ラージャグリハ - みる会図書館


検索対象: ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)
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1. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

都市遺跡ラージャグリハ を、こま薹 ブッダ生涯の旅路の果てに ブッダ生涯の旅路の果てに ブッタ、ハ 0 歳の死 あらゆる宗教が取り扱う最大の間題は「死、であろう。ブッダに始まる仏教も、生老病死 という苦しみからの解脱を目指したのか、その出発点であった。そして仏教においては、 「いかに生きるか」の裏返しとして、「いかに死ぬか」が最も重要な意味を持っていた。それ ねはん は、ブッダ自身の八〇歳での死、つまり涅槃に入ったことを、仏教徒が理想としてきたこ ととつながる 現在の平均寿命と照らし合わせてみても、「八〇歳といえば相当な高齢である。『マハ パリニッパーナ・スッタンタ』 ( 漢訳経典での『大般涅槃経しは、ラージャグリハ ( 王舎城 ) を旅立っ たブッダが、旅の途中で自らの死が近いことを知り、弟子たちに最後の言葉を残し、クシ ド ( し力に死ぬべきかを身をもって ナガラで死ぬまでを淡々と語っている。そこには、人よ、、 知らせようとしているかのような、ブッダの強固な意思が感じられる 私たちは、ブッダが弟子のアーナンダ ( 阿難 ) とともに歩いた最後の旅路を追った。 ラージャクリハを出発 ブッダガャーから東へ約八〇キロのところに、当時北インド最大の都市国家だったマガ ダ国の都であるラージャグリハがあり、すぐ南に、デカン高原が広がる。ラージャグリ は、高さ二〇〇メートル、周囲が全長二〇キロの岩山に取り囲まれた都市遺跡である。そ 1 51

2. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

れはあたかも、平原にそびえたっ巨大な要寒である。かってのラージャグリハは、その外 輪山が形成する盆地の、さらに城壁で囲まれた内城の中にあった。ブッダの旅は、このラ ジャグリハから始まった。 しかし、ラージャグリハに関しては、考古学的にはわすかしか解明されていない マガ ダ国の王、ビンビサーラが築いたといわれる内城や、外輪山の尾根にぐるりと築いた城壁 は、当時の土盛りの跡が自然の風化のまま残されているだけである。ラージャグリハか、 ブッダの聖地の一つとして世界各地の仏教徒の巡礼や観光客を受け入れ始めてから、ビハ ール州政府観光局は外城の一部の石積みを復元した。しかし正式な発掘調査が全く行われ ていないため、最大の都であった往時の姿は、経典の中に残された描写に偲ぶしかない ただ、長大な外輪山の岩山が作りだす壮大なランドスケープは、平地の上にばつりばつり とレンガ積みが残るだけのほかの仏跡には見られない、自然のダイナミズムにあふれてい 現在、ヒンドウー教の聖地でもあるこの地には、北インドでは珍しく温泉が湧き出る 盈泉とは言っても、日本で想像するものとはかなり違う。裸になってゆっくり風呂に浸か るというものではなく、お湯の湛えられた池に、人々が服を着たまま入れ替わり立ち替わ り冰浴に入る。湯は、かなり汚く、私たちには悪臭に思える臭いもたちこめる。かってラ ージャグリハの温泉に浸かったことがある宗教学者の山折哲雄氏は、「インドの人々は体 ではなく心の汚れをこうした沐浴で落とすのではないかーと述べている ラージャグリハの北側の外輪山内側の山腹に、かってブッダが好んで瞑想と説法を行っ 第四章ブッダ生涯の旅路の果てに 1 5 2

3. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダ生涯の旅路の果てに ツダの時代、僧侶たちは、そうした素晴らしい眺望のもと、凉しい洞窟の中で修行に励ん でいたのだった。 ブッダは→八〇歳の時、このラージャグリハにいた。りを開いて以来四五年、ガンジス 河中流域を繰り返し歩いて旅しながら、徐々に弟子を増やしていった。八〇歳ともなれ ば、一つの場所にとどまって、弟子たちに支えられながら残りの日々を過ごすことも可能 であったはすである。しかし、ブッダはまた歩き始めた。経典には、ラージャグリハに始 まるブッダ最後の旅の動機は記されていない。ブッダの悟りとは、ある境地に到達したこ とを指すのではなく、ある境地を目指してひたすら終わりのない修行に励むことであった と言われる。教団のリーダーとしての地位に決して満足することなく、ブッダはあくまで も一人の修行者として、自らの悟りを探し求めたのかもしれない バトナーへ、そしてガンジス河を渡る ー ) ーといった仏教 ラージャグリハをはじめ、ブッダガャー、クシナガラ、ヴァイシャ 、、、ール州に属する。現在のインドで最も貧しい州の一つに数え 聖地の多くは、インドのヒノ ・、ール州は、かっては繊維製品の生産で栄えていたが、イギリス統治時代の搾取 られるヒノ によって産業は衰え、現在では農業主体の州となっている。貧困層の増加に伴い、人口爆 ハール州出身の出稼ぎ者 発が起き、職を失った人々が流民と化した。インド各地には、ビ ほとんどか日本で 3 と呼ばれる厳しい職に就くしかない。ブッダの足跡 か多一ノ、いるカ を池る旅がインドの貧困地帯を行く旅となってしまうのは、どうした巡り合わせなのであ ろ、つか 15 5

4. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

「霊鷲山は、ぜひ一度は来てみたいところでした。やっとその念願が叶い、実際にブッダ がお座りになった場所でお祈りを捧げていると、私の目の前に、ブッダその人かいらっし やるような気がしたのです。その感激で、思わす涙がこみ上げてきましたー ラージャグリハは、ブッダの教団の発展という点でも重要な意味を持った都市であっ た。ここでは、後にブッダの有力な弟子となるシャーリプトラ ( 舎利弗 ) と、マウドガリヤ ーヤナ ( 目揵連 ) が、ブッダに帰依した。サンジャヤというバラモンの弟子であったシャー リプトラとマウドガリャーヤナの二人は、サンジャヤの弟子二五〇人を、ブッダの弟子に 3 「・した。さらにビンビサーラ王は、マガダ国内の一二万人ものバラモンや資産家をブッダの もとに連れて行き、在家信者にさせたと、経典は記している ラージャグリハの北門のすぐ西側、前述の温泉場がある場所から外輪山を登って行く。 かなり急な長い山道なのでわざわざ訪ねていく人も少ないのだが、項上のすぐ下に大きな 天然の洞窟がある。入り口は、上下左右が五メートルくらいで、中に入るにしたがって狭 くなり、外光の全く入らない細い穴が奥へと続く。地元の人の話だと、三〇メートルもあ しちょうくっ るのだという。この洞窟は「七葉窟」と呼ばれ、ブッダの時代には修行僧の「瞑想の場」とし て使われていた洞窟であったと言われている。しかしこの洞窟が有名なのは、ブッダの死 けつじゅう 後、第一回目の「仏典結集」が行われたことによってである。それは、弟子それぞれが聞 き覚えていたブッダの言葉の初めての確認作業であり、後に成立する経典編纂の原点とも なったものである。七葉窟からは、北インド平原を一望に見渡すことができる。季節によ っては霞がかかることも多いのだが、一一月頃の快晴で風がある日などは申し分ない。プ 第四章ブッタ生涯の旅路の果てに 七葉窟 154

5. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

インド仏教関連地図 ブータン デリー・ マトウラー△ 中国 テイラウラ・コット △△ルンビニ ビブラーファー シュラーウアスティー △ ネパール パキスタン ・カラチ △サンカシャー ラクナウ サーケータークシナガラ ヴァイシャーリーノヾングラデシ・ユ △サールナート△バトナー カウシャンビー バールフット△ ヴィディシャー△ △サーンチー ウッジャイニ ボンべイ・△ ナーシク△工ローラ △アジャンター △ジュンナール △ ウアーラーナシー ラージャグリハ ブッダガャー△ カルカッタ・ タームラリプティ△ トーサリー△ サマーバー△ 8 △ 例 仏跡・関連遺跡 都市 凡 グンドウバツー スリランカ ヌラープラ △ △ヒンタレー 0 マドウライ ・ボンディシェリ ・マドラス △ ナーガールジュナ・コンダ △△バッテイプロール マラーウアティー ハイデラバード

6. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダは、自らの寿命を認識したのであろうか、ラージャグリハ ( 王舎城 ) の竹林精 舎から、生まれ故郷のカピラヴァストウを目指して、アーナンダ ( 阿難 ) 一人を供に 最後の旅に出た。ヴァイシャ ー ) ーを経て、故郷を目前にしつつクシナガラの地に 八〇歳の生涯を閉じた。ブッダの遺体は転輪聖王の葬儀と同じように油漕につけら れた後、荼毘に付された。遺骨は八等分されて各地に埋葬され、ストウーパが建立 された。サーンチー 、ヾールフット、ヴァイシャ ーリーはそれらの一つであるとい う。ブッダを像として表現することは当初はなかったが、やがて仏像が出現する ガンダーラ地方とマトウラー地方に、ほば同時期、紀元一世紀頃に仏像が出現した A 」い、つ 第四章ブッダ生涯の旅路の果てに 150

7. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

み醫一フッダに帰依した長者スダ ッタは、僧たちの止住する 精舎を当時の大国コーサラ の都シュラーウアスティー ぞ , ( 舎衛城 ) の郊外の園林に設 王舎城南門城壁跡。このピンヒ 工一 7 け、寄進した。ブッダは後 サーラ王の居城は石積みの防塁 半生の二五年、雨季の大半 に囲まれた城塞都市であった。 ~ で " をここ ( 過こしたという。 祗園精舎の僧院跡 では各国の僧かい にしえをしのび、 祈りを捧げる。こ の日はミャンマー の僧か訪れていた。 霊鷲山山頂の祠堂跡。 ブッダは好んでここに 逗留したという。この 日は台湾の僧が参拝し ていた。 大国マガダの首都ラージャクリ八 ( 王舎城 ) は仏 教伝道の - 一大拠点の一つであった。国王の帰依 を受け、高弟を得たこの地、ブッダは「法華経」 「無量寿経」を説いたと言われる。 説法の地ラージャグリハ

8. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

苦行を捨てたブッダはナイランジャナー河で沐浴をし、近くの村の娘スジャーター から献上された乳粥を飲み体力を回復した。そして近くのアシュヴァッタ樹 ( 梵語 名、ピッパラ樹 ) の下にクシャ草の座を作り瞑想に入った。この時の瞑想法がヴィバッ サナー瞑想法としていま現在に伝えられている。こうしてブッダは自己の心を観察 することから悟りを開いた。南伝の伝承によれば、ヴァイシャーカ月の満月の日 ( 五月の満月の日 ) であったという。後にアシュヴァッタ樹はブッダの語りにちなんで 菩提樹と呼ばれる。悟りを開いたブッダは、苦行時代の同門の五人の修行者に法を 説こうと考え、ヴァーラーナシー郊外のサールナート ( 鹿野苑 ) へと赴いた。そして 四諦八正道または十二因縁の法を説いたという。ブッダは雨季には一か所に定住 げあんご し、瞑想と弟子の指導に時間を費やした。これを夏安居と呼ぶ。好んで夏安居を過 ごした場所がラージャグリハ ( 王舎城 ) の竹林精舎とシュラーヴァスティー ( 舎衛城 ) の 祇園精舎である。 第三章ブッダ悟りと説法 1 18

9. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ラージャグリハを発ったブッダは、ヒ 、、、ール州の州都ハトナー付近で、ガンジス河を渡 っている。現在でも、 ハトナーのガンジス河に架かる橋は一本しかない。私たちが乾季に 見た時は、ガンジスの川幅はおよそ五〇〇メートル、雨季には一キロにもなるのだとい う。橋はほとんど車専用で、現在でも渡し舟で河を渡る人が多い経典によれば、ブッダ も筏で渡ったようである。当時のガンジス河は、水が渡し場まで及んでいて、水面は穏や かで鳥さえも水が飲めるほどであったという。当時は多くの人々か向こう岸に渡るのに筏 を求めてごった返していたらしい ブッダが、ガンジス河を渡ったと伝えられる場所がハトナー市内に残されている。そこ はブッダ・ガートと呼ばれ、現在ではヒンドウー教徒の沐浴場になっているが、水はこの 上なく汚い。付近の家々からの生活排水が流れ込み、ガートのすぐそばにはごみ捨て場も ある。それでも人々は沐浴をする。ガンジス河は、あくまで神の国につながる河なのであ る。 ウアイシャーリーからクシナガラへ ー丿ーである。カピラヴァス パトナーを出発したブッダが次に通ったのが、ヴァイシャ トウに続いて、ブッダの遺骨が納められたといわれる舎利容器が発見されたヴァイシャー ノトナーから車で二時間の距離にある。ブッダゆかりの聖地の一つに数えられる ヴァイシャー丿ー ここにはアショーカ だか、これほど訪れる人のまばらな聖地も少ない 王柱のある僧院跡や、舎利容器の出上した古いストウーパ跡がある。しかし、それぞれ農 地の中に小さな遺跡がばつんとあるだけで、ブッダその人を感じるような雰囲気はない。 第四章ブッダ生涯の旅路の果てに 156

10. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダ生涯年表 0 歳・シャーキャ族の王子としてシュッドーダナとマーヤー夫人の間に誕生。伝承 てはルンヒニー園のサーラ樹下てマーヤー夫人の右脇から出生し、誕生偈を唱 え七歩歩行をしたと伝えられる。 ・誕生直後、アシタ仙が占相でフッタの将来を予言する。 ・誕生七日後にマーヤー夫人逝去。これ以後マーヤー夫人の実妹、マ八八 ジャーバティーに育てられる。 ・しばしは人間の生について深く悩むようになる。ジャンプ樹下で小さな生き 物が大きな生き物に食べられる弱肉強食の現実を感慨深く見た様は、「樹下観 耕」として伝えられる。 ・城門の外に赴き、人々の生老病死の様を目の当たりにする。「四門出遊」とし て伝えられるこの出来事がブッダの求道の生涯の原点となる。 一六歳・ヤショーダラーを妃に迎え、一子ラーフラをもうける。 ニ九歳・父王シュッドーダナの配慮を退け、出家修行者の道を選ぶ。愛馬力ンタカに 跨りチャンダを従えたこの場面は、「出家踰城」として伝えられる。 ブッタはヴァイシャーリーに向かい、アーラーラ・カーラーマから「無所有 処」の境地についての教えを受ける。教えを体得し師のもとを去る。 ・ラージャグリ八て修行者ウッダカ・ラーマブッダから「非想非非想処」の境 地について教えを受け、これを程なく習得。 ・カヤー郊外の苦行林 ( ウルヴェーラー ) に赴き、以後六年 ( 別説では七年 ) の 苦行を実践する。 ・苦行の末、衰弱したブッダはセナーニ村のスジャーターの乳粥供養を受ける。 ・ともに修行してきた五人の苦行者がブッダのもとを去る。 ・ピッ八ラ樹下に坐し最後の瞑想に入る。これを妨げようとする魔衆の誘惑の 様子は「降魔成道」の伝説で語られる。 三五歳・ブッダガャーでヴァイシャーカ月の満月の日に正覚に達し覚者となる。 ・ムチャリンダ樹下で瞑想中に豪雨に見舞われたブッダは、ムチャリンダ龍王 の守護を受ける。 ・商主タブッサとバツリカが最初の在俗信者となる。 ・プラフマン神の懇願により伝道を決意する。この出来事は「梵天勧請」とし て伝えられる。ブッダは説法を行うため聖地ヴァーラーナシーに向かう。鹿野 資料 227 苑で行われた初めての説法は「初転法輪」と呼はれる。 ・「初転法輪」の際、ブッタに帰依した五比丘により初のサンガが形成される。 ・ヴァーラーナシーの長者の息子ヤシャの出家に引き続き、その家族もフッダ に帰依する。 ・八ラモンのカーシャ八三兄弟を帰依させる。 ・マカダ国王ビンピサーラか帰依し、竹林園を精舎として寄進。霊鷲山への参 道を整える。 ・シャーリプトラとマウドガルャーナの一一人が自らの弟子 - 一五〇人とともに帰 依、ブッダの一一大弟子となる。 ・カーシャ八が出家し、有力な弟子とな ・ラージャグリ八のバラモン、マハ る。 ・成道の一一年後 ( 別説では六年後または一一一年後 ) 、生地カピラウアストウに赴 き、一族と再会し五〇〇人を帰依させる。この中にブッダ入滅まで行動をとも にするアーナンダが含まれる。 ・コーサラ国王ヴィドウーダバによりシャーキャ族滅ほされる。 ・コーサラ国長者スタッタがジェータ太子所有の園林を求め、祇園精舎として ブッダに寄進。 ・仏教に雨安居の慣習を取り入れる。 「シュラーヴァスティーの神変」として伝道を妨げる外道行者に対し、ブッ ダか神通を用いてそれを退けたことが伝えられる。 ・コーサラ国王プラセーナジットが帰依する。 ・ヴァンサ国王ウダヤナが帰依する。 ・ラージャグリ八の帝釈窟においてインドラ神に説法を行ったことが、「帝釈窟 説法」として伝えられる。 ・従弟テーヴァダッタが教団の主導権を狙い、さまざまな企みを仕掛ける。 ・アーナンダを含めた数名だけを従え、カピラヴァストウへの最後の旅に出る。 ・ラージャクリ八、ナーランダを経てヴァイシャーリーに至る。 ・ウアイシャーリーの遊女アームラ八ーリーによりマンゴー園か寄進される。 ・比丘に別れを告げ、アーナンタを従え最後の雨安居に入る。 ・悪魔の言葉に従い、樹下禅定に入る。 ・八ーヴァー村の鍛冶エチュンダの献した食物にあたり重病に陥る。 ハ 0 歳・一一本のサーラ樹の間に横たわりアーナンダに最後の教誡を与え、八〇年の生 涯を閉じる。