戦争 - みる会図書館


検索対象: 世界の戦闘機
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1. 世界の戦闘機

しゆりよくめい、 っていなかったが、第二次大戦のはじまったときには、約主力は名機ゼロ戦をは せん、 はやぶさしよう、 六千機にふえていた じめ、隼、鍾馗、九七艦当。 ねんご たいへいようせんそう ・」う そして、二年後に、太平洋戦争のはじまるころにはもっと攻、九九艦爆、九六陸 たっ まんせん、 かず ころ . し、りくこう ふえて、一万五千機に達しており、数ではアメリカとほば攻、一式陸攻、九七重 おな うえ ひこうゝしつ し、してい 同じだったが、飛行機の質は、アメリカのほうが上だった。 爆、一〇〇式司偵、ゼ しすいてい たいへいようせんそう ロ式水偵などで、アメ ぐんしゆりよく 3 太平洋戦争のはじまり リカ軍の主力は、カー せんとう、ビー 一九四一年の十 チスー戦闘機、 がっか せんとう ) 二月八日、この日、 ー戦闘機、グラマン につばん エフェフ 日本・とアメリカが 4 ワイルドキャッ 、物 2 せんそう ついに戦争をはじ ト、空の要さいといわ れたボーイングー 物ようりよく じゅうばく エスビーデー 強力な二つの空 重爆、ダグラス ()n ロ ぐん ひろたいへいよう 、ゆうこうかばく ゼ軍が、広い太平洋 ドーントレス急降下爆 し テービーデー を舞台に死にもの 撃機、ダグラスデ・ハステーター雷機などだった。 せかい くうばぶたい にほんかいぐん がっか 狂いの戦いをくり 世界一の空母部隊を持っていた日本海軍は、十二月八日 くうま きかんあかぎいかせき ひろげたのだ。 の夜明けとともに、旗艦赤城以下六隻の空で、ハワイの せんそう しんじゅわんおそ ぐんこうな、 て、は / 、 戦争がはじまっ 真珠湾を襲い、軍港に儀泊していたアメリカの戦艦群を にほんがわ げきめつ せいこう たころの日本側の 撃滅することに成功した。 じにいせん ぐる たた加 そらよう かんばく せん じゅう かん ゞメ母に第物い驀 せんかんぐん

2. 世界の戦闘機

りよう ひとものはこ わす しかし、人や物を運ぶということのたいせっさを忘れて りを利用して戦う ゅそう、 せんとう、 につばん いた日本は、戦闘機や爆撃機だけに力を入れ、輸送機には ことを考えていた ンからである。 あまりカをれていなかった。そして、それだけでなく、 せんすいかん て、ゆそうせんこうげ につばんばくげたい につばんひ 日本の爆撃隊や潜水艦は、敵の輸送船を攻撃しろという スまた、日本の飛 ばくだんぎよらい すこ と、爆弾や魚雷がもったいないといって、いやがることが 引行機は、少しでも せいのう 多かった。 性能をよくするた せんすい アメリカの潜水 め、むだをはぶ かんこうげたい おも き、大きさも重さ艦や攻撃隊は、一 せゅそうせん 隻の輸送船でも見 一も設備もギリギリ しず のがさずに沈めて でまとめられてい たが、アメリカ機しまった。このた一 せん 0 奇 おも につばん おお め、日本は、戦場 は、大きく重いか へい ) せつびかんぜん へ送る兵器、食 わり、設備は完全だし、じようぶで長もちするようにでき りよ、だんやくないち 糧、弾薬や内地へ ていた。 ばうかそう ばうだんそうち につばんひこう、 運んでくるたいせ 日本の飛行機は、防弾装置や、防火装置がなく燃えやす っしとど つな物資が届かな かったのはこのためである。 ゅそう、 おお くなってしまっ もう一つ大きな違いは、アメリカのほうが輸送機がはる ひ , おお ゅそう た。これも戦争に ( ( かに多かったことだ。輸送ということを非常にたいせつに げんいん 負けた原因だ 考えていたアメリカは、輸送機に、とても力を入れていた。 ちが なが ちから おお おお せんそう しょ《 ダグラス DC ー -- 3 輸送機

3. 世界の戦闘機

につぼんげつこうらいでんどみうえんどんみろてんんすいせい ー蠶やー四のような戦 日本が月光、雷電、屠竜、飛燕、呑竜、天山、彗星、一一 りやくばくげきき しきだいて、 ぐんま けっさくきせんじようおく 式大艇などの傑作機を戦場へ送れば、アメリカ軍も負けず略爆撃機がなかったことだ。 しきり′、こう ばっ かいぐん 8 、 ヘルキャット、コルセアー、アベンジャ 1 、 pa— 海軍の一式陸攻は、四発 しゆっどう のー蠶に負けない航続カーノ ーなどを出動させてきた。 ばくだんとうさい せんそうお しきせん につぼんはやて を持っていたが、爆弾搭載 戦争が終わりに近づいたころには、日本の疾風、五式戦、 ひりゅう しでんかいぎん りよう すく 飛竜、紫電改、銀量はぐっと少なかった。陸を こうぞくりよくみじか ぐんじゅうばく 河、アメリカの 軍の重爆は、航続力も短い ばくだんりようすく し、爆弾の量も少なかった。 とうじよう につばんじゅうばく 日本の重爆は、アメリカの ー四などが登場し 軽爆クラスだったのだ。 につばん こつばんせんとうき そして、日本は、 二は、印本の戦闘機は、 せんとう、 2 ボ 1 イング m— アメリカの戦闘機よりスビ おそ せんりやくばくげと の戦略爆撃で、と トがすごく遅いことだ。 どめをさされてし そのかわり、印本の戦闘・ こまわ まった。 は軽快で、小回りがき、 にらぺい た。これは、アメリカはス ( ( 〉 こうした日米の りよう げきあい くうぐんひかく 空軍を比較してみ ビ 1 ドを利用して一撃で相黌。 てげきつい せんばう ると、気がつくこ 手を撃墜するという戦法を につばんこまわ とっていたが、日本は小回 とは、まず日本は、 ろか ) 0 につぼん リバブリック 導サンダーポルト

4. 世界の戦闘機

プイごうひこうばく かくへい、 ミサイルをはじめて使ったのもドイツだ。 1 号飛行爆 ほんど プイごうだんどう 6 核兵器とジ = ットの時代 弾や、 2 号弾道ミサイルを使って、イギリス本土を攻撃 プイごう おお じたいせんお し、大きな効果をあげた。この 2 号は、いまの O 第二次大戦の終わりごろ、いままでの戦争のやり方をこ アイアールビーエムせんぞ とうじよう しんへいき や、の先祖にあたるものである。 とごとくかえるような新兵器が登場した。 げんしばくだん つく ばんめしんへい、 げんしばくだん 三番目の新兵器「原子爆弾」を作りあげて、使ったのは、 それは、ジェットと、ミサイルと、原子爆弾の三つだ ぐん せんそうつか アメリカである。 はじめてジェット機を戦争に使ったのは、ドイツ軍で、 しんへい、 この三つの新兵器の メッサーシュミット くうぐん とうじよう せんとう、 登場で、空軍は、これ ー戦闘機や、アラド ばくげ ) 、だいかつやく までのままでは、旧式 ー爆撃機が大活躍 になってしまう。 せんそうお せんそうお 戦争が終わって、再 戦争の終わるころに へいわ び平和な時代がやって は、イギリス空軍のミ ッ せんとうきすがた イティアー戦闘機も姿きたが、アメリカ、イ ュ ギリス、フランス、ソ 一をあらわした。このほ くうぐんビー ビエトなどは、この新 ツか、アメリカ空軍の じだい せんとう、 メ しい時代にビッタリの —B 、ー戦闘機、 くうぐん 空軍をつくりあげるた 日本海軍の橘花なども っ ぜんりよく せんそう かんせい め、全力を尽くした。 完成していたが、戦争 ねん そして、約二十年た には使われなかった。 FE•6}O - にほんかいぐんきっか せんそう つか じだい くうぐん かた やく 、ゆうしき ムたた アイシービーエム こ・うひこうはくだん V— 1 号飛行爆弾

5. 世界の戦闘機

びこう、 、じゅう たんよう、 ら機銃をうてるようにくふうしたモラン・ソルニエ単葉機飛行機が、フランス まちばくげき げ、つい の町を爆撃したとい で、ドイツ機を撃墜している。 うらがわてつなん っている。 このモラン・ソルニエは、プロペラの裏側に鉄板を張 はっしゃ だんがんあ しかし、ドイツで り、発射された弾丸が当たっても、はじいてしまうように あ せいし したもので、プロペラに当たらなかった、弾丸だけが飛ん は、フランスと正式 、じゅう まえ よくねんがっ せんそう でいくようになっていたが、翌年七月には、ドイツで機銃 に戦争をはじめる前 ひ かいてんそうち に、ドイツのニュ の引き金とプロペラの回転装置をむすびつけて、プロペラ じゅうこうまえとお ばくだん しゅんかん が銃ロの前を通りすぎた瞬間に、弾丸を発射するように、 ルンベルグに爆弾を そうち せんとう とうか 装置をつけたフォッカー 1 戦闘機が生まれた。 投下したといってい ば , 、げ . き じたいせん 2 爆撃のはじまり この第一次大戦で びこう、せんそうつか わす 飛行機が戦争に使われたのは、第一次大戦のはじまる三 忘れてならないこと ねんまえ かくめいせんそう くうぐん 年前の一九一一年二月、メキシコ革命戦争のときで、この は、ドイツ空一〔早がツ ていさっ よくねん せんそう ひこうせん ときは、偵察に使われていたが、翌年のバルカン戦争のと ェッペリン飛行船 ば′、洋リ、 おお じゅうばくげきき きは、爆撃にも使われたといわれている。しかし、大がか や、ゴ 1 タ重爆撃機 じたいせん りな爆撃をするようになったのは、第一次大戦がはじまっ を使って、フランス しゆと てからだ。 の首都。ハリや、イギリスの首都ロンドンを爆撃したことだ。 せんそう がっか こんにらせんくばくげき ひこうせん ドイツとフランスが戦争をはじめたのは、八月三日だっ これが今日の戦略爆撃のはじまりで、飛行船がはじめて ぐん まえひ がっか く・つしゅう かよる たが、フランス軍は、その前の日の八月二日に、ドイツの バリを空襲したのは、一九一五年三月一一十日の夜だった。 がね ねんがっ つか つか だんがんはっしゃ じたいせん だんがん しゆと ねんがっ フォッカー 1 13

6. 世界の戦闘機

じせ力しナし 1 ドイツ空軍の威力 せんそうま どっぱ洋 ヨーロツ。ハでは、戦争に負けて、一度翼をもがれたドイ ふたた、ようりよく くうぐんつく ツが、再び強力な空軍を作りあげた。 ねん そして、一九三九年 の九月、ヨーロツ。ハで せんそう 戦争がはじまった。 メッサーシュミット せんとうき ーーⅢ戦闘機、 ュンカースー急降 下爆撃機、ハインケル一 じゅうばくげ・きき ーⅢ重爆撃機などの けっさ第、 . き 傑作機をそろえたドイ くうぐん ッ空軍が、あばれまわ り、まず、ポーランド くうぐん 空軍が、た「た二に がっ 、ゆうこう くうぐん りよく で全滅してしまい、つづいて、フランスも九カ坪で降伏し てしまった。 ひこうきべん、よう むかしは、飛行機の勉強をするなら、フランスがよいと しんば ゅび くうぐん いわれたほど進歩した国で、世界でも指おりの強力な空軍 くうぐんしんば を持っていたが、 トイツ空軍の進歩には、かなわなかった のである。 イギリスも、ドイツ空軍の猛攻撃を受けていたが、ねば じんかんたんこうふく り強いので有名なイギリス人は簡単に降伏しなかった。 めいせんとうき スビットファイアー リケーンなどの名戦闘機が、イ まも よ・る ひるふんとう ギリスを守るため、夜も、昼も奮闘し、イギリスの危機を ュ救ったのである。 2 アメリカとソビエト くうぐん 日本やドイツのほかに、ものすごい速さで強力な空軍を つくあ 作り上げた国があった。それが、アメリカとソビエトだ。 じたいせん ひこうきか 第一次大戦のころは、フランスから飛行機を員っていた 、 ' : せん ぜんめつー。 づよ につばん ゅうめい くうぐんもうこうげき はや 、ようりよく 、ようりよく

7. 世界の戦闘機

ばくげ、、 がっ つづ せんとうき にほんせい 洋爆撃とよばれ、十一月ごろまで続けられた。 は、戦闘機も、爆撃機も、みな日本製だった。 ま せんそう かいぐんりくこうたい たたか すす ーーん力いぐんこうくうたい そして、海軍の陸攻隊は、戦いが進むにつれて、蘭州 そして、日本海軍航空隊は、戦争がはじまって間もない おくち ばくげ、て 成都、重慶などの奥地まで、爆撃の手をのばした。 一九三七年の八月、世界をアッと言わせるようなことをや りくこうた せかいさいしょちょうきよりせんりやくばくげき ってのけた。 この陸攻隊の爆撃は、世界最初の長距離戦略爆撃オ くうちゅうきゅうゆ らっか まず、八鵬の十 たいほくきち 2 落下タンクと空中給油 四日、台北基地の りー . 、こうたい とお 九六陸攻隊が、台 いまの戦闘機や攻撃機は、遠くまで飛ぶため、胴体や翼 ねんりよう ふうあくるしな したおお 風の荒れ狂う支那の下に大きな燃料タンクをつけている。このタンクは普 と つうぞう 通、増そうという力し 、。にの ) 〔撃海を飛びこえて、 ひこうじよう とうか 、 ( ・ゞ爆。。。ごくほんど なくなると投下できるよう ン ~ 離中国本土の飛行場 らっか き距おそ よ長を襲った。 にな「ているので、落下タ ( 」 っゞび ンクともよばれている。 佩隊そして、次の日 ) うたい つばなか ~ 4 胴体や翼の中のタンクだ , 第第〕航には、九州の大村 ぐ ねんりようた けでは、燃料が足りないと 《 ~ 海蜘地と済州島の基 ら どうたい つばきしたぞう に日 地を出発した九六 きに、胴体や翼の下に増そ わ・ ~ 、こうたい ちゅうごく 陸攻隊が、中国の うをつけることを考え出し しゆとナンキンばくだん むかし 首都南京に爆弾の たのは、かなり昔のことで、 あめふ ねんしようわ こつばん 雨を降らせた。 印本では一九二九年 ( 昭和 このは、渡四年 ) に 0 軍の八八式。一 ねん がっせかい しゆっぱっ 、ゆうしゅうおおむら ようばくげ、 じゅうけい せんとう、 かんい どうたい いまの増そう らんしゅう ) 0 つばま

8. 世界の戦闘機

せんりやくばくげき まれたフォッカー 7 は、時速一四五キロだったが、その じそく ねんご につばんつく 戦略爆撃のはじまり 二十年後に、日本で作られた九七戦は、時速四六〇キロも せんそう やく じせかいたいせんお 一次世界大戦が終わ「てから約二十年間、大きな戦争出せた。 びこうき じだいつづ へいわ いりよく かくこく じたいせんけ つかくうぐん のない平和な時代が続いたが、このに、飛行機はどんど そして、第一次大戦の結果、空軍の威力を知った各国は、 しんば くうぐん くうぐんけんせつねっちゅっ んと進歩していった。 強力な空軍の建設に熱中したので、どこの国の空軍も、み ひこう込 ぬのは すがたけ 、てつほねぐ 、ようりよく 木や鉄の骨組みに布を張った飛行機は、ほとんど姿を消 ちがえるほど強力になった。 ひ・」う・、し んぶ、んぞく し、全部金属でできた飛行機 その中でも、一番めざまし ふつう が普通になった。 い発展をしたのは、印本の一 しやりんひ ぐん りくぐんかいぐんだい 車輪も引っ込むようになっ 軍だった。陸軍も海軍も第一 ぎせ、 じたいせんお たし、座席にもカハ 1 かつい 九次大戦が終わったころは、外 むせん、 、じゅうせいのう ひこう、 一 ( ・たこくせい こ。無線機や機銃の性能もぐ 、第一一れ国製の飛行機ばかり使ってい しんぼ っと進歩した。 → ~ ( 作たが、一九三一年 ( 昭和六年 ) スビードは、第一次大戦の 本ごろから、外国機に負けない ひこう、 ころの、三にぐらいになって 性能を持った飛行機が生まれ るようになり、一九三七年に、 ねんう ちゅうごくせんそう たとえば、一九一七年に生 中国と戦争をはじめたころに じたいせん つよ ねんかんおお フォッカ—D 7 ・ようりよく く - フぐん につばんつく じそく せいのう せん し ばん つか ねん

9. 世界の戦闘機

げきつい 最初だ。ライフル銃を使って、はじめて敵を撃墜したの くうぐん ぐんそう 空中戦のはじまり ねんがっか は、フランス空軍のフランツ軍曹で、一九一四年十月五日 ひ - 」う、 じせかいたいせん しゅようへい、 だいかっ この第一次世界大戦は、飛行機が主要な兵器として大活のことだったのである。 だいせんそう せんそう 躍したはじめての大戦争で、戦争のはじまった、その日か 二日後の十用七 ていさつばくげきっか ら、偵察や爆撃に使われている。 には、同じフランス かいせんかめ ねんがっか くうぐん ぐんそう そして、開戦九日目の一九一四年八月五日には、ベルギ 空軍のジべール軍曹 ひこうたい ていさつ、 ーとフランスの飛行隊が、偵察に来たドイツ機を避した とプレーズ大尉が、 せかいさいしよくうちゅうせん が、これが世界最初の空中戦だといわれている。 カービン銃でドイツ かいめくうちゅうせんおこ そして、八月十三日に、二回目の空中戦が行なわれた 機を撃墜した。これ 、じゅう ていさつ、 げきつい じゅうてき とき、フランス機が、機銃でドイツの偵察機を撃墜し、パ は、カービン銃で敵 ていさついんほりよ 、じゅうつか くうちゅうせん げ、つい イロットと偵察員を捕虜にした。機銃を使った空中戦は、 を撃墜した最初だと きいしょ これが最初だ いわれている。 ひこう、すく しかし、このころは、重い機銃を積める飛行機は少なか 一九一四年の十二 がっ ったので、たいていのバイロットは、ビストルやライフル 月には、フランス空 じゅう じゅう て、げきつい ぐん ぐんそう 銃、カービン銃などを使って敵を撃墜しようとしていた。 軍のギルべール軍曹 くうちゅうせん ねんがっ ビストルを使った空中戦は、一九一四年八月三十一日が が、プロペラの間か さいしょ やく くうちゅうせん つか がっ にち おも 、じゅう にち さいしょ げきつい おな じゅう ねん きいしょ じゅう 3 て モラン・ソルニエ A 1

10. 世界の戦闘機

を一発積んでいる。 にんの スビードは、マ 一・七で、三人乗りだ。このミラー くうちゅう、ゆうゆよう ジュⅣは、三七〇〇キロしか飛べないので、空中給油用に 4 ゅうゆき アメリカから、ボーイングー給油機を十二機買って、 くうちゅう、ゆうゆ 使っているが、空中給油をすると、八万キロぐらい飛べる とい , っ ミラージュⅣは、約六十二機ある。 ば - つくうくうぐん 3 防空些軍 ぼうくうくうぐんちゅうしん 防空空軍の中心になっているのは、六十機のミラージュ シーせんとうき Ⅲ O 戦闘機で、このほかに、シュベル・ミステール 2 の飛 ひこうたい ・」うたい : 一けいひや′、、、 行隊が三個 ( 計百十機 ) 、ミステールⅣの飛行隊が二個 ( 二 ひこうたい エヌぜんてんこうせんとうき 十機 ) 、ボートウール全天候戦闘機の飛行隊が二個 ( 五 十機 ) ある。 ミラージュⅢは、三角翼の軽快な戦闘機で、イスラエル や、南アフリカでも使っている。イスラエルのミラージュ ねんちゅうとうせんそうだいかつやく は、一九六七年の中東戦争で大活躍をした。 スビードは、マッハ二・一で、ジェットのほかにロケッ じようしようりよく トも持ら、上昇力がすぐれている。 つか シージェー ばつつ みなみ つか せんとうき まん ンユベル・ミ テーレま、ミステ 力いりよう ールを改良したマ せん ・一二の戦 とう、、 闘機で、できたこ ろは、フランスの けつ、 0 ′、き といわれた傑作機 ミである。 せんとうき この戦闘機も、 イスラエルで使っ一 ちゅうとうせんそう ており、中東戦争 ちじようこうげき では、地上攻撃に だいかつやく 大活躍した。 くステールⅣ せんとうき ーバーに相当する戦闘機で、スビー は、ー・スー ドは、マッハ〇・九だ ボートウールは、ふたり乗りの双発戦闘機で、もう十年 以上使われている。スビードは、マッハ〇・九で、三 0 ミ いじようつか そ・つと - っ そうはっせんとうき ねん 135 ー