恐れ - みる会図書館


検索対象: チベットの死者の書
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1. チベットの死者の書

同時にこの叡知の光と一緒になって、餓鬼の怖気づかせないほどに微弱な黄色の薄明 りも射してくるであろう。この薄明りを喜んではならない。 これに対しての執着を捨て るべきである。 その時に激しい貪欲の結果として、汝はこの畏怖させ怖気づかせる赤色の光に対して 恐れおびえる気持ちを生じて逃げ出すであろう。かの餓鬼の怖気づかせないほどに微弱 な黄色の薄明りの方に汝は喜びと執着心を生ずるであろう。 だがその時に、汝はかの恐ろしいばかりに輝く、明るく清く澄みきった赤色の光を恐 さと れてはならない。 《これは叡知である》と覚るべきである。これの上に汝の意識をなん の動きもしないようにのんびりとさせて放置すべきである。そしてこれに対してあこが れと敬慕の気持ちを寄せて尊崇することが大切である。これを《汝自身の意識自体の現 われである》と覚るならば、特別に敬慕と尊崇の気持ちを寄せることがなくても、祈願 を唱えなくても、すべての仏の身体と光明とが汝と一体となって溶け入り、汝は仏とな ることができるであろう。 さと 、、ハ如来の慈悲の光明であ このように覚ることができない場合でも、《これはアミター る。帰依申し上げます》という敬慕の気持ちを寄せて祈願すべきである。 これはアミターバ如来の慈悲の光明の鉤針であるから、敬慕の気持ちを寄せるべきで さと むさばり

2. チベットの死者の書

ないことがある。執り行なう人たちが眠気をもよおしながら、あるいは気を散らしたま まで行なっていることがある。誓いや戒律の決まりを守った正式のやり方でなかったり、 不注意なやり方で行なわれていることがある。今の汝にはカルマン ( 業 ) の影響でそな わった鋭い超能力 ( 神通カ ) があるので、このありさまを見ることができるであろう。 また、これらの汝のための法要を執り行なう人たちの中には、不信心の者や悪い間違 った考えの者や、恐れおののいた結果悪い行ないをしてしまった者や、法要を執り行な うのに適わしくない者たちがいることがある。このことに汝が気づいて、次のように思 うであろう。 《あれ、この人は私をだましている。私は確かにあざむかれている》 このように考えて、汝は悲しくなり、とても情けなくなる。そして清らかな気持ちと 信頼心とを失ってしまう。その結果、汝に悪い間違った考えと神仏を信仰しない考えが あくしゅ 生じる。これに心を任せると、汝はかならず悲惨な境涯 ( 悪趣 ) に落ちることになるで あろう。他人を悪く考えることは、汝にとって何の益もないばかりでなく、大きな損失 となるのである。 汝が死後の事を頼んだ、仏道に入っている友人たちが、汝の法要を執り行なう際に正 しくない汚れたやり方でいかに行なっていようとも、次のように考えるべきである。 ) 」う

3. チベットの死者の書

ずれの判断からも離れた、偏らない平等の大きな立場に入ることが、奥深く正しい大切 な選択であるー しかし、このようなことに経験を積んだ若干の人たち以外には、悪い習癖を作る力の病 いの影響から離れていることは困難である。さきに説かれたような仕方で執着と嫌悪を捨 てることができないで、能力が劣るものの中でも最下等の動物にも似たものに助けを求め てしまうことが多くある。これを防ぐためには、死者の名を呼んで以下のように告げるべ きである。 「ああ、善い人よ、汝は胎の入口を選択することを知らずに、執着と嫌悪のいずれとも 離れることができないでいる。前に述べたようなさまざまな幻影がどんなに現われてこ さんばう ックジェチェンポ ようとも、三宝の御名を唱えて帰依すべきである。大慈悲尊に祈願すべきである。恐れ さと ることなしに、頭を真っ直ぐに上に立てて行け。バルドウであることを覚るべきである。 あとに残してきた近親・息子・娘・友人・親戚に対する執着や求める心を捨てよ。汝に とって彼らはなんの役にも立てないのである。 いまとなっては、人間界の青い薄明りと天上界の白い薄明りのなかに住むことにしな ければならない。宝石からできている立派な屋敷や楽園に住むことにして、地獄や餓鬼 の世界への入胎を避けるべきである」 148

4. チベットの死者の書

・ノ、ノレトウ 直ちに解脱できるであろう」 さと と、以上のように唱えることにより、死者は守り本尊を覚ってこれに一体となって溶け入 り、サムボーガ・カーヤを得て仏となることができるであろう。 おしえ ラマ 師僧の教誡によってこれらの忿怒尊の現出が自分自身のすがたの現われであり、自分自 さと 身の意識の働ぎであるとあらかじめ覚っていれば、譬えていうならば獅子の剥製を見た時 のように、何の恐怖も抱かずに解脱できるのである。これもまた「獅子の剥製とは、これ これのものである」ということが判っていないならば、恐れやおののきが生じるであろう。 しかし、他の人から「これこれのものである」というお導きを受けていて、正体があらか = じめすっかり判っていれば少しも恐くはないようなものである。 こくうかい 工 ここで、身体が巨大で四肢も肥大した血をすする神群が、虚空界全体と等しい大きな姿 チ で現われる時に、死者はかならずおびえとおののきを生じてしまうであろう。あらかじめ イダム このお導きを受けていれば、これらが自分自身のすがたの現われであり、守り本尊にほか 一ならないと直ちに知ることができるのである。かって瞑想した時に感じた光明と、後にな チって今現われている自分から生じた光明の二つとは、母と子のように渾然一体となる。昔 一の親友との再会のように一体となる。自分自身において、自身から現われる、自身を解脱 第 させるものとして、死者自身の意識はこの時にみずから光り輝き、死者は自然に誰の手も イダム

5. チベットの死者の書

・ / くノレドウ 九日目 また、もし死者に恐怖やおののきが生じて逃げ出し、覚ることがないならば、さらに九 こんごう 日目に血をすするヴァジ = ラ ( 金剛 ) 部の神群がお迎えに現われるであろう。そのお導き 工 = というのは、死者の名を呼んだあとで次のように告げる。 A 」 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。九日目には、血をすするヴァ ジ = ラ部の尊い御方であるヴァジ = ラへールカと呼ばれる忿怒尊が現われるであろう。 この尊は身体は濃い紺色で、三つの顔を持ち、手は六本で四本の足を広くひろげる。三 カ チ 巻 ハンダ碗容器一般を意味するが、 九つの眼ヘールカ尊は三つの顔を持ち、額に第三の眼を持つので九眼。 第特に人間の頭蓋骨を半分にした髑髏碗を指す。ガルダ鳥によって支えられた玉座五毒の退治を象徴するた戸 ヘールカ尊は毒蛇を食うといわれるガルダ鳥の玉座にある。 イダム さと いじようしん 体をとったもの ( 意成身 ) であると覚るべきである。汝自身の守り本尊であるので恐れ ャプュム びるしゃな てはならない。実は尊い御方であるヴァイローチャナ ( 毘盧遮那 ) 男女両尊がこの本体 さと なのであるから恐れてはならない。そのように覚れば直ちに解脱できるであろう と、以上のように唱えることにより、死者は守り本尊を見分けてこれと一体となって溶け 入り、サムボーガ・カーヤを得て仏となるであろう。 イダム さと

6. チベットの死者の書

に対して恐れとおびえの気持ちを起こして、今日に至るまで解脱できすに残っているの である。 さと 汝がこれらの五仏の叡知自体の現われを自分の姿にほかならないと覚ったのであるな らば、五仏はそれそれの時に汝の身体に虹の光となって溶け入り、汝はサムボーガ・カ ほうじん ーヤ ( 報身 ) を得て仏となったであろう。しかし汝はそのように覚ることはなかったの で、今日こ をいたるまでここに彷徨を続けているのである。 今こそ、心を惑わされることなく見るべきである。今こそ、五仏すべてが一斉に完成 された姿をとって現われるであろう。四つの知恵 ( 四智 ) すべてが一緒になった姿をと って現われるであろう。これらすべてが同時に汝に会いにやってくるであろう。そのこ とを覚るべきである。 ああ、善い人よ、四つの元素 ( 四大 ) からなる浄化の働きをする四色の光明が現われ るであろう。 その時に、中央のティクレーダルワという仏国土 ( 精滴弘播国 ) からマハーヴァイロ ふくうじようじゅ 五仏毘盧遮那・阿閾・宝生・弥陀・不空成就の五仏。金剛界の五仏と同一。四つの知恵 ( 四智 ) 大円鏡 第智・平等性智・妙観察智・成所作智の四つの仏の知恵。四つの元素 ( 四大 ) 地大・水大・火大・風大の四 大種 ( 四つの元素 ) 。「五大」 ( 三十頁の表 ) 参照。 ・ノくノレドウ さと あしゆく はうしようみだ しだい さと

7. チベットの死者の書

第巻シバ・ / くルドウ 一一胎の入口を閉ざす第四の方法 「しかしこれによっても胎の入口を閉ざすことができずに汝が胎に入ろうとするならば、 ろう。この時のために役立っ奥深い教誡があるのだ。それを授けよう。 ああ、善い人よ、このように愛着と敵意が生じた時には、次のように考えることがよ ′」う 《ああ、私のようにこれほどまでに悪いカルマン ( 業 ) に影響を受けたものがほかに さまよ りんね あるだろうか。今までわたしが輪廻し彷徨ってきたのも愛着と敵意の二つの気持ちに ふりまわされたためである。今またここでこのように愛着と敵意の気持ちを持つなら さまよ りんね ば、果てしなく輪廻し彷徨いつづける恐れがある。苦悩の大海に長い間沈んでしまう 恐れがある。今こそ愛着と敵意のどちらの気持ちも捨てよう。ああ、今からは愛着と 敵意のどちらの気持ちも決して持たないようにしよう》 と、このように心を一点に集中して、強く決意すべきである。するとひとりでに胎の入 ロは閉じてくる。このように『タントラ』に説かれているのだ。 心を一点に集中して決意すべきであ ああ、善い人よ、心を惑わされてはならない。 る おしえ

8. チベットの死者の書

きから現われているものであると知るならば、その瞬間において汝は血をすする神々の 身体と一体になって仏となることができるのである」 ヤマ ( 閻魔 ) 王たちの現出 さと 「ああ、善い人よ、このように覚ることができないならば、汝はこれらの神々を恐れて 逃け、さらに大きな苦悩の中へ入りこんでしまうであろう。 さと えんま このように覚ることができないならば、血をすする神群すべてをヤマ ( 閻魔 ) 王と見 なしてしまい、血をすする神に汝は恐怖を抱き、おびえ、おののき、失神するであろう。 さまよ 汝自身のすがたの現われが魔に変化してしまって、汝は輪廻し彷徨いつづけるであろ さまよ う。汝が恐れおののくことがないならば、輪廻し彷徨うことはないのである。 ああ、善い人よ、これらの寂静尊と忿怒尊のうちで、身体の巨大なものは大空と同じ しゆみせん 大きさである。中程度のものはスメール山 ( 須弥山 ) ほどの大きさである。小さいもの でも我々自身の身体を十八も積み重ねたほどの大きさであるが、これらを恐れてはなら 現象の世界のすべてのものが光明と仏の身体をもって現われている。すべての幻影が 光明と仏の身体をもって現われている。これを汝自身の意識のみずからの輝きであると えんま りんね りんね

9. チベットの死者の書

トエ この「ハルドウにおける聴聞による大解脱』のお導きを受けることができない場合には、 さまよ りんね たとえ善人であっても、死後に人間の世から退いて下の世界に輪廻し彷徨うであろう。そ して、ガウリー 八女神とさまざまな動物の頭を持った。ヒシャーチーが汝自身の脳の内から 来て汝自身に現われて見えるであろう。この時のお導きは、死者の名を呼んだあとで以下 のように告げる。 「ああ、善い人よ、心を惑わされることなく聴くがよい。汝自身の脳の内からは八つの 方角のガウリー 八女神が発して、汝自身のもとに現われるであろう。これを恐れてはな らない。 汝自身の脳の東の方角からは、白色のガウリーが、右手には死体でできた棍棒を持ち、 左手には血を満たしたバンダ碗を持って、汝自身の眼前に現われてくるであろう。これ を恐れてはならない。 南の方角からは、黄色のチャウリーが弓に矢をつがえて現われるであろう。これを恐 れてはならない。 借りないで解脱できるのである。 十三日目 ドルチェンモ

10. チベットの死者の書

・スノレトウ 第一巻チカエ・ノくルドウとチョェニ われである、空が仮りに姿をとったものが現われてくるこの時に、諸仏が慈悲の力を お与えになってくださいますように。おびえさせおののかせるバルドウの恐怖がやっ てまいりませんように。 叡知を明らかに輝かせる五つの光明が現われてくるこの時に、恐れす、おびえるこ さと となしに私自身を覚ることがでぎますように。 寂静尊と忿怒尊の姿が現われてくるこの時に、恐れることなく確固としてバルドウ さと の本体を覚ることができますように。 悪いカルマンに影響を受けて私が苦しみを味わっている時に、守り本尊が苦しみを 取り払ってくださいますように。 存在本来 ( 法性 ) が持つみずからの響きが千の雷音をもって轟く時に、これらすべ ペエ・メエ・フームの六シラブルの声音となりますように。 てがオン・マ・ ックジェチェンポ したが 庇護するものもなく、カルマンに影響を受けて私が随って行くこの時に、大慈悲尊 かんじざいばさっ ( 観自在菩薩 ) が私を庇護されますようにお願いいたします。 悪い習癖を作る力となった過去からのカルマンの影響がもたらす苦しみを私が味わ さんまい っているこの時に、楽しい光明の精神統一の境地 ( 三昧 ) が現われますように。 五元素 ( 五大 ) からなるもろもろの存在物が私に敵対してくることがありませんよ シ ごだい はっしよう イ / ム 9.