「べラルーシ国立甲状腺ガン ( 診断・治療 ) センター」は、ミンスク州立第一病院の かんかっ 広い敷地に隣接して建てられている非常に古い病院である。共和国保健省の管轄下で 運営がなされている。このガンセンタ 1 はミンスク医科大学の附属教育病院でもあり、 医学生に対し腫瘍学の講義や臨床実習が、教育スタッフの指導のもとにおこなわれて 甲状腺腫瘍の診断や治療に関しては、腫瘍学講座担当でセンター長でもあるデミチ 形ク教授以下、数名の甲状腺外科専門医たちが診療行為を受け持っていた。このセンタ 1 には、共和国全土から甲状腺ガンを含めた甲状腺腫瘍の患者が、精密検査や治療の プ 目的で紹介されて来る。とくに、チェルノブイリ事故後に発病した甲状腺ガンの子ど チもたちは、そのほばすべての症例がここで外科治療を施行される。そして術後も定期 新的な診察や検査がおこなわれ、全例がもれることなく長期の追跡調査がなされている。 つまり、この国のチェルノブイリ事故後の小児甲状腺ガンの治療状況に関する情報は、 すべてこのセンターから世界に発信されているのだ。 ないぶんびつ 私は内分泌臓器を専門とする外科医として、この病院をたびたび訪れた。そしてそ の都度、センター長のデミチク教授にお会いし、事故後の甲状腺障害、とくに小児の 甲状腺ガンの発生状況を中心に、この事故と関連のある医療情報について詳しく教え
りの深い顔だちの女性たちが、白い息を弾ませながら足早に通り過ぎる姿は、まさに 北国の真冬でしかお目にかかれない、美しくもしびれそうな光景だ。 私のもうひとつの人生は、今この厳寒のべラル 1 シで、幕が切って落とされた。 切れないメス、壊れた手術台 場 療国立甲状腺ガンセンターは、チェルノブイリ事故後より急激に甲状腺ガンが増加し かんかっ たため、甲状腺専門の診療・研究機関として、一九九〇年、共和国保健省の管轄下に しゅよう 設立された。ただし財源不足のため、ミンスク市立腫瘍病院に併設せざるを得なかっ べ た。そして、ミンスク医科大学腫瘍学講座のデミチク教授がセンター長に任命された。 また、この時点でべラルーシ国内における小児甲状腺ガンの外科治療は、原則として すべてこのセンターで実施されることがとり決められた。 デミチク教授は一九九六年当時七〇歳。豊富な臨床経験と医学知識を持ち合わせた、 優れた腫瘍外科医である。べラルーシ共和国における腫瘍性疾患全般にわたる外科臨 床医としてのみならず、甲状腺腫瘍の第一人者としても、その名を馳せている。九〇 年と九二年には日本にも招待されており、今やチェルノブイリ事故による小児甲状腺
ガンの問題に関しては、世界でもっとも注目されている甲状腺専門医である。 一九九一年に私が支援活動に参加して以来、事故に関連する数多くの詳細な情報を、 しばしばデミチク教授から提供していただいた。彼との出会いによって、私の医療救 援活動がますます深まっていったことは事実である。また、私のミンスク長期滞在に ついても、教授は深い理解と感謝の意を示してくれ、細部にわたり心温まる配慮を施 記してくれた。そのおかげで極めて好意的な受け人れ体制のもとで、センターの医療ス 診タッフらと友好的な関係を築きながら、外科的治療やその他の援助活動にあたってい このガンセンターは、べラルーシ有数の診断・治療・医学教育機関である。しかし チそれにもかかわらず、病院は今から五〇年以上も前のスターリン時代の建造物のまま 新で、すべてが古く、陰鬱で暗い。ただ不思議なことにこのような労働環境のなかに身 ぜいたく を置くと、現在の日本における医療施設の、過剰とも思われるほどの贅沢さと、医療 本来の機能とはかけ離れた面での無駄遣いが、ひどく気になってしまう。 五年前から、九階建ての新病院建設工事がセンターに隣接して始められているが、 折からの深刻な経済不況のあおりを受け、財源確保もままならず、工事は遅々として しゅんこう 進んでいない。当初の計画では、すでに竣工されたはずになっているとのことである。 いんうつ
手術風景 ( 国立甲状腺ガンセンターにて )
211 後に拠点としたゴメリ州立ガンセンターで、若手医師らと
シアの歌まで出てきて驚いた。 日本では「花の金曜日」などと浮かれている その後も突然の来訪者は少なくない。 が、ここべラル 1 シでは「恐怖の金曜日」である。「ひょっとして今夜も ? 」とおそ れおののく外科医の日のタベである。 患者からのキス 常 日 こうじようせん これで今、先生が甲状腺ガンセンターのなかでどんな状況にあ の「わあ、感激したー 科るかがよくわかりました」 五日本チェルノブイリ連帯基金副理事長の高橋卓志さんら一行が、日本か らの医療支援物資を手荷物として持参し、このセンターに到着した。一階の廊下で偶 あいさっ 然私とばったり出会い、久しぶりの挨拶を交わしているところだった。 ふたりで立ち止って話をしていると、そのなかに突然ひとりの婦人が割りこんでき た。彼女はそっと私の右手を取り、押しいただくようにして手の甲にキスをした。そ して、 「スパシ ーバ、ノルマーリナ ( ありがとう、もう大丈夫です ) 」 161
ることによって、精神的にも肉体的にも思い悩む日々をおくるだろう。こんなところ にも、チェルノブイリ惨事の不幸が潜んでいる。 後者では、手術中の出血量が非常に多いことである。つまり、出血部位を丁寧に止 血しているとそれだけ時間がかかるので、まず患部を速やかに摘除する。たしかに出 血を無視して手術操作を進める方が手術時間は短縮される。この国の人々は血液が余 = = ロ っているから平気だ、などと非科学的なことを言っている場合ではない。手術はでき ルるだけ出血させず、注意深く丁寧におこなうのが基本である。このセンタ 1 の医師た 「ちも、そんなことは百も承知だとは思うのだが。 長期化するべラルーシ共和国の経済状態の悪化や低迷は、医療現場にたとえようも かこく 新ないほど苛酷で無慈悲なしわよせを及ばしている。べラル 1 シ国家の医療制度におけ しようび る構造的な問題ではあるが、一刻も早い時期に改善されるべき焦眉の事象でもある。 ガンセンターの医師たち 「そんなことはよくわかっています。でも今の私たちにはどうにもならないんです」
術を生かして、少しはそのお返しをしたいのだ」 そう答えるのだが、彼らに私の言うことの意味を正確に把握してもらうためには、 もう少し時間が必要なようであった。もっとも、この答えはあまりにも優等生的であ おもは り、私自身も面映ゆく感じている。 案の定、院内で活動する期間が長くなるにつれ、センターのスタッフたちもようや く私の真意を理解してくれるようになってきた。それとともに彼らとの交流も深まり シ ルだし、さらには患者たちとのつながりまでも友好的な雰囲気のなかで大きく広がって ラ うれ べ いったのは、この上もなく嬉しいことであった。 国 私はこのセンターに来てから終始一貫して、この国のすべてを認め、お互いが同じ 禿目の高さで語り合うことを守ってきたつもりである。 四 それにしても、私のごとき人間的修養に欠けた者が、このような態度をとれるよう になったのは、やはり年齢のせいかなと思う。 もし私がもっと若いときにこの地を訪れ、 「べラルーシの医療を何とかしよう」 などと意気ごんでやってきたとしたら、たぶんとうの昔に隹 , りの極みで絶望したり、 院内のスタッフらと言い争いをし、挙げ句の果てにこの地を去っていただろうと想像 131 あ
〇日もすると顔ぶれはがらりと変わる。 「ガンセンタ 1 に入院している間は、特別な薬以外はすべて無料なの。だからそんな に困らないと思うわ。でも手術後退院して、それぞれの家に戻ったあとは、薬代や検 査費用に結構お金がかかって大変だと思う。それでも親たちは苦しい生活のなかから、 子どものために何とかお金を工面しているのよ」 甲状腺ガンの場合、このセンタ 1 では基本的に甲状腺を全部摘除してしまう。手術 後は、合成甲状腺ホルモン製剤の内服が不可欠である。それも一生涯飲み続けなけれ ばならないのだ。また、血液中の甲状腺ホルモンの検査や、再発・転移の有無を定期 的にチェックするため、超音波や >< 線撮影などの検査も欠かせない。日常生活を維持 ねんしゆっ 六するだけでも大変なのに、そのうえこれらの医療費を捻出することは、今のこの国で は家族にとってかなりの負担となる。 「ときどき、子どもたちの母親からの悩みごとの相談を受けるけれど、忙しくてなか なか親身に聞いてあげられないの。自分でもどうしようもなくてつらいわ」 と、イリーナ。 「入院中の子どもたちから相談されることもあるでしよう ? 」 と日と、 189
療事情や、ガンセンタ 1 附属の放射線関連の診断・治療施設の視察が主目的であった。 ちそう 彼らがミンスクを去る前夜、市内のレストランでタ食をご馳走になりながら、私自 身のことについてもいくつかの質問を受けた。その話のなかで、学識豊かな理事長の << 氏がこんなことを言われた。 「あなたがこのような医療救援活動を展開されている根底には、誰にも負けない技術 を持っているという気持ちがあるのではないかと思うが、どうですか」 常私はそのとき、生意気にもこう答えてしまった。 の「はい。少なくとも私の専門領域の外科治療技術や知識に関しては、国際的にもそれ 科ほど引けをとらないと思っています」 五すると << 氏いわく 「やはりそうでしような」 実は、夏の始めごろから、自分がこのような形で円滑に病院活動ができるのは、た ぶん私が外科医であるからだろうと考えるようになっていた。 言葉も満足にできない医者やボランティア活動家などを相手にしているほど、今の このセンターには時間的にも人的にも、そして経済的にも余裕はない。結局は私が国 際水準の専門技術と知識を有しているから、院内のスタッフたちもそれ相応の対応を 173