このように多数の段階においてお導きを受けると、生前の善い行ないのむくい ( 果報 ) : 、かに弱く少ないものであっても、たとえ一つのお導きによって解脱に到達できなくて も、また次のお導きを受けることができる。そこで最後には解脱に到達できないことはな いのである。 しかしこのように何回もお導きを受けても、非常にたくさんの習癖を作るカ ( 習気 ) に 長年の間結びついていたために純粋な五つの知恵 ( 五智 ) に慣れ親しむことがなかった結 ヴァ 果、悪い習癖を作る力によって逆戻りさせられてしまう者がいる。お導きを受けても慈悲 の鉤針にかからずに、光明を恐れておびえの気持ちを起こしてさらに下方へと輪廻を続け る亠須がいる。 けんぞく そして六日目には、五仏がそれそれ女尊や従属する神々 ( 眷属 ) を伴って一斉に現われ ろくどう てくる。この時に、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道の六つの薄明りも同時に現 われるであろう。 この時のお導きは、死者の名を呼んだあとで以下のように告げる。 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。汝には昨日までに五仏のそれ それの現出があって、お導きがなされた。しかし汝は悪い習癖を作る力のために、これ 六日目 ごぶつ ) 」ち りんね じつけ
おごり 眼をやらずに慢心を捨て去るべきである。習癖を作る力を捨て去るべきである。これに 執着してはならない。求めてはならない。黄色に輝くかの光に敬慕の気持ちを寄せるべ きである。ラトナサムバヴァ如来に心を向けて、以下の祈願の言葉を唱えるべきである。 さまよ おごり りんね 《ああ、私が激しい慢心のために輪廻し彷徨っている時に、すべてのものの平等なこ びようどうしようち とを理解する知恵 ( 平等性智 ) の明るい光の道へと、ラトナサム、、ハヴァ如来がお導き くださいますように。女尊マーマキーが背後から支えてくださり、恐ろしい の難関を越えさせてくださいますようにお祈りいたします。 正しくて完全な仏の境地にお連れくださいますように》 と、強く敬慕の気持ちを寄せてこの祈願の言葉を唱えることによって、ラトナサムバヴ ャプュム ア如来男女両尊の心臓の中に虹の光となって溶け入り、南方のシュリーマットという仏 国土 ( 極妙国 ) においてサムボーガ・カーヤ ( 報身 ) を得て仏となるであろう 四日目 またこのようにお導きを何回受けても、大罪人などや誓いを守る意志の弱い者など、仏 さと むさぼり けがれ との縁の薄い人たちは、それでもまだ覚ることができないであろう。彼らは貪欲と罪垢に よって惑わされ、音響と光明とを恐れて逃げ出す。そして四日目において、アミター ほうじん
〔三〕《ああ、私に〈禅定・瞑想のバルドウ〉が現われてきた今この時に、心を散乱させ 錯乱させるものごとすべてを捨て去ろう。散乱させることと、何かに執着することとのど ウトバッティ・クラマ ニシュバンナ・クラマ ちらの一方にも偏らない状態に心を置いて、〈生起の。フロセス〉と〈完成のプロセス〉を 確固として実践しよう。 一心に倶想を行なって、他の行為はすべて捨て去ったこの時に、気持ちを錯乱させる煩 悩の支配に身を委ねることはいたすまい》 ・。ハルドウ ( 死の瞬間の中有 ) 〉が現われてきた今この時に、 冖四〕《ああ、私に〈チカエ なにものかを貪り求め、執着することはすべて捨て去ろう。心を惑わされないようにして、 おしえ 教誡を明確に考える状態に入ろう。 自分の意識を、これが生まれつきそなえていた ( 不生の ) 虚空の世界に転移させよう。 書作られたもの ( 有為 ) である血肉の身体を離れよう。この身体は無常であり、幻であると 文 の知るべきである》 ・バルドウ ( 存在本来の姿の中有 ) 〉が現われてきた今この の〔五〕《ああ、私に〈チョェニ 属 付時に、すべてについての恐怖・戦慄・おののきの気持ちを捨てよう。何であれ現われてき さと これがバルドウに 三たものは、自らの意識の投影したものであると覚らなければならない。 第 おける幻影であると知るべきである。 むさば サムテン ふしよう ちゅうう
再生の胎の選択 「このように仏の世界での誕生を汝が願わずに、無理にでも胎に入り込むことの方を喜 りんね んだり、または胎に入らなければならないと汝が考える場合には、不浄な輪廻・再生の この際にも、前と同様 胎の入口を避けて良い胎を選択する方法があるので聴くがよい。 に国を選ばなければならない。超能力 ( 神通カ ) をもって観察して、仏の教えが広まっ ている国に入るべきである。不浄な汚穢の中に汝が再生の形をとって誕生する時には、 この不浄の堆積物に対して《これは美薫である》との思いが汝に生じる。そしてこれに この中に誕生するのである。であるから、いかなる幻影が現われよう 執着してしまい、 とも、それに対しての執らわれの気持ちを持ってはならない。執着や求め願う心が先に 立っことのないようにして、良い胎の入口を選ぶべきである。 また、心の集中が大変に大切である。次のように想いをこらすべきである。 りやく 《ああ、私は生きとし生けるものすべての利益のために、仏の教えをもって統治する てんりんじようおう 王 ( 転輪聖王 ) として生まれよう。あるいは大きなサーラ ( 沙羅 ) 樹にも似たバラモ ン ( 婆羅門 ) として生まれよう。あるいは修行を完成した ( 悉地を究めた ) 人の子息と ほうみやく して生まれよう。あるいは汚れのないの仏の教えの伝統 ( 法脈 ) の家系に生まれよ 146
さと すぐにそれと見分けて覚ることができるので、解脱できるのである。大事な秘密を説き明 かすならば、以上のようなことなのである。 また死ぬ前に、人間として生きていた時に、戒律を堅固に守ってきた和尚や顕教の学者 が仏教の実践にどれほど熱心に努力してきても、また仏によって説かれた教えにどれほど しやり 精通していたとしても、彼らが死んだ時には、遺骨や舍利灰に仏の聖像がでたり虹の暈輪 がかかったりする不思議な瑞兆は現われないであろう。このような人たちは生前に密教を 心に抱くことがなかった。彼らは密教に対する侮蔑の言葉を撒き散らしてきた。密教の神 、くルドウの状態でこのような神々が現われても、 群に対して生前に面識がなかったから それと見分けることができないのである。以前から面識のないものが突然に見えると、こ れを敵と見なして、これに対して敵意を生じてしまうであろう。そしてそれが原因となっ あくしゅ て地獄などの悲惨な境涯 ( 悪趣 ) に落ち込んでしまうであろう。戒律を堅固に守ってきた いかに善い人たちでも、彼らの内面には密教の実修をした経験がない 者や顕教の学者は、 ので、彼らの死後に遺骨や舍利灰に不思議な瑞兆が現われたり虹の光などの徴候が現われ たりしない。顕教とはこのようなものなのである。 密教を信じる者は、彼らの中の最低のもののさらに最低のものであっても、たとえ行な いの道において動作が唐突で粗野なところがあったり、品位や学識がなくて規則や礼儀に げだっ かさ
また、恐れてはならない。区別をしない無分別の状態に放置すべきである。その状態に おいて、すべての仏の身体と光明が汝自身に溶け入り、汝は仏となることができるであ ろう。 ああ、善い人よ、汝の意識の働きがまだ完全ではないから、すべてのものの利益をは じようしよさち かる働きの知恵 ( 成所作智 ) の緑色の光明は現われることはないであろう。 ああ、善い人よ、これが〈四つの知恵が合わさった現われ〉と呼ばれるものであり、 〈ヴァジュラサットヴァ ( 金剛薩垣 ) の秘密の道〉と呼ばれるものである。 おしえ この時に、汝がかって師僧によって受けたお導きの教誡を思い出してほしいものであ る。汝がお導きの内容を思い起こしながら、これまでに現われた幻影たちの現出に親し みと信頼を寄せてほしいものである。そうすれば、母が我が子に会ったように、または 昔親しくしていた人のことを後にちょっと見かけただけでもすぐに見分けて疑わないよ うに、自分自身の幻影の現出を自分自身の現われであると知ることができるであろう。 〈チョェニ ( 存在本来の姿 ) の光の道〉という純粋で変わることのない道に親しみと信頼 さんまい を寄せるならば、精神集中 ( 三昧 ) を中断せずに続けることができるであろう。そして 汝の意識は大いなるサハジャ ( 自然生得 ) の身体に溶け入り、汝はサムボーガ・カーヤ ほうじん ( 報身 ) を得て仏となることができるであろう。そしてその状態からさらに他のものと ラマ こんごうさった じねんしよ、つとく
工 ョ 三日目 チ おごり けがれ ウ また、このようにお導きを受けても慢心と罪垢の大きい人の場合には、慈悲の光明の鉤 ほうしよう ル 針を恐れて逃げ出すので、さらに三日目に尊い御方であるラトナサム、、ハヴァ ( 宝生 ) 如 一来の神群と人間界の光の道の二つが会いに現われるであろう。 カ チ この場合もお導きは、死者の名を呼んだあとで以下のように告げる。 巻 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。三日目には、地の元素 ( 地 第 大 ) からできている浄化の働きをする黄色の光明が現われるであろう。その時に、南方 ・ノ、ノレドウ ( 大円鏡智 ) の明るい光の道へと、尊い御方であるヴァジュラサットヴァがお導きくだ さいますように。女尊ブッダローチャナーが背後から支えてくださり、恐ろしいバル ドウの難関を越えさせてくださいますようにお祈りいたします。 正しくて完全な仏の境地にお連れくださいますように》 と、強く敬慕の気持ちを寄せてこのような祈願の言葉を唱えることによって、尊い御 方であるヴァジ = ラサットヴァの心臓の中に虹の光となって溶け入り、東方のアビラテ ほうじん イという仏国土 ( 妙喜国 ) においてサムボーガ・カーヤ ( 報身 ) を得て仏となるであろ だいえんきようち ち
第巻シバ・パルドウ あしゆら 白色のおびえさせない薄明りが現われるであろう。同様にして、アスラ ( 阿修羅 ) の世 界の赤色の薄明り、人間界の青色の薄明り、動物 ( 畜生 ) の世界の緑色の薄明り、餓鬼 の世界の黄色の薄明り、地獄の世界の煙色のくすんだ薄明りが現われるであろう。合わ せてこれら六種類の薄明りが現われるであろう。その時には、汝が六道のうちのどこに 生まれるかによって、汝の身体の色もその世界の色になるであろう。 おしえ ああ、善い人よ、この時に教誡が極めて大切になってくる。 ックジェチェンポ いかなる薄明りが現われた場合にも、それを大慈悲尊として心に念ずべきである。薄 ックジェチェンポ 明りが現われた時に、これを《大慈悲尊である》と考えて、心に念ずべきである。この ろくどう ことがきわめて奥深く大切なことなのである。これによって六道の境涯への再生・誕生 が防げるのである。 イダム また、汝の守り本尊が誰であれ、これは幻のようにそれ自体の本質を持たない現われ / クベ工ギュ である。これをずっと心に念ずべきである。それは《清らかな幻の身体》と呼ばれるも イダム のである。この守り本尊の輪郭を周囲から内側へと消去していって、何も存在しない空 なるものにしてしまう。これを明々白々とした状態、何も認識できない状態に拡散させ イダム 一一てしまい、しばらくそのままにしておくべきである。その後に再び守り本尊を心に念ず べきである。また、光明を心に念ずべきである。このようにしてこれらを交互に繰り返 12 3
第二巻シバ・スルドウ さと 《一瞬のうちに、迷っているものと覚ったものとが区別される。一瞬のうちに完全に仏 の位を得る》というのが、今の時期にまさに当てはまるのである。 が現 昨日までの間、汝は心を惑わされ、逃げ惑っていた。これだけの多くのバルドウ さと われたのにもかかわらず、それらの本体も覚ることができなかった。すっと恐れおのの いていた。今、心を惑わされて逃げ惑うならば、慈悲の綱は切れてしまうであろう。解 脱することのない場所に連れて行かれることになるので、用心しなければならない」 さと と、以上のようなお導きを受けることにより、死者は前には覚ることができなかったけれ さと ども、ここで覚って解脱に達するのである。また、このようにして行なう瞑想の仕方も判 らない在俗の者たちに対しては、以下のように告げるべきである。 「ああ、善い人よ、このように瞑想する仕方を汝が知らないならば、仏と法と僧の三宝 ックジェチェンポ と大慈悲尊を心に想い浮かべて、これに祈願すべきである。恐ろしくおびやかす幻影の ックジェチェンポ 現われのすべてを、大慈悲尊あるいは汝の守り本尊であると心に思いつづけるべきであ かんじよう かいみよう る。汝が生前に人間界で受けた灌頂で授かった密教の名前 ( 戒名 ) があるならば、それ 灌頂古代インドの国王の即位式の伝統を受けて、如来の五智を象徴する水を弟子の頭頂にそそぐ作法によっ て仏の位が継承されたことを示す儀式。授かった密教の名前 ( 戒名 ) 灌頂を受けて密教行者として戒律を 守ることを誓うと、師僧から俗名とは異なる受戒者としての名前が授けられる。 イダム
までに現われたような仏の身体と純粋な叡知の光に恐れおののいて、不純な輪廻の薄明 りの方に執着するであろう。しかし、そのようにしてはならない。まばゆいばかりに純 粋な叡知の光に敬慕の気持ちを寄せるべきである。 《尊い御方である五如来 ( 五仏 ) の慈悲の叡知の光が、私を慈悲で包みこむためにお越 しになったのである。帰依申し上げます》という敬慕の気持ちを寄せるべきである。人 ろくどう をたぶらかす六道の薄明りに執着したり、貪り求めたりしてはならない。五仏それそれ ャプュム の男女両尊に心を集中して、以下のように祈願の言葉を唱えるべきである。 りんね さまよ ) 」どく 《ああ、激しい五つの悪徳 ( 五毒 ) のために私が輪廻し彷徨っている時に、〈四つの 知恵が合わさった明るい光の道〉へと、勝れた御方であり尊い御方である五仏がお導 みようひ きくださいますように。最高の女尊である五族のダーキニー ( 明妃 ) が背後から支え ろくどう てくださり、不純な六道の薄明りの道を脱することができますようにお祈りいたしま す。 恐ろしし : ハルドウの難関を越えさせてくださり、五仏の最高で純粋な仏の世界にお 連れくださいますようにお願い申し上げます》 と、この祈願の言葉を唱えることによって、能力の優れた人はこれらの幻影が自分自身 さと の現われにほかならないと覚り、これらと不二一体に溶け入って、仏となることができ ごぶつ むさば ごぶつ りんね