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検索対象: ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)
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1. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ヴェーダ聖典 できるが、全部を覚えているわけではないという 再三にわたって、インドには歴史書が無いと書いた。理山として一つには、輪廻という 、ま一つは、インドが書き記す文化ではなくて、 世界観による説明が成り立っと思うが、し 聞き覚えた音によって伝承する文化の上に成り立っているからである。膨大な『ヴェーダ』 の言葉は親から子へと書き物によらず、ひたすら「ロ伝」されてきた。後世、それは書き残 されたが、基本は「覚えるーことである。 カメラの前で、ニーラカンタンさんと息子さんたちに、『サーマ・ヴェーダ』の一部を暗 唱してもらった。常に、右手を縦に横に動かしながら暗唱は続く。そうして体で『ヴェ ダ』を覚えていくのである。『ヴェーダ』の言葉は、後のサンスクリット語の元になった言 語で、今では死語となっている。しかし、今聞くことのできる『ヴェーダ』は、紛れもなく 三〇〇〇年前から一言一句変わらぬヴェーダ語だ。驚いたことに、彼らは歌われている内 容の意味を全く知らないのだという。藤井氏によれば、意味を知ってしまうと言葉は意味 を理解するために変質してしまうため、バラモンはひたすら音だけで言葉を変えすに伝承 してきたのだという こうした文化の中にいたブッダも、自らは何も書き残していない。ブッダの言葉を、弟 子たちがロ伝していき「経典」が生み出されたのである。私たちは、文字で記されたものの ほうが正確で、ロ伝されたものは不正確だと考えてしまいかちだが、インドでは、覚え、 げんじよう ロ伝していくのが正統なのであった。かって中国の玄奘は経典の写本を求めてインドに ま ~ 一 = ~ 来た。玄奘も学んだナーランダの仏教大学では、僧侶は皆、経典を暗唱できたという。イ 第ニ章ブッダ心の葛藤

2. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

出家から苦行の道 がらのうちに患いのあるのを知り、不老・不病・不死・不憂・不汚である無上の安穏・ニ ルヴァーナを求めよ、つ。 ( 『中村元選集「ゴータマ・ブッダ—」』春秋社 ) ブッダの決意とは、ニルヴァーナ ( 涅槃 ) を求めること、つまり当時多くの人々か求めて いた「輪廻からの解脱」を求めることにはかならなかった。 輪廻転生の世界観 インドの雨季はすさまじい。北インドの、ブッダの活躍の舞台であったガンジス河中流 域では、七月中旬から九月初旬までが雨季にあたる。 それは、四〇度を超え、時には五〇度にもなる酷暑の夏の終わり頃と重なる。私たち日 本人は、梅雨のような雨の多いシーズンを、じめじめした暗いイメージでとらえがちだ が、インドの人々は雨季の到来を大喜びで迎える。それはます気温がぐっと下がるからで ある。気温は三〇度を切り、雨が大地を冷やすため過ごしやすくなる。そしてまた雨は生 命に息吹をえる。それまでカラカラに乾いて干上がっていた大地は雨で生き返る 、北インドの インドは農業国である。飛行機に乗って上空からインドの大地を見渡すと 平野部においては都市部以外は見事に上地が耕され、一面が農地になっていることが分か る。インドは農作物をすべて国内で自給して一〇億近い人口を養っているが、雨はその年 の農作物の出来に、決定的な影響をえるのである。雨季はわすか二か月に満たないが、 その雨によって川は甦り、再び乾季の始まる秋から翌年の夏にかけての農業用水を確保で きる 雨季に入り、久しぶりの雨が降ってくると、人々は傘もささす表に飛び出して、全身に

3. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

そして法を説く「自山思想家」でした。同時代を見渡すと、西に都市国家アテネのソフィストた ち、東に春秋戦国時代の諸子百家がいます。当時は、時代を反映して疑的な思想が世に蔓延 していました。そこに、「中庸 , を主張し、人間の完成を目指す思想家が登場しました。はば同 じ時代に生きたソクラテス、孔子、そしてブッダです。 それから数百年経った紀元前後、キリスト教が登場します。ューラシアは都市国家の時代か ら帝国の時代に移行します。西のローマ帝国、東の漢帝国、それらを結ぶシルクロード。 東西 の富は盛んに交流し、相互に膨張して行きます。そこに、中間地点の利を生かす交易の民が登 場します。現在の中央アジア・ウズベキスタン辺りで遊牧生活をしていたクシャーン族です。 彼らは、富と武器を背景に肥沃なインドに侵入、大量殺戮を繰り返し、インドから中央アジア に及ぶ大帝国を建設しました。この侵略と制圧の時代、すなわちローマ、クシャーン、漢が勢 力を誇る帝国の時代は、「救済思想」が登場した時代でもあります。キリスト教、仏教 ( 大乗仏 教 ) 、儒教がそれぞれ「国家の宗教 . へと確たる地位を得て行きます。殺戮の中で救済を願う仏 像が誕生し、パッ クス・クシャーナ ( クシャーンの平和 ) の下で大量の仏像が作られました。これも 歴史の逆説にみちた出来事です。こうした普遍宗教が、その後の近代化の波をどうくぐり抜け たかを知ることも興味の尽きないところです。 初め私たちはブッダという存在も一言葉も、日本では遠いものになっているのではないかと考 えていました。しかし、 Z スペシャル『ブッダ大いなる旅路』というタイトルを公表した ところ、放送の前日にシリ ーズ全体の予定など五〇〇件を超す問い合わせがありました。こと のはか高い地熱に驚きました。長引く不況と不透明感の中で、何ごとかを考え「了解したいと いう欲求が間違いなくあることを感しました。 あとがき 224

4. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダと真理 この事実は経典という言葉の世界のみならす、言葉を超えたイコノグラフィー ( 図像学 ) の領域 最初期の仏教においてはブッダの姿は人物化し においても同様に確かめられる。周知のように、 て表象されることがない。例えばブッダが悟りに至った時 ( 成道 ) の姿は、人物像として描かれる ことはなく、ただ台座と菩提樹のみが表され、また初めて法を説く姿 ( 初転法輪 ) は法輸という象徴 によって示されている。これらはインドの仏教徒にとってゴータマ・ブッダの出現が、人間の出 して理解されていたことを示している。それが時 日・上 か誕生しはじめるのだから、時代を下るとともにプ ツダは「神格化」されたのではなく、むしろある時からさまざまな様相に「人格化されはじめたと 言うほうが適切である 仏教史の始源に確認されるこの「真理としてのブッダ」と「人格としてのブッダーという二つの存 初転法輪を暗示する法輪と鹿在様態は、一方で仏教誕生以前のヴェーダの宗教と比較した時の仏教独自の特徴であり、他方で ( アジャンター第一窟柱頭装飾 ) その後の仏教史を貫く重要な要素ともなる。ヴェーダ聖典は人によって説かれたものではなく天 からえられたものであり、そこでは個人の存在は本質的意味をなさない。真理は個人にかかわ りなくある理法として存在している。ところが仏教においては、一面、釈尊という個人がなけれ ばその真理が存在しはじめることはなかったと明瞭に意識されている。仏教の歴史において真理 は必す人によって開かれてい 換言すれば普遍的真理も限定された歴史の中に初めて姿を現す という重要な了解が底流しているのである。こう見ればこの両宗教の相違は、真理に特定の個人 か、あるいは歴史かかかわるか否かという点に存していると言ってよい いま、述べたように、ゴータマ・ブッダは単に傑出した個人として仏教徒にとらえられている のではなく、あくまで「真理を確認した個人、である点が重要である。ブッダが傑出した人格であ りえるのはその能力の故ではなく真理の故である。しかし同時にその真理は人によって明かされ 171

5. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

在は後代の人工的産物なのであり、本来の姿を離れたものということになる。従ってもともとの ブッダの姿を迪ろうと思うなら、飾りの多いブッダの伝記の中からさまざまな要素、いわゆる神 話的潤色を取り去り、そこに浮かび上がった人間的な姿のゴータマ・ブッダに至り着かねばなら ないだろう。近代の仏教学が解明を目指してきたブッダの姿は多かれ少なかれこうした方法によ って再現されてきた。 確かにこの研究方法はある程度まで有効であるし、それによって我々はブッダのイメージに従 来に比してはるかに身近に接することができるようになった。だが一方で、この研究態度が極端 に遵守されたために大切な点の考察が等閑にされ、そこから仏教の歴史が狭隘なものになるとい う困った事態に立ち至ることになる。大切な観点とは、これまで触れてきた研究とはちょうど正 反対ではあるが、実は仏教徒の内部から見ればブッダはそもそもの初めから人間を超えた存在と 見なされていたという事実である。これは少し難しい言い回しをすれば、ブッダと法 ( 真理 ) 、あ るいは歴史と真理との不可分の関係がもたらす間題である。 一例を取り上げてみよう。先に述べたようにブッダとは確かに「目覚めた者」を意味する一般名 詞である。しかしこの事実は仏教徒にとって一律にだれもがブッダであることを確証するよう な、その意味で人間的な響きを持っている言葉では決してない。それはあくまで真理に到達した 者、つまりこの歴史世界においては開祖釈尊だけが担いえる特別な名である。そもそも「目覚め」 とは「、への目覚め , を前提としているのだから、ブッダという言葉からして既に「真理への、とい う目的語を含意して成り立っている。ブッダの誕生は必す真理の開顕という事実と表裏一体にな っていなければならないのである。その意味でブッダという言葉は真理の代弁者、あるいは顕現 者という意味合いを本来含んでいる。ブッダ ( 仏 ) を成り立たしめている本源は真理 ( 法 ) そのもの なのであり、これは最も古い原始経典からまごうことなく確認される内容である 第四章ブッダ生涯の旅路の果てに 170 0

6. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダと真理 ヲッタの招」を問い直す 下田正弘東莇宿 田一ブッタと真理ー・ 「真理としてのブッタ」と「人格としてのブッタ」 仏教は釈尊という一個の人格によって説き始められた教えである。しばしば説明されるように 仏 ( 仏陀、 Buddh しという言葉にしても、サンスクリット語で「目覚めた ( 者こを意味する過去分詞あ るいは一般名詞であり、「絶対神」のような特別な意味を持っているわけではない。原理的にはだ れでも目覚めたもの ( ブッダ ) になることができる。また「阿含」、「ニカーヤ」と言われる伝統出家 教団の保持する聖典の内容も、キリスト教の聖書に比すれば倫理的な色調が強く、超越的存在へ の意識は影が薄い。これらの点を仏教の特徴と見たこれまでの研究者たちは、本来仏教は優れた 人格者である釈尊が説いた人間的な教えであり、超越的存在との交渉を予想したキリスト教のよ うな宗教とは異なるものと理解した。 一方、大乗経典と呼ばれる一群の経典がある。そこではブッダはさまざまな奇跡を行う超越的 存在に高められている。しかも無数の世界にそれぞれブッダの存在が確認され、慈悲をもって 人々を救ういわば救世主として多くの名前と姿を持って登場するようになる。現在我々が日本の 諸寺を巡ってさまざな種類の仏たちに出会うのは、この大乗という段階に至った仏教の特徴であ る。 さて、時代的には一般に大乗経典の出現が「阿含」、「ニカーヤ」に遅れると考えられるので、研 究者たちはこうした両者の相違を説明しようとして、本来人間的だった開祖ブッダが、時代とと もに信者たちによって次第にあがめられ、やがては超越的な性格を持った多くの仏に昇華される に至ったという筋で理解しようとしてきた。この解釈に従えば、我々の周囲にある多くの仏の存 169

7. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

インド仏教衰退の理由 また、仏教の信者は、「善男子善女人」と言われる。これは、富や権力を持っているという意味 での良家の子女のことを指す。さらに、仏教を経済的に支えてきた重要な人たちは、「居十」 ( ガハ バティ ) と呼ばれる。これは、元来は家長のことであるが、仏教的文脈では、富豪を意味する こうして仏教は、ブッダ以来、都市の有力者たちに支えられて発展していったのである。 仏教は、教育と研究のシステム作りに非常に熱心で、やがて僧院という、大規模な教育、研究 機関の中で、優秀な人材を育てていった。そういうことかできたのも、ひとえに仏教が富豪や権 力者という大変裕福なパトロンを抱えていたからにほかならない 祗園精舎布施穴ールフット欄出家至上主義 楯、インド博物館蔵 ) インド仏教の最大の特徴の一つは出家至上主義だと言ってもかまわないほど、出家ということ を重視した。ブッダその人も、解脱して涅槃にいたる唯一の道は出家になることだと、繰り返し 力説している。ブッダはもちろん在家信者にも熱心に教えを説いているが、その内容は、世俗的 な善を追求し、出家の教団への奉仕に努めれば、死後、望ましい境涯 ( 天、人 ) に生まれ変わるこ とができるというものであった。 仏教は、出家には多くの戒律を完璧に守ることを要請し、組織運営についても細心の配慮を講 じた。しかし、出家たちは、在家信者の組織化にはあまり熱心ではなかった。 在家信者の資格あるいは義務というのは、せいぜい「三帰五戒」を保っということであった。っ ちゅ、つと、つ まり、仏と法 ( 教え ) と僧 ( サンガ、出家の教団 ) の三つの宝に帰依し、不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄 おんじゅ 語、不飲酒の五つの戒を守ることである。しかも、この戒というのは、あくまでも内発的なも の、努力目標といったもので、それを破ったからといって何の罰則もない現にアンバ という遊女は、遊女という職業柄、不邪婬戒など守れるはすもないのに、ブッダに帰依してちゃ んとした在家信者になっている ( 彼女は後に、容色のむなしさを深く感じ、出家した ) 。 0

8. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダと真理 経』と大乗経典の『涅槃経』との二種類に分かれる。前者はブッダ入滅までの旅の歴程を描き、そ れに対して後者はすべての衆生にブッダの本性 ( 仏性 ) が存在することを説く。表面およそ似ても 似つかぬこれら両経は、重要な一点でつながっている。 ます小乗『涅槃経』から見てみよう。従来この経は史実の関心に基づき、ブッダの死に至る最後 の旅を記録したものと理解されてきた。しかし近年の研究によってこの経の核部分は、逆にブッ ダの不滅性を明かす意図をもって構成されていることが判明した。そもそも「経」はブッダという 存在によって説き明かされる真理を生命とする。『涅槃経』といえどもそれは変わることがない 従って、単にブッダの入滅をのみ『涅槃経』が主題とするならば、そこではブッダの不在を主張す ることによって真理の不在を自ら暴露するという不都合を来してしまうことになるだろう。しか し実際には、『涅槃経』はブッダの存在が見えない世界 ( 涅槃界 ) で永続していることを明かしてお り、その意味でブッダを不滅の存在ととらえているのである。これは明らかに人間を超えたブッ ダの存在を予想し、真理としてのブッダの存在様式を示唆している。加えて重要なことに、『涅 槃経』では「仏塔」の存在意義を強調する。インド仏教において仏塔は、釈尊滅後にも永続する、 真理たるブッダの現身としての役割を担わされているのである さて、先に述べたもう一つの『涅槃経』、大乗『涅槃経』はどうであろうかこの経では、すべて 仏塔の崇拝 ( サーンチー第一塔 レし日」 の衆生のうちに仏の本性である「仏性ーが存在することを説いているのだが、実はこの仏性 (budd ・ hadh き ) とはサンスクリット原語では仏の遺骨を意味し、それは事実上仏塔を指す。とすれば大 乗『涅槃経』は小乗『涅槃経』の説くプッダの永続性を仏塔に集約し、さらにそれを衆生に内在化す るという発展を成し遂げていることになる。いすれしても両『涅槃経』の基底には「ブッダの永遠 い第性」という大きな主題が変わることなく流れているのである。 一方、イコノグラフィーの領域においてブッダの入滅はどう表現されているのだろうか。ブッ 175

9. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダガャー菩提樹下の金剛宝 の体験を文字で表したのが経典で、その経典を手がかりとして、悟りというブッダの根本的な宗 教体験を私たちが追体験する。これが仏教の基本的な仕組みであると言ってよいであろう。 「目覚めた」人 さと ブッダという語は、もともと「知覚する」「認識する , 「目覚める , 「覚るーなどの意味を持っ動 詞の過去分詞形で、名詞化して「目覚めた人」「覚った人ーを意味している。言い換えれば、ブッ ダとは「ブッダとなった人」の意味である。 それでは、「ブッダとなったとはどういうことか「目覚めた , とはどのような内的経験を言う のか。「悟りと呼ばれるブッダ独自の宗教体験はどのようなものであったか。それはいまだブッ ダと同じ心的境地に達していない者のうかかい知ることのできない世界ではあろうが、人間を超 えた何かから啓示を受けたのではないことは確かである。ブッダは、まさに自分独自の宗教的実 むしどくご 践によって、自分で目覚め、橋ったのである。このことは後に「無師独語」と言われるようになる が、キリスト教やイスラム教との最大の相違点と言うことができるであろう。 」むじよ、フーレよ、つと、つかノ、 さて、ブッダの悟りは、経典の中では「この上なく正しい語り、無上正等覚」と呼ばれる。中 じよ、つど、つ 国や日本の仏教の伝統では、成道 ( 道、すなわち悟りを完成したこと ) と言う したいはっしようどうじゅうにえんぎ 古い経典には、ブッダの成道についての多くの記述がある。四諦・八正道・十二縁起など、初 期仏教の教義の多くが、ブッダの成道に関連して説かれているが、一般的には、ブッダは十一一縁 起の理法を観じて悟りを開いたと言われる。しかし実際は、後世、それらの仏教教理が定型化し てから、それらとの関連でブッダの成道が語られるようになったのであろう ブッダにとって、出家した時以来、人間が老い、病み、やがて死なねばならないという、人間 存在が負う根本的な苦しみをどのようにして解決するかということが最大の課題であった。カピ ラヴァストウの王子であったブッダは、この間題を解決しようとして、位を棄てて出家した。マ 第三章ブッタ悟りと説法 144

10. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダガャー郊外タ景 4 一 ブッタを育んだインドの風土 生まれを間うことなかれ。火は実にあらゆる薪から生じる。肢しい家に生まれた人でも、聖 者として道心堅固であり、恥を知って慎むならば、高貴の人となる。 ( 『スッタニバータ』第四六二偈 ) 人間の「行為」こそ人間を判断する基準であり、また人間の将来を決定づけていくものであると喝 、。行為を基準に据 破しているのである。ここには、当時のカースト制による差別は存在しなし え、あらゆる人間の差別を撤廃する主張が表れている。人間を公平に見つめ、行為によっていか ようにも変わりうるのだとする、可能性を秘めた存在として人間がとらえられているのである。 大地とその思想 ブッダが実際に歩いた北インドのガンジス河中流域は、ほば平坦な大地である。ラージャグリ ハ ( 王舎城 ) は外輪山に囲まれ多少なりとも山を意識させられるが、それ以外はほば平坦な大地が 続く。夏は暑く五〇度を超え、冬は比較的寒い。ブッダも暑さにやられて、医師ジーヴァカ 婆 ) の勧めで水で体を冷やしたとの記述が『律蔵』の「大品」に見える。 さて、インドの人口密度は近年急速に増え、一平方キロに約二八〇人はどであるという。ブッ ダが活躍した時代の人口はもっと少なかったであろう。ブッダが修行をして歩いた大地では恐ら どこ く人と接する機会は、町や村の人々が集まるところ以外ではほとんどなかったに違いない までも広く続く大地とただ一人で対峙する機会が多かったはすである。 そのような時に、人間は何を考えるのであろうか恐らく有限な人間の対極に存在する、変わ らない何かを意識するのではないかと思うのである。どこまでも果てしない無限の大地を前に、 小さな有限の自己を見つける。そして有限の自己とは対照的な永遠的な何か、変わらない何かに 関心が向く。それを言葉で指し示すことはできても、それを体得することは容易ではない。イン ドの哲学思想は、言葉でとらえることのできない、外的な存在である永遠の絶対者プラフマン ( 梵 ) と内的な存在である個別的な原理アートマン ( 我 ) の世界を体験的に把握した。そして、言葉 107