尊 - みる会図書館


検索対象: チベットの死者の書
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1. チベットの死者の書

忿怒尊のマンダラ ( トノ、キルコル ) 死者に死後二週間目に現出する忿怒の容貎をした神々の マンダラ。中央の赤色の大きな三面像は大亠祥 ロへーノレカ 尊で、テキストの方では秘仏とされて詳しい言及は避け られていたものが、本マンダラでは六部立てヘールカ尊 の主仏として強調して描かれる。また忿怒尊は全五十八 尊であるが、ゾクチェン ( 大究竟 ) の師資相承図も兼ね ている本図では全七十四尊が描かれている。

2. チベットの死者の書

第一巻 寂静尊と忿怒尊 ( 4 ) 寂静尊四十二尊と忿怒尊五十八尊およびヴィディャーダラ ( 持明者 ) 十尊の合計百十尊 がマンダラを構成する。ただし、マンダラ上に持明者十尊を描かないで、合計百尊と数える伝統も存する。こ れらはいずれも密教の主尊および守護神たちで、『金剛頂経』、『秘密集会 ( グヒヤ・サマージャ ) タントラ』 等のマンダラ上の諸尊と共通するものも多い。ニムマ派のゾクチ = ン ( 大究竟 ) の瞑想を実践したり、灌頂な どの儀礼法式を執行する際にこの宗派に独得の重要な役割を割り当てられて演じている。 おのすからの解脱 ( 4 ) チベット語の「ラン」には、漢字の「自、と同しく、「自身で」、「自力で」の意味と、 「自然に」、「人為を加えずに、の意味が共存する。本書の正式の題名の最後の「ランドル」も、殊更に修行等 を行なわないでも、自然に成就する密教の解脱の境地の意味と、他力ではなく自分自身の力による、真実の自 身の覚知という意味を併わせ持っている。なお、「ランドル」とは = ムマ派密教における重要な教義の一つで ある。 ハドマサム・ハヴァ ( 4 ) グル ・リンポチ = またはオーギ = ン・グルとも呼ばれる。第五代チベット王チソンデ ェッエンの御代に、ポン教の神々が、シャーンタラクシタ師のチベット への仏教伝道に抵抗した時に、請われ てオーギン ( スワット渓谷地方 ) から入蔵した。彼は鬼神・悪霊を調伏し、サムイ = 寺の地鎮の儀をとり行 なう ( 西暦七七五年 ) ほか、数々の神変・奇跡を現わした。 , 彼の伝記は、埋蔵経典テルマの一つである「ペ マ・カータン」に詳しいが、その事跡は、我国の弘法大師伝と同じく、数々の不思議な奇跡に満ちており、歴 史上の人物の伝記とは言いがたい。ニムマ派の典籍『リンチ、ン・テルズー』になると、さらにその伝記は多 様化し、想像力豊かな物語として展開する。彼はニムマ派の祖師であるが、古派に限られることなくチベット 人一般の間で、阿弥陀仏の化身として、あるいは「第二の仏陀」として尊崇を集めている。 師僧 ( 4 ) チベット語でラマ ( 喇嘛 ) は「無上師」とか「上人 . を意味し、サンスクリット語のグル ( 師 ) に 見出し項目の下の ( ) 内の数字は 本文の頁を示す。 172

3. チベットの死者の書

不思議な瑞兆 ( ) 死者が真の悟りを得た人である場合、火葬された後の遺骨の中に仏像の形をしたものが見 つかったり、真珠のような塊が見つかるとチベットで信しられている。仏が荼毘に付された後にその舎利が磨 かれた真珠あるいは黄金の粉末のごとき駄都となるという記載は仏典中に見られ、これを継承した舎利信仰の 一形態といえよう。 マサム。ハヴァによる 、、、ハルドウに関する六つの教誡の一つで、マン 『貼付による解説一 ( タクドル ) ( ) トラ ( 真一言 ) から成り立っている。この教誡にもとづいて法身サマンタ・ハドラを中心に据えて各尊のマントラ を周囲に配したヤントラ ( 図形 ) が木版で作成されていて、これを死者の身体に貼付することによって解脱を 願うことがチベット民間で行なわれている。 シュリ ( 大吉祥 ) は、今回依用した版ではブッダヘールカの称号とされ 大吉祥ブッダヘールカ ( 間 ) ているが、本初仏ダルマカーヤ・サマンタ。ハドラが五仏の上に位するのと対応して、五ヘールカ尊すべての上 シュリ ・ヘールカを考える六部へールカの解釈がニムマ派内で発達した。本書ロ絵 に超越的に位するマ、 シュリ ーへールカとブッダヘールカを別にした六部へールカ尊立てで描かれた例で の忿怒尊マンダラはマハ 。、ールヴァティーとの子供ガネーシャの異名とも、シヴ ある。なお、ヘールカ尊はインド教でシヴァ神と神妃ノ ア神の眷属の一神ともされる。仏教タントラにおいてはヘーヴァジュラやシャイハラなどと同一視される忿怒 尊で、二臂、四臂、六臂、十六臂の四種があるとされる。その忿怒相によって五毒を退治し、悪魔から世界を 守護するとともに、この尊の本質を正しく理解し仏道を求める者を五仏の許に導き仏位を得させる。蛇を食う ガルダ鳥の翼をその背に負うのがこの尊の特徴である。 ヴァジュラ ( 金剛 ) 部 ( れ ) 五部の一つ。九日目に現われるヴァジュラへールカは金剛部の主尊である金剛薩 垣阿閾如来を本体としている。 ラトナ ( 宝 ) 部 ( ) 五部の一つ。十日目に現われるラトナヘールカは宝部の主尊である宝生如来を本体とし ている。 。ハドマ ( 蓮華 ) 部 ( ) 五部の一つ。十一日目に現われる。ハドマヘールカは蓮華部の主尊である阿弥陀 ( 無量 光 ) 如来を本体としている。 カルマ ( 羯磨 ) 部 ( 祐 ) 五部の一つ。十二日目に現われるカルマヘールカは羯磨部の主尊である不空成就如来 186

4. チベットの死者の書

えくださいますように。恐ろしくおののかせるバルドウの恐怖が生じませんように》 《明るい叡知の五種類の光明が現われる時に、恐れることなく、おののくことなく、私 が自分自身を覚ることができますように》 《寂静尊と忿怒尊の御姿が現われるときに、恐れることなく、確信をもって私がバルド さと ウの幻影の現われであると覚ることができますように》 《悪い過去のカルマン ( 業 ) にもとづく苦しみを私が受けるときに、勝れた御方である 寂静尊と忿怒尊が苦しみを取り除いてくださいますように》 ほっしよう 《真実の存在 ( 法性 ) のみずから響く音が千の雷鳴のように轟くときに、これがマハ ーヤーナ ( 大乗 ) の教えの音と変わりますように》 《庇護してくれるものもなく、私がカルマンが定めたとおりにしたがっていくこの時に、 勝れた御方である寂静尊と忿怒尊が、私をお守りくださいますようにお祈りいたしま す》 《習癖を作る力となったカルマンがもたらす苦悩を私が受けているこの時に、安らかで 心地よい光明の瞑想が現われ起こりますように》 : ハルドウ ( 再生へ向かう迷いの状態の中有 ) 〉において私が身体を変えて誕生す るときになって、後へと引き戻す悪魔の教えが生ずることがありませんように。どこへ さと ′」う 168

5. チベットの死者の書

ーたち に血をすするカルマ ( 羯磨 ) 部の神群とガウリーと。ヒシャーチーとイーシ = ヴァリ さと がお迎えに現われるであろう。彼らが誰であるかを覚ることができなければ死者はおのの くであろう。この時のお導きは、死者の名を呼んだあとで以下のように告げる。 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。十二日目には血をすするカル マ部の尊い御方であるカルマヘールカと呼ばれる忿怒尊が現われるであろう。この尊は 身体は暗い緑色で、三つの顔を持ち、手は六本で四本の足を広くひろげる。三つの顔の うちの右の顔は白色であり、左の顔は赤色であり、中央の顔は暗い緑色であり、猛り狂 っている。六本の手のうちの右の第一手には剣を、第二手にはカドガ剣を、第三手には 杖を持ち、左の第一手には鈴を、第二手には血を満たしたバンダ碗を、第三手には犁刃 を持つ。彼の妃である女尊カルマクローデエーシヴァリーは男尊の身を抱擁し、右腕 で彼の首をかかえ、左腕で人血を満たした赤い碗を男尊の御ロのところに捧げ持つ。 顔を合わせたままの両尊は、汝自身の脳の北側から発して汝自身の眼前にはっきり と現われ出てくる。これを恐れてはならない。おびえてはならない。おののいてはな さと らない。 これは汝自身の意識が身体をとったものであると覚るべきである。汝自身の守 ふくうじようじゅ り本尊であるから恐れてはならない。実は尊い御方であるアモーガシッディ ( 不空成就 ) さと ャプュム 男女両尊が本体なのであるから、これに礼拝し供養をすべきである。そのように覚れば かつま

6. チベットの死者の書

本書と本巻の題名 ョ ラ 『深遠なるみ教え・寂静尊と忿怒尊を瞑想することによるおのずからの解脱』の書より セル デ トエ ドルチェンモ ・バルドウにおける記憶を明らかに呼び起こす、聴聞による大解脱』と呼ばれ る巻。 帰依を表明することば アミタ ダルマ・カーヤ ( 法身 ) として限りのない現われをもっ無量光 ( 阿弥陀仏 ) サムボーガ・カーヤ ( 報身 ) としての。ハ トマ ( 蓮華 ) 部の寂静尊と忿怒尊の神群 ニルマーナ・カーヤ ( 僊身 ) として生きとし生けるもの ( 衆生 ) を救われるためにこの 世に生まれられた。ハドマサム、、ハヴァ ( 蓮華生 ) これらの三身と師僧に対して帰依いたします。 『チョェニ サ さんじん はっしん シ はうじん れんげしよう ゴ ン れんげ しゅじよう シ ン 4

7. チベットの死者の書

・ノくノレドウ を持ち、左の第一手には鈴を、第二手には血に満たされた。 ( ンダ碗を、第三手には小さ い太鼓を持つ。彼の妃である女尊。 ( ドマクローデ = ーシ = ヴァリーは男尊の身を抱擁し、 右腕で彼の首をかかえ、左腕で人血を満たした赤い碗を男尊の御ロのところに捧げ持つ。 顔を合わせたままの両尊は、汝自身の脳の西側から発して、汝自身の眼前にはっきり と現われ出てくる。これを恐れてはならない。おびえてはならない。おののいてはなら さと ない。喜ぶべきである。これは汝自身の意識が身体をとったものであると覚るべきであ る。汝自身の守り本尊であるから恐れてはならない。実は尊い御方であるアミター ャプュム ( 無量光 ) 仏男女両尊が本体なのであるから、これに礼拝し供養をすべきである。その さと ように覚れば直ちに解脱できるであろう」 さと , と、以上のように唱えることにより、死者は守り本尊を覚ってこれに一体となって溶け入 り、サムボーガ・カーヤを得て仏となることができるであろう。 工十ニ日目 カ チまたこのようにお導きを受けても、悪い習癖を作る力のために 一後に引き戻されて、死者は恐怖やおののきを生じて逃げ出し、守 り本尊を見分けることができなくなる。そこでさらに、十二日目 イダム イダム パドマ ( 蓮華 )

8. チベットの死者の書

つの顔のうちの右の顔は白色であり、左の顔は赤色であり、中央の顔は青色である。六 こんごうしょ 本の手のうちの、右の第一手にはヴァジ = ラ ( 金剛杵 ) を、第二手にはバンダ碗を、第 三手には斧を持ち、左の第一手には鈴を、第二手にはバンダ碗を、第三手には犁刃を持 つ。女尊ヴァジラクローデ = ーシ = ヴァリーは男尊の身体を抱擁し、右腕で彼の首を かかえ、左腕で人血に満ちた赤い碗を男尊の御ロのところに捧げ持つ。 これは汝自身の脳の奥底の東側から発して、汝自身の眼前にはっきりと現われ出てく る。これを恐れてはならない。おびえてはならない。おののいてはならない。汝自身の さと イダム 意識が身体をとったものであると覚るべきである。汝自身の守り本尊であるので恐れて ャプュム はならない。実は尊い御方であるヴァジュラサットヴァ ( 金剛薩垣 ) 男女両尊が本体な さと のであるから、これに礼拝し供養をすべきである。そのように覚れば直ちに解脱できる であろう イダム と、以上のように唱えることにより、死者は守り本尊を覚ってこれと一体となって溶け入 り、サムボーガ・カーヤを得て仏となるであろう。 十日目 よ ) 」れ しかし、悪いカルマン ( 業 ) の影響による罪垢の大きな者たちが、これらの忿怒尊に恐 ′」う さと こんごうさった

9. チベットの死者の書

・ / くノレドウ 九日目 また、もし死者に恐怖やおののきが生じて逃げ出し、覚ることがないならば、さらに九 こんごう 日目に血をすするヴァジ = ラ ( 金剛 ) 部の神群がお迎えに現われるであろう。そのお導き 工 = というのは、死者の名を呼んだあとで次のように告げる。 A 」 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。九日目には、血をすするヴァ ジ = ラ部の尊い御方であるヴァジ = ラへールカと呼ばれる忿怒尊が現われるであろう。 この尊は身体は濃い紺色で、三つの顔を持ち、手は六本で四本の足を広くひろげる。三 カ チ 巻 ハンダ碗容器一般を意味するが、 九つの眼ヘールカ尊は三つの顔を持ち、額に第三の眼を持つので九眼。 第特に人間の頭蓋骨を半分にした髑髏碗を指す。ガルダ鳥によって支えられた玉座五毒の退治を象徴するた戸 ヘールカ尊は毒蛇を食うといわれるガルダ鳥の玉座にある。 イダム さと いじようしん 体をとったもの ( 意成身 ) であると覚るべきである。汝自身の守り本尊であるので恐れ ャプュム びるしゃな てはならない。実は尊い御方であるヴァイローチャナ ( 毘盧遮那 ) 男女両尊がこの本体 さと なのであるから恐れてはならない。そのように覚れば直ちに解脱できるであろう と、以上のように唱えることにより、死者は守り本尊を見分けてこれと一体となって溶け 入り、サムボーガ・カーヤを得て仏となるであろう。 イダム さと

10. チベットの死者の書

ああ、善い人よ、大吉祥ブッダヘールカと呼ばれる忿怒尊が現われるであろう。こ の尊は身体は暗褐色で、三つの顔を持ち、手は六本で四本の足を広くひろげている。そ の三つの顔のうち右の顔は白色であり、左の顔は赤色であり、中央の顔は暗褐色である。 身体は光明の集まりの中に輝いていて、九つの眼は恐ろしく、鋭い眼差しで見つめ、眉 ・ヒ》の笑い声 は稲妻のように動き、歯は真鍮のように光る。《ア・ラ・ラ》とか《ハ を遠くまで轟かせ、《シウ》というような息音を大きくたてる。赤みを帯びた金色の 髪は上方に燃え上がるように逆立っている。日・月と乾からびた人間の頭蓋骨の一連の 飾りで頭を飾り、黒蛇と生首で身体を飾る。六本の手のうちの、右の第一手には宝輪を、 第二手には斧を、第三手には剣を持ち、左の第一手には鈴を、第二手には犁刃を、第三 手にはバンダ碗を持つ。女尊クローデエーシ = ヴァリーは男尊の身体を抱擁し、右腕で 彼の首をかかえ、左腕で人血に満ちた赤い碗を男尊の御ロのところに捧げ持つ。男尊ブ ツダヘールカはガチャガチャという音や雷のようなうなり声を発し、燃えるヴァジュラ ′」ここん′」うしょ ( 五鈷金剛杵 ) の形をした体毛の叢みからは叡智の火焔が燃え立つ。一方の足を伸ばし、 他方の足を屈してガルダ鳥によって支えられた玉座に坐っている。 これは汝自身の脳の中から発して、汝自身の眼前にはっきりと現われ出てくる。これ を恐れてはならない。おびえてはならない。おののいてはならない。汝自身の意識が身 ハーシュリー