上座部仏教 - みる会図書館


検索対象: ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)
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1. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

最古の仏典 や一世紀頃に仏典を刻んだ銅板は残っていない。ちなみに、中国においても、仏教弾圧 ( 廃仏 ) や 末法思想を受け、仏法が消滅した時に備えて、紙と違い耐久性のある石に仏典が刻まれた。 スリランカを含めたインド文化圏では、それ以後もやはり仏典、特にその中の経典と戒律の部 分は通常、ロ誦で伝えられていた。この点は、漢訳された「阿含経典」が大部分インド人の暗誦し ほっけん てきた原典を翻訳したものであり、五世紀の初頭にインドへ戒律の原典を求めた法顕はそのび本 、ヾール、フータ を見出すのに苦労したことからも知れる。その後、インドの周辺地域にあたる、イノ ン、スリランカ以外のインド本国で仏教が滅亡する。かくて、先のような危機感が現実となり、 さまざまな部派において、部派に応じて異なる言語と内容でロ伝されていたインド語の初期仏典 の大半は、それらを伝える仏教徒が跡絶えると同時に消滅してしまう。ちなみに、日本人になじ みの深い仏典である大乗仏教経典は、紀元前一世紀頃から次第に成立したと推論されるが、経典 自身が写経を奨励する点からして多くは成立当初から書写されていたと推論される。事実、ネパ ールには一部の大乗経典の写本が大量に伝わっているか、インド語原典は全く現存しない大乗経 典も多い 一方、諸部派のうち、南方上座部のみはスリランカや東南アジア諸国で生き残り、しかもこの に一取よヾ ーリ語仏典だけが完全 ーリ語で初期仏典などの仏典を伝えてきたため、彼らの伝えたパ 立ロぐイ ~ / な形で現存している。これがブッダや初期仏教を知るための第一の資料となっている。もっと ヾーリ語仏典に示されたブッダの教説の内容には南方上座部独自の発展が含まれていると考 えられるので、ブッダの直説に迫ろうとする時には他の部派の初期仏典との比較が不可欠であ る。しかし、以前は、漢訳された初期仏典以外は比較する資料がほとんど知られていなかった。 ところが、前世紀の末以来、インドにおいて既に消滅した他の部派のインド語原典の断片が、 インド周辺地域や中央アジアの仏教遺跡などで次々に発見されるようになった。大部分はサンス

2. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

周辺に住み着いたという説。ヒンドウー教や密教の影響 を受けていた人々がミャンマーの影響で、上座部仏教に 改宗して現在に至っているという説。八世紀から一二世 紀にかけてべンガル地方を拠点とした仏教国家「ハ 朝 . の仏教徒の子孫だという説。 いすれにしても、上座部仏教がこの地に根を下ろした のは、一九世紀半ば、東隣のミャンマーからサーラメー ダという長老が来て、密教化していたチッタゴン周辺の 仏教徒を上座部に導いて以来だという。少なくとも一世 紀半、もしかすると七〇〇年以上にわたって、仏教がこ の地には根を下ろしていたことになる。 ハングラデシュで出会った仏教徒は、単に仏教を信じ ているというだけの人々ではなかった。仏教の教えや、 、、寺や様寺を中心とする仏教の組織が、人々の日々の暮らしに生 ナきていたのである。イスラム教の国家で少数者として生 きる困難さ、世界でも有数の貧困の中での想像を絶する の苦しみ、サイクロンなどの自然災害との闘いの中で、 - ぐニ人々は仏教徒であることを共通のアイデンティティーと 刊して、仏教を通じてお互いを助け合いながら生きていた プロローグ カティーナの間、人々は敬虔な祈 りを捧ける。モ八ムニ村にて。

3. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

チッタゴンで行われていた大規模なカティーナ。 八ングラテシュの仏教徒の村々ては、一〇月、雨季明けの祭りカティ ーナが行われる。雨安居の厳しい修業を終えた僧侶に対して、人々 は袈裟を捧け、食事て歓待する。僧侶はひと月の間、村々や寺院を回 り布施を受ける。日々のらしの中、僧は信者に心の教えを与え、 信者は布施によってそれに報う、原初の仏教の姿かここにはある。 バングラデシュのカティーナ インド、仏教の現在・ : 年 5 月、満月の日 旬のことで、市内の寺院を始め、仏教徒の村々では、雨 季が明けた後の仏教の行事「カティーナーが行われてい うあんご た。それは、雨季の間「雨安居。と呼ばれる厳しい修行を 積んだ僧侶が雨季が明けて信者の前に姿を現す機会に、 信者が向こう一年間僧侶が身につける袈裟を捧げ、代わ りに僧侶が一般信者に戒を授ける、仏教徒にとっては重 要な儀式なのである。 べンガル人仏教徒は、現在のスリランカ、ミャンマ 、タイで盛んな南伝仏教のうちの「上座部仏教」を信奉 している。上座部仏教は、仏教の数多くの宗派のうち、 ブッダの時代の仏教に最も近いとされ、出家して僧侶と なった人々は、厳しい戒律の下、ブッダと同じ瞑想など の修行によって語りの境地に近っこうとする。そうした 出家者の生活を、在家信者と言われる一般の人々が、サ ポートしていくのである。 インド世界の東の端に、こうした仏教徒が生き残って いることについては諸説がある。一三世紀、イスラムの 侵入によってガンジス川流域の地を追われたインドの仏 教徒が東へと逃れ、アッサム地方を経山してチッタゴン

4. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ガダルフール村を行く托鉢 僧。バングラテシュの仏教 は初期仏教に近い上座部仏 教である。僧侶は厳しい戒 律の下で生活し、農耕も炊 事も許されないため、食事 は托鉢に頼るしかない。 ジョブラ村の食料品店。店 主も仏教徒で、皆の援助で この店を出せたという。

5. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ハングラテシュ・ガダルフール 村の少年僧たち。 ブッタ入滅後のインド仏教の行方 ブッダ人滅後のインド仏教の行方 インド仏教の盛衰 ブッダの死後、ブッダの教団はさらに発展を続け、インドに仏教隆盛の時代をもたら 、ヾールフットやアマラーヴ す。その様は、サーンチーに復元された壮麗なストウーハ群 らんじゅん アティーのストウーパの欄楯に刻まれた仏伝レリーフ、ガンダーラやマトウラーで製作 亥各地の仏跡に残された壮大な寺院や僧院の遺構に偲ぶことができ が始まった仏像彫リ、 る。さらにガンダーラやシルクロードの遺跡、中国、日本、東南アジアにおいて、それぞ れの言葉に翻訳されて残る膨大な量の仏教経典によっても、本家インドでいかに多くの経 ほっけんげんじよ、つ 典が生まれていたかを知ることかできる。また、中国の法顕や玄奘の旅行記は、インド 仏教が最盛期から衰亡の兆しを見せ始めた頃の、インドの状況を詳細に記している。 インドの仏教は、ブッダの死後、およそ一〇〇〇年を過ぎた五世紀頃から、ヒンドウー 教の勢力拡大と反比例するように、インドにおいて衰退を始める。ブッダは、ヒンドウー 教の神・ヴィシュヌの化身の一人に数えられ、一〇世紀以降断続的に始まったイスラム勢 力の北インド侵入によって、インド仏教は大きな打撃を受けた。そして一三世紀初め、イ ま肖えたといわれるのである ンドから仏教徒 ( 、冫 ハンクラテシュに残る仏教徒 インドに、あるいはインド亜大陸の中に、今はもう仏教徒はいないのだろうか ? 私た 17 7

6. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

六九〇 七〇〇 七五〇頃 一九九ハ 六五四 世〇五五 紀 頃 一四世紀 一三五七 一四三一一 一四七七 一五〇五 一五一七 唐の則天武后、各地に官寺大雲寺を建立。 中国密教の確立。 唐の玄宗、各地に開元寺を建立。 ジャワ・シャイレーンドラ王国のホロブドウール建設。 インドにイスラム教伝わる。 スリランカでボロンナルワ時代が始まり、以後四〇〇年にわたり仏教 隆盛時代に入る。 唐、武宗の廃仏。 後周、世宗の廃仏。 宋の太宗による仏教復興。 スリランカで僧院文化の絶頂期を迎える。 ベトナムで仏教隆盛期を迎える。 中国て禅が隆盛になる。 ビルマに上座部仏教伝わる。 ビルマでパゴダ建立が盛んになる。 一〇五九 一一〇〇頃タイに上座部仏教が栄える。 カンホジアのアンコール・ワット建設。 ハ六スリランカの八ラッカマ八ーフ王が大寺派を正統上座部とする。 ヒルマてバガンを中心に教学が盛んになり、バーリ語著作が行われる。 一一七三頃 ビルマ、モン族の僧チャ八タがスリランカより帰国し、スリランカ仏 教を公布する。 イスラム軍によるヴィクラマシラー寺院の破壊。インド仏教壊滅状態 となる。 タイ、スコータイ王朝が上座部仏教を信奉。 モンゴルにチベット仏教伝わる。 元がチベット仏教を保護。 元のフビライによるビルマ、。 へトナム、ジャワの侵攻。 インドて仏教とヒンドウー教の習合が進む。 チベットにツオンカバ生まれる。 カンホジアかタイの侵攻によりアンコールを放棄する。 北部タイのテイローカ王により結集開かれる。 スリランカでポルトガル人による仏教迫害が始まる。 タイの僧ラタナバンニャーによりバーリ語仏教史「ジナカーラマーリ 資料 229 ハハハ八八七七七七六 九九九ハ七四〇八ハハ 〇一七〇八四ニ 九紀 頃 ー」が成立。 中国で仏教と儒教の習合か進む。 スリランカのシリヴィジャ・ラージャシー八王により、サンガの回復 が図られる。 タイて南方上座部会議が開催される。 ピルマのホートム八ャー王が仏教長老会議を創設。 タイのラーマ一世王により結集開かれる。 ヨーロッパて仏教学、インド学か起こる。 インド、八ラー八ル窟てアショーカ王刻文が発見される。 ビルマのミンドン王によるマンダレー結集。 ブッダガャー大塔の修復。 スリランカてマハーホティー・ソサエティーか設立される。 チッタゴンにべンガル仏教会が設立される。 ネ八ール南部ルンミンティでアショーカ王石柱が発見される。 ピプラーファーでブッダについて銘記された舎利容器が発見される。 頃 一九〇〇 中国で仏教復興運動が起こる。 タイでサンガ統治法制定。 一九〇一一 仏教青年会がヒルマ独立運動を起こす。 一九一七 カンボジアが仏教を国教と定める。 一九四七 ラオスが仏教を国教と定める。 ブッダガャー寺院管理法成立。 一九四九 コロンボて第一回世界仏教徒連盟大会が開催される。 一九五〇 ラオスてサンガ法制定。 一九五一 中国仏教教会設立。 一九五三 一九五四 5 五六ャンゴンて結集開かれる。 一九五六 アンべードカルによるインド仏教復興運動が始まる。 スリランカで仏歴ニ五〇〇年式典が開催される。 タイ、ラオス、ヒルマで仏歴一一五〇〇年式曲 ( か開催される。 一九五七 ピ八ール州八トナのウアイシャーリーストウーバ址て舎利容器が発 見される。 第一四世ダライ・ラマ、インドに亡命。 中国で文化大革命による仏教の弾圧が始まる ( ー六 ピプラーファーで一一つの舎利容器が発見される。 一九五九 一九六五 一九七一

7. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

仏教徒の生活の中心は寺である。そこで修行する僧侶の生活を支え、僧侶からさまざま な教えを受けることで、異教徒に囲まれながらも村の人々の心は一つになっている。ミル サプールでも、村の人々が、寺の僧侶の朝と昼の食事の世話をしていた。各家が持ち回り で食事を作り、寺に持っていくのである。厳しい修行をしている僧侶の、食事を中心とし た身の回りの世話も、この世での善い行いⅡ功徳の積み重ねになるのである。貧しくて、 毎日米を食べられない家でも、当番の日には米を準備し、魚科理を含む数品のおかすを作 って寺に持ってい 僧侶は、二〇〇以上にも上る戒律を守って、ひたすら修行に励む。瞑想や読経といった 個人の修行とともに、前述のように村に出ていって人々の話に耳を傾けたり説法をするの も修行の一部である。食事は、昼一二時を過ぎると次の日の朝まで飲み物以外はとっては ならないことになっている。 ギャナさんが、バンコクからチッタゴンへ戻る時の飛行機の中での話である。タイ航空 を利用したのであるが、出発時間は午前一一時だった。離陸してしばらくすると昼食が配 られるが、その時間が一二時を少し回ってしまったのだという。ギャナさんは、普段も黄 色い袈裟を身に着けているため、仏教の出家僧であることは一目瞭然である。仏教国タイ では、皆が仏教の戒律について詳しいため、上座部仏教の僧侶は、昼食は一二時までに終 えなければならないことはスチュワーデスもよく知っている。ギャナさんとしては、タイ の一二時はバングラデシュの一一時に当たるので、まだ昼食は取れると思っていたのだ が、タイの飛行機であるため、タイ時間で戒律を適用されて、飲み物だけしか出してくれ 第五章ブッダ入滅後のインド仏教の行方 182

8. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッタ入滅後のインド仏教の行方 なかったのだそうだ。私たちより数日遅れてチッタゴンにやって来たギャナさんから、後 でその話を聞いて、スタッフ一同上座部仏教の戒律の厳しさを痛感した。ちなみに、ギャ ナさんは撮影の期間中、普段通りにすっとその戒律を守り通した。撮影は、毎日何時に食 事が取れるか分からない状況で進む。ギャナさんは、私たちが時間を気にする間もなく撮 影を進めている時でも、一一時半にもなるとふっとどこかに消えて、昼食をとってくるの である。それは、どこの家に行っても、僧侶なら食事をすぐに出してもらえるからこそ可 能なことなのだ。夜、撮影が終わってスタッフが食事をとる時も、ギャナさんは何も食べ ない。アルコール以外の飲み物は飲んでも構わないので、いつも私たちのビール付きのタ 食に、マンゴージュースだけで付き合ってくれた そうした僧侶は、村人の尊敬を集めている。僧侶に出会うと、人々はひざまづいて、僧 侶の足下を手で触れる。僧侶はじっと立ったままなのだが、これはいばっているわけでは 僧侶はそのまま立って よい。僧侶にあいさつをすることも功徳を積む行為の一つなので、 しればいいのだそうだ。 上座部仏教は、スリランカ、タイ、ミャンマーでも盛んである。そうした地域でも同様 だが、上座部の僧侶は、個人の修行ばかりを目指して社会的な活動をすることが少ないと 社判されることかある。それは、ブッダか修行者は世俗のことにはかかわらす、ひたすら 修行に励め、と諭したこととも関係がある。しかし、チッタゴンのべンガル人仏教徒は、 ハングラデシュという国の中で、多くの人々を救う活動に従事していた。その一つが、東 京大学留学中のバルアさんが教えてくれた孤児院の運営事業である 185

9. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダ入滅後のインド仏教の行方 訳やコーディネートまでお願いすることにして、チッタゴンへと撮影に出かけた。 生きている者のための仏教 プロローグで記したように、私たちがべンガル人仏教徒のいるチッタゴンを訪ねたのは 一〇月、ちょうど雨季が明けた祝祭のシーズンであった。私たちの今回の取材の目的は、 仏教が人々の間で「生きている現場を見ることと、インドで廃れた仏教が、なぜインド世 界の東の端で今も脈々と生きているのかについての理山、そして絶対多数のイスラム教徒 に囲まれなから仏教徒かいかなる生活を営んでいるかについて知ることだった。 ノングラデシュの仏教では僧侶が重い病気の人や悩 私たちは、ギャナさんから事前に、ヾ みを持っている人の家に行って説法をすることがよくあると聞いていた。病気の人を前に チッタゴン、雨季明けの祝祭。 して、いかに人間は死ぬべきかを説くというのである。それは、いったいどういう意味を ・ 4 ) 持つのか私たちは、ギャナさんにお願いして、病人を僧侶が訪ねる状況があれば知らせ てほしいと、いろいろな村で頼んでおいてもらった。 撮影が始まって五日が過ぎた頃、ギャナさんの出身地ジョブラ村で、六五歳になる重病 の女性を近くの寺の僧侶が訪ねることになっているという知らせを受けた。マヤデヴィ・ ムツディさんというこの女匪は、長年肺の病気を患って寝たきりになっているという。家 は決して裕福ではなく、薬も満足に買えない。親族が彼女のために、寺からシラッキータ 長老を呼んで説法を行った。 上座部仏教に共通の「私は仏に帰依します。法に帰依します。僧に帰依します」という決 まりの経が上げられた後、僧侶が説法の題材に選んだのは、ブッダ最後の旅を記した『マ 179

10. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ちがその手がかりを求めていた時、バングラデシュのチッタゴンからやって来た留学生で 仏教徒が日本にいる、という話を聞いた。イスラム教が国教の国に、どのような形で仏教 が息づいているのか、興味津々で取材を始めた 私は、日本で二人のチッタゴン出身の仏教徒を訪ねた。一人は、スマナ・バルアさん。 現在、東京大学医学部大学院の国際保健計画学教室で途上国の保健医療研究を続けてい る。自身、先祖代々仏教徒で、必す兄弟に一人は出家僧を出すという家系であるという さ、ⅱ ( こ、ヾ ノングラデシュ独立戦争を経験したバルアさんは、貧しい生活の中で、適切 な医療を受けられずに亡くなっていく人々を見て、医者になることを決意したそうだ。バ ルアさんの故郷であるチッタゴン近郊の村、東グズラには、バルアさんの叔父の大僧正が 設立した孤児院があるという。もともと独立戦争で親を失った子供たちのための施設であ ったが、今では孤児だけでなく、 学校に通えないはど生活が困難な家庭の子供たちも収容 しているそうだ。なお、「バルアーという名前は、べンガル人仏教徒の九割以上の人々に共 通の姓だという。それは、かって先祖がインドの地から逃れる前に住んでいたヴァイシャ ー丿ー ( ブッダが最後の旅でも通った山緒ある仏教徒の町 ) が変形したとい、つ説、そして「大きな ( ポー ) アーリア人 ( アーリアこが詰まった言葉という説などいろいろあるそうだ。 もう一人は、ギャナ・ラタナさん。出家僧だが、日本で上座部仏教を中心とした仏教学 を学ぶために、現在、愛知学院大学に日本の文部省の奨学金を得て留学中である。男子で あれば、出家して僧侶になるのが理想の社会の中で、ギャナさんも小さい頃からの夢を実 現したのだという。私たちは、所用でチッタゴンに戻る機会があるというギャナさんに通 第五章ブッダ入滅後のインド仏教の行方 178