+ 死と無常の考察 世俗的な意味てさえ、帰依するには、何かしらさし迫った危険への恐怖が必要てす。同様に、揺るぎ ない帰依を実践するには、第一に、自分がどれほど恐ろしい危険に直面しているか認識することが重要 てす。その認識を持てるかどうかは、「輪廻世界の生の本質は、概して不満足や苦しみの連続てある , と認識てきるかにかかっています。輪廻世界全般、ならびに悪趣の世界の本質がいカ ( し こ、とわしく、苦 しみばかり生みだすものかはっきりとわかったとき、帰依をしたいと願うむは、おのずと湧いてくるて ーしトフ こうした考えに至るには、死と無常に関するいくつかの考察が欠かせません。こういった理由から、 仏陀は四聖諦をお説きになったとき、まず最初に無常についてお話しされたのてす。これについては 『四百論』の第一章て解説されています。実は、この経典は難解な言葉て書かれていますが、輪廻世界 の一般的苦しみと、六道のそれぞれの世界の苦しみが広く説明されています。 実践の解説書には、俗世の誘惑に打ち勝つのを助ける修行法が列挙されています。たとえば、死と無 常の考察がどう有益てあるか理解する修行、それを怠った場合、どんな不利益があるか考察する修行、 死を疑似的に追体験する具体的な死の瞑想の修行などてす。 クンタン・テンペ ー・ドウンメは著書の『死と無常の暝想法』て、以下のように述べています。 0 PART ろ MAIN LAMRIM MEDITATIONS 140
簡単にいえば、われわれの五蘊、つまり身体と心は、この人生て明らかな苦しみを経験する基盤とし て働くばかりか、来世に苦しみの苦しみ ( 苦苦 ) や変化の苦しみ ( 壊苦 ) をもたらす原因てすらあるの てす。てすから、この五蘊から完全に解放されるよう、上師に請願しましよう。 輪廻世界に共通する苦しみや六道世界おのおのの特別な苦しみ、なかても観察可能な人間界の苦しみ を分析し考察してください。煩悩の破壊的本質も深く考察してください。苦しみを熟知し考察したおか けて、世俗的な見地からは魅力的な事柄も、実はその本質は苦しみて、悪業や煩悩の影響を受けている ことが徐々にわかるてしよう。世俗的に魅力ある事柄というのは、どれをとっても無意味て無用だと気 づくのてす。似たような例て類推してみましよう。あるチベット人が中国の支配下にあるチベット本土想 を訪れたとします。彼は、チベットの国全体が抑圧され、中国に占領されていることを知っているのて、 いくらホテルや学校など新しく立派な建物を見たとしても、何の称賛にも値しないという気持ちがただ たとえ世俗的には魅力のある事柄てあっても、悪業や煩悩に支配さ ちに湧いてくるてしよう。同様 ( れているのては何の価値もない、 と確信てきるようになるはすてす。 このような受けとめかた ( 知覚 ) をすれば、意識的な努力なしても、自発的に解脱を得たいという願 いか湧いてきます。そうした願いが起こるということは、すてに中級段階の修行者 ( 中士 ) のレヴェル まて心が鍛練されていることを示しています。ちなみに、初級段階の修行者 ( 下士 ) が一般に行なう修 行を達成てきたかどうかの基準は、この世の魅力に打ち勝って、来世のことを考えられるかどうかてす。 そして、中級段階の修行者 ( 中士 ) の一般的修行の基準は、輪廻世界の本質は苦しみだと理解し、自然 に解脱を求めるようになることてす。
る一 ) し」はた 6 い。 。それが法の実践てす これら四つをよく考えて、善行を積み、不善行を離れてください ( 第 3 章 6 ) 。 さて、善行を積んて不善行を捨てたおかげて善趣に生まれ変わったとしても、六道輪廻世界から解脱 しないかぎりは、完全に苦しみから離れたとはいえません。生病老死はもとより、会いたい者には出会 したくない者に出会うなど、六道輪廻にいるかぎり苦しみはっきません。阿修羅には、戦争の わず、会、 苦しみや、嫉妬の苦しみがあります。欲界の天人に生まれても、死ぬ直前には自分の来世を知ってたい へん苦しみます。色界や無色界の天人てあっても、遍満する苦しみ ( 行苦 ) からは離れていません。六 し」い A っ . 道輪廻世界は苦しみばかりてす。「この苦しみを離れるには輪廻世界から解脱するしかない ! 」 強い気持ちて、出離のむを起こしましよう ( 第 3 章 7 ・ 8 ・ 9 ) ここまてが、初級段階から中級段階の修行者 ( 下士から中士 ) を対象として菩提道次第論のなかて説 かれているあらすじてす。初級段階とは、有暇具足、死と無常、三悪趣の苦しみについて深く考えるこ とをとおして、世俗的な事柄に執着して一喜一憂する思かしさやこの世の厭わしさを思い、来世にむけ て準備をはじめる段階てあり、中級段階とは、因果の法則を理解し、輪廻世界の過失を考えて、出離の 心 ( 輪廻世界からの解脱を願う心 ) を起こす段階てす。 そして、いよいよ上級段階へと進みます。ここて考えなくてはならないのは、自分以外の衆生たちも、 自分と同じく苦しんており、しかもみんな苦しみからのがれて幸せを得たいと願っているということて ここ、て、 す。だとすれば、自分だけが苦しみを離れるために解脱を願うのは正しいことてしようか ? 大乗仏教に入ることが重要となるのてす。一切衆生の救済を願うがゆえに自分が菩提を得たい、 付録ー 275
す。色界のうえは無色界として知られる世界て、これは四段階に分類されます。無色界ては、一時的て すが、苦しみや不満足のみならず、世俗的な喜びや楽しさの感覚といった、結果的に執着や不満につな がることからも解放されます・。 これら各レヴェルの世界が本当に存在するか論理的に証明するのはとても難しいてすが、将来自分の 心のレヴェルが別のレヴェルへ移行しうるかどうか検証することは可能てす。心の性質を確かめたり、 心が執着・嫌悪・怒りなどに支配されている程度を検証することて、心の本質がどんなものか推察する ことがてきるからてす。 衆生は死ぬと、この三つの世界のどれかに転生しますが、転生する先は一般に二種類に分類されます。想 高いレヴェルっまり善趣への転生と、低いレヴェルっまり悪趣への転生てす。善趣への転生とは、色 悪趣への転生とは 界・無色界・欲界いずれかの天、阿修羅、人間のどれかに生まれ変わることをいし 第 畜生、餓鬼、地獄の衆生のどれかに生まれることをいいます。 + 衆生をとリ巻く環境 『倶舎論』て鮮明に描写されたような地獄が実際に存在するかどうか私にはわかりません。とはいえ環 境が、そこに住む生物に多大な影響をおよばすのは明らかてす。われわれは、棲息地てある惑星、地球 に大きく依存しています。けれど過去の人たちは、このデリケートな相互依存の関係を理解していな かったため、多くのことをあまりにも当然に受けとってきました。そうした無知のせいぞ、モラルのな
は業と煩悩てあり、それらの本質はきわめて破壊的な悪しきものだという真実」 ( 集諦 ) をよく考えて この考察を基に、輪廻世界から解脱する願い ( 出離 ) を起こしましよう。 ツオンカバ大師が『道の三要訣』て説明なされたように、われわれは今生の誘惑に打ち勝ち、さらに 来世て善趣へ生まれ変わりたいという願いにむを奪われる段階も越えなくてはいナ 。ません。輪廻世界そ のものからの解脱を願うようになるには、輪廻世界から解脱する方法を知るのが一番てす。方法を知ら ないうちは、確固とした揺るぎない願いは持てないからてす。ては、その知識はどのように習得したら よいのてしよう ? まず苦しみを苦しみとして認識し ( 苦諦 ) 、次に苦しみの原因を突きとめます ( 集 諦 ) 。さらに解脱は実現可能かどうか考えます。苦しみに原因があるなら、原因をなくせば解脱 ( 滅諦 ) は可能なはずてす。とすると解脱 ( 滅諦 ) を得る方法 ( 道諦 ) があるはずてす。このようにして「解脱 への道 ( 道諦 ) を実践すれば、苦しみを滅すること ( 滅諦 ) がてきる」と確信が持てたとき、解脱を得 たいという願いが強く湧いてくるのてす。 + 苦しみの種類 前にも述べましたが、 中士のための心の訓練に先立ち、修行者の我執 ( ものごとには絶対堅固な実体が あるとするまちがった認識 ) を弱める必要があります。心の我執をすっかりとり除けば、ついには解脱と 呼ばれる永遠に平和な状態へ到達てきるからてす。解脱を得ていなければ、一時的に悪趣の苦しみをの がれ、世俗的な喜びを享受していても、単に悪趣の苦しみがわずかばかり先のばしされているにすぎま 第 3 章瞑想 175
てきるからてす。聖者は唐りや滅諦を得ているだけてなく、彼ら自身の経験に基づき、われわれを正し く導くことがてきます。考えてみれば、世俗的な知識 ( こ関してさえ、教師を必要とするてはないてすか。 われわれには、滅諦へとつづく正しい悟りの道を一歩一歩正しい順序て導いてくれる、完全な成 仏陀 就をとげ、唐りを得た指導者の導きが必要てす。滅諦とは一瞬てなしとげられるものてはなく、 順々に段階を踏んてしか到達てきない境地だからてす。それゆえ、仏教の開祖てあり、全世界の衆生に 完全に平等な慈悲をそそいていらっしやる上師、仏陀への帰依が非常に大切なのてす。ツオンカバ大師 はおっしゃいました。 仏陀の教えの外の者たちは 長い苦しみを耐え忍んできたにもかかわらす 我執どいう邪見をさらに強めている もつど苦痛をくれどでもいうかのように 他の宗教て修行している導師たちも、その教えが多くの人々を利益していることを考えれば、称賛に 値します。しかし仏教の修行者は、今生の福徳だけを求めるのてなく、究極的な解脱へ導く道を求めて いるのて、この唯一の道を信奉し実践している上師に就く必要があります。一般に、世界の主な宗教の 指導者には、仏教徒てあろうとなかろうと、敬意を払い、称賛を捧ぐべきだと思います。同時に、自分 PART ろ MAIN LAMRIM MEDITATIONS
せん。それなりの状況が揃えば、ふたたび悪趣に転生してしまいます。つまり、善趣に生まれたおかげ て、一時的に悪趣の苦しみをのがれていても、その状態は非常に不安定て安心てきないものなのてす。 さらに深く観察すれば、輪廻世界の衆生てあるかぎり、どんなにレヴェルの高い世界へ転生しようと、 たとえそれが最高のレヴェルてあろうとも、本質的には苦しみに捕われているのがわかります。輪廻世 界てはいかなる衆生も存在そのものの苦しみ ( 行苦 ) からは解放されていないのて、悪業や煩悩に影響 を受け、支配されている状態だからてす。悪業や煩悩の影響から解放されないかぎり、永遠の平和や幸 福が訪れることはないのてす。 動物てさえ、それを苦しみてあると認識し、のがれたいと願うような明らかな苦しみを「苦しみの苦 しみ ( 苦苦 ) 」と、 しいます。また一般に、われわれが喜びや幸福とみなす経験 たとえば空調設備のⅣ おかげて肉体的に決適だといった経験 も、深いレヴェルて考察すれば、苦しみに変化する可能性を 秘めています ( 壊苦 。たとえば冷房も効きすぎれば、寒さに苦しむことになります ) 。世谷的に幸福や喜び とみなされる経験も、本質は苦しみてあると露見します。そのような経験は、ひとときの満足を与えて くれるため、そのつかのまの喜びに惑わされて、それらを「幸福 , とみなしてしまうのてす。けれど、 そうした一時的な幸福を追いつづければ、ふたたび苦しみへ導かれます。こういう世俗的な「幸福 , は、 大抵真の幸福てはなく、 オオ現在自分がかかえている明らかな苦しみとの比較によって、あたかも喜 びや幸福のように見えるにすぎないのてす。 あらゆる苦しみの体験は、次の三種類 ( 三段階 ) に分類ぞきます。 176
0 こから普通中級以上の修行者 ( 中士以上 ) が行なう修行に入ります。下士の瞑想同様、中士の瞑 < 想を行なう前にも前行が必要てす。 ツオンカバ大師は、『道の三要訣』て次のように述べていらっしゃいます。 苦諦の真実・ーーわれらがいだく輪廻世界への誤った認識ーーーを考察しないかぎり 輪廻世界から解脱する願いは起こらないだろう 苦しみの原因ーーー輪廻世界の入り口 一ついて深く考えないカぎり 輪廻世界の根絶法は見つからないだろう 輪廻世界からの出離に身を捧げ努力しなさい われわれを輪廻世界に縛りつける鎖について知りなさい まず「輪廻世界の本質は苦てあるという真実」 ( 苦諦 ) をよく考えてください。次に「苦しみの原因 輪廻世界は概して厭うべきものである 174
+ 歴代上師への祈り おお尊く吉祥なる根本の上師よ わが頭頂の蓮華座ど月輪座のうえに座し 御身の大悲によりてわれをいたきたまえ 成就者の身・ロ・意を与え給え 比類なき指導者開祖仏陀よ 世尊の代理をつどめる無敵の弥勒よ 仏たちに予言された聖者アサンガ ( 無着 ) よ 仏陀ならひにふたりの菩薩に祈願いたします インド諸賢人の宝冠ヴァスパンドウ ( 世親 ) よ 中観の道を得た聖者ヴィムクテイセナよ 厚き信仰に値する聖者ヴィムクテイセナコ、こンよ 世界の眼をひらく三名に祈願いたします 第 2 章前行
、くつかの異なったテクニック ( 方便 ) があります。不運に直 さまざまなタイプの修行者に適した、し 面したとき、「これが苦しみの本質てあり、輪廻世界にとどまるかぎり当然のなりゆきだ」と熟考して よい効果が得られる人もいるし、苦しい状況を自分の悪業の結果だと捉え、自分がこの苦しみを経験す ることて、他の衆生が同じ苦しみを経験しなくてすみますようにと願う人もいます。 精進の能力のある人は、当初の計画どおりにものごとをなしとげることがてきます。てす 精進波羅蜜 から精進は、修行者にとってたいへん重要てす。一般に精進には、①鎧のような精進、② 徳を集める精進 ( 摂善法 ) 、③他者のために働く精進 ( 利益有情 ) の三種類があるとされます。精進の妨 げとなるのは、主にさまざまなレヴェルの怠情てあり、ぐ ずぐず先のばしにする怠惰、鈍感さや劣等感 から来る怠情などがあります。 褝定 ( 止 ) と智慧 ( 観 ) の修行については、別の章 ( 第 3 章・ ) てとりあげるのて、こ 禅定波羅蜜 月・、、ナ・こーし上亠 9 こては一般的な説日オ ( ( 褝定とは、一般に、むを一点に集中させる能力のことてす。あらゆる瞑想をするうえて、力強い基盤 となります。褝定には、異なった機能に基づく二種類があります。すなわち、世俗の対象に集中する褝 定と、世俗を越えた対象に集中する褝定てす。 2 5 2