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検索対象: ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)
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1. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

伝統的なバラモンと苦行者たち 伝統的パラモンとの出会い 古代インドにおいて、輪廻からの解脱を一手に引き受けていたのが、バラモンと呼ばれ る司祭者階級だった。日本語で「バラモン . というのは、その言葉が中国に入った時に漢訳 された「婆羅門を日本読みにしたもので、サンスクリット語では「プラーフマナ、と呼ばれ る。バラモンは、神々への賛歌である聖典『ヴェーダ』の言葉を操れる唯一の階級の人々 で、彼らだけが神々と対話できると考えられていた。バラモンは『ヴェーダ』を唱えなが ら、火を中心とした儀式を行う。火は、神と人間を仲介するもので、特に人間の霊魂を乗 せて天に送ると信じられていた。 前述の古代インドの哲学書『チャーンドーギャ・ウバニシャッド』は輪廻転生による生ま れ変わりの仕組みを述べた後、次にどうすれば善き生まれ変わりがあるかについて述べて ハラモンなどの好ましい したがって、「この世において好ましい行いを積む者は」、 母胎に入るにちがいないしかし、「汚らわしい行いを積む者は、汚らわしい母胎 に、すなわち、大の母胎に、あるいは豚の母胎に入るにちがいない。 ( 前掲『仏教誕生』 「ーは筆者 ) 「好ましい行いとは何かその代表的なことは、バラモンに儀式を行ってもらうこと、 伝統的なバラモンと苦行者たち

2. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

伝統的なバラモンと苦行者たち 行によってあらゆる欲望を抑えて、ひたすら瞑想にふけるというものであった。体に針を 通したり、太陽を見つめ続けたり、肉体を徹底的に痛めつけるサドウーも数多くいると聞 くか、そうした徹底的な苦行は、山奥で一人で行っていることが多いという。肉体を痛め つける苦行によって、すべての欲望が消え去った時、精神が研ぎ澄まされて、この世の真 理が目の前に明らかになるのだと言われている。私たちは、そうした激しい苦行者も撮影 したかったが、「撮影を許してくれるような苦行者は、所詮は偽物だよ」と、サドウーの一 人に諭されてしまった。 ブッタの苦行 ブッダは、カピラヴァストウの城を出て、当時のマガダ国の都であったラージャグリ ・、ール州ガャーの郊外にある、ウルヴェーラーのセーナー村にやって来 を経て、現在のヒノ たと言われている。そこは、多くの苦行者が集まる修行の中心地であった。 ブッダも、多くの苦行者とともに、六年間の修行をこの地で続けたと言われているか、 経典には、ブッダが、具体的にいつ、どこで、どのような修行をしたかについては、ほと んど記されていない確かなのは、ブッダが、苦行によっては自分の目指す解脱の道は見 と結論づけたことであった。京都大学人文科学研究所教授の荒牧典俊氏は、 いだせない、 ヾーリ語経典の『スッタニバータ』の中に、苦行を積み重ねたうえでブッダの心に表れた疑 間と、後の「悟りの確信につながる、ブッダ自身の言葉を伝える部分があると指摘してい あたかも沼の水が干上がっていくとき、魚たちが生きのびようとして、あっちこっ

3. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

伝統的なバラモンと苦行者たち ンドの人から見れば、書き物に頼ってしか経典を習得できないのは邪道だと考えた人々も 多かったに違いないインドから仏教を中国に伝えた人々は皆、経典を暗唱して、中国の 信侶かそれを書き取って漢訳したのだという 私たちは、バラモンが、その子供たちに『ヴェーダ』を含んだバラモンの伝統を教授する 学校も訪ねた。子供たちは、授業中以外でもあちこちで、必死になって『ヴェーダ』の練習 をしていた。小さい頃から始めなければ、丸暗記は不可能だからである。彼らは全員が聖 職者になるわけではない。しかし、バラモンたちは時代状況が変わる中、伝統の一部だけ でも子孫に伝えていく努力は惜しんでいなかった。ちなみに、スプラマーニアンさんのお 宅でも、当主はかって高校で美術の先生をしていたが、退職した今は年金生活を送ってい る。家族は長男は失業中で、奥さんがコンピュータの先生をしている。次男は地元で仕事 が無いためサウジアラビアに出稼ぎに行って、掃除夫として働いているそうだ。聖職者と しての仕事は、ヒンドウー教の、とりわけ重要な儀式がある時に権威あるバラモンとし て、たまに呼ばれることかあるだけだという 反バラモンへの動きと苦行者たち ハラモンは、古代インドの「ヴァルナ ( 種姓 ) 制度」、そしてこの制度が元になって後代に 成立する「カースト制度」の頂点に立っていた。ヴァルナ制度では、バラモンに続き、クシ ャトリヤ ( 王侯貴族 ) 、ヴァイシャ ( 平民 ) 、シュードラ ( 隷属的労働者 ) の階級があった。ブッダの 登場した時代は、部族制国家から都市国家の時代へと、インドが大きな転換期を迎えてい た。バラモンを中心とした支配層が小さな部族を治める時代から、鉄器の普及による農業

4. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

で大ん浜時祭の続ド繰ま礼ガ あ道ど辺だクはけウりなでン る芸はのけン一下一広ノヾ行ガ 。人、行とプニ界はげフ者一 に布者さ・年に山るオたサ 近施たれメに降中。ーち一 いをちる一 りで本マかガ 者求の。ラ度て修来ンさル ーのく行のスまの ためほこ ちるとのの大るをサをざ祭 104 第ニ章ブッダ心の葛藤

5. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

モ八ムニ村での葬式。遺体にす かりつく子供たち。 7 亡くなったのは六五歳の女性で、胃潰瘍が悪化したのだという。庭には死者のためにべ ッドが用意され、周囲を六人の息子、二人の娘、さらに孫や親族が取り囲む。僧侶は、死 者を挾んで、参列者に向かって座り、経を唱える。参列者も何も見すに、経を復唱するこ とかできる。このようにして、葬式は淡々と進められていった。 親族が、コップ一杯の水を手に取り、お盆に少しすっ移す儀礼が始まった。コップの水 は、遺族みんなの善い行いⅡ善行の象徴である。「小川が、やがて大河となり、海に注ぐ ように、私たちの功徳が死者に届きますようにーと全員で唱える。それは、死者のためで あると同時に、生きている者が自らの行いを改めて正す瞬間でもある。 この儀礼が終わると、出棺である。するとその時、娘の一人が悲しみを抑えられす、嗚 咽を漏らし始めた。すると、周囲の人々が口をふさぎ、嗚咽が漏れないようにする。それ は、死者への執着を断ち切らせるための行為だという。しかし、その後次々に息子や親戚 の人たちが大声で泣き、死者に最後の別れをしようとすがりつき始める。親族以外の参列 者かすがりつく手を振りほどき、強引に遺体を棺に納めようとする。これは「移ろいゆく ものに、追いすがってはならないというブッダの教えを、確認する時なのである 棺は息子と村人たちの手で村の火葬場に運ばれてい 火葬場には、遺体を燃やすため の薪が積み上げられていた。村では人が亡くなるとマンゴーの大木を一本切り倒す。マン ゴーは油分が多く、生木でもよく燃えるのだ。 息子の手で薪に火がつけられる。もう息子にも、周りの人々にも悲しみの表情は無い。 火が燃え盛り始め、人々はじっと炎を凝視している。火葬はほば三時間かけて続けられ 第五章ブッダ入滅後のインド仏教の行方 190

6. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ルフ 修行を続ける苦行者たち 修 - 行を続けるインドの聖地と呼はれる場所を訪れると、必すと言 0 ていいほど、蓬髪の、垢と埃にまみれた修 ヒンドウー教徒の中でも、宗教的エリートとされている。 害行者たち 山中の石の上て瞑 想する行者。ヒン ドウー教では在俗 の教徒でも晩年は 101 リシュケシュの洞 窟内で修行する行 者。苦行、教典読 誦、瞑想などヨー ガの修法か中心に なる。

7. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

在は後代の人工的産物なのであり、本来の姿を離れたものということになる。従ってもともとの ブッダの姿を迪ろうと思うなら、飾りの多いブッダの伝記の中からさまざまな要素、いわゆる神 話的潤色を取り去り、そこに浮かび上がった人間的な姿のゴータマ・ブッダに至り着かねばなら ないだろう。近代の仏教学が解明を目指してきたブッダの姿は多かれ少なかれこうした方法によ って再現されてきた。 確かにこの研究方法はある程度まで有効であるし、それによって我々はブッダのイメージに従 来に比してはるかに身近に接することができるようになった。だが一方で、この研究態度が極端 に遵守されたために大切な点の考察が等閑にされ、そこから仏教の歴史が狭隘なものになるとい う困った事態に立ち至ることになる。大切な観点とは、これまで触れてきた研究とはちょうど正 反対ではあるが、実は仏教徒の内部から見ればブッダはそもそもの初めから人間を超えた存在と 見なされていたという事実である。これは少し難しい言い回しをすれば、ブッダと法 ( 真理 ) 、あ るいは歴史と真理との不可分の関係がもたらす間題である。 一例を取り上げてみよう。先に述べたようにブッダとは確かに「目覚めた者」を意味する一般名 詞である。しかしこの事実は仏教徒にとって一律にだれもがブッダであることを確証するよう な、その意味で人間的な響きを持っている言葉では決してない。それはあくまで真理に到達した 者、つまりこの歴史世界においては開祖釈尊だけが担いえる特別な名である。そもそも「目覚め」 とは「、への目覚め , を前提としているのだから、ブッダという言葉からして既に「真理への、とい う目的語を含意して成り立っている。ブッダの誕生は必す真理の開顕という事実と表裏一体にな っていなければならないのである。その意味でブッダという言葉は真理の代弁者、あるいは顕現 者という意味合いを本来含んでいる。ブッダ ( 仏 ) を成り立たしめている本源は真理 ( 法 ) そのもの なのであり、これは最も古い原始経典からまごうことなく確認される内容である 第四章ブッダ生涯の旅路の果てに 170 0

8. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダと真理 ヲッタの招」を問い直す 下田正弘東莇宿 田一ブッタと真理ー・ 「真理としてのブッタ」と「人格としてのブッタ」 仏教は釈尊という一個の人格によって説き始められた教えである。しばしば説明されるように 仏 ( 仏陀、 Buddh しという言葉にしても、サンスクリット語で「目覚めた ( 者こを意味する過去分詞あ るいは一般名詞であり、「絶対神」のような特別な意味を持っているわけではない。原理的にはだ れでも目覚めたもの ( ブッダ ) になることができる。また「阿含」、「ニカーヤ」と言われる伝統出家 教団の保持する聖典の内容も、キリスト教の聖書に比すれば倫理的な色調が強く、超越的存在へ の意識は影が薄い。これらの点を仏教の特徴と見たこれまでの研究者たちは、本来仏教は優れた 人格者である釈尊が説いた人間的な教えであり、超越的存在との交渉を予想したキリスト教のよ うな宗教とは異なるものと理解した。 一方、大乗経典と呼ばれる一群の経典がある。そこではブッダはさまざまな奇跡を行う超越的 存在に高められている。しかも無数の世界にそれぞれブッダの存在が確認され、慈悲をもって 人々を救ういわば救世主として多くの名前と姿を持って登場するようになる。現在我々が日本の 諸寺を巡ってさまざな種類の仏たちに出会うのは、この大乗という段階に至った仏教の特徴であ る。 さて、時代的には一般に大乗経典の出現が「阿含」、「ニカーヤ」に遅れると考えられるので、研 究者たちはこうした両者の相違を説明しようとして、本来人間的だった開祖ブッダが、時代とと もに信者たちによって次第にあがめられ、やがては超越的な性格を持った多くの仏に昇華される に至ったという筋で理解しようとしてきた。この解釈に従えば、我々の周囲にある多くの仏の存 169

9. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

霊鷲山 ブッダ生涯の旅路の果てに りよ、つじゅせん た、霊鷲山と呼ばれる小さな岩山がある。そして、ラージャグリハの北門のすぐそばに は、シュラーヴァスティーの祇園精舎と並ぶ代表的な僧院である竹林精舎の跡がある。プ ツダは竹林精舎に帯在しながら、瞑想のために歩いて霊鷲山に通った。実際に歩けば、一 時間以上かかる。仏教に帰依し、ブッダの教団の有力な保護者でもあった国王ビンビサー ラが築いた、麓から項上へ続く道は、近年、日本の仏教関係者によってきれいに整備さ れ、麓の駐車場からは徒歩で一五分ほどで登れるようになった。項上の平地は整備され、 ブッダが座り、瞑想をした場所に「ブッダの座」が設けられている。なお霊鷲山は、大乗仏 教において、ブッダが法華経を説いた場所として伝えられる 撮影で霊鷲山を訪れた時、ちょうど台湾中部の山間部の小さな村からはるばる巡礼にや って来た浄土教を信奉する尼僧のグループに出会った。インドは二度目だという。最初は ブッダガャーを訪ねたが、彼女たちは、やっと念願の霊鷲山に来ることが出来たのだそう だ。大乗仏教が主流の国々では、女性の出家者はそう多くないが、台湾と韓国では、女性 の出家者 ( 尼僧 ) が組織化されているので、出家制度のない東南アジアの国々から台湾に来 て出家する女性も多いという。 尼僧たちは、線香を持ってブッダの座の囲いの中に入り、一人すつひざまづいて祈りを 捧げる。その時、一人の尼僧が、ブッダの座の横でひざまづいて手を合わせたまま、その 場を動かなくなった。すっとその姿勢を崩そうとしない。よく見ると彼女の頬は真っ赤 で、目を閉じたまま涙を流し始めていた。そのまま一〇分ぐらいか過ぎただろうか祈り を終えやっと平静に戻ったその尼僧は、涙の理由を次のように語ってくれた 153

10. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダの死後、遺体の処理はヴァッジ族の人々に任された。仏教修行者たちは葬送 には直接的には関しなかった。無常の教えに従い、人生の通過儀礼を行うこと、 すなわち司祭化を潔しとしなかった。しかしそれは一面では民衆との接点を失いか ねないことでもあった。バングラデシュの仏教徒たちは、民衆の通過儀礼と積極的 に結び付くことで、その命脈を保つことになった。ブッダの教えを信奉しその独自 性を保つことと、民衆の中に根づくために儀式祭礼の祭官化することの両方を実践 するバングラデシュの仏教修行者たちの中に、理想と現実の狭間をしたたかに生き る、現代仏教の一つの姿がある。 第五章ブッダ入滅後のインド仏教の行方 176