恐れ - みる会図書館


検索対象: チベットの死者の書
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1. チベットの死者の書

ャプュム こうはい を構成している。これらの五対の男女両尊のそれぞれには五色の光の包囲 ( 光背 ) が五 重に取り囲んでいる。これらは男尊の役割を担っている五仏と、女尊の役割を担ってい る女性の五仏とであり、これで全マンダラが一斉に完全な姿で現われるであろう。《こ さと イダム れらが汝の守り本尊である》と覚るべきである。 ャプュム ああ、善い人よ、これらの五仏の男女両尊の心臓からは、四つの知恵 ( 四智 ) が合わ さった、極めて微妙で清く澄みきった光が射してくるであろう。これらの五つの光は蜘 蛛の巣状に広がった太陽光線に似た姿をしていて、それそれが汝の心臓めがけて射して くるであろう。 まずはじめに、マハーヴァイローチャナ ( 大毘盧遮那 ) 仏の心臓からは究極的実在そ はつかいたいしようち れ自体の現われとしての知恵 ( 法界体性智 ) が、恐ろしくなるくらいに眩しく輝く光明 の白色の布地のような形になって汝の心臓に照準を合わせて射してこよう。この光明の 布地の上には光を帯びた白色の日輪が、下方に向けられた鏡の面のように、大変に明る く恐ろしくなるくらいに輝いている。そしてこの白色の日輪は、それ自身とそっくり同 じな五つの日輪によって飾られている。そのうちのどれが中央にあるもので、どれとど れが周囲にあるものかという区別もない。それそれが日輪と小日輪とによって飾られて 現われてくるであろう。 だいびるしゃな ごぶつ 2

2. チベットの死者の書

の黄色のシュリ ーマットという仏国土 ( 極妙世界 ) から尊い御方であるラトナサムバヴ まにほ、つしゅ ア如来が黄色の身体をして、手には摩尼宝珠を持って最高の馬の座に坐し、女尊マーマ キー ( 我母 ) と接吻した姿で現われてくるであろう。その周囲をアーカーシャガル。ハ ふげん こくうぞう ( 香 ) の二女 ( 虚空蔵 ) とサマンタバドラ ( 普賢 ) の二菩薩とマーラー ( 鬘 ) ・ドウー 菩薩が取り囲み、虹と明りと光線の奥から全部で合わせて六体の御仏の姿が現われるで あろう。 じゅうん 感受作用の集まり ( 受蘊 ) からできている、根底から清浄な黄色の光ーーーすべてのも びようどうしようち は黄色に輝き、いろとりどりの宝飾に のの平等なことを理解する知恵 ( 平等性智 ) よって飾られ、明るく清澄であって、眼を開いて直視することができないほどの眩しさ ャプュム で汝の面前に近づいてくるであろう。この黄色の光はラトナサムバヴァ如来男女両尊の 心臓から発して、汝の心臓をめがけて直視することができないほどの明るさで射してく おごり るであろう。その時に汝は慢心のために、この畏怖させ怖気づかせる黄色の光を恐れ、 おびえる気持ちを起こして逃げようとするであろう。そして人間界の青色の怖気づかせ ないほどに微弱な薄明りの方に、汝は喜びの想いを生じて近づこうとするであろう。 しかしその時に汝はこの恐ろしいばかりに輝く、明るくて清く澄みきった黄色の光を 恐れてはならない。《これは叡知である》と覚るべきである。これの上に汝の意識をな さと

3. チベットの死者の書

バーが手には宝輪を持ち、雪熊の頭をした赤色のクマ ーリーが手には短い槍を持ち、熊 はらわた の頭をした白色のインドラーニーが手には腸の縄索を持って現われるであろう。 これら東方の六人のヨーギニーは、汝自身の脳の内から発して汝自身に現われている のである。これらを恐れてはならない。 ああ、善い人よ、南辺からは、猪の頭をした黄色のヴァジュラーが手には剃刀を持ち、 マカラ ( 磨竭 ) 魚の頭をした赤色のシャーンターが手には瓶を持ち、さそりの頭をした 赤色のアムリターが手には蓮華を持ち、鷹の頭をした白色のチャンドラーが手には金剛 杵を持ち、狐の頭をした暗緑色のダンダーが手には棍棒を持ち、虎の頭をした暗黄色の ラクシャーが手には血の入ったどくろ碗を持つ。 工 これら南方の六人のヨーギニーは、汝自身の脳の内から発して汝自身に現われている チ AJ のである。これらを恐れてはならない。 ああ、善い人よ、西方からは、鷲の頭をした暗緑色のバクシニーが手には棍棒を持ち、 一馬の頭をした赤色のラティが手には大きな死体の胴体を持ち、ガルダ鳥の頭をした白色 カ チ 三十の怒りの容貌 ( 忿怒相 ) をしたヘールカ神群八日目から十二日目までに現出した五ヘールカと五クロー 巻 デエーシュヴァリー 十三日目のガウリー 八女神と八ビシャーチー、十四日目の門衛の四女神の合計三十尊を 第 指す。ヨーギニー女性のタントラの修行者。ここでは、イーシュヴァリー ( 自在母 ) ・ダーキニー ( 明妃 ) と同義。 ・ / 、 / レドウ まかっ

4. チベットの死者の書

ーたち に血をすするカルマ ( 羯磨 ) 部の神群とガウリーと。ヒシャーチーとイーシ = ヴァリ さと がお迎えに現われるであろう。彼らが誰であるかを覚ることができなければ死者はおのの くであろう。この時のお導きは、死者の名を呼んだあとで以下のように告げる。 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。十二日目には血をすするカル マ部の尊い御方であるカルマヘールカと呼ばれる忿怒尊が現われるであろう。この尊は 身体は暗い緑色で、三つの顔を持ち、手は六本で四本の足を広くひろげる。三つの顔の うちの右の顔は白色であり、左の顔は赤色であり、中央の顔は暗い緑色であり、猛り狂 っている。六本の手のうちの右の第一手には剣を、第二手にはカドガ剣を、第三手には 杖を持ち、左の第一手には鈴を、第二手には血を満たしたバンダ碗を、第三手には犁刃 を持つ。彼の妃である女尊カルマクローデエーシヴァリーは男尊の身を抱擁し、右腕 で彼の首をかかえ、左腕で人血を満たした赤い碗を男尊の御ロのところに捧げ持つ。 顔を合わせたままの両尊は、汝自身の脳の北側から発して汝自身の眼前にはっきり と現われ出てくる。これを恐れてはならない。おびえてはならない。おののいてはな さと らない。 これは汝自身の意識が身体をとったものであると覚るべきである。汝自身の守 ふくうじようじゅ り本尊であるから恐れてはならない。実は尊い御方であるアモーガシッディ ( 不空成就 ) さと ャプュム 男女両尊が本体なのであるから、これに礼拝し供養をすべきである。そのように覚れば かつま

5. チベットの死者の書

さと 怖やおののきを生じて逃げ出して、覚ることができない場合には、十日目には血をすする ラトナ ( 宝 ) 部の神群がお迎えに現われるであろう。この時のお導きは死者の名を呼んだ あとで以下のように告げる。 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。十日目には、血をすするラト ナ部の尊い御方であるラトナヘールカと呼ばれる忿怒尊が現われるであろう。この尊は 身体は暗い金色で、三つの顔を持ち、手は六本で四本の足を広くひろげる。三つの顔の うちの右の顔は白色であり、左の顔は赤色であり、中央の顔は暗い金色である。六本の 手のうちの右の第一手にはラトナ ( 宝石 ) を、第二手にはカドガ剣を、第三手には棍棒 さんさげき = を持ち、左の第一手には鈴を、第二手には。ハンダ碗を、第三手にはトリシ = ーラ三叉戟 工 ーは男尊の身を抱擁し、右腕 を持つ。彼の妃である女尊ラトナクローデエーシ = ヴァリ チ AJ で彼の首をかかえ、左腕で人血を満たした赤い碗を男尊の御ロのところに捧げ持つ。 これは汝自身の脳の南側から発して、汝自身の眼前にはっきりと現われ出てくる。こ これは汝自身の 一れを恐れてはならない。おびえてはならない。おののいてはならない。 イダム さと カ チ意識が身体をとったものであると覚るべきである。汝自身の守り本尊であるから恐れて 巻 トリシューラ三叉戟先端が三叉になっている武器。シヴァ神 カドガ剣不動明王が持っているような剣。 第 の持ち物として知られる。 ・ノ、ノレトウ

6. チベットの死者の書

本書と本巻の題名 ョ ラ 『深遠なるみ教え・寂静尊と忿怒尊を瞑想することによるおのずからの解脱』の書より セル デ トエ ドルチェンモ ・バルドウにおける記憶を明らかに呼び起こす、聴聞による大解脱』と呼ばれ る巻。 帰依を表明することば アミタ ダルマ・カーヤ ( 法身 ) として限りのない現われをもっ無量光 ( 阿弥陀仏 ) サムボーガ・カーヤ ( 報身 ) としての。ハ トマ ( 蓮華 ) 部の寂静尊と忿怒尊の神群 ニルマーナ・カーヤ ( 僊身 ) として生きとし生けるもの ( 衆生 ) を救われるためにこの 世に生まれられた。ハドマサム、、ハヴァ ( 蓮華生 ) これらの三身と師僧に対して帰依いたします。 『チョェニ サ さんじん はっしん シ はうじん れんげしよう ゴ ン れんげ しゅじよう シ ン 4

7. チベットの死者の書

しつじじようじゅ る修行の完成した境地 ( 悉地成就 ) の不思議な力により、私が祈願をこめてお願いした とおりのことがすべて成就いたしますように》 メンラムジクキョブマ 「 ( ルドウの恐怖からの守護を祈願する文』は、人々が輪廻に転々としているあいだは終 わりとなることがない。 。ハヴァントウ ( 梵語で〈一切はめでたく、吉祥で サルヴァマンガラムシュリーヨ あれ〉という意味 ) ナマサルヴァタターガタフリダヤ ( 梵語で〈一切如来心に帰依申し上げます〉という 意味 ) ( 梵語で〈あわせてクルンギニに幸あれ〉 アヌガテーオームクルンギニスヴァーハ という意味 ) 書一度唱えるならば、一千万劫という長い間に集積された罪垢も消え去るであろう。 文 ( 梵語で〈オー のオームヴァジュラサットヴァフームアアシャサマ のム・金剛薩垣よ、フームアアシャサマ 属 ( 梵語で〈オーム金剛よ、 付オームスプラティシュタヴァジュラエ 三安らかにあれ。幸あれ〉 ) 第 スヴァーハ りんね 171

8. チベットの死者の書

五仏の世界を私が見ることができますように》 と、このように激しく敬慕をこめて祈願すべきである。恐怖とおののきのすべてが消え 去って、汝は確実にサムボーガ・カーヤを得て仏となることができるのである。これは ぎわめて重要である。心を惑わしてはならないー 。いかに罪の大きな人でも、 いかに悪い過去のカル と、三遍ないし七遍唱えるべきである ′」う マン ( 業 ) の影響がたくさんに残っている者でも、これによって解脱できないことはない であろう。 しかし彼らに対してどれほど手を尽くしても解脱が達成されない場合には、第三のバル さまよ ドウである〈シ。、 ・、、ハルドウ ( 再生へ向かう迷いの状態の中有 ) 〉に彼らが彷徨い入ることは 避けられない。その時のためのお導きが以下〔第二巻〕に詳しく説かれるであろう。 結論 瞑想に精通していてもまたは精通していなくても、一般にどんな人でも死を迎えようと ドルチェンモ トエ する時にはかなりの錯乱をしている。そこでこの「ハルドウにおける聴聞による大解脱』 がなければまったくどうにもならないであろう。 ごぶつ ちゅうう げだっ

9. チベットの死者の書

うにすべきである。 《私に修行の完成された状態 ( 悉地 ) をお与えください》と、熱心な敬慕を寄せるべき である。これによって、胎の入口は閉ざされるであろう」 胎の入口を閉ざす第三の方法 「これによっても防ぐことができずに、汝が胎に入ろうとするのであるならば、三番目 むさばり として、貪欲と瞋恚を逆転回させる教えが説かれる。 ししよう らんしよう 生き物の誕生の仕方には四種類 ( 四生 ) がある。卵から生まれるもの ( 卵生 ) と胎か たいしよう しっしよう ら生まれるもの ( 胎生 ) と突然に生まれるもの ( 化生 ) と湿気から生まれるもの ( 湿生 ) との四つである。卵から生まれるものと胎から生まれるものの二つは共通している。さ きに述べたように、男女が交歓しているのを見て、これに対して魅かれることと反発す ることとの二種類の衝動によって再生の胎に入ってしまう。そして馬・鳥・犬・人間な どのうちのどれかとして再び生まれるのである。 もしも男性として生まれる時は、自分自身が男性であるとの思いが現われる。そして 交歓する父母の父に対しては激しい敵意を生じ、母に対しては嫉妬と愛着を生ずる思い を持つであろう。 かり 130

10. チベットの死者の書

光の中から、存在本来の姿そのものが起こす轟音が大きな雷音となり、千の雷が一斉 に鳴り轟くばかりにごろごろと響きわたるであろう。これもまた汝自身の存在本来の姿 そのものの音なのであるから、これを恐れてはならない。おののいてはならない。怒り を持ってはならない。 いじようしん 汝には習癖を作るカ ( 習気 ) から出来上がっている意識の身体 ( 意成身 ) というものが ある。しかしこれは実質を持った血肉の身体ではないのである。したがって音響・色 彩・光明の三つからなるものが迫ってきても、それが何であっても汝に害を加えること さと はできない。汝には死ぬものがないからである。それが汝自身の投影であると覚りさえ すればよいのである。それはすべて。ハルドウの現出であると知るべきである。 さと ああ、善い人よ、このように汝自身の投影であると覚ることができない場合には、生 いかに瞑想 ( 観想 ) を行なってきたとして 前に人間界にあった時にどのように熱心に、 おしえ も、現在のこの教誡に遭うことがないならば、色彩によって畏怖させられるであろう。 おしえ 音響によって脅かされるであろう。光明によっておののかされるであろう。教誡のこの さと ような大切な要点を理解することがなければ、音響・色彩・光明の三つの本質を覚るこ りんわ とができずに輪廻し彷徨うことになるであろう さまよ じつけ