てきるからてす。聖者は唐りや滅諦を得ているだけてなく、彼ら自身の経験に基づき、われわれを正し く導くことがてきます。考えてみれば、世俗的な知識 ( こ関してさえ、教師を必要とするてはないてすか。 われわれには、滅諦へとつづく正しい悟りの道を一歩一歩正しい順序て導いてくれる、完全な成 仏陀 就をとげ、唐りを得た指導者の導きが必要てす。滅諦とは一瞬てなしとげられるものてはなく、 順々に段階を踏んてしか到達てきない境地だからてす。それゆえ、仏教の開祖てあり、全世界の衆生に 完全に平等な慈悲をそそいていらっしやる上師、仏陀への帰依が非常に大切なのてす。ツオンカバ大師 はおっしゃいました。 仏陀の教えの外の者たちは 長い苦しみを耐え忍んできたにもかかわらす 我執どいう邪見をさらに強めている もつど苦痛をくれどでもいうかのように 他の宗教て修行している導師たちも、その教えが多くの人々を利益していることを考えれば、称賛に 値します。しかし仏教の修行者は、今生の福徳だけを求めるのてなく、究極的な解脱へ導く道を求めて いるのて、この唯一の道を信奉し実践している上師に就く必要があります。一般に、世界の主な宗教の 指導者には、仏教徒てあろうとなかろうと、敬意を払い、称賛を捧ぐべきだと思います。同時に、自分 PART ろ MAIN LAMRIM MEDITATIONS
このような実践書を教授する、あるいは勉強するにあたって重要なことがあります。まず教師の側に は、純粋な動機と本当の意味て弟子の利益を思いやる心が必要てすし、弟子の側は、常に教えを自分の りやく 心と関連づけて考え、生きとし生けるもの ( 一切衆生 ) を利益しようという思いやりの心 ( 利他心 ) を 持ち、教えによって得た功徳はすべて一切衆生に捧げようと考えなくてはなりません。 あなたも弟子の側のひとりとして、正しい観想を行なうべきてす。また観想をする前には、準備段階 の行 ( 前行 ) を行なってください。今回は、六加行法に従って前行を説明しましよう。六加行法とは以 下のことをいいます。 ①瞑想を行なう場所を浄め、仏陀の身・ロ・意 ( 身体・言葉・心 ) の象徴てある仏像、経典、仏舎利 塔などを正しい配置に整える。 ②供物を美しく供える ( 不正な手段て入手した供物は汚れているのて不可 ) 。 ヴァイローチャナ ③瞑想用の快適な座布団のうえに毘盧遮那の七法 ( 第 2 章 1 、三〇頁参照 ) という座法て座り、心を 正し、帰依をし、利他の動機を育む。 ( 3 ) ④集会樹を観想する。 ⑤「七支分の行」と「曼陀羅供養 , を行ない、悪業浄化と善業の蓄積のため、必要なことはすべて行 なうと決意する。 ⑥上師に対し「どうか私のむに加持力を吹き込んてください」と心から祈願する。 第 1 章序論
く本ついているかゆえのことだろう。 タライ・ラマ法王が正月の説法によくとりあげる菩提道次第論は その説法をまとめたのが本書だ がーー広範な仏教経典から教えのエッセンスを拾いあげ、実践しやすく組み立てたものてある。難解な 経典をひもと いたり、それのみに集中しなくてはならないような修行がてきなくても、修行可能な仏教 の実践法だ。これを日々実践して得られるよい効果は、前にお話ししたように、チベットの人々がすて に身をもって証明してくれているように田 5 う。結局、教えを実践していれば、自分自身が幸福な気持ち て日々を暮らしていけるのてはないだろうか この本をお読みになった方が少しても、心に平和と安らぎを感じ、法を体験してくださることを心よ り願っている。さらに、真理への洞察をも深めていただければ幸いてある。 本書を訳すことがてきたのも、ひとえにゲシェ ・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ先生の広大な知識 と的確なご指導のおかげてある。 ちなみに、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の文化交流部門てあるチベットハウスては、ソナム先 生をはじめとするチベット人講師による仏教思想や瞑想修行およびチベット語のクラスを開設している のて、興味のある方は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 ( 〒一六〇東京都新宿区新宿五ー一一ー三〇 第五葉山ビル五階電話〇三ー三三五三ー四〇九四〇三ー三二二五ー八〇一 lll) まて直接お問いあわせ ダルマ AFTERWORD 302
に関して、仏教の教えのなかには、人に薦めるに値する内容が数多く含まれていると私は信じています。 仏教の修行にはさまざまな方法があります。ひとりひとりがそれぞれに異なっているとさえいえるて しよう。人によっては、世俗的な生活をすっかり捨てて出家の道を選び、持てるかぎりの時間とエネル 。 ' 1 こし、一哥来 ギーを瞑想に捧げるてしよう。また世俗の生活を営みながら修行する人もいるてしようナオ 十分な時間が持てるまて修行は先送りしよう、という考えはまちがっています。修行は先のばしにする いますぐ生活のなかにとり入れるべきものてす。何より大切なことは、仏教の尊い教えに のてなく、 則って日々生活し、人生に方向性と目的を与えることてす。このような見地に立っことがてきたなら、 ダルマ 法はわれわれ個人にとって有益てあるばかりてなく、われわれをとり巻く社会の改善にも貢献するに違論 いありません。 序 利他主義 ( 他者のためを思いやる態度 ) こそ、この世の福益と幸福の本当の源てす。もし六道章 第 ( 地獄界・餓鬼界・畜生界・人間界・阿修羅界・天界 ) の利他心を起こすのが不可能な世界に生まれていた ら、利他心を起こすことは当然不可能て、それゆえ状况は絶望的だったといえるかもしれません。しか し幸いにも実際はそうてはありません。われわれは人間に生まれたおかげて、精神を向上させるにふさ わしい、あらゆる能力を持ちあわせています。なかても人間の脳は特にすばらしいものてす。また時間 はつかのまの現象てあって待ってはくれませんから、人間に生まれたおかげて得られたこのすばらしい 機会を無駄にしないことも、とても大切てす。変化や分解 ( 生滅変化 ) の過程をたどるのがものごとの ーた今生を意味ぶかいものにすることは、何にも増して 自然なありかただからこそ、人間として生を受ナ 意義があるのてす。
( 3 ) だちに浄化せねばなりません。浄化の方法は、真言を唱える、空性の瞑想をする、五体投地をする、 本尊瑜伽をする、供養をする、宗教儀式の日に大乗の誓いを立てるなど、 いくつかの方法があります。 しかし何より大切なのは、後悔の念を持っことてす。ひとたび後毎の念をいだけば、浄化の行は大いに 成功するからてす。ては、どうすれば悪い行為を深く後胼てきるのてしよう ? まず悪い行為の本質が どれほど有害か気づくのが不可欠てす。そうすれば、心から悔やむ気持ちが起こります。後の気持ち があれば、悪業を対治する力を使ったり、同じ悪業は二度と犯すまいと固く決意するはずてす。さまざ 0 まな原因が重なって重い病気になったとき、単一の成分の薬ては治すことがてきず、いろいろな薬や治 療法を用いるのと同様に、無明に捕われた心を律するには、さまざまな手段や方法が必要ぞす。怒り、 憎しみ、欲望が、競ってわれわれの心を支配しようとしているのて、ひとつの方法て心を律するのは不Ⅳ 可能なのてす。仏陀の教えはどれも心を律し、修養することに関係します。その達成には、ありとあら ゆる巧妙な手段が必要なゆえに、仏教経典には、異なった角度から、数多くのとりくみかたが記されて いるのてす。 われわれが、あらゆるレヴェルの煩悩や迷い ( いずれも無明から生ずる ) によって、身・ロ・意の三つ の扉をとおして犯してきた悪行は限りなく、無数にあります。仏陀の教えによれば、それらの悪行は、 大きく十の基本的行為 ( 十不善行 ) に分類てきます。十不善行から離れること ( 遺棄 ) が、十善行の修 行てす。まず十不善行とは何かを正しく知り、そのうえて、その有害な性質についてよく考えてくださ そして、十不善行を遺棄しようという強い願いに駆りたてられて、不善行をやめるべきてす。 十不善行は以下のとおりてす。 172
世八法 ( 世俗の欲 ) を離れたセンゲサンよ これら三名の優しき菩薩に祈願いたします 菩提の心てすべての有清をひとり子のようにご覧になるナムカ・ギャルツェン 暝想の本尊に加持され守られる者よ このうえなき善友よ この堕落の時代の衆生を導くすぐれた上師の御足に祈願いたします 人智を超える慈悲の大蔵観世音 汚れなき智慧の自在なる文殊師利 魔軍を砕く金剛手 これら三菩薩の生まれ変わりなる チベット諸賢者の王冠の宝石のごどきツオンカバ大師・ロサン・タクバよ その御足に祈願いたします 自在なる成就者ジャムペル・ギャツォよ 学者指導者に囲まれた仏子成就者ケードウブ・ゲレク・ベルよ 耳から耳へ教えを引き継ぐ血脈の蔵パソ・ジェよ 第 2 章前行
聖者たちに加特されたナムカ・ギャルポよ 世八法 ( 世俗の欲 ) を遺棄したセンゲサンよ これら崇高なる三名の仏子に祈願いたします 菩提の心てすべての有情をひどり子のようにご覧になるナムカ・ギャルツェンよ 瞑想の本尊に加持され守られる者よ このうえなき善友よ この堕落の畤代の衆生を導くすぐれた上師の御足に祈願いたします 仏陀の代理善友なるポトワよ 挑むべからざる比類なき知性に溢れるシャラワよ 菩提の心の教えを担うチェカワよ 衆生の期待に答える三名に祈願いたします 経典 ( 阿含 ) ど悟りの体験どをどもなう洞察の菩薩チルプバよ 無垢にして至高なる経典 ( 阿含 ) にすぐれた賢人ラルン・ワンチュクよ 丿ンポチェよ 三界の衆生の救済者グンボ・ これら偉大なる聖者三名に祈願いたします 第 2 章前行
こう考えることて、上師の慈悲を本当の意味て理解てきます。上師の慈悲は仏陀釈迦牟尼の慈悲にも まさるのてす。功徳や知識という観点からは、どの仏陀も同レヴェルてす。しかし恩という観点に立て ば、われわれが上師から受けた恩は、他のどんな仏陀から受けた恩よりもはるかに大きいのてす。 てすから、①上師は仏陀てあると受けとめて、②上師に深い信頼を持ち、③上師から受けた恩を思っ て、④上師を深く尊敬する。これこそ観想をとおして上師との関係を築く方法てす。 0 + 行動をとおして上師への信頼を深める 行動をとおして上師への信頼を深める修行とは、上師の教えに従い、上師の忠告を守って生活し、上Ⅳ 師に供養を捧げ、上師に奉仕する修行てす。 上師のアドヴァイスに従って生活することが、本当の意味て上師への供養てす 上師の指導を盲信しない が、万が一、上師の教えが一般的な仏の教えと矛盾すると感じたときは、よく 検討したうえて、なぜその教えを受け入れることがてきないか上師に説明すべきぞす。「自分に適して いない指導を受けたときは、よく検討したうえて、なぜ適していないのか言葉て説明しなさい」 『上師五十頌』てアシュヴァゴーシャは述べています。さらに「もし不健全な指導を受けたなら、それ にそむかなくてはいけよい」 『律教』てグナバラバも述べています。同様の意味て、「健全な理想に しかし仏教教義にそむいた教えに従ってはなりません」と、大乗て 基づいた教えにはよく足いなさ、 122
+ 有具足を得て人間に生まれるということ 「有暇」とは何てしよう ? 有暇とは、時間があるということてす。この場合の時間は、日ごろ 「何々する時間がありますか ? 」と尋ねたりする「時間 , てす。つまり有暇とは、修行をする時間を 持った人間に生まれることをいうのてす。 0 人間以外の生きもの、たとえば動物は、思かて智慧もないのて、仏の教えについて考える機会もあり ません。それに比べ人間は、修行する時間も能力も十分に備えています。 てすから上師たちがよく話されるように、われわれがもし、 いまここて悪趣 ( 畜生界、餓鬼界、地獄 界 ) に生まれ変わ「てしまえば、この世に仏典や密教の教えが存在していても、何の役にも立ちません。 万一、天界へ生まれ変わっても、天界の衆生の心はひどく酩酊しているため、修行の基本は心を鍛える ことなのに、 いま得ているような機会には恵まれないのてす。われわれは幸いに人間に生まれついたの て、そうしたことはないわけてす。 さらにわれわれは、仏の教えが死に絶え、効力も及ばなくなった時代に生まれたのてはなく、むしろ 仏の教えが活発に息づいているよい時代に生まれたといえるてしようオオ 。ごご、そうしたよい時代に生ま れても、仏教に接することのてきない国に生まれた場合は、やはり人間の生を有効に利用てきません。 しかしこれも、われわれにはあてはまりませんね。 仏教の息づく国や社会に生まれても、教えを生かす心身の能力がまるてないようては、せつかくの人 126
ちを導く、優れた実践の手びきてす。 菩提道次第の教えは、ロからロへ、耳から耳へと、チベット仏教の血脈をとおして大切に受け継がれ てきました。チベット仏教の特徴ともいえるこの教えには、四つの偉大な点と、三つの特徴があるとさ れます。四つの偉大な点とは、 ①小乗と大乗、顕教と密教の教えを、矛盾することなく、完璧に理解てきる。 ②すべての経典や論書のいわんとすること ( 秘訣 ) が、説き明かされている。 ③仏たちの意図が容易に、かっ速やかに理解てきる。 ④たいへんなまちがいや誤解が自然になくなる。 三つの特徴とは、 ①顕教と密教の内容がひとつにまとめられている。 ②心を向上させ、精神を鍛えてレヴェルアップする具体的な方法が、順を追って実践しやすく説明さ れている。 アサンガ ③弥勒や無着に連なる「広大なる行」と呼ばれる慈悲や方便の血脈と、文殊師利や龍樹に連なる 「甚深なる智慧、の血脈の、ふたつの教えの秘訣を兼ね備えている。 FOREWORD