を正しく信頼すると、どんな福益が得られるかを考えます。 なせ上師に信頼を寄せ たとえば、仏陀の境地にいちだんと近づくことがてきるなど、菩提道次第論て概第 頼りにすべきなのか 説されている八つの利益について考えてみるのてす。くわえて、信頼のおける 、過去の聖者の伝 経典の内容をじっくり考察したり、自分が深く共感てきるさまざまな論証を用いオ 記について深く考えたりと、自分の能力にあった方法てかまいませんから、上師に信頼を寄せるとどん そのためのいろいろな努力は、利潤の大きい投資のよう な利益が得られるか十分に理解してください なものてす ! ( ません。そして、上師と接する機会を得 とにかく上師を正しく信頼すべきだと確信てきなくてはいナ ーません。日常 たことを喜びましよう。さらに、高い玉座から説法する高僧だけを上師だと田 5 ってはいナ
0 実際に観想をとおして上師への信頼を育む過程は、まず第一に上師を信じる気 さまざまな考察をとおし 持ちを持っことからはじまります。そのためには、正面の上師たちに集中し 上師への信頼を育む 「心の劣ったわれわれには上師本来の仏陀としてのお姿を見ることはてきない のて、上師はわれわれのレヴルに合わせて、ごく普通の人間の姿て現われてくださった」と考えます。 いくつかの経典ては、持金剛ご自身が、自分はいつの日か上師の姿てこの世に現われるてあろうと おっしやっています。持金剛が普通の人間として現われてくださったのは、仏陀本来の姿を見る力のな い者のレヴェルに合わせようとする大悲ゆえなのてす。 あるチベットの聖者は「過去の仏陀や菩薩がどうやって現代の衆生を救済しているかを、言葉だけて なくきちんと理解てきていれば、それが資質ある正しい上師に代々受け継がれてきたことも理解てきる はすだと述べています。われわれが一番恩を受けているのは教えを授けてくれる上師たちてす。悟り へ導いてくれるのは、まさにこうした上師たちだからてす。もし仏陀が私たちを利益するため働いてく ださっているとすれば、それは上師をとおした働きかけ以外にありません。そう考えれば、上師に対す と強い決意を固めてくださ、 その決意とともに、偉人たちの伝記を読むと効果があります。インドの ハが上師テイロー ハとどのように関わっていたか、あるいはチベットのミラレーパが師の言い つけを果たすためにどれほど苦労し、それても修行を投げださなかったかなど、偉大な諸師の逸話がよ いてしよう。ますは上師を信頼する決意を固め、つづいて上師との関係を絶対に放棄しないと決心する のてす。 1 16
上師は金剛結跏趺座を組んていらっしゃいます。この座法は、仏陀が四つのヴァジュラサナーーすな わち足の組みかた、脉管、風、滴 , ーーを用いて完全なる語りの境地へ到ったことを象徴しています。ま た、この座法は、 いかなる障害にも打ち勝っことの象徴てもあります。 イ陀釈迦牟尼のお姿をした根本の上師は、巨大な玉座の中央に、蓮華 ( 雑色蓮華座 ) 、太陽 ( 日輪座 ) 、 月 ( 月輪座 ) を敷いて座っていらっしゃいます。そのまわりを四つの小さな玉座が囲んています。その うちのひとつ、上師の正面の小さな玉座には、自分が「灌項を授かる」「ロ伝を授かる、「教えを説いて もらう」という三つの理由て恩を受けている根本の上師が、普段どおりの姿て座しています。この上師 こそ、あなたが誰よりも親しみをいだいている上師てす。根本の上師に身体的な欠点がある場合を除き、 0 日ごろのお姿て観想してくださ、 そしてさらに、自分が直接教えを受 けたことのある他の上師たちが 根本の上師のまわりを囲んていると観想してください たとえ自分の上師が在家信者てあっても、集会樹の観想をするときは、上師を出家者の姿て観想すべ と説く経典もあります。 つづいて中央の仏陀釈迦牟尼の左側の小さな玉座に、「甚深なる智慧 , の系列の上師たちに囲まれた 文殊師利が座し、右側に「広大なる行」系列の上師たちに囲まれた弥勒が、イド ム它釈迦牟尼のうしろ側に は「実践加持の系列の上師たちに囲まれた持金剛が座していると観想します。以上の各系列の上師た ちは「五グループの上師たち , と呼ばれる形をとっています。 さらにこの五グループの上師たちを、四種タントラの本尊、諸仏、菩薩、阿羅漢、勇者、勇猛女、護 法尊がとり巻いています。なお、勇者や勇猛女を観想する際に、勇者を右側に、勇猛女を左側に観想す
持金剛と実践加持の 系列の上師たち 広大なる行の系列の上師たち、内 甚深なる智慧の系列の上師たち 本尊釈迦牟尼仏 持金剛 ) ノ弥勒菩薩 文殊菩薩フ -4 冫フ本の上師と直接教えを , 0 、 / ー受けたことのある上師たち イ仏陀 : ー仏陀ー 仏弟子 ' 八 / 、自尸、 勇猛女 ノ ) 護法尊、、、 「菩提道次第」の集会樹の図解 釈迦牟尼仏の姿をして現われた自分の根本上師を本尊とし、その周囲、本尊の うしろに持金剛と実践加持の系列 ( 密教の糸列 ) の上師たち、本尊の右手 ( むか って左 ) に弥勒と広大なる行の系列の上師たち、左手 ( むかって右 ) に文殊と甚深 なる智慧の系列の上師たち、本尊の前に根本の上師と直接教えを受けたことのあ る上師たちを思い描き、さらにそのまわりを、 ( 四種タントラの ) 本尊、さまざまな 仏陀や菩薩、仏弟子たちがとりまいていると観想する。 く「菩提道次第」の集会樹
仏陀釈迦牟尼がお説きになっ ' : : が真実てあり信 オオしへん深遠な事柄ーー「空性 , や「無常」など 用てきると立証てきれば、同じく仏陀釈迦牟尼のお説きになった「上師は仏陀釈迦牟尼の体現てある , という言葉も信用てきるはすだ、と結論てきるはすてす。こうした方法て間題にアプローチすれば、仏 ム 陀の教えへの深い信仰と確信が得られることてしよう。それてこそ、菩提道次第に沿って進めているこ のイ丁に -,0 、 大きな成果が期待てきるというものてす。以上述べたような、分析的観想をとおして論理 的な確信に到るという心の基盤もなく、上師への帰依の修行を行なっても、ご利益があったり感銘を受 け 4 にり・亠 9 るこし」は↓十・・た 0 い′ししょ - フ。 上師への尊敬は、上師の深い慈悲を反芻することて生じます。ここてもう一度、自分 尊敬の念をいだく の正面に観想している上師に焦点を合わせてください。上師の慈悲があったからこそ、 菩提道全体への理解を深められたことを思いめぐらしてみます。そして、その深い考察の威力によって、 甘露が降りそそぐといったことが起こります。 上師の慈悲には、教えを授けてくださったり心を鍛えてくださったことも含まれます。読み書きを教 えてくれた上師をはじめ、学論を伝授してくれた上師、個人的解脱のための戒 ( 波羅提木叉 ) や菩薩戒 を授けてくださった上師、密教の讙項、ロ伝、注釈、伝授を授けてくださった上師、さらに人生をどう 進むべきかを指導してくださった上師まて、それぞれの上師の慈悲について、もう一度じっくり考えて くたさ そうてす。われわれは人生を通じて、生きかたや人生観など、すべて上師たちから教わって いるのぞす。 第 3 章瞑想 1 2 1
まるて、あらゆる逃げ場を失ったわれわれを守ってくださっているようてす。そう考えたときこそ、何 ものにも勝る上師の慈悲に、心から感謝の気持ちが生まれることてしよう。そう考えれば、上師の欠点 を目にしても、それは逆に上師の巧妙な手段だと知って、いっそう信頼が増すはずてす。このようにし て、上師に対する信頼と尊敬の念を深めていきましよう。以上が上師への信仰と確信を育む方法てす。 もし上師に信頼をいだいていなければ、どんなに鮮明な観想がてき、どんなにはっきり上師の姿を思 い、冫かべることかてきても、 たいした効果は得られません。それては優れた絵画を鮮明に思い浮かべる ことがてきるのと変わりないからてす。だからこそ上師に強い信頼と尊敬をいだくべきなのぞす。しか し、仏教全体の大まかな枠組みを理解しないかぎり、上師は実は仏陀てあるという正しい認識に基づい グル・ヨーガ た信頼は得られないのも確かてす。逆に、その知識をしつかり身につけた者にとっては、短い上師瑜伽 の経典を唱えることさえ、「上師への帰依 , の深遠なる修行となりえます。私はいつも仏教徒に勉強が いかに大切か強調しています。仏教に馴染んていない人に、上師への帰依の大切さを説明するのはとて も難しいことてす。「人は仏陀になる可能性 ( 仏性 ) を秘めている , という最初の段階にさえ疑いをい く人に、「上師は仏陀の化身だと持金剛がおしやったと、どんなにくりかえして話して聞かせたと ころて、あまり意味がないからてす。 てすから、ます第一 に、空性や相互依存の法則 ( 縁起 ) について、また、それらがたかいに、、 あっているかについて、ある程度理解することがとても重要てす。それが理解てきれば因果の法則を深 く確信てき、その確信が、ひいては人間の知覚作用を超えた事柄への確信を生みだし、ついには三宝へ の信頼を深めるよすがとなるのてす。 PART 5 MAIN LAMRIM MEDITATIONS 120
分の根本の上師に対して犯してしまった悪業が浄化されます。さらに上師たち、なかても自分の直接の 上師から、身・ロ・意の加持が授けられます。これにより上師たちのやさしい庇護のもとに置かれた と考えます。以上、「悪業の浄化 , 「帰依の対象から加持を受ける、「最終的に帰依の対象の庇護のもと に置かれる」の三つの観想は、とても威力があります。 仏・法・僧に帰依するときは、この三段階の瞑想を行なわなくてはなりません。また一般に、上師を 。ません。正しい資質を備えた上師は、上師自身が仏陀釈迦牟尼の偉大な 仏陀と切り離して考えてはいナ 特生をすべて兼ね備えたひとりの仏陀てあるはずてす。そのため、三宝を離れたところに上師と呼ばれ る者は存在しません。特に大乗の教義、なかても密教は、上師から加持を授けられるかどうかて修行や っそう顕著てす。ことに密教の修行ては、曼陀羅の根本の本 語りが左右されるのて、こういう考えがい 尊と不二一体とみなした上師から戒を受け、誓約 ( 三摩耶戒 ) を立てます。密教の修行ては、生きた人 間から伝授されることが最も重要なのてす。このことは、顕教の修行ては仏像など帰依の対象から菩薩 という単純な事実に示されていま 戒を受けられるのに、密教の戒は生きた人間からしか受けられない、 す。 仏陀釈迦牟尼は持金剛の姿になって、菩薩たちに密教の教義を説いたとされますが、残念ながら、わ れわれは持金剛に直接接することはてきません。しかし絶えることなくつづいてきた血脈をとおし、持 金剛の加持に直接触れることはてきます。上師がその血脈をわれわれに伝え、われわれと持金剛を結ん てくれるからてす。てすから上師こそ、仏陀の加持を得るための入り口てす。精神向上のための非常に 重要な役割を担っているからこそ、上師に対して特別な帰依が行なわれるのてす。
も効果があるてしよう。 さらに重ねて、あらゆる帰依の対象が姿を変えて現われたもの ( 体現 ) が上師てあり、自分自身を上 師の加護に 一完全に委ね、上師の加持力を与えられることを願っています、と上師にむかって唱えます。 十集中し心をこめた祈り 四つの仏身の体現にして 上師てありすぐれた本尊てあり持金剛てある 釈迦牟尼仏陀に祈願いたします 障礙から離れた法身の体現にして 上師てありすぐれた本尊てあり持金剛てある 釈迦牟尼仏陀に祈願いたします 大楽なる報身の体現にして 上師てありすぐれた本尊てあり持金剛てある 釈迦牟尼仏陀に祈願いたします 第 2 章前行 10 1
提道次第の修行て、歴代上師に祈りを捧げるときは、祈りを捧げているあいだ、集会樹の個々の 上師から自分に甘露が降りそそがれていると観想します。そうすることて、それぞれの上師から 0 加持が授けられ、これまて自分が上師との関係て犯してきた悪業が浄化されます。こうして自分は、語 りの道をよりいっそう進みやすくなったと考えてください。つづいて上師の分身が自分の頭項へ降りて くると観想します。ここて諸仏陀、諸菩薩に対し、「祝福と加持を雨のように降りそそいてください」 と請願します。なぜなら自分はいま、語りの道 ( 菩提道 ) の次第を修行したいという心からの願いに突 き動かされて、正しい道へ踏みだしたのてすから。 以下の上師への請願の偈文を唱える際は、各段落の最後の行を二度くりかえしてください。一度目を 唱えるときは、そこて謳われている上師から甘露が溢れだして降りそそぐと観想し、一一度目を唱えると きは、その上師が自分のなかに溶けこんてくると観想します。 歴代上師の加持力を呼び起こす