ニューヨーク - みる会図書館


検索対象: 回転木馬のデッド・ヒート
7件見つかりました。

1. 回転木馬のデッド・ヒート

の美術大学に留学していたのですが、卒業後もそのままニューヨークに残って自活するために あるいは自分の才能に見切りをつけたのでといってもいいんですけれど 絵のバイヤーのよう な仕事を始めました。つまりニューヨークの若手画家や無名画家のアトリエをまわって筋の良さ そうなものをみつけ、それを買いつけて東京の画商に送るっていう仕事です。はしめのうちは私 がカラーのネガを送り、東京のスポンサーがその中から気に入ったものを選んで、それを私が 現地で買うというシステムだったんですが、そのうちに信用されて、私の裁量ひとつで直接に絵 が買えるようになりました。それに加えて私はグリニ ッジ・ヴィレッジの画かきの世界にかなり しつかりとした情報網というかコネクションのようなものを持っていました。おかげで誰が面白 そうなことをやっているだとか、誰が金に困っているだとかという情報はぜんぶ私の耳に入って ッジ・ヴィレッジというのは、それはたいしたものでした。あの きました。 19 6 8 年のグリニ 頃のことはご存知かしら ? 「大学生でした」と僕は言った。 「じゃおわかりになるわね」と彼女は言って一人で肯いた。「そこには何もかもがありました。 本当の何もかもよ。いちばん上からいちばん下までよ。ましり気なしの本物から百。ハーセントの 偽物まで、 ・ : 私のような仕事をする人間にとってはその時代のヴィレッジはまるで宝の山のよ うなものだったんです。きちんとした目さえ持ちあわせていれば、他の時代の他の場所ではます お目にかかれなかったような素晴しい人々やカのある斬新な作品に出会うことができました。

2. 回転木馬のデッド・ヒート

ザッツ・オール た。それだけ。 彼女はドイツ人の画学生の方をちらりと見た。彼の表情が無言のうちに語る結論も彼女と同し ダス・イスト・アレス だった。それだけ。チェコ人だけがばんやりとした不安気な目つきで彼女の一挙一動を見守って ートを引きあげようとした時、ドアのわきに置かれた一枚の絵が彼 礼を言ってチェコ人のアパ 女の目をふと捉えた。インチのテレビジョンの画面くらいの大きさの横長の絵だった。他の絵 とは違って、その絵の中には何かが息ついていた。たいしたものではない。はんのささやかな何 かだ。じっと見つめているとそのうちにちぢんで消え失せてしまいそうな程度のものだ。しかし どれだけささやかではあってもそれはたしかに絵の中で息づいていた。彼女はチェコ人に頼んで 他の絵をぜんぶわきに寄せて壁にまっ白なス。ヘースをつくってもらい、そこにその絵をたてかけ て、しっと眺めた。 「これは私がニューヨークに来ていちばん最初に描いた絵です」とチェコ人は落ちつかなげに早 ロで言った。「ニューヨークに来たはじめての夜、タイムズ・スクエアの角に立って、何時間も 通りを眺めていました。そして部屋に戻ってきて一晩で描いたんです」 それはタクシーの後部座席に座った若い男の絵だった。カメラに即していうと、レンズがフロ ント・シートのまん中から心もちワイドに男の姿を捉えている。男は顔を横に向けて、窓の外に

3. 回転木馬のデッド・ヒート

祐しでくつついてしまうことになるの。一般の人とは神経の使いかたがちょっと違う仕事だしね。 だから私が結婚して仕事をやめちゃうと、彼はまたべつのスチュワーデスをみつけてできちゃっ たってわけ。そういうこともよくあるのよ。スチュワーデスからスチュワーデスへとわたり歩く の 「今はどこに住んでるんですか ? と僕は話題を変えた。 「ロス・アンジェルス」と女は一一一口った。「あなたロスに行ったことある ? 「ノオ」と僕は言った。 「私はロスで生まれたの。それから父親の仕事の関係でソルトレーク・シティーに移ったの。ソ ルトレーク・シティーに一丁ったことは ? ・ 「ノオ」と僕は言った。 ハイスクールを出てフロリダの大学に行って、大学を出 「あんなところ行くもんしゃないわよ。 てニューヨーク・シティーに行って、結婚してサン・フランシスコ、それから離婚してまたロ ス・アンジェルス。結局振りだしに戻っちゃったわけね」、彼女はそう言って首を振った。 彼女みたいによく太ったスチュワーデスを僕はこれまでに見たことがなかったので、なんだか 少し不思議な気持になった。体格の良いレスラーのようなスチュワーデスや、腕が太くてうっす らとロ髭がはえたスチュワーデスなら何度か見たことがあるが、ぶくぶく太ったスチュワーデス ェアラインはそんなことはあまり気にしないの となると話はべつだった。でもユナイティッド・

4. 回転木馬のデッド・ヒート

ショナーの風に吹かれて散るように消えた。 「去年の夏、アテネの街で私は彼に会ったのです。彼です。絵の中の『タクシーに乗った男』に です。間」いはありません。たしかに彼でした。私はアテネのタクシーの後部座席で彼ととなり あわせたのです」 それはまったくの偶然だった。彼女は旅行中で、夕方の六時頃にアテネのエジプト広場の前か らバシリシス・ソフィアス大通りまでタクシーに乗ったのだが、その若い男はオモニア広場のあ たりで彼女のとなりの席に乗りこんできた。アテネでは行き先さえうまく合致すればタクシーは どんどん客を相乗りさせていくのだ。 男ははっそりとした体つきで、とてもハンサムだった。そして夏のアテネにしては珍しく夜会 服を着こみ蝶ネクタイをしめていた。これから大事な。ハーティーに出かけるといった様子だっ 男 たた。何から何まで寸分たがわすニューヨークで彼女が買い求めた絵の中の男にそっくりだった。 乗彼女は一瞬自分がとんでもない思い違いをしているような気がした。間違った時間に間違った場 一所にとびこんでしまったような、そんな気分だった。自分の体が十センチも空中に浮かんでいる クような感しだった。頭の中がまっ白になり、それが少しずつもとに戻るのにすいぶん長い時間が っ・」 0 、カーカオ 「ハロー」と男は微笑みながら彼女に向って言った。

5. 回転木馬のデッド・ヒート

る決心をしました。子供も手放しました。細かいことはあまり申しあげたくないので省かせて頂 きます。その時私は何もかもを捨てようと思ったんです。何もかもをです。その土地で私を捉え たすべての夢や希望や愛や、そういうものの残像の何もかもをです。私は友人からピックアッ プ・トラックを借りて荷台に部屋の中の一切合財をつみこみ空地に持っていき、灯油をかけて焼 きました。「タクシーに乗った男』もその中にありました。感傷的な音楽が似合いそうな情景だ と思いません ? 彼女がにつこりしたので、僕も微笑んだ。 「絵を焼くことは惜しくはありませんでした。それは私自身が解放されるのと同時に彼を解放す ることでもあったからです。彼は焼かれることによって凡庸の檻からやっと解放されたのです。 私は彼を焼き、そして私の一部を焼きました。 1971 年の五月のよく晴れた気持の良い午後で した。それから私は日本に帰りました。というわけで」と言って彼女は部屋の中のぐるりを手で 示した。「このとおりです。私は画廊を経営しています。仕事は順調です。私には、なんて言え ばいいのかしら、商才があるんですね、きっと。今は独身ですが、べつに辛くはありません。そ れなりに楽しく暮しています。でも『タクシーに乗った男』の話は 1971 年の五月の午後の 話こよっづきがあります」 ニューヨークの空地で終ったわけではありませんでした。言 : ー 彼女はプレイヤーズの箱から煙草をとりだし、ライターで火をつけた。カメラマンが咳払いを した。僕は椅子の上で体の位置を変えた。煙草の煙がゆっくりと上にのばり、エア・コンディ

6. 回転木馬のデッド・ヒート

りあいにとても金に困ってる絵かき力いるんだ。もし良かったら明日にでもちょっと寄って絵を 見てやってくれないかな ? 』。『オーケー』と私は言いました。『でもその人は才能あるの ? 』。 「たぶんあまりないね』と彼は言いました。『でも良い奴なんだ』。それで私たちはそのチェコ人 のア。ハ ートにでかけました。その当時のヴィレッジにはそういうところかありました。なんてい えばいいのか : : : 少しすっ肩を寄せあっているようなところがね」 トの部屋で二十枚ばかりの絵を見せても 彼女はそのチェコ人の住むとびつきり汚ないア。ハ らった。チェコ人は一一十七歳で、三年前に国境を越えて亡命してきたばかりだった。彼はウィー ンに一年住み、それからニューヨークにやってきた。プラハに妻と幼い娘を残してきたというこ とだった。彼は昼間はアパートで絵を描き、夜は近所のトルコ料理店で働いていた。「チェコに は表現の自由がないんです」と彼は言ったが、さしあたって彼に必要なものは表現の自由以前の ものだった。ドイツ人の画学生の言うように彼には才能というものが欠けていた。 「プラハに留まっているべきだったわね」と彼女は心の中でつぶやいた。 そのチェコ人の絵は技術的には部分部分に見るべきものはあった。とくに色つかいにーー させられるところがあった。素晴しいタッチもあった。しかしそれだけだった。プロの目から見 れば、絵はそこで完全にストップしていた。意識の広がりというものがないのだ。同じようにス カルデサック トップしていても、それは芸術的「袋小路」までにも到っていなかった。ただの「頭打ち」だっ

7. 回転木馬のデッド・ヒート

しっさいの話、私がその当時東京に送った作品の多くは今ではかなりの値段がついています。そ のうちのいくつかでも自分のためにとっておいたら、私も今ごろちょっとしたお金持になってい たと思うんだけれど、そのころは本当にお金がなかったものだから : : : 残念ね」 彼女は膝の上に置いた両方の手のひらを上に向け、それからにつこりと笑った。 「でもその当時一枚だけ、たった一枚だけ、例外的に自分のために買った絵がありました。「タ クシーに乗った男』というのがその絵の題です。でもこれは残念ながら芸術的に優れているわけ ではなく、手法的に優れているわけでもなく、かといって荒削りながらも才能の萌芽が見られる わけでもありませんでした。作者は無名の亡命チェコ・スロヴァキアの画家で、無名のままどこ かに消えてしまいました。だからもちろん高い値段もっきっこありません。 ・ : ねえ変だと思い ません ? 他人のために値打の出る絵ばっかり選んで、私自身のために選んだたった一枚がま るつきりの無価値だなんてね。 : でもきっとそういうものなのね」 男 僕は適当にあいづちを打って話のつづきを待った。 っ ートに行ったのは 19 6 8 年の九月の午後でした。雨があがったばかり 乗「私がその画家のアパ 一で、まるでニューヨークじゅうがまるごと蒸し焼きにされているような具合でした。その画家の ク名前はもう忘れてしまいました。御存しのように東欧系の人たちの名前ってアメリカ風に変えて タ ないとすごく覚えにくいんです。彼を紹介してくれたのは私と同しアパートに住んでいたドイツ 人の画学生でした。彼が私の部屋のドアをノックしてこう言ったんです。『ねえトシコ、僕の知