チベット語 - みる会図書館


検索対象: 仏教のこころ
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1. 仏教のこころ

過去、中国とチベットには、檀家と寺という特別な関係がありました。それは政治的関 係というより、むしろ精神的関係だったのてす。 当時、中国、モンゴル、チベットは明らかに異なった国とされていました。もし、あな たがチベット人の一人に「あなたの国籍は何てすか」と間えば、必すや「私はチベット人 てす」というてしよう。同様に、チベット人の話していることを聞いていれば、彼らは日 本人やインド人や中国人とは明らかに異なった人種てあるということが分かります。 たとえば、チベット仏教という言葉がありますが、それは、けっして中国仏教のことて はなく、チベット仏教そのもののことてす。チベット語ては中国のことをギャナクといし ます。チベット語ていうギャナクはあくまても外国のことて、チベットとはかけ離れたも のてす。中国側はもちろん、この言葉を使っていません。 中国は、チベット語の公的文書などの中て〃中国〃という言葉のかわりに、 〃我々の国〃と とか、〃我らが祖国みといった曖昧な言い回しを用いています。中国人は、チベットはギャ ナクの」部てはなく、チュンコウの一部てある、とチベット人に対して説明するのぞす。 しかし中国において、政治意識のほとんどない人は、中国語のことをチュンコウホアと

2. 仏教のこころ

最近、チベットを訪れた中の何人かが、もっと客観的にチベット問題を見るよう になってきたのは、大変喜ばしいことてす。今後、もっと大勢の人が、そのような立場て チベットを旅行されることを期待しております。 いくつかの困難はありますが、私は、たえずチベット国内の情報を得るようにしていま す。これらの情報はとても貴重なものぞす。なぜならば、国内にいる大多数の国民の意思 に合 , フよ , フに、ムは舌動しなければならないからてす もし中国政府が、チベットを旅行したいと願う人々を、選んだ 、限定したりせず、誰 もが自由に訪れることがてきるようにしたならば、私は、チベット間題解決へのよい兆候 として歓迎します。また、その旅行者の日程が、ラサやその周辺にとどまらず、もっと広 い範囲に拡大されたならば、なおさら結構なことてあると思います。 べ チ 私が常に主張し、要求してきたことは、国際機関の監視下て、チベット内外ぞ国民投票 教 仏 を実施し、チベット人が現在幸福かどうか、現状に満足しているかどうかを決める、とい 章 うことてす 第 この国民投票の際は、チベット語のてきる諸外国の人が、監視員として派遣されること

3. 仏教のこころ

学校てはチベット語はほとんど教えられず、反対に、中国語が必修となっているほか、Ⅷ 歴史、基礎的な計算 ( 算数 ) や手仕事が主て、とてもチベット人の学校とはいえないそう てす。さらに、チベット人の肉体労働と使役の結品ともいうべき、何千キロにわたる広い 幹線道路も、公共輸送機関の欠如により、なんら生かされていないのが実情てす。 たしかに、農業の分野ては著しい進歩をとげています。しかし、穀物税とか、地方開発 税とか、戦争準備税という名目のもとに、農業生産物の多くが取り上げられ、一人当りの 年間配給量は九〇キロから一二〇キロしかありません。 そのため、当初は熱心だったチベット人の共産党員たちも、一九五 , ハ年以降、徐々に中 国に対して不信感を強め、不満をいだき始めました。その結果、多くのチベット人の共産 党員が職務からはずされ、ひそかに中国本上へ送られてしまったのてす。 もちろん、私たちもけっして過ちを犯さなかったとは断言しません。チベットの過去の 社会制度、政治制度には、時代に適応した改革が必要てありました。しかし、チベット人 は、必要に応じて徐々に変革することを望んていたのてす。 一九五九年以前にも、私自身、 いくつかの改革を試みましたが、その都度、中国側の不

4. 仏教のこころ

私がここて、他の民族のことについて語るのは適当てはないかも知れません。しかし、 彼らの現状やその気持ちを理解する時、とても他人のことのように無関心ていることはて きないのてす。 中国の覇権に対する彼らの感情は、チベット人となんら変わりありません。 さらに中国は、その支配をいっそう強固にするため、これらの国々をいくつかに分割し、 切り離してしまいました。たとえばチベットは、現在、おおまかにいって、内チベットと 外チベットの二つに分けられてしまっていますが、これは歴史的に見ても、現実的に見て も、なんら理由のないことてす。 中国は、チベットとは外チベット、公式には現在のチベット自治区のみを指すものだと さかんにいっていますが、これは彼らの宣伝にすぎません。それは、つまりチベット領土 の半分を切り離し、分離させることを意味しています。また、チベット人の三分の二の人 口を切り離すことにもなります。 このうち、内チベットにはチベットを構成している重要な地域てあるアムド州とカム、 が属しています。いかなるチベット人も、またチベットを研究している学者も、アムド州 150

5. 仏教のこころ

ことがてきません。その美しさ、荘厳さ、畏怖の前に、私たちは畏敬の念がわき、沈黙し ていました。 チベット人がインドへやってきたのは、これらの広大な山脈を横切ってのことてした。 神にして王てある若き指導者ダライ・ラマ法王猊下に従って、そのほとんどは徒歩て、多 くの子供を連れ、老人を助けながら来たのてす。暁の冷気のなかに立って、私は、彼らの 勇壮さや忍耐力に驚嘆していました。 彼らが自分の家や国から追い払われるということが、一体どのようにして起こったのて しようか。それは、ずっと昔に始まって、いまも終わらない古い物語となっています。チ べットと中国との争いは新しいことてはありません。中国人とチベット人とはあまりにも 違っています。言語さえも違っています。チベット語には独自の文字があり、彼らは中国 語の文字てある漢字を使ったことはいまだかってありませんてした。チベットの食物、衣 服、生活様式、そして政府も、中国のそれとはまったく異なっています。チベットの景色 ~ 日らかに中国の景色とは別て、ヒマラヤによって取り囲まれています。

6. 仏教のこころ

チベットにおける最近の政治的変化は、法王猊下が将来、帰国することを充分予測 したものと田 5 われますか。 法王多くのことが変わりつつあるのは事実てす。少しずってすが近代化、自由化が進ん ています。しかし、中国国内て起こっているほどの自由化の波は、チベットてはま だ見られません。 チベットにおける中国人の存在について、アメリカ人が何をすることを望みますか。 法王私たちは、チベット人の幸せのため、チベット人の権利獲得のために戦っているの てす。私たちチベット人もあなたと同様、人類の一員てあります。したがって人類 て え の兄弟として生きる権利、幸福を得る権利をもっています。 あなた方の国、アメリカては、人々は常に自由の尊さ、束縛されないことの大切さ一 に関心を払っています。それは私たちチベット人もまた望んていることなのてす。タ 法王猊下、あなたはチベット問題解決のため、智慧と慈悲の心て努力されましたが、 章 第 チベットを取り戻すためにほかの方法を使うことを考えたことがありますか。 法王あなたの聞きたいことは、暴力を使って、という意味てすか

7. 仏教のこころ

述べていました。また、別のおりには、チベットが自分のカてやっていけるようになった 時、チベットに駐留している中国軍は撤退するだろう、とも述べていました。 世界が一つの国家として歩み出す日 チベットが中華人民共和国の支配を三十年間も受け、中国側の積極的な宣伝が行なわれ ているにもかかわらず、現在ても、チベットを訪れた人々は、チベットへ行ったと、 しません。 けっして中国へ行っことはい、 過去三十年間、中国は民族の統一を強調し、この面ては、一応の成果を上げています。 そのことは、ことあるごとに人々の集会や公的な席て発表されています。中国側がいって いるように、本当に民族の団結が生まれているのなら、今ては岩のような団結が中国全土 べ チ にてきているはずてす。ところが、このようなことは起きなかったのてす。 教 仏 というのも、それはチベットを含む、異なった国々に対して無理に押しつけた、わざと 章 らしい団結だからてす。チベットが中国の一部てあるというのは、事実を曲げた捏造てす。第 それは中国人自身がわかっていることて、それゆえ私たちは、彼らがチベットの現状を受

8. 仏教のこころ

とカム州を除いたチベットなどは想像もっかないてしよう。チベット人は、共産中国に対 して、その外国の不当な支配と闘う強い決意を示しているのてす。 事実、中国人が内チベットと呼んているチベット東部て、中国に対する最初の抵抗が起 こったのてす。そのため、チベットの抵抗運動は、しばしばカンパ ( チベット東部のカム 丿に住む人々 ) の抵抗運動とまちがって表現されることさえあります。 今日ても、この地域ては最も激しい抵抗が続いていると伝えられています。中国のチベ ット支配のもう一つの失敗は、一九五〇年以来、充分な時間を持ち、洗脳教育がてきたは ずの世代てある若いチベット人の中て、中国人の思うようになる人が育たなかったという 事実てす。中国がモンゴルても同じようなことをしたのは、周知の事実てす。 私たちの闘いは、自由のためのものてあり、チベット人によるチベット人のための闘争 べ てあります。そして私たちは、その闘いの過程において、それがヒモ付きてなく、また私と 仏 たちの基本的な考え方に反しないかぎり、 いかなる援助も歓迎したのてす。この闘いは正 章 義てあると私たちは信じており、それを固く信じている以上、 たとえ外部の援助がまった第 くなくても、この闘いを今後も続けることてしよう。

9. 仏教のこころ

チベットについての誤解を解くために 最近『ニューヨーク・タイムス』紙をはじめ、多くの新聞紙上て「チベット問題」に関 する記事が見られますが、必ずしも正確なものとはいえない部分が少なからず見られます。 べ それはチベットの国内事情に限ったことてはなく、たとえば国外に住んている難民の生活と 仏 に関しても同様てす。そこて、私みずからここに一文をしたため、チベットこ ( ついての誤 章 解力なくなることを祈念するものてす。 第 チベットは、地理的にも、民族的にも、また文化的にも、歴史的にも中国とはまったく チベット人の幸福

10. 仏教のこころ

違うということは明らかな事実てす。チベットは常に独立した国家てあり、中国の〃不可 欠な一部みなどてはけっしてありませんてした。今日、〃中国の一部み という言葉を使わな ければならないこと自体、それを何よりも明確に物語っており、かえってチベットの独立 性を強調しているようてす。 かりに一歩譲って、チベットが中国の不可欠な一部だという主張を認めたとしましよう。 それてはなぜ、一九五九年以降、中央アジアの地図を書きかえ、国境線を引き直さなけれ ばならなかったのてしようか 毛沢東の奇妙な発 = さらにチベットの独立性を示すものとしては、チベットに関する中国の共産主義者たち の歯切れの悪い説明が挙げられます。まず彼らは、 China と TheMiddleKingdom とを区 別し、チベットは China の一部てはなく、 The Middle Kingdom の一部てあると強調し、 チベットと China は同格てあり、共に The Middle Kingdom の一部てあるという言い方 をしているのてす。