サンスクリット語 - みる会図書館


検索対象: ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)
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1. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

の点では、「阿含経典」を四分する部派もあれば、五分する部派もあり、多くの部派ではその各部 分もアーガマと呼ぶが、南方上座部という部派ではそれらをニカーヤと称す。聖典一一一口語に関して ーリ五ロで、去 例を挙げると、南方上座部では中期インド語の西部方言の一種と考えられているハ 蔵部では中期インド語の西北方言であるガンダーラ語で、説一切有部でも初期の頃はガンダーラ 語で、後に次第にサンスクリット語化され初期仏典か伝えられた。最近の研究によると、法蔵部 の初期仏典もかなり後の時代にはサンスクリット語化されていた。ちなみに、漢訳仏典のインド 語原典の言語も初期の頃はガンダーラ語に近いものが多かったと推論されるが、後代に訳出され た仏典になるはどサンスクリット語の割合が増す。なお、仏典で用いられるサンスクリット語 0 は、中期インドの要素を多分に残したものから、純粋なものまで多岐にわたる 、。兀前三世紀にアショーカ ( 阿育 ) 王がイ 一方、インドにおける文字の歴史はさほど古くなし糸 ンド各地に詔勅を石に刻んだアショーカ碑文がインド最古の文字記録であると考えられている その中にブッダの説いた七つの教説の名称が列挙され、これがブッダやブッダの教説に言及する 現存する最古の文字記録である。ただし、その教説の内容が原文で引用されて記されているわけ ではない。 仏典の書写 紀元前一世紀の前半のスリランカで、これまでロ伝されていた仏典が書写されたという伝承が ある。その当時スリランカは大飢饉に見舞われ、人口が減少し、仏法が滅びるという危機感を仏 教教団はいた。それまで、仏典は人間の記憶の中にのみ存在していたわけであるから、それを 暗誦している人々が飢饉で死に絶えたら、仏典は消滅するわけである。そこで、仏典を文字に記 して後世に残そうとしたのである。また、北インドにおいては、二世紀頃に仏典が銅板に刻まれ 仏塔の中に保管されたという伝承がある。もっとも、この紀元前一世紀に書写された仏典の現物 第一章人間ブッダの誕生伝説 4 6 0

2. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

伝統的なバラモンと苦行者たち 伝統的パラモンとの出会い 古代インドにおいて、輪廻からの解脱を一手に引き受けていたのが、バラモンと呼ばれ る司祭者階級だった。日本語で「バラモン . というのは、その言葉が中国に入った時に漢訳 された「婆羅門を日本読みにしたもので、サンスクリット語では「プラーフマナ、と呼ばれ る。バラモンは、神々への賛歌である聖典『ヴェーダ』の言葉を操れる唯一の階級の人々 で、彼らだけが神々と対話できると考えられていた。バラモンは『ヴェーダ』を唱えなが ら、火を中心とした儀式を行う。火は、神と人間を仲介するもので、特に人間の霊魂を乗 せて天に送ると信じられていた。 前述の古代インドの哲学書『チャーンドーギャ・ウバニシャッド』は輪廻転生による生ま れ変わりの仕組みを述べた後、次にどうすれば善き生まれ変わりがあるかについて述べて ハラモンなどの好ましい したがって、「この世において好ましい行いを積む者は」、 母胎に入るにちがいないしかし、「汚らわしい行いを積む者は、汚らわしい母胎 に、すなわち、大の母胎に、あるいは豚の母胎に入るにちがいない。 ( 前掲『仏教誕生』 「ーは筆者 ) 「好ましい行いとは何かその代表的なことは、バラモンに儀式を行ってもらうこと、 伝統的なバラモンと苦行者たち

3. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ヴェーダ聖典 できるが、全部を覚えているわけではないという 再三にわたって、インドには歴史書が無いと書いた。理山として一つには、輪廻という 、ま一つは、インドが書き記す文化ではなくて、 世界観による説明が成り立っと思うが、し 聞き覚えた音によって伝承する文化の上に成り立っているからである。膨大な『ヴェーダ』 の言葉は親から子へと書き物によらず、ひたすら「ロ伝」されてきた。後世、それは書き残 されたが、基本は「覚えるーことである。 カメラの前で、ニーラカンタンさんと息子さんたちに、『サーマ・ヴェーダ』の一部を暗 唱してもらった。常に、右手を縦に横に動かしながら暗唱は続く。そうして体で『ヴェ ダ』を覚えていくのである。『ヴェーダ』の言葉は、後のサンスクリット語の元になった言 語で、今では死語となっている。しかし、今聞くことのできる『ヴェーダ』は、紛れもなく 三〇〇〇年前から一言一句変わらぬヴェーダ語だ。驚いたことに、彼らは歌われている内 容の意味を全く知らないのだという。藤井氏によれば、意味を知ってしまうと言葉は意味 を理解するために変質してしまうため、バラモンはひたすら音だけで言葉を変えすに伝承 してきたのだという こうした文化の中にいたブッダも、自らは何も書き残していない。ブッダの言葉を、弟 子たちがロ伝していき「経典」が生み出されたのである。私たちは、文字で記されたものの ほうが正確で、ロ伝されたものは不正確だと考えてしまいかちだが、インドでは、覚え、 げんじよう ロ伝していくのが正統なのであった。かって中国の玄奘は経典の写本を求めてインドに ま ~ 一 = ~ 来た。玄奘も学んだナーランダの仏教大学では、僧侶は皆、経典を暗唱できたという。イ 第ニ章ブッダ心の葛藤

4. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

田一最古の仏典 , ー , 。 = 忘。罟。絵榎本文雄ま 一九九六年に「イギリスで世界最古の仏典発見」という新聞記事が出た。もっとも、この「最古 の仏典」という標題は誤解を招く。正確に言えば、仏典を文字に記したものとして現存し、記録 年代が特定できるものの中で最古のもののことである。この仏典の内容に入る前に、仏典とその 書写の歴史を振り返り、この仏典が持つ意味を考えてみる。 仏典のロ伝 インドでは、最古の宗教聖典であるバラモン教の『リグ・ヴェーダ』 ( 紀元前一二〇〇年頃に現在の形に 編纂されたと推定される ) 以来、聖典は暗誦されて師匠から弟子へとロ誦で伝えられ、原則として文字 に書かれることはなかった。仏教の聖典も同様であり、ブッダ ( 紀元前四、五世紀頃と推定される ) やそ の弟子たちの教説はロ誦で伝えられていた。『リグ・ヴェーダ』を初めとするヴェーダ聖典はイン ド・ヨーロッハ五ロ族に属する古代インド語 ( 広義のサンスクリット語。そのヴェーダ期の段階をヴェーダ語とも呼 ぶ ) で伝えられていたが、ブッダの言語は古代インド語から発展した中期インド語の東部方言で あったと考えられる。 ブッダやその弟子たちの教説は、ロ誦で伝えられていく過程で次第に内容が発展して、戒律 ( 律蔵 ) と、アーガマ ( 阿含 ) と呼ばれる経典 ( 経蔵 ) との二部分から成る初期仏典にまとめられていくと ともに、中期インド語の諸方言に変えられインド各地に広まっていった。その後、仏教教団が次 第に分裂して一八前後の「部派」と呼ばれる初期仏教教団が誕生すると、このような初期の仏典は 各部派内部でそれぞれ独自に一層の発展を遂げていく一方で、部派固有の聖典一一一口語が確立されて 。そのため、現存する初期仏典は、伝承した部派に応じて内容も言語も組織も異なる。組織 最古の仏典 6

5. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

一には糸元前後頃まてさかのばりそうな クリット語で書かれた説一切有部のもので、そのごく 写本断片もあるが、正確な年代は判定し難い。 その他の部派のものとして法蔵部の仏典の断片がある。最初に、仏典の中で最も有名な南方上 座部の韻文経典『ダンマバダ』に対応し、ガンダーラ語で書かれた写本の断片が東トルキスタンで 発見され、二世紀頃のものと推論された。東トルキスタンの仏教遺跡からは、このほかにも法蔵 部に属する写本断片が発見されているが、すべてサンスクリット語で紙に書かれたものであり、 年代的にはすっと新しい最近、この法蔵部に属し、しかも一世紀に書かれたとほば特定できる ガンダーラ語の写本が発見された。それがこの「最古の仏典」なのである。この写本によって、こ れまでごく一部しか残っていなかった法蔵部のガンダーラ語仏典かより一層知られるようになっ ところで、初期仏典からブッダの直説に迫ろうとする研究には、できるだけ多くの部派の伝え た初期仏典を比較して研究する必要がある。その際には、一般的に写本年代が古いはど誤写や改 変など後代の発展の影響を蒙る程度が少ないと考えられるので、ブッダの教説に近い可能性が大 きくなる。従って、文字記録として年代が特定できるもののうちで現存最古であるこの写本は、 ブッダの直説に最も近い、真の意味の「最古の仏典」を探求するに当たって重要な資料となる。 写本の様熊と内容 この写本は、現在はロンドンの大英図書館に保管されているが、発見された場所は恐らくアフ ガニスタンのハッダ付近と推定されている。白樺の樹皮製の一三本の巻物に書かれており、法蔵 部への寄進と銘された上器の壷に納められていた。この写本を納めた壷は、仏舎利のように、恐 らく仏塔の中に埋められていたと考えられている 白樺の樹皮は、ガンダーラとその周辺地域から中央アジアにかけて用いられた写本の材質であ 第一章人間ブッダの誕生伝説

6. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダと真理 ヲッタの招」を問い直す 下田正弘東莇宿 田一ブッタと真理ー・ 「真理としてのブッタ」と「人格としてのブッタ」 仏教は釈尊という一個の人格によって説き始められた教えである。しばしば説明されるように 仏 ( 仏陀、 Buddh しという言葉にしても、サンスクリット語で「目覚めた ( 者こを意味する過去分詞あ るいは一般名詞であり、「絶対神」のような特別な意味を持っているわけではない。原理的にはだ れでも目覚めたもの ( ブッダ ) になることができる。また「阿含」、「ニカーヤ」と言われる伝統出家 教団の保持する聖典の内容も、キリスト教の聖書に比すれば倫理的な色調が強く、超越的存在へ の意識は影が薄い。これらの点を仏教の特徴と見たこれまでの研究者たちは、本来仏教は優れた 人格者である釈尊が説いた人間的な教えであり、超越的存在との交渉を予想したキリスト教のよ うな宗教とは異なるものと理解した。 一方、大乗経典と呼ばれる一群の経典がある。そこではブッダはさまざまな奇跡を行う超越的 存在に高められている。しかも無数の世界にそれぞれブッダの存在が確認され、慈悲をもって 人々を救ういわば救世主として多くの名前と姿を持って登場するようになる。現在我々が日本の 諸寺を巡ってさまざな種類の仏たちに出会うのは、この大乗という段階に至った仏教の特徴であ る。 さて、時代的には一般に大乗経典の出現が「阿含」、「ニカーヤ」に遅れると考えられるので、研 究者たちはこうした両者の相違を説明しようとして、本来人間的だった開祖ブッダが、時代とと もに信者たちによって次第にあがめられ、やがては超越的な性格を持った多くの仏に昇華される に至ったという筋で理解しようとしてきた。この解釈に従えば、我々の周囲にある多くの仏の存 169

7. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダと真理 経』と大乗経典の『涅槃経』との二種類に分かれる。前者はブッダ入滅までの旅の歴程を描き、そ れに対して後者はすべての衆生にブッダの本性 ( 仏性 ) が存在することを説く。表面およそ似ても 似つかぬこれら両経は、重要な一点でつながっている。 ます小乗『涅槃経』から見てみよう。従来この経は史実の関心に基づき、ブッダの死に至る最後 の旅を記録したものと理解されてきた。しかし近年の研究によってこの経の核部分は、逆にブッ ダの不滅性を明かす意図をもって構成されていることが判明した。そもそも「経」はブッダという 存在によって説き明かされる真理を生命とする。『涅槃経』といえどもそれは変わることがない 従って、単にブッダの入滅をのみ『涅槃経』が主題とするならば、そこではブッダの不在を主張す ることによって真理の不在を自ら暴露するという不都合を来してしまうことになるだろう。しか し実際には、『涅槃経』はブッダの存在が見えない世界 ( 涅槃界 ) で永続していることを明かしてお り、その意味でブッダを不滅の存在ととらえているのである。これは明らかに人間を超えたブッ ダの存在を予想し、真理としてのブッダの存在様式を示唆している。加えて重要なことに、『涅 槃経』では「仏塔」の存在意義を強調する。インド仏教において仏塔は、釈尊滅後にも永続する、 真理たるブッダの現身としての役割を担わされているのである さて、先に述べたもう一つの『涅槃経』、大乗『涅槃経』はどうであろうかこの経では、すべて 仏塔の崇拝 ( サーンチー第一塔 レし日」 の衆生のうちに仏の本性である「仏性ーが存在することを説いているのだが、実はこの仏性 (budd ・ hadh き ) とはサンスクリット原語では仏の遺骨を意味し、それは事実上仏塔を指す。とすれば大 乗『涅槃経』は小乗『涅槃経』の説くプッダの永続性を仏塔に集約し、さらにそれを衆生に内在化す るという発展を成し遂げていることになる。いすれしても両『涅槃経』の基底には「ブッダの永遠 い第性」という大きな主題が変わることなく流れているのである。 一方、イコノグラフィーの領域においてブッダの入滅はどう表現されているのだろうか。ブッ 175

8. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

宮治昭 ( みやしあきら ) 執筆者略歴 ( 五十音順 ) 髙﨑直道 ( たかさきしきどう ) 一九一一六年、東京都生まれ。東京大学名誉教授。鶴見大学学長。専門はインド哲学。主な著書に「如来蔵思想の形 成」 ( 春秋社 ) 、「 大乗起信論を読む」 ( 岩波書店〕、「涅槃経」 ( 東京美術 ) 、「死は成仏か」 ( 佼成出版社 ) 、「仏性とは 何か」 ( 法藏館 ) 、「古仏のまねび〈道元〉」共著 ( 角川書店 ) がある。 一九一一七年、奈良県生まれ。関西大学名誉教授。専門は考古学。主な著書に「アジア史紀行」 ( 関西大学出版部 ) 、 「古墳と古代史」 ( 学生社 ) 、「 日本古代史稿」 ( 関西大学出版部〕がある。 一九五四年、和歌山県生まれ。大阪大学助教授。専門はインド仏教学。主な著書に「原始仏典 7 』共著 ( 講談社 ) 、 「岩波講座・東洋思想 8 』共著 ( 岩波書店 ) がある。 一九五七年、福岡県生まれ。東京大学助教授。専門はインド哲学、仏教学。主な著書に「涅槃経ーー。大乗経典の研 究方法試論」 ( 春秋社 ) 、「大乗経典解説事典」 ( 溪水社 ) がある。 一九三四年、群馬県生まれ。東洋大学教授。専門はインド哲学、仏教学、サンスクリット文法学。主な著書に「イ ンド神話伝説辞曲 0 ( 東京堂出版 ) 、「釈迦のことは」 ( 雄山閣出版 ) がある。 杉本卓洲 ( すきもとたくしゅう ) 一九三五年、山形県生まれ。金沢大学教授。専門はインド学。主な著書に「インド仏塔の研究」 ( 平楽寺書店 ) 、「菩 薩ーーージャータカからの探求』 ( 平楽寺書店 ) かある。 蓑輪顕量 ( みのわけんりよう ) 一九六〇年、千葉県生まれ。愛知学院大学助教授。専門は仏教学。主な論文に「求法と戒律」 ( 「仏教の東漸ー東アジ アの仏教思想—」春秋社 ) がある。 一九四五年、静岡県生まれ。名古屋大学教授。専門は仏教美術史、インド・中央アジア美術史。主な著書に「ガン ダーラ仏の不思議」 ( 講談社 ) 、「インド美術史」 ( 吉川弘文館〕がある。 宮元啓一 ( みやもとけいいち ) 一九四八年、東京都生まれ。國學院大学教授。専門はインド哲学。主な著書に「インド文明 5000 年の謎」 ( 光文 社 ) 、「インド死者の書」 ( すずき出版 ) がある。 取材記 ZIY 「フッダ」プロジェクト寺井友秀 ( ティレクター ) 網干善教 ( あほしよしのり ) 榎本文雄 ( えのもとふみお ) 下田正弘 ( しもだまさひろ ) 菅沼晃 ( すかぬまあきら ) 250 カバー・本文テサイン・海野幸裕宮本香 写真・大村次郷相田昭松本栄一 図版・張遜李琳 校正・篠原直人 編集協力・ ( 株 ) オメガ社蓑輪顕量古木杜恵

9. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

最古の仏典 や一世紀頃に仏典を刻んだ銅板は残っていない。ちなみに、中国においても、仏教弾圧 ( 廃仏 ) や 末法思想を受け、仏法が消滅した時に備えて、紙と違い耐久性のある石に仏典が刻まれた。 スリランカを含めたインド文化圏では、それ以後もやはり仏典、特にその中の経典と戒律の部 分は通常、ロ誦で伝えられていた。この点は、漢訳された「阿含経典」が大部分インド人の暗誦し ほっけん てきた原典を翻訳したものであり、五世紀の初頭にインドへ戒律の原典を求めた法顕はそのび本 、ヾール、フータ を見出すのに苦労したことからも知れる。その後、インドの周辺地域にあたる、イノ ン、スリランカ以外のインド本国で仏教が滅亡する。かくて、先のような危機感が現実となり、 さまざまな部派において、部派に応じて異なる言語と内容でロ伝されていたインド語の初期仏典 の大半は、それらを伝える仏教徒が跡絶えると同時に消滅してしまう。ちなみに、日本人になじ みの深い仏典である大乗仏教経典は、紀元前一世紀頃から次第に成立したと推論されるが、経典 自身が写経を奨励する点からして多くは成立当初から書写されていたと推論される。事実、ネパ ールには一部の大乗経典の写本が大量に伝わっているか、インド語原典は全く現存しない大乗経 典も多い 一方、諸部派のうち、南方上座部のみはスリランカや東南アジア諸国で生き残り、しかもこの に一取よヾ ーリ語仏典だけが完全 ーリ語で初期仏典などの仏典を伝えてきたため、彼らの伝えたパ 立ロぐイ ~ / な形で現存している。これがブッダや初期仏教を知るための第一の資料となっている。もっと ヾーリ語仏典に示されたブッダの教説の内容には南方上座部独自の発展が含まれていると考 えられるので、ブッダの直説に迫ろうとする時には他の部派の初期仏典との比較が不可欠であ る。しかし、以前は、漢訳された初期仏典以外は比較する資料がほとんど知られていなかった。 ところが、前世紀の末以来、インドにおいて既に消滅した他の部派のインド語原典の断片が、 インド周辺地域や中央アジアの仏教遺跡などで次々に発見されるようになった。大部分はサンス

10. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ヒンドウー教徒にとっ ては生活そのものか宗 教ともいえる。 0 僧侶か女の子の額に紅 をさす。 インド、仏教の現在・ : 年 5 月、満月の日 ンドの人々にとって、生活する上での規律、習慣、神々 いわゆる「ヒンドウー教」なので 〕 & ゝ、の祈りなどの総称が、 ある。つまりインドの人々が生活の中に取り入れたもの すべてが、広い意味ではヒンドウー教の中に含まれる。 インドという大地の包容力を理解する上では、私たち がキリスト教やイスラム教を認識するのとは違う観点で ヒンドウー教や仏教を見ていかないと、インドを誤解し てしまう危険陸かあると思う ちなみに、「ヒンドウーーという名称は、アーリア人か 「川の意味に使っていた「シンドウーという語に山来し、 この語が後にアーリア人がインドで遭遇した最大の川 ( インダス河 ) とこの大河の流れる地を意味するようにな り、ついには外の世界の人々から、亜大陸がこの名で呼 ばれるに至ったのである ( 山崎元一『世界の歴史 3 ・古代インドの 文明と社会』中央公論社 ) 。現在のインドの正式国名は、叙事 ヾ 詩『マ ーラタ族の上 ーラタ』からとられた、「バ ーラトである。 地」とう意味の「バ バンクラテシュの仏教徒 インド世界 ( 現在のインドとネパール、ヾ し、ノ、 ノングラデシュを含めた