菩提心の不放逸 ( 菩提心への注目 ) という実践 : : : 菩提心について、「仏や菩薩がよく分析し、 その利益を称賛しているゆえ、なくしてはならない」と説かれています。さらに、かって自分でも菩提論 ばさつかい 心の利益や、菩薩戒を受ける理由と目的について良く考えて、分析した上で菩薩戒を受けたのです。で すから、決して菩提心を失ってはなりません。仏の境地を得るまで、菩提心をなくさすに守るべきです人 ( 第四章・ 2 、 3 ) 。 ぎよ、つ ばだいどう 2 ・菩提心を失う過失 : : : もし、「あらゆる衆生を成仏させよう」と誓った後に、行として菩提道を 実践しないのなら、すべての衆生をたますことになります。そして、その結果は三悪趣以外ありません。 あこん 一般的に考えても、阿含 ( 釈尊のことば、経典のこと ) からもこのことは明らかです。ただし、仏典に みられる舎利子のような特別なケースもあります。しかし、このような特別なケースは「業の法則は、 無限、不可思議で、一切智者にしかわからない」ということを示し、阿含との矛盾を捨てさせるために 説かれたものです ( 第四章・ 4 、 5 、 6 、 7 ) 。 3 ・行として、精進 ( 努力 ) を保つこと : : : 誓ったとおりに成就できなければ、私たちは三悪趣への 生を繰り返し、過失を犯し続けます。それでは、仏すら、かってもこれからも、私たちを救い難いと言 うべきでしよう。もちろん、仏こ自身は救済の能力をお持ちです。しかし、私たちの側に救済されるべ / 、うしよ、つ えんぎ き信仰と努力がなければ、仏ですら救済が難しいのです。なせならば、すべては縁起であり、空性で せしゃ あるからです。ですから、仏教では「自分自身が自分の救世者である」と教えられており、外的な創造 者は認めません ( 第四章・
ケシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ にゆうばさつぎようろん この本では、シャーンティテーヴァ ( 寂天 ) の『人菩薩行論』を学んでいこうと思います。 今回この素晴しい論書『人菩薩行論』を仏教に関心を持つ日本のみなさんに紹介するために、全十章をチ べット語から日本語に翻訳しました。翻訳にあたっては、なるべくわかりやすい日本語とするように努めた にゆうばだいぎようろん つもりです。なお、現在伝えられているサンスクリット原典の題は『人菩提行論』と訳すことができます が、チベット訳では『人菩薩行論』が一般的です。本書はチベット訳に基づいていますので、『人菩薩行論』 で話を進めて行きたいと思います。 ばたいぎようきよう ところで、『菩提行経』と題された漢訳は古くからありましたが、残念ながら中 チベット仏教の心髄 国、韓国、日本ではあまり重要視されませんでした。しかし、チベットではこの論 書はたいへん重要とされており、「チュン・ジュク」と呼ばれて、チベット仏教の四宗派すべてで大切に学 はつくきよ、つ ばれています。小乗仏教徒にとっての『ダンマ・バダ ( 法句経 ) 』、ヒンドウー教徒にとっての『バガヴァッ 本書について しやくてん 本書について 10
そなえた懺悔と、修行の妨げをなくすことについて述べています。この章は一般に「罪の懺悔」の章と呼ば れています。 て かんじよう きがんえこ・つ ばさつかい 第三章では、菩薩戒を持することと、七支分の後半部分である随喜、勧請、祈願、廻向が説かれていま「 せんこん ふせはらみつ す。また、布施波羅蜜の修行の一部としてからだと善根と財産を与えるべきであり、その良き条件として、書 ますは功徳を積み、菩薩戒を受けるべきだと説かれます。第三章は「菩提心の受持」の章と言われます。 第四章では、このように菩提心をおこしたなら、自分自身でそれを称賛し、喜ぶ気持ちをおこすべきだと シャーンテイデーヴァは説きます。菩薩となるための修行を始めるという堅固な誓いをするのです。菩薩行 ふせはらみつ ろつばらみつ には六波羅蜜を実践する以外の修行はありません。布施波羅蜜とは、からだ、財産や善根などを惜しますに しゅしよう 衆生に与えることです。六波羅蜜を備えた布施波羅蜜を修行すべきです。なお、布施については第三章と 第十章などこの論書の随所で説かれており、布施だけについての独立した章はありません。 続いて正しい戒律について説かれます。布施波羅蜜の実践をすれば、豊かな財産を生じることができます ーいはらみつ が、究極的な安定は望めません。それには戒波羅蜜の実践が欠かせません。戒波羅蜜とは主には、自己愛着 しんそうぞく から心を守り、利他の心をおこすように努力することです。しかし、私たちの心相続 ( 心の連なり ) は、無 始以来、煩悩や自己愛着に慣れすぎているので、それらを教化するのはとても難しいことです。だからこそ、 ふはういっ 煩悩について知り、煩悩と闘うべきです。不放逸を学ぶと、菩提心について知ることができます。 しようち さらに菩提心をおこしたら、正知をおこすべきです。正知があるかどうかは大切です。もし、自分の心が良 くない状態ならば、正しい心はどのようであるかを見て、自分の心が正しい心となっているように監視します。 さんけ
しん 第一章 = 菩提の利益 インド語で『ポーディサットヴァチャリャーヴァターラ』 チベット語で『チャンチュプ・セムペー・チューパ 〔日本語で『人菩薩行論』〕 ふつ 一切の仏・菩薩に礼拝したてまつります。 はっしんせんぜい ふっし 1 法身の善逝仏 ) 、法、法身のもろもろの仏子 ( ↓ロ薩 ) と礼拝されるべき方がたとに対し礼 あこん 拝いたします。もろもろの仏子の戒をまとめたもの↑菩薩行 ) に人るために阿含に従って、簡 明に説こ、つ。 2 以前に説かれていないものをここで説くことなどなく、私には文才もない。それゆえ私は他人 のためになるようにとは考えていない。ただ私の心の訓練のためにこれを著した。 3 私が善を行おうとすること、これによって私の信心は一時的に強くなるであろう。私と同等の 人が、これを見るならば、その人たちにとっても意味のあるものとなろう。 りやく ラ・ジュクパ』 人菩薩行論 26
せす、ますます増大させること。 ( 取意 ) 」と説かれているように、菩薩戒を受持したなら、福田たる児 もんし しゅ 仏・法・僧に礼拝、供養し、尊敬し、世話をすべきです。聞・思・修し、身・ロ・意による善に対して、論 あらゆる努力をすることです。要約すれば、自分と他者の心を熟させることが六波羅蜜のすべての行で ばだいど、つ あり、菩薩のあらゆる行は三種類の戒律にまとめられます。一般的に考えれば、あらゆる菩提道の階梯人 ツ . 、 . っ 0 0 は三種類の戒を増大させることです ( 第五章・ LO 8 『人菩薩行論』では戒や律に学ばないのは、からだへの執着のせいだから、それを捨てるべきだと説か れ、喩えによってからだへの執着が正しくないと説明されます ( 第五章・ 5 。そして、不浄なか らだについて瞑想し ( 第五章・、からだには心髄がないことを考えます ( 第五章・ 6 、。さ らに、からだに執着することは良くないことであり ( 第五章・ 6 6 ) 死がすぐに訪れるのだから、 このからだによって善を行うべきだと説きます ( 第五章 ・、 ) 。ささいな悪行であってもなすべき ではなく、執着によってからだを守ってはいけないと喩えによって説明します ( 第五章・ ) 。 自分が得た所得や贈り物を他者に与えることで、自分の目的を成就できること ( 第五章・ 8 ) 、舟の ような心で一切衆生の目的を成就すべきであること ( 第五章・四、善を成就するに巧みな方法と、他 者と出会ったときや他者とものをやりとりするときなどのふるまいや、あらゆる行為をするときは適切 な態度をとるべきこと ( 第五章 ・ 5 ) 、他者の役に立っことと真実のみを語り、福徳をなし、他者 りやく の福徳を賛えるときにどうすべきかということ、そして、他者を喜ばせることの利益 ( 第五章・富 5 爲 ) について説かれます。さらに、語り、見るときにどうふるまうべきか、布施の特別な対象 ( すなわち
マ憶念と正知を持っことで、心の訓練の行を学ぶ さんじゅじようかい しようりつぎかい 三聚浄戒 ( 三種の戒律 ) の第一・摂律儀戒 : : : 戒律はその性格から分類すると、三聚浄戒 ( 摂論 しよううじよう力い しようせんばうかい 薩 律儀戒、摂善法戒、摂有情戒 ) の三種類となります。 しあく はらだいもくしゃ苙ロ 三聚浄戒の第一、摂律儀戒は、「止悪」すなわち一切の悪を防ぐ戒律です。摂律儀戒にも波羅提本又人 さんまやかい 戒、菩薩戒、三眛耶戒の三種があります。波羅提木又戒は、菩薩戒を受持する出家者が学ぶべきもので あり、菩薩の学ぶべきものでもあります。波羅提木又戒もまた、菩薩行と別にあるものではありませ ん。 せっしようちゅうとう 戒律の主眼は、不善な行いをしないことです。戒律を受けていない人にとっても、殺生、偸盗 ( 盗 とんよくしんに じゃいん あっく りようぜっ み ) 、邪婬、妄語 ( うそ ) 、悪口、両舌 ( 二枚舌 ) 、貪欲、瞋恚 ( 怒り ) 、愚癡 ( 無知、愚かさ ) からな じゅうふぜんこう る十不善業は、たいへんな過失です。十不善業は非常に重要であり、大乗仏教においても小乗仏教にお ばだいどうしだいこうろん いても、あらゆる教えにおいて説かれています。ツオンカバ大師も『菩提道次第広論』に、「十不善業 さんもん じゅうせんこう を捨て十善業を守り行うべきこと。十不善業については考えることすらせすに、身・ロ・意の三門を 正しく守る必要があること」を詳しく説いています。 第五章・引詩から詩までは、日常生活でのふるまいについて、どのように歩き、食べ、すわるべき かが説かれています。また、どのようなときにも心の動機を分析すべきだと説かれています ( 第五章・ 引 ) 。眼で見るなどのからだやことばによる行い ( 第五章・肪 ) 、疲れたときや他者から見られたときの ふるまい ( 第五章・ ) 、街を歩くときのことや、旅路では野性動物や泥棒などの危険に注意を払うこ
じゅし 第一 = 章 = 菩提の受持 しゅしようさんあくしゅ さんせんしゅ せんこう 1 すべての衆生が三悪趣の苦しみを離れ、〔三善趣の原因である〕善業をなし、苦を持つ者たち が楽に住すること。それを、喜び、随喜すべきである。 ばたい りんわ 2 菩提の原因となる善を積む。そのことに対して随喜する。生きものが輪廻の苦より必す解放さ れることを随喜する。 ふっし 3 救済なさる方がた↑仏 ) の菩提と仏子にも随喜する。 ・つしょ一つ りやく 一切有情に楽を与える菩提心という、海のことき善と、有情を利益する菩薩行に対して、喜び、 随喜する。 じつば・つ と、つみよ、つ 5 十方すべての仏に〔私は〕合掌し、祈願する。〔どうぞ〕有情の苦の暗き迷いに、法の灯明を 灯したまえ。 にゆうわはん 6 人涅槃を思慮なさる勝者に対し、〔私は〕合掌し、祈願する。〔どうぞ〕この盲目の衆生を放 置せす、無数なる劫にわたって、〔この世に〕とどまりたまえ。 7 このように、〔私が〕なしたこれらすべて、私が積んだ善すべて、それにより一切有情の一切 ご、つ しようしゃ 人菩薩行論 52
マ『入菩薩行論』の和訳 『悟りへの道』金倉圓照訳、平楽寺書店 ( サーラ叢書 ) 、一九六五年 マ『入菩薩行論』の英訳 Stephen Batchelor (trans. ). ゝ GUIDE TO 7 E BOD 、 S. ゝ 7 、←ミ ) ミ Y OF LIFE (Library of T1betan Works and Archives, l)haramsala, 一九七九 ) The Padmaka 「 a T 「 anslation G 「 oup ( ( 「 a ラ . ). THE ゝ OF BOD 、 S. ゝ 7 ゞ (Shambhala Publications lnc., Boston 年 を zhes を ) マ訳者が和訳・解説にあたり参照した『菩提道次第論』の主な著作 ( チベット語 ) ツオンカバ・ロサン・タクパ『菩提道次第広論』 ( を g ぶききミ。 ) ツオンカバ・ロサン・タクパ『菩提道次第略論』 ( をぶミミミ ) パンチェン・ラマ二世ロサン・イェシェー (blo bzang ye shes) 『菩提道次第の直伝、一切智者へ至る速得道』 ( を g ぶミュミ d ミ、導、ミ斗き s cad き導 * ミ、 0 、き d 、 07 ミ、ぶミ )
7 あたかも風が去来し、綿くすを制御するように、喜びによって制御すべきである。それによっ て成就することとなる。 以上が、『人菩薩行論』によって精進を示す第七章である。 前章 ( 第六章 ) までに説かれた苦行と、他者による害に耐えることによって菩提をすみや 【解説】 かに得たいのならば、精進↑努力 ) を始めるべきです ( 第七章・ 1 ) 。 そして、「精進とは善を喜ぶこと」 ( 第七章・ 2 ) ということばのとおり、善を対象として、心から大 いに喜ぶことが、精進、すなわち努力です。菩薩たちも、精進の修行に人るとき、ますは喜び、そして ろつばらみつ 「勇気」という鎧、「努力」という鎧を着ます。六波羅蜜などの善を正しく成就するために行することが、 しようせんばうかい 摂善法戒を実践する「精進」です。 マ精進を妨げるもの 精進を妨げるものは、怠惰、すなわち善き修行ができるのに、修行しないことです。修行を後回しに したり、悪行にとらわれ負けてしまうことです ( 第七章・ 2 ) 。このような怠惰を生じる原因は、低い レベルの幸せへの執着とつまらない楽 ( 食事など ) への執着、眠りへの執着、輪廻を厭わないことなど 人菩薩行論 130
になっても、その性質も、名も失いませんし、金などの他の貴金属や宝石よりも優れ、すべての不足を 解消します ( 第一章・ 6 ) 。また、菩提心を持つ者は王子にたとえられます。幼く未熟であっても、宰 相らは王子にひざまづき、従います。 : 菩提心は、仏たちが何劫も深く考え 4 ・速やかに勝者 ( 仏陀 ) らの血筋に連なったと心から喜ぶ を巡らし、最も優れたものだとされた、とても素晴しいものなのです ( 第一章・ 7 ) 。偉大な菩薩らも 「初心者の菩薩が尊い菩提心をおこして、全うするように」と願ってくださり、仏たちさえも菩提心を 持つ者に対して敬意を持ちます。他の者については言うまでもないでしよう。 いっさいしゅじよう 5 ・功徳が容易に、たちまちに円満する : : : 菩提心は無数なる一切衆生を対象とし、衆生の数と興 味関心は無限なので、その利益に限りがありません。また、菩提心は仏の境地 ( 菩提 ) を目指す心であ り、仏の功徳は無限なので、その利益は無限です ( 第一章・ 7 、 8 ) 。虚空のことき一切衆生のあらゆ る苦が除かれ、一時的・究極的なあらゆる幸せがもたらされるようにと願う、偉大な自然なる心を持っ 益 ことにも、はかりしれない利益があります ( 第一章 ・爲、 5 引 ) 。菩提心をおこした後は、その菩薩 の は寝ていても、酔っていても、狂気であっても、虚空のような大いなる福徳を絶え間なく積み続けます 提 ( 第一章・ また、菩提心の力によって、鳥に餌をやるような些細な善もいつまでもなくなることなく、常に増大章 せんこん します。「一滴の水を大海に人れたなら海が干上がるまでなくならないように、菩提心をもって善根を 大菩提に廻向したら、善根は菩提を得るまでなくならない ( 取意 ) 」と経典に説かれています。しかし、 、んこ・つ なんこう