言わ - みる会図書館


検索対象: ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)
120件見つかりました。

1. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

数人の高僧にお会いしました。もちろん出家に反対 う」とおっしやる。でも、今師の『春泥尼』という色っ する高僧はいません。ところが、「まだ早い。あと二 ほい小説が評判になっていましたから、「恐れいりま 〇年経ったらお出で」とおっしやるんです。これは本すが、春は飽き飽きして出家するんですから、聴を 気しゃない。だって当時の私は五〇歳、高僧はみな ください」って ( 笑 ) 。その後、今師が三時間座褝を組 さん七〇か八〇歳。二〇年後には亡くなられている んで下さっていたら「寂」という文字が浮かび、「寂 聴」という素晴らしい法名をいただきました。 かもしれないしゃないですか ( 笑 ) 。反対はしないけ れど、どうせできやしないと思われたのでしようね。 前述したように、私の生家は神仏具商でしたから、 すると余計に出家したくなるんです ( 笑 ) 。 家業を継いでいた姉が「出家は安くていい。五〇〇円 さて、どうしようか。困っている時、今東光師の くらいですむ」なんていいます。それで今師に、「集団 ことを思い出したんです。 出家でいい」と申し出たら、 参議院議員会館の近くにあった師の仕事場に伺っ 「何を言うか。お釈迦さまと結婚式をすると思いなさ たのは、出家した年の八月下旬でした。 古式にのっとってやる」と怒鳴られました。 「一身上のご相談があって参りました」 出家後の私は、すべては「み仏のみ心のままに」と そう言っただけなのに、今師は即座にお香を焚い いう心の姿勢を得ました。この間、何がおこっても、 てくださいました。 それがみ仏のお心だと思うと、不田 5 議にあわてませ 「仕事場だけども、お香で清らかな場所になったか ん。「なるほど、これが仏さまからいただいた出家の ら、さあ何でも話しなさい」 ごはうびか」と納得しましたね。 もうこりた と言って下さる。私は感激して、 ・忘己利他 「出家させていただきに参りました」 出家して一年後、私は京都嵯峨野の小倉山の麓に と打ち明けました。 庵を結びました。この「寂庵」はひっそりと晩年を過 ごす住まいのつもりでいたんです。 出家には法名や法衣などの準備が必要です。法名 は法師の法名の一字をいれていただきます。今師の ところが、お経をあげているといろんな人が覗き 法名は春聴。初めは「お前さんは女だし、春をあげよ にきます。大乗仏教の教えは「忘己利他 . の精神をい

2. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

1 体を焼くのに 300 キロの薪を要する。 エピローグ 2 18 神様がいつも一緒にいるから寂しくありません」 家族は、どうしているのだろうか、聞いてみた。 「息子は二人いますが、皆、私を捨てたのです。、、 え、私のほうから子供を捨てたんです。今はそれぞれに 生活をしています。一度ここにも訪ねて来ましたが、帰 ってくれと言いました。私はすっと、神様のもとにいた いのですー 最後のはうは語気を荒らげていた。恐らく、年を取り 家族にやっかい者扱いをされたか、経済的な間題があっ たかで、この施設に入ったのであろう。心の中では、き っと寂しいに違いないしかしヴァーラーナシーにいれ ば必ずあの世で幸福になると信じることだけが、唯一の 救いなのであろう、と感じた。 私たちはもう一か所、死を待っ家を訪ねた。それは火 葬場近くの、薪置き場のすぐそばにあった。規模は小さ 一階と二階に八畳ほどの部屋が二つあるだけで、シ ヴァナンド・ダスさんという八五歳の老人が住んでいた 彼のいる二階の窓からは、火葬の薪置き場が見渡せる そして窓の下の路地を火葬場に向かう遺体がひっきりな

3. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

インド、仏教の現在・ : 年 5 月、満月の日 ーフがあった。一つは、叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公 で、インドの国民的英雄として絶大な人気を誇った「ラ ーマ王子 . 。一つが、紀元前七世紀頃の実在の人物であ ったと言われ、その後神格化された「クリシュナ」。もう 一つが、ラーマの別の神話から題材を取った「斧を持っ ラーマー。そして、一番奥まったところに、「ブッダーの レリーフがあった。 ブッダが、ヴィシュヌの化身に取り込まれたのは、一 、、 . を " 説によれば五世紀のことと言われる。それは、ブッダの 死後およそ一〇〇〇年、インドで隆盛した仏教に翳りか 菩提樹の根元で祈る。 見え始め、バラモン教から発展したヒンドウー教が栄え 始める時期と一致する。ブッダは、かって人々の苦しみ を救済した人物として、ヴィシュヌ信仰の中に組み入れ られたのである 般に、インドで生まれた仏教は、インドでは滅亡し たと言われている。それは一三世紀初頭に、イスラム勢 力の北インド侵入によって、インド仏教最後の拠点であ った、現在のヒノ 、、、ール州東部のヴィクラマシーラ僧院が 破壊されたことをもって語られる。しかし実際には、仏 読経し祈りを捧げる。

4. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

前正覚山 ブッタ悟りと説法 菩提樹の下へ ブッダガャーから、現在はパルグ河と呼ばれているナイランジャナー河を挾んだ対岸 ぜんしようがくざん に、荒凉たる岩山かそびえている。前正覚山。ブッダが橋りを開く前に滞在した山だと 言われている ウルヴェーラーでの六年間の苦行に疑間を感じたブッダは、ます、ナイランジャナー河 で沐浴し身を清めたと言われている。私たちは、冬の一二月、一月、夏の乾季が終わる五 月末に河を訪ねた。五月には河に水は一滴もなくなっていた。雨季のさなかには砂で覆わ れた低地一帯が豊かな水を湛えているそうだが、乾季が始まって三か月を過ぎた冬になれ ば、河はどこでも歩いて渡れるほどの水しかなくなってしまう。現に、ブッダガャーの近 辺には、橋は近年建設された二本しかない橋がなくてもさほど困ることはないのであろ 有名なスジャーターの乳粥のエピソードかある。断食でやせ衰えたブッダに対して、セ 物」一一、ナー = 村に住む娘スジャーターか乳粥を献じ、ブッダは元気を回復したというものだ。村 には数か所、このスジャーターのエピソードにちなんで、乳粥供養の祠が建てられてい る。ミャンマーの仏教徒たちの手によるものだという もちろんこれか史実かどうかは分からない。しかし、乳粥はインドで「キールと呼ばれ ブッダ悟りと説法 119

5. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

人間ブッダの誕生伝説 高さ一二センチ。二つとも現在、デリーの国立博物館に保管されている。 この二つの舎利容器は、一〇〇年前にペッペが発見したものの、さらに下の地層から出 上したものである。考古学的な年代推定により、これら二つは、紀元前五 5 四世紀のもの で、ブッダの死んだ時代とはば一致することが分かった。ひるがえって、ペッペの発見し た舎利容器は、オリジナルのものではなく、 紀元前三世紀頃に収められた複製品であろう との推定がなされた。 あわせて行われた棟の東側の僧院跡の発掘調査からは、カピラヴァストウとはっきり銘 されたテラコッタ製の容器が出上した。インド考古局は、これらの事例をもって、このピ プラーファーの地が、カピラヴァストウであると結論づけている。 ただし、新出上の舎利容器と遺骨が本当にブッダのものかは、時代が一致するだけで、 銘文などの文字資料がなく、 一〇〇 % は断定できない。遺骨に炭素年代法などの科学的な メスを入れれば、もっと精密な年代特定と、仏舎利かどうかの判断ができるとも思うのだ が。当面は、信仰の対象となっている遺物ということで、そのような調査の予定は無いそ ブッダの舎利容器と言われるものは、実はもう一つある。経典によれば、ブッダの遺骨 はカピラヴァストウのシャーキャ族を始め、八つの部族に分けられた ( 舎利八分 ) と言われ ー丿ーのリッチャヴィ族がある る。そのうちの一つに、ヴァイシャ ヴァイシャ ーリーとは、・インド、ヒ ハール州の州都・ハトナーの北五〇キロにある小さな 村である。ヴァイシャ ( 商人 ) の町という意味で、ブッダの時代、ブッダの教団の有力なパ 4

6. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダと真理 この事実は経典という言葉の世界のみならす、言葉を超えたイコノグラフィー ( 図像学 ) の領域 最初期の仏教においてはブッダの姿は人物化し においても同様に確かめられる。周知のように、 て表象されることがない。例えばブッダが悟りに至った時 ( 成道 ) の姿は、人物像として描かれる ことはなく、ただ台座と菩提樹のみが表され、また初めて法を説く姿 ( 初転法輪 ) は法輸という象徴 によって示されている。これらはインドの仏教徒にとってゴータマ・ブッダの出現が、人間の出 して理解されていたことを示している。それが時 日・上 か誕生しはじめるのだから、時代を下るとともにプ ツダは「神格化」されたのではなく、むしろある時からさまざまな様相に「人格化されはじめたと 言うほうが適切である 仏教史の始源に確認されるこの「真理としてのブッダ」と「人格としてのブッダーという二つの存 初転法輪を暗示する法輪と鹿在様態は、一方で仏教誕生以前のヴェーダの宗教と比較した時の仏教独自の特徴であり、他方で ( アジャンター第一窟柱頭装飾 ) その後の仏教史を貫く重要な要素ともなる。ヴェーダ聖典は人によって説かれたものではなく天 からえられたものであり、そこでは個人の存在は本質的意味をなさない。真理は個人にかかわ りなくある理法として存在している。ところが仏教においては、一面、釈尊という個人がなけれ ばその真理が存在しはじめることはなかったと明瞭に意識されている。仏教の歴史において真理 は必す人によって開かれてい 換言すれば普遍的真理も限定された歴史の中に初めて姿を現す という重要な了解が底流しているのである。こう見ればこの両宗教の相違は、真理に特定の個人 か、あるいは歴史かかかわるか否かという点に存していると言ってよい いま、述べたように、ゴータマ・ブッダは単に傑出した個人として仏教徒にとらえられている のではなく、あくまで「真理を確認した個人、である点が重要である。ブッダが傑出した人格であ りえるのはその能力の故ではなく真理の故である。しかし同時にその真理は人によって明かされ 171

7. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ストウーバと仏舎利 たち ( バラモンたち ) の墓となり、ストウーパとはその両者を統合させて生成されたものとなろう。 しかし後 ( ( こま、方形の基壇を持つ、逆の上円下方墳が現れるようになる。 須弥山世界との関連性 しゆみせん 石板を積み重ねる形体については、スメール山すなわち須弥山との関連が指摘される 須弥山とは宇宙の中心にそびえる山の王 ( 宇宙山 ) で、黄金の「不死の山」である。須弥山には 〔図 4 〕人物か見えるハルミカー種々の香木が生い茂り、上・中・下の階道がある。その両側にそれぞれ垣根・欄楯・羅網・並木があ ( ピタルコーラ ) る。垣根の上に楼閣があり、その周囲に蓮の花や葉に満ちた浴池がある。四方の丘陵には四天王 の住む宮殿、頂上には神々の王インドラ ( 帝釈天 ) の宮殿がある。それらはみな七宝でできており、 鳥たちが美しい声で鳴いている。また四方には四つの大陸があり、八つの山・海・叢林・池などが 連なり、さらに山々が幾重にも続き、最後に雪山 ( ヒマラヤ ) がある。その項には、水清く、龍王が あのくだっち 住む阿耨達池という名の湖があり、四方に大河が流れ出る。さらに山々が連なり、常に天の歌・ 伎楽・音楽が奏でられている、と言われる。 しゆみだん 須弥山の形は、日本の寺院内の須弥壇に見るように、下はピラミッド型だが上は逆ピラミッド 型で、中細に表現される 。ハルミカーとの類似は明らかである 小屋のある場合は、行者の住む庵のような形をし、後世の仏像などが安置される祠堂に似てい る。ここに仏舎利が祀られたと解されたり、菩提樹を祀る祠堂の形を継承したものと言われたり する。第一の例とつながる面を持つ。 楼閣状の建物に関しては、多くの学者は、神々の住むマンション、パビリオンだという見方を する。そうすると、先程の逆ピラミッド型のテラスは、天界の階層を示すことになろう。しか てんりんじようおう し、転輪聖王 ( 理想の法王 ) の住む宮殿と見ることも可能である。 ハルミカーとは、ハルミャ、ハンミャという言葉から山来し、古くは墓や死者の家、牢獄、牛

8. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

パリニッパーナ・スッタンタ ( 大般涅槃経 ) 』であった。 「この世に生まれたら死ぬのが定めです。生まれてから死ぬまでの間が私たちにえられ た人生です。ブッダは、死とは何かを考えました。そして死を見つめ、その答えを見つけ るために世俗を離れました。私たちも死の意味をとらえることができれば、生きていく苦 しみにも耐えられるのです。ブッダは、クシナガラに滞在中危篤に陥り、弟子のアーナン ダに説きます。『人はこの世に生まれたら必す死ぬ』と。ブッダが言われたのは、誰もが死 を避けられす、この世に死の手から逃れる場所はどこにもない、 とい、つことです。ムマここ にいる信者の女性は、ずいぶん前から病気で苦しんでいます。私たちが彼女にしてあげら れることは、彼女にこの真理を聞かせてあげることです。そして、周りにいる人々は、今 日、この人がしてきたこれまでの善行を思い起こして、皆で知り、記憶にとどめるので す。その人の善行を思い出すと、悪い思い出は消えていくでしよう。ブッダの教えによれ ば、これは新しい生でもなければ新しい死でもありません。今日、私たちがここに集まっ たのは、彼女をカづけ、死への旅が安らぎに満ちたものであるようにするためです」 この女匪か確かにもう長くはもたないということは、私たちもそばにいて感じていた が、僧侶がまだ生きている人に向かって「人は死ぬ定めです」と、 いきなり切り出したのに は驚いた。しかし同時にこれが、紛れもなくプッダの教えの核心であったことも思い出し 十 / 僧侶は、葬式や儀式のためだけにあるのではなく、生きている人々のためにあり、生き ている人々に語りかける。その様子は、かってブッダその人が、人々の中に入っていって 第五章ブッダ入滅後のインド仏教の行方

9. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

出家から苦行の道 は、六〇歳、八〇歳、一〇〇歳のいすれかであったりするはど大雑把だった。これも、現 世を仮の世ととらえるインドの人々の世界観の影響なのか、と妙に納得したものだった。 輪廻からの解脱 古代インドの人々は、苦しみである輸廻転生から逃れる道を探し始めた。ブッダの見た 生老病死の苦しみもまた、輪廻転生の世界観の中で、その苦しみを永遠に繰り返していく というものであった。ブッダもまた、輪廻の苦しみから逃れる方法Ⅱ「解脱。を求めたので ある。その第一歩が出家であった。 簡単に「出家」と言っても、残された家族は大変である。ましてやブッダは、シャーキャ 族の王子であり、後に王となる人物である。その頃ブッダは、ヤショーダラーという女性 ゞ、こ。麦こノヤーキャ族はコーサラ国に吸収されてし を妻に持ち、ラーフラとい、つ息子力しオ彳 ( 、、 まう運命に見舞われるが、それもブッダが一族を捨てて出家したことに遠因があるのかも しれない ブッダが出家した時の妻ヤショーダラーの悲しみの言葉が、経典の中に残されている 我が君よ。私が妻として正しく努めを果たしているのに、なぜ私を置いて行ってし まったのですかむかし、王か山林にこもって修行したという話はいくらでもありま すが、妃を伴い、夫婦ともに頭を剃り、力を合わせて出家苦行しようというのではあ りませんかあなたは何のために苦行しようというのですかああ、何と不吉なので しよう。姿は柔らかいのに、むは何と固いのでしよう。 ( 渡辺照宏『釈尊をめぐる女たち』大法輪閣 )

10. ブッダ大いなる旅路 1 (輪廻する大地仏教誕生)

ブッダ入滅後のインド仏教の行方 た。私自身、実際に遺体を燃やすのは初めて見た。しかし、それは意外にもあっさりとし たもので、とんでもないものを見てしまったという印象はなかった。感じたのは、こうい う儀式が、死というものを客観的に見る手続きになっているのか、ということだった。だ れでも死は怖い。しかし、ブッダの教えにもあるように、人間の体はさまざまな構成要素 からなる物質にすぎないという事実や、死はすべての終わりである、という考え方は、火 葬を見ていて妙に実感できた。 遺骨拾いは四日後だった。火葬が行われた場所はまだ熱が残り、灰を掘り返すと煙が立 ち上る。息子たちは、骨壷などではなく普通のビニール袋に、母親の遺骨をはんのわすか だけ入れていた。遺骨に対する執着が全く無いかのようである。遺族は、遺骨を家に持ち 帰り、「いっか機会があったら、一部を仏教の故郷でもあり、彼らの先祖の故郷でもある インドのブッダガャーに持っていって、ブッダのもとに近づけてあげたい」と語っていた べンガル人仏教徒の未来 ハングラデシュでの取材がほば終わりにさしかかった頃、私たちは、リタさんの両親に 撮影で世話になった礼を言うために、再びビナジュリ村を訪ねた。朝八時頃家に着くと、 家のトタン屋根がはがされ始めていた。屋根を貸していた人が、結婚する息子のために新 しい家を作ることになり、どうしても一六枚のトタンが必要になったのだという。非情な ことのようにも見えるか、親切で貸した人もそれなりに困っていたのであろう。家には、 だれもいない。ビノイさんは、屋根が無くなるのを見るのが耐えられす、立ち会わないこ とにしたのだそうだ。ドウルさんは、数日前からチッタゴンの娘のところに行っていると 191