すべてのものが虚空の蔵のように、財産を尽くすことがありませんように。 争いもなく、害もなく、自由に用いることができますように。 ばだいしん 菩提心を離れすに菩薩行に努力し、 仏たちに完全に守られて、魔の業すべてを捨てますように。 、つじよ、つ 有情の苦しみ〔を除く〕唯一の薬、すべての幸せの源。 〔そのような〕教えが供養と尊敬にともなわれ、〔この世界に〕長くあり続けますように。 ( 第十章・ そして、梵孔↑プラフマ孔 ) から人りこみ、無所縁である空性の状態が心臓に到達したときに、空性 〔そのもの〕になったと観想せよ。その↑空性の ) ままでたゆたい、その途上で、心をそのままにとどめ、 そのまま眠りに落ちたなら「法性の眠りに人る秘訣」である。また、その途上に死んだなら「死の秘訣」で あり、それゆえ中有における大印契の悉地を得るなどとされている。 その途上で、真一言念誦をするなら、大いなる加持がもたらされる。〔つまりは、〕仏の身・ロ・意の念誦に このように私は如来、救世者、仏子などに供養したてまつる。 えこう 〈祈願と廻向〉 くせしゃ ご、つ ( 第十章・ ) ( 第二章・ ) ( 第十章・ ) 八座からなるロジョン ( 心の訓練 ) 274
クンチョック・シタル、ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、齋藤保高『実践チベット仏教人門』春秋社、一九九五年 ・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ『チベット密教の瞑想法』金花舎、一九九六年 『ダライ・ラマ生き方の探究』ゲシェー ・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、藤田省吾訳、春秋社、一九九七年 『ダライ・ラマ瞑想人門』鈴本樹代子訳、春秋社、一九九七年 London, 一九九七 ) マ『入菩薩行論』に基づくダライ・ラマ十四世の説法 『ダライ・ラマ至高なる道』谷口富十夫訳、春秋社、二〇〇一年 『ダライ・ラマ死をみつめる心』ハーティンク祥子訳、春秋社、一九九九年 マ「ロジョン ( 心の訓練 ) 」や瞑想実践などに関する図書 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、藤田省吾『チベット密教心の修行』法蔵館、二〇〇〇年 『ダライ・ラマ他者と共に生きる』田崎國彦、渡辺郁子訳、春秋社、一九九九年 ・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、クンチョック・シタル、齋藤保高『チベットの般若心経』春秋社、二〇〇 参考文献 324
しじゅ ることが、ここでの冒頭の詩頌『人菩薩行論』第三章・幻詩に見てとれます。 地などの四大や 空のように、 つねに、無数なる有情の〔ために、〕 さまざまな方法で、〔彼らの〕生存のもととなろう。 「四大」とは、物質を構成する四元素を意味しています。四元素とは、地・水・火・風です。地とは大 地であり、すべての存在を支えるよりどころとしての上台のようなものです。木々や草花、農作物や薬 などのすべては「大地」によって支えられています。それらは「水」を集めて、適度な「温度 ( 火 ) 」 と「空気 ( 風 ) 」によって育まれていきます。つまりは、四大の秩序によってあらゆるものは存在し、 存在するがゆえに、一切の衆生は生存できるのです。 この詩頌では、自分が四大になろうと高らかに宣言しています。ロジョンではこれら一連の流れを観 けこんきょ - っ じゅうえこうばん 想法にしてきました。その根拠は『華厳経』「十廻向品」の中に見られます。「菩薩は園林や本々を施 すとき、次のよ、つに思、つ。 私はすべての衆生のために、自ら真理の林になろう。私はすべての衆生 のために、喜びの場所を示そう : : : 」と。また、『人菩薩行論』第五章・ R 詩には、「もろもろの有情の りやく 利益を成就するために、〔このからだを〕如意のからだと変えよう」と説かれています。 八座からなるロジョン ( 心の訓練 ) 288
そして、人間の世界において修行者自身の肉体からガンジス河の砂の数のような化身を生みだし、もろも ろの人間の罪や苦しみすべてを修行者自身の無数の肉体で、次々に受けとったと観想せよ。修行者自身の幸 せと善のすべてを人間に与えたと観想せよ。この二つを交互に繰り返し、実践することである。 諸仏・諸菩薩の善根を心で受けとって、〔それが〕衆生である人間に結実したと観想せよ。そのように、 人間が罪や苦しみから離れ、菩提心をおこし、二資糧を円満し、仏陀を得たと観想することである。 きせけん そして、器世間↑物質的世界 ) は宝の広大なる器であると観想せよ。自身の身体を無数の断片に裁断し しゅじゅう て、多くの肉片や血となって満たされたと修習せよ。「オム・アー・フーム」と三回誦えて、それ肉片 かんろ や血 ) を甘露に変える観想をすべきである。 よくくるしゅ、つ 諸仏・諸菩薩の心部から智慧の甘露が流れだし、満たされたと観想せよ。三十三の天と北倶盧洲、世間す べてが甘露とエネルギーで満たされたと修習せよ。 そして、甘露はますは師と本尊と仏・菩薩にさしあげる。次いで、六道輪廻の衆生にさしあげよ。それに むふんへつ はっしん よって、彼らすべては無分別の智慧である法身を得たと観想することである。 八座からなるロジョン ( 心の訓練 ) 254
こんしょ - っしちしよう かんじよ、つ さんまやかい もし〔密教の灌頂を授かり、三昧耶戒を遵守するならば〕今生や七生で、〔遅くとも〕十六生で仏陀 〔の境地〕を完成すると説かれているのは、輪廻〔の永遠とも一一口える長さ〕に比較すれば、〔七生や十六生は〕 明日や明後日のことのようになる。とても怠惰な者たちは、はるかに多くの輪廻を転生して後に仏陀となる と説かれている。 「八座からなるロジョン」の秘訣が、どうかつつがなくおこなわれますように。 これは死が近づきつつある人が行するロジョンの瞑想法です。死が近づいたときには「五 【解説】 つの力」をもって実践する必要があるとされています。「五つの力」とは、ゲシェー・チェカ せんこん ワによって①善根のカ、②祈りのカ、③対治のカ、④決意のカ、⑤慣れる力、とされています。 ン ョ 善根のカ・ : : ・師や僧侶に所有物をさしだし、瞑想のカで三宝を供養することによって、現世に対し ての執着心を捨て去ることで、善根を集積することができます。本文では六波羅蜜の順序に従って死を死 迎え人れるべきとされ、はじめに布施があげられています。 死は力すくで一切を奪いとっていくため、死を迎える瞬間には自然に執着心が強まります。しかし、第 さんあくしゅ 執着心、とくに財産や家族や自身の肉体に対する強い執着心は来世に悪影響を及ばし、三悪趣に転生す
し み 身体からガンジス何の砂のような数の ( 〕無数の ) 化身を生みだし、 ・・・ろくど、フりんね 生 を 身 ・一道輪廻の衆生の苦しみを喜んで受けとるロジ」 の ジ 衆生のために仏陀を〔の境地〕得なくてはならない そのために、「身体からガンジス河の砂のような数の化身を生みだし、六道輪廻の衆生の苦しみを喜んでのけ なで うん 受けとるロジョン」をおこなおうと思うことである。 よ喜 のを 砂み 地獄の世界に住まう〔無数の〕衆生に対して、修行者自身の肉体からガンジス河の砂の数のような〔無数のし 河苦 の〕化身を生みだし、地獄の住人の罪や苦しみすべてを〔無数の化身と化した〕自身の肉体で次々に受けとスの ン衆 ガの ったと観想せよ。また、修行者自身の幸せと善のすべてが地獄の住人に結実したと観想せよ。この二つを交 ら廻 か輪 互に実践することである。 体道 身六 諸仏・諸菩薩の善根を心で受けとって、〔それが〕衆生である地獄の住人に結実したと観想せよ。そのよ座 うに、地獄の住人も罪や苦しみから離れ、菩提心をおこし、二資糧を円満し、善趣の天界や人間界を得た第 ちくしようあしゆら ↑へ至った ) と観想せよ。また、餓鬼や畜生、阿修羅などが、天や人間の身体を得たと観想せよ。 第三座
そして、梵孔プラフマ孔 ) から人りこみ、無所縁である空性の状態が心臓に到達したときに、空性 〔そのもの〕になったと観想せよ。その↑空性の ) ままでたゆたい、その途上で、心をそのままにとどめ、 そのまま眠りに落ちたなら「法性の眠りに人る秘訣」である。また、その途上に死んだなら「死の秘訣」で あり、それゆえ中有における大印契の悉地を得るなどとされている その途上で、真一言念誦をするなら、大いなる加持がもたらされる。〔つまりは、〕仏の身・ロ・意の念誦に なるためである。本尊ヨーガをすることは、仏身の念誦であって、真一言を誦えることはロの念誦であり、空 性を観することは心の念誦である。 それ瞑想 ) よりおきあがりたいなら、空に架かる虹のような空性の状態で、輝く世尊不動明王となり、 かって溶けこんだ智慧薩、色彩で飾られた智慧薩が頭頂にいらっしやると考えて、心から敬信し、ロで 称賛し、供養し、祈願せよ。 〈礼拝と称賛〉 さんせ 三世↑過去、現在、未来 ) にまします一切の仏と、法と、最高なる集まり↑聖なる菩薩がた ) に対 し、 ふくでんみじん 福田の微塵の数のごとく、〔この〕身で私は礼拝いたします。 身体は青色、両手に剣と羂索を持ち、左足を伸ばし右足を屈し、 けんさ / 、 0 ( 第一一章・ 24 249 第二座呼吸に関するロジョン
ンチョク・ギャルツェン ( 一三八八 5 一四六九 ) がそれまであったロジョン系統の教えを編纂し、一冊の書 物にまとめた総称です。 ここに採りあげた「八座からなるロジョン」は『人菩薩行論』と密接に関係したもので、『人菩薩行論』 をどのように読み解いていったらいいかの好例を示し、その内容を身近に感じて実践に活用するのに最適な テキストの一つであることは間違いありません。 このたび、このようなかたちで偉大なる聖者シャーンテイデーヴァの著作『人菩薩行論』の和訳と解説を 日本語でみなさんに紹介できるのは、ダライ・ラマ法王をはじめとする上師がたのこ恩のおかげです。本書 が、上師がたのお考えのとおりでありますようにと心から願います。もし本書に誤りがあるならば、それは すべて私の責任であることを、心から懺悔をいたします。 さらに、貴重な序文をお寄せくださった宮坂宥勝先生に心より感謝いたします。私事にわたりますが、先 生には私が来日以来、公私ともにお世話になってきました。また、去る二〇〇二年三月二十三日、私の母が いっさいしゅじよう 数え年八十三歳でこの世を去りました。その母の恩に報いるために、母なる一切衆生へ、本書によって生 せんこん まれた善根があるなら、そのすべてを廻向いたします。 本書が、みなさんが菩薩行に励まれ、自己愛着をなくす修行をなさる、その助けとなりますようにと願い ます。そして、生きとし生けるものの幸せのために、それを廻向いたします。生きとし生けるものの幸せの ために、仏陀の教えが広まるよう廻向いたします。
そして、三宝の前に赤黄色い「バム」字を観想せよ。それが光りに溶けて、一つの蓮華の樹になったと観 想せよ。蓮華の花弁や葉は宝の布で飾られている。それは上師や本尊と不二であると観想せよ。かっての供 養そのものは心で受けとってさしあげよ。そして、七支分〔の供養〕をおこなえ。前述したように願えよ。 ( 註 ) 「七支分」については、先に説明したとおりです。 ン ョ しちほ、つ びるしゃな 静寂なる場所で、楽な座布団の上で毘盧遮那の七法に従って座せ。あるいは、禅定の六法に学び、足は結 かふざ あこ たんでん 伽趺坐で、肩は真っ直ぐに伸ばし、二つの手は丹田で印を組み、顎は引きつけよ。そして、左の鼻孔から息死 を三回吐き出し、鼻孔の息が丹田に真っ直ぐ流れるようにし、目は鼻の先端を見つめ、歯と歯の間は開けて韃 うわあこ 舌を上顎にあてよ。瞳は閉じてはいけない。もし、瞳を閉じてしまえばそれに慣れてしまう。まばたきをし第 てはいけ , な、 もし、そうすれば散乱してしまう。本尊の眼差しのようにせよ。そして、意識は丹田に集中 しんそうぞく も・つしょ 「私の心相続に、大乗の『ロジョン』の正しい理解が生じるように加持してください。四つの忘所 ( 死の てんしよう 苦・中有の苦・子宮の中の苦・転生の苦 ) を忘れないように加持してください四つの害 ( 人による害・ 非人間的なものによる害・四大による害・煩悩による害 ) から逃れられるように加持してください」と願
・ロサン・ギャツォ先生よりも示唆され ラマ法王の面授ロ伝を受けられた。そして、今は亡き恩師ゲシェー るところ多大であったことを、述懐されておられる。 それらは、解説の部に、簡にして要を得た叙述となって結実していると言って良いであろう。 また、邦訳にあたって協力された西村香さん、藤田省吾氏の労を多としたい。流暢にして平明な文言は、 豊かな詩情をたたえた原書の文学的表現を十分に伝えている。ことに注目すべきは、巻末に収録した「八座 からなるロジョン ( 心の訓練 ) 」である。 原典を出版した初期の外国諸学者が異ロ同音に言っているのは、本書のもっ崇高な思想、熱烈な信仰心の 披瀝、そして文体典雅にして心琴深く触れる文学性である。 さきにものべたように、インド同様にチベットでも、本書は最もポピュラーな仏典の一つとして迎えられ た。それは、チベットにおける多くの註釈の存在によっても窺われよう。しかし、古来、わが国では仏典と しての真価を認めて読まれることはなかった。近代以降、二、三の邦訳はなされたが、教養として読まれる ( し力な にとどまった。しかるに、このたびは訳著者による解説までも付せられている。まさしく菩薩行とよ、 るものであるか、菩薩としての実践方法を具体的に説いている。それは菩薩行を実践することによって、覚 りの世界へと導かれるという主題のとおりである。シャーンテイデーヴァはただ仏典を読誦するだけであれ ば、病人の枕頭で医学書を読んで聞かせるに等しい、と言う。 現代日本の世相は末期症状にある。「心の教育」が叫ばれ、精神科医の客観的な分析主義による対症療法 だけではすまされないものがある。 ひれき めんじゅ はじめに