す。 19 7 8 年には % あったシェアが、わずか 4 年で % まで下がりました。 その一因は、カメラ業界の巨人・コダックの攻勢にあります。ボラロイド創業当初はイン スタントカメラを無視していたコダックですが、徐々に無視できない存在となり、インスタ ントカメラに参人するとともに ( その際に特許侵害で 1990 年、コダックはボラロイドに川億ドル を支払う結果となります ) 、自社のフィルムを改良し、現像所で分の仕上げを可能にしたので す。 今までは現像に数日—数週間かかっていたものが、わずか分になったことで、 1 分で現 像できるボラロイドとの差分は大きく縮まりました。「待たずに見られる」というボラロイ ドの優位性が危うくなってしまったのです。 さらに、オリンパスやキヤノンのような日本企業が、より画質の良いコンパクトなカメラ を世に出します。ボラロイドのインスタントカメラは、通常のカメラと比較して、現像まで のスピードでの優位性はほぼなくなり、画質やスタイルでは完全に負ける、という状況に 陥ってしまいました。 もちろん、マキューンなど経営陣はこの状態に手をこまねいていたわけではありません。 彼らは別の大きなイノベーションの種を抱えていました。それはデジタル技術をベースにし た商品です。 19 8 0 年代半ば、ボラロイドはフィリップスとのジョイントべンチャーで、 既に 1 ・ 2 メガピクセルの画像を生成できるデジタルセンサーとデータ圧縮ができるアルゴ リズムを持っていました。 ボラロイド
ボラロイド 1937 年 2001 年 2008 年 連邦倒産法第 1 1 章適用 ( 再建型倒産処理手続 ) 製造業 9 億 5000 万ドル ( 2001 年 ) 3 億 3000 万ドル 参昭・ 本社所在地 ミネソタ州ミネトンカ 倒産時の売上高 負債総額 業種・主要業務 倒産形態 倒産年 創業年 企業名 アメリカ ( 2001 年 ) 4 0 ボラロイド 「イノベーションのジレンマ』クレイトン・クリステンセン翔泳社 「カメラはインスタント化へ未来を見すえ、。精神統 - " 」日経ビジネス円 / 8 年 8 月日号 「ボラロイド vs 富士写真フィルム競い合う単品一筋と多角化」日経ビジネス円 / 6 年 5 月日号 『ポラロイド伝説」クリストファー・ポノナス実務教育出版
間違えた のか ? そして、そこからは坂道を転がるように収益は落ち込み、 2001 年川月、ボラロイドは 連邦倒産法Ⅱ章を申請するに至るのです ( ちなみに、 1 回目の倒産の後、ボラロイドは再復活します。 そして、買収したファンドが起こした不祥事に巻き込まれる不幸から、 2008 年に 2 回目の倒産を迎え ますが、このストーリーはここでは割愛します ) 。 わかりやすく説明可能な ビジネスの引力に負ける このボラロイドのケースは、経営学者クリステンセンによる「イノベーションのジレンマ の典型事例と言えるでしよう。特にこの事例は、「デジタル製品をローンチする準備までで きていたのに最終段階で否決される」という点においてもクリステンセンのレッスンに通じ る部分があります。つまり、完全に市場の存在を知らなかったわけでも無視をしていたわけ でもなく、可能性には気づいていたけれど踏み込むタイミングでジレンマに陥り、意思決定 を間違えてしまったということです。 クリステンセンは著書『イノベーションのジレンマ』で、既存の技術体系を持つ大企業に おいて、革新的技術のオーソライズが取れない理由の 1 つに、「存在しない市場は分析でき ボラロイド
ないということを挙げています。 当時のボラロイドにとって、デジタル市場というものはまだ「存在しない市場」でした。 したがって、市場規模がどれくらいなのか、その成長率はどれくらいなのか、利益率がどれ くらいなのか、という「市場の魅力度」を測る手掛かりがほとんどありません。つまり、既 存市場のようなロジックに基づいた分析、そしてコミュニケーションができないのです。 結果的に、ボラロイドは 19 8 0 年代中盤、ロジカルな分析をベースにした魅力的な商品 「スペクトラ、と、分析もほとんどなく明らかにクオリティの落ちるデジタル商品を目の前 にし、前者を選びました。そしてその結果、スペクトラは大きく売上を伸ばし、その後すぐ に倒産の道へ落ちていくのです。 クリステンセンのセオリーに従うならば、ボラロイドは「分析」にこだわるのではなく、 失敗を前提とした「学習」に意識を向けるべきだったのでしよう。つまり、新たな技術を一 旦世に出した上で、市場の可能性を学習していく、という姿勢です。 おそらくイノベーターであるランドが経営者であれば嬉々として「学習」に励んだので しよう。しかしその「学習」の文化は時とともに薄れていき、企業文化は徐々に「分析重視」 になっていたのです。このボラロイドの事例は、大企業になりながらも「学習気質」を維持 し続けることの難しさを感じさせます。 「過去の亡霊」型 成功体験が強過ざて、そこから抜け出せずに変わる決断ができない
とのようにして 倒産に 至ったのか ? その後、すでに社長の座をナンバー 2 であったマキューンに譲り渡して会長兼研究所長と なっていたランドは、 19 8 0 年、再びイノベーションを求めて極小のカメラのコンセプト をまとめその開発に着手しようとしますが、マキューン社長に開発を拒否されます。既に社 長でなかったランドが、今までのように自分の思い通りに開発ができる体制ではなくなって いたのです。 常に「イノベーター」であり「発明家」であったランドは、自分の置かれた立場を認識し、 自らが創業した会社を去る決意をします。その後、彼はボラロイドの株を売却した資金で ローランド研究所を設立し、「 1 日 1 実験」という研究中毒の生活で、ボラロイドとは無縁の 充実した余生を過ごしました。ジョブズもよくこの研究所に通ったと言われています。 そして、一方のボラロイドは、栄光のランド時代に別れを告げ、新たな体制の下で徐々に 崩壊へと向かうのです。 デジタル技術への転換にニの足を 踏んでいる間に、市場が急変 1980 年を境に、ボラロイドのアメリカ写真業界におけるシェアは下降の一途を辿りま 「過去の亡霊」型 成功体験が強過きて、そこから抜け出せずに変わる決断ができない
そして、ものの数時間で、撮った写真がすぐに手元に出てくるあの「ボラロイドカメラ」の 原型の設計を完成させてしまうのです。 その後、ランドは実用化に向けた研究を重ね、 1947 年に初代インスタントカメラを発 表します。現像に要する時間はわずか秒。ニュ 1 ヨークタイムズ誌が「写真の歴史の中で これほどの出来事は例がない」と表現するほどの画期的な発明でした。後にスティープ・ ジョブズはランドのことを「国宝」と呼び、彼の才能に対する深い敬意を示しますが、ラン ドは経営者であり稀有なプロダクト・デザイナーという立ち位置として、ジョブズの理想像 だったのかも知れません。 その後、ボラロイドは技術を磨き続け、小型化、オートフォーカスや画像の品質向上に努 め、インスタントカメラ市場を拡大し続けます。特に 1960 年代の成長は目覚ましく、こ の期間でボラロイドの株価は 4 倍以上に跳ね上がります。 しかし、そんな好調なボラロイドにも転機が訪れました。それは川年以上の開発期間をか け、ようやく 1977 年に発売した「ボラビジョン」と名付けられた映画撮影用のインスタ ントカメラの大失敗です。 撮影機器としては極めてユニークだったのですが、音を録ることができず、カセットには 3 分しか録画ができないため、当時台頭しつつあったソニー製のべータマックスにとても及 びませんでした。結局 6800 万ドルもの損金を計上し、 1979 年に販売中止が決定され ることになります。 ボラロイド
しかし、こうしたデジタル化に向けた企画は最終段階でことごとく否決されることになり ます。それは、まだデジタル技術の市場が未知数だったこと、彼らにとって重要なフィルム を奪ってしまう可能性があること、そしてデジタル技術で印刷される写真の品質は当時のア ナログ写真技術からすれば「粗悪品」に他ならなかったからなのです。 その後、マキューンの後を引き継いだプースは、多額の研究開発投資を、既存のアナログ カメラのプラッシュアップに振り向けます。結果的に 19 8 6 年に製品化されたアナログ べースのインスタントカメラ「スペクトラは大ヒットを遂げます。 しかし、皮肉なことにこのようなヒットがさらにボラロイドを追い込むことになります。 なぜならば、この時代のカメラにおけるデジタル技術の革新は目覚ましいものがあったから です。 そして、この重要な時期、ボラロイドはもう 1 つの経営課題に直面します。それはプライ べート・エクイティファンドから仕掛けられた買収を防衛すること。キャッシュがありなが らも経営が低迷し始めたボラロイドに着目したファンドから億ドルの買収提案を受け、そ の買収を阻止するために経営陣は忙殺されます。最終的にはその提案を退けることに成功し ますが、 3 億ドルの債務と貴重な時間を失う結果となりました。 そして、 19 9 5 年のカシオ計算機による「 > ー川」発売により、デジタルカメラの本 格的な時代が到来します。ここにきて急激なデジタル化の波が表面化しますが、この段階で デジタル技術の蓄積がないプレイヤーは、一気に置いていかれます。コダックもボラロイド も、置き去りにされた代表プレイヤーの一員でした。 過去の亡霊」型 成功体験が強過ぎて、そこから抜け出せずに変わる決断ができない
私たち への メッセーシ > この事例が私たちに問いかけることは、自分自身が「分析気質」なのか、 「学習気質」なのか、ということです。既存の仕組みの中に長らくいると、 過去のデータをベースにした「分析気質」が幅を利かせるようになります。 そして、「分析できないものは意思決定できない」という考え方にとらわれて いきます。その先に出来上がるものは、未知のものに対応できない「変化に 弱い人材」です。 そうならないためにも、私たちは常に「学習気質」を同時にインストール しておく必要があるのです。つまり、「分析できないことにはチャンスがある。 失敗を通じて学習していこう」というスタンスです。 今の自分は、果たして分析と学習のちょうど良いバランスが取れているの か、このボラロイドの事例を念頭に置きながら、考えてみてはいかがでしょ ボラロイド
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