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検索対象: チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示
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1. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

243 な手術でした。 この様子について菅谷さんは、「現在の日本や欧米でおこなわれている手術手技と 比較すると、少なくとも一〇年、あるいはそれ以上も前の術式でおこなわれている」 と書いています。 ただし、この表現には注意が必要です。菅谷さんは謙遜して、こう言っているから です。菅谷さんの手術の技術は世界のトップ水準であり、それから見れば、べラルー 説シの技術が大きく立ち遅れているということなのです。菅谷さんの手術は、首の皺に あと 沿ってメスを入れ、手術の痕は、ほとんど目立ちません。これは、思春期を迎えた子 どもたちにとっては、大変重要なことでした。 解菅谷さんの腕前については、二〇〇三年五月に放送されたの「プロジェクト 」の「チェルノブイリの傷奇跡のメス」で紹介されています。菅谷さんも、この 本の中でさらりと触れていますが、国際水準の腕前を持っていたからこそ、患者に感 謝され、べラルーシの医療チームにも温かく受け入れられたのです。 べラルーシに住み着いたことによる、現地の人々との交流も、この本の見所です。 あき 旧ソ連時代の流儀を引く仕事ぶりに驚き呆れながらも、意外に合理的であることを発 けんそん しわ

2. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

福島とチェルノブイリ 3 べラルーシのタ陽 私が医者になった理由 チェルノブイリとの出会 汚染地域での甲状腺検診 ミンスク行きの決断 二べラルーシの医療現場厳寒の街 切れないメス、壊れた手術台 ベルトコンべャー式の手術 ガンセンタ 1 の医師たち 健気に生きる子どもたち 新版に寄せて はじめに 一決意 い 28 31

3. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

「チェルノブイリは四番目の間題さ」 「チェルノブイリ事故 ? それは四番目の問題さ」 ミハエル・マリコ氏がこともなげにそう言った。私は一瞬、わが耳を疑った。 記彼が私のアパートを訪ねた折、べラルーシ政府のチェルノブイリ原発事故対策のと 診り組みについて尋ねたときの答えであった。 プ マリコ氏は、べラルーシ科学アカデミー・物理化学問題研究所で、放射線物理関係 〕の仕事をしている科学者である。現在、チルノブイリ事故による環境や人体への影 チ 響の研究を進めている。 版 新全世界の人々が注目し、自国の原発問題のみならず、人道的支援の立場からも大き な関心を集めているこの事故が、べラルーシでは〃四番目の問題〃とはどういうこと カ 私は多少がっかりしながらも、この国における一番目から三番目までの問題につい て、詳しい説明を彼に迫った。もちろん、私からも自分の思いや質問を浴びせた。 「まず、一番目の問題は「長引く経済不況』だ」 100

4. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

一基を建設するだけでも多方面の負担を含め莫大な費用がかかります。わが国には優 れた能力と技術力があるので、原発エネルギーに代わる再生可能なエネルギーの開発 は可能だと思います。 三つ目は、私たちの現在の生活様式を見直す必要性についてです。電気の使い方な ど、より一層節電に努めるべきであります。 一三ロ いずれも決してむずかしい注文ではなく、すぐにでも取りかかることが可能ではな 療 いかと思います。 「結果論ではありますが、一つ目の後半のことが今回の大事故につながり、何とも残 念でなりません。チェルノブイリの悲劇を二度と繰り返してはならないとの切なる願 チ いもむなしく、今や、わが国は〃汚染国〃となってしまいました。かって私は、べラ 版 新ルーシの肥沃の大地を「汚染大地」と呼んできましたが、今、日本は海外から見れば、 236 チェルノブイリの事故により汚染地と化した故郷を、政府の命令により為す術もな くもぎ取られた人々、そして子どもたちの悲嘆や絶望感をベラルーシでいやというほ ど見てきた私は、今から福島の将来のことを憂慮しています。 ひょく 「汚染列島」と言われかねない状況にあります。 ばくだい

5. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

明確な結論を出すのは時期尚早と述べている。 事実、一九九〇年以降べラル 1 シ、ウクライナ、ロシアの各 o—co ( 独立国家共同 体 ) における子どもたちの甲状腺ガンの著しい増加は、共通の現象として確認されて いる。ちなみに、一九九五年末までにこの三つの 0 — co では約八〇〇人の子どもたち が甲状腺ガンの治療を受け、そのうちの四〇〇人以上はべラルーシ共和国で発見され、 の外科治療がなされている。前述の総括文書には「一九八六年の事故当時一五歳未満の 年小児であった者のなかから、科学的根拠の裏づけは乏しいものの、今後数千人の甲状 故腺ガンの発生が予測される」と記載されている。 事 もしこれが事実とするならば、それなりの長期的かっ用意周到な対策を早急に立案 し、準備を講じておかなければ、高度の汚染を被ったこれらの国々では、近い将来人 類史上他に類を見ない、大きな禍根を残すことになりかねないであろう。 この合同国際会議開催の一カ月前にも、べラルーシの首都ミンスクで、と 3 0 の共同主催による「チェルノブイリ事故後の放射線学的影響」という別の国際会 議が開かれた。そして、この会議のハイライトでもあった甲状腺障害に関するシンポ ジウムでは、私が現在所属しているべラルーシ国立甲状腺ガンセンターのデミチク教 、」、つむ

6. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

四不思議の国べラルーシ

7. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

二べラルーシの医療現場

8. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

と彼は語り始めた。ソビエト社会主義共和国連邦崩壊後の一九九一年一二月。独立 国家共同体 (0 — ) のひとっとして、べラルーシ共和国が誕生した。それまではモ スクワからの経済的パックアップがかなりの比重を占めていた。だが突然の新国家創 設は、国民にとってあまりにも衝撃的であり、彼ら自身で自立してゆくことは予想以 上に負担が大きかったのだ。 ひょく この国は、元来肥沃な大地に根ざした農業と畜産が主たる産業で、機械工業や重工 。また天然鉱物資源や観光資源にもそれほ の業などの産業分野はあまり発達していない 目 ぜいじゃく ど恵まれておらず、残念ながら経済的基盤は脆弱な国家である。 故社会主義体制下での計画経済から、市場経済への急激な移行は、近年のロシア共和 事 国を見てもわかるとおり、多くの混乱と弊害を招く。べラルーシ共和国とてしかりで もろもろ ある。国家体制の変革に伴う諸々の変化は、日々、人々を動揺と困惑の世界に追いた てている。それらの具体的な形として表面化してきたものは、就労の困難さ、失業者 の増加、低賃金、短期間でくり返される諸物価の上昇 ( インフレ ) 、などであった。 べラルーシの一般労働者の平均月収は五〇ドルほどである。しかし、この額で家族 を養っていくことは、たとえ贅沢をしなくても困難のようだ。多くの家庭は夫婦共働 きをしている。さらに本来の仕事以外にもアルバイト ( セカンドワーク ) をして、少 101 ぜいたく

9. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

してくれるのであろうと推測していたのである。 一一月に入り、 < 氏から丁重な礼状を頂戴した。そのなかの一節をご紹介したい。 「お会いしたときも申し上げましたが、日本の現状で一番悲しいのは、かって多数い た開明的なリーダーの姿がほとんど見られないということです。しかし、先生やウク ライナで会った日本人のなかにも、まだまだ輝いている人々を発見し、日本もまだま ささ 記だ捨てたものではない。そのために老後の生活を捧げても借しくないと思えるように 診なりました。べラルーシ・ウクライナ・ロシアと、 ードなスケジュールでしたが、今 「までになく元気に帰国することができました」 チ私の現在おこなっているささやかな行為が、一部の日本人の心のなかで、湖上の月 新影のごとく小さく揺らめいているとするならば、望外の喜びである。そのような意味 で、八〇〇〇キロも離れた遠い日本から、わざわざべラルーシを訪れてくださる方々 に、あらためて心から感謝したい。 174 ちょうだい

10. チェルノブイリ診療記 : 福島原発事故への黙示

169 して、日本にもこういう若者たちがいることを知り、少しばかり安らぎをおばえた。 この友好の胸飾りは、今や私のトレードマークにもなっている。病棟回診の折など、 ープシカ ( おばあちゃん ) たちは、 「クラシーヴァャ ( きれいだね ) 」 と笑顔で褒めてくれる。そんなときは嬉しくて、私もつい大きな声で、 「ス。、シ ( ありがとう ) 」 と返事をする。 の 医 もう一組の若者のツアーは、信州の高校生のグループであった。彼らは数年前から 外 五チェルノブイリ事故の汚染地域に住む人々に、深い関心を寄せていた。指導教諭と学 習会や討論を重ねた結果、現地を是非訪れてみたいという思いにかられ、それぞれの 両親の許可を得て、べラルーシ訪問にこぎつけたと聞いている。 もちろん、ツアー遂行に当たっては、関係する多くの方々の暖かい応援と、細部に わたる慎重な配慮があったものと思う。 べラルーシへの旅は彼らなりに自分の目で現状を確かめ、それらをありのままの姿 で記録に留めておこうという目的もあったようだ。事実、ガンセンターを訪問した際