人でビールを飲んだりワインを飲んだりした。 しかしその休暇が十日めを過ぎたころから、彼女の中で何かが変ってきた。もう観に行きたい と思う映画は一本もなくなり、土日楽はうるさいだけで一枚をとおして聴くことができなくな り、本を読むと頭が痛んだ。作る料理はどれも気が抜けた味がした。ジョギングはある日気味の 変に神経がたかぶって夜 悪い学生風の男にあとをついて走られてからすっかりやめてしまった。、 中に目がさめ、暗闇ですっと誰かに見つめられているような気がした。彳 皮女はそういう時、空が 白んでくるまで布団をかぶってすっと震えていた。食欲が落ち、一日気持がイライラした。もう 何をする気もおきなかった。 彼女は知りあいの誰彼となく電話をかけてみた。そのうちの何人かはおしゃべりをしたり相談 にのってくれたりしたが、 彼らにしても仕事がにしく、そうそ、ついつまでも彼女の相手をしてい るわけにもいかなかった。「あと二、三日したら今の仕事がひと区切りつくからさ、そうしたら ゆっくり飲みにいこうよ」と言って彼らは電話を切った。しかし二、三日たっても誘いの電話は かかってはこなかった。ひと区切りついたところに急にまたべつの仕事が入ってしまったのだ。 彼女自身もこの六年間すっとそういう生活をくりかえしていたわけだから、そのへんの事情はよ くわかっていた。だから自分の方から電話をかけて相手をわすらわしたりはしなかった。 日が暮れてから家にいるのがつらかったので、彼女は夜になると買ったばかりの新しい服に身 を包んで外に出て、六本木か青山あたりの小綺麗なバーで終電車の時刻まで、一人でカクテルを
102 彼は長い期間にわたって一日も欠かすことなく日記をつけることができるという稀有な能力を 身につけた数少ない人間の一人だっ・たので、自分の吐き気がいっ始まっていっ終ったかという正 確な日付けをきちんと引用することができた。彼の吐き気は 1979 年 6 月 4 日 ( 晴 ) にはじま り、同年の 7 月日 ( くもり ) に終っていた。彼は若手のイラストレーターで、一度だけ僕とく んである雑誌の仕事をしたことがあった。 僕と同じように彼は古いレコードのコレクターで、それから友だちの恋人や奥さんと寝るのが 好きだった。年は僕よりたしか二つ三つ下である。彼はしっさい、それまでの人生の中で何人も の友だちの恋人や奥さんと寝ていた。友だちの家に遊びにいって、その友だちが近所の酒屋に ビールを買いに、つこり、 シャワーを浴びたりしているあいだに、その奥さんとセックスを済ま せたこともあった。彼ー よよくそんな話を僕にしてくれた。
慢性疲労のことなら僕だってよく知ってます。胃が慢性疲労になってそれに気がっかない人間 いるとしたら、そいつはまったくの阿呆です。慢疲労というのは胃が重くなったり、胸やけ〔 したり、食欲がなくなったりするんです。もし嘔吐があるとしても、それはそれらの症状のあ , にやってくるものです。吐き気だけが独立してのこのこやってきたりはしません。僕は嘔吐す , だけで、それ以外の症状は何もないのです。腹が始終減っていることをべつにすれば、気分は = 極良いし、頭だってはっきりしてました。 それからストレスのことだって、僕にはまるで身に覚えがないんです。そりやもちろん仕事」 けっこうつまってはいました。でもだからといってバテちゃうはどしゃありません、女の子の一 とも申しぶんなく上手く行っていました。三日に一度はプールにいってたつぶり泳いだし : いうことないと思いませんか ? 」 「そうだなあ」と僕は言った。 「ただ吐いちゃうだけなんです」と彼は言った。 一一週間彼は吐きつづけ、電話のベルは鳴りつづけた。十五日めに彼はどちらにもうんざりし一 仕事を放り出し、嘔吐はともかく電話からだけでも逃げだそうとホテルに部屋を取って、そこ一 吐 一日を見たり本を読んだりして過すことに決めた。はじめのうち、それは上手くいきそ、 2 嘔 見えた。彼は昼食のローストビーフ・サンドとアスパラがスのサラダをうまくクリアした。環 ) 間が変ったことが良く作用したのか、それはきちんと彼の胃におさまり、やがてそのままきれい
間た。ストロークぶんの冷たい水なんて、まるつきり意味のない存在に思えたりもした。どうし てそんな風に感じるのかは、自分でもよくわからなかった。 そんな日々が、高い空を流れる雲のようにゆっくりと過ぎていった。 一日と一日のあいだには はっきりと区別できるようなきわだった特徴はなかった。日が上り、日が沈み、ヘリコプターが 空を飛び、僕はビールを飲み、泳いだ。 ホテルを引きあげる前日の午後、僕は最後のひと泳ぎをした。妻は昼寝をしていたので、僕は 一人で泳いだ。 土曜日のせいで、海岸の人出はいつもよりはいくぶん多かったが、それでもやは りビーチはがらんとすいていた。何組かの男女が砂の上に寝そべって肌を焼き、家族づれが波打 ちぎわで水あそびをし、何人かは岸からそれはど距離のないところで泳ぎの練習をしていた。海 軍基地からやってきたらしい一団のアメリカ人がやしの木にロープをはって、ビーチ・バレー ポールをやって遊んでいた。みんなよく日焼けして背が高く、髪を短かく刈りこんでいた。 兵隊 というのはいつの時代でも同じような顔つきをしている。 見わたしたところ、ふたつのプイの上には人影は見えなかった。太陽は高く、 空には一片の雲 もなかった。時計の針は一一時をまわっていたが、車椅子の親子の姿は見あたらなかった。 僕は足を水につけ、胸のあたりの深さになるまで沖にむかって歩き、それから左側のプイにむ けてクロールで泳ぎはじめた。肩の力を抜き、水を体にまとうようなつもりで、ゆっくりと泳い
114 す。どうして相手が僕の行く先をいちいち知ってるのか、なんて言ってもロクにとりあってもど れないし、あまりしつこく一言うと頭がおかしいんしゃないかって疑われる始末です。 そんなわけで結局、医者も警察も誰も彼も頼りにならないことがわかりました。要するに自益 一人のカでなんとか片づける以外に方法はないんです。そう思ったのがだいたいその〈嘔吐雷 話〉がはしまって約一一十日めのころですね。僕は肉体的にも精神的にも相当タフな方だとは思、つ んだけど、この頃にはさすがにいささか参りはしめていました」 「でもその友だちの恋人とはうまくやってたんだろう ? 「ええ、まあわ。ちょうどその友だちが一一週間ばかり仕事でフィリピンに行ってたもんで、その あいだ僕らはたつぶりと楽しみました」 「彼女と楽しんでいるときに電話がかかってくることはなかったの ? 「それはありませんね。日記をしらべてみればわかると田 5 うけど。そういうのはなかったはすて す。電話は僕が一人ばっちでいるときにいつもかかってきました。嘔吐も、いつも一人のときい やってきました。それでそのとき僕は田 5 ったんです。どうして俺はこんなに一人きりでいる時閤 が多いんだろうってね。じっさいの話、平均してみると僕は一日幻時間のうち時間ちょっと半 で一人でいるんですね。一人ぐらしだし、仕事上のつきあいはほとんどないし、仕事の話は大 電話で済ませちゃうし、恋人は他人の恋人だし、飯は九割がた外食だし、スポーツをやるったっ て一人でエンエンと泳ぐだけだし、趣味というとこのとおり一人で骨董品みたいなレコード聴ど
~ 則にも一言ったよ、つに我々はレコードのコレクターで、ときどきお互いのレコードを持ちょって トレードをする。我々はどちらも年代から年代 ~ 則半にかけてのジャズ・レコードのコレク ションをしているわけだが、お互いにコレクションする対象エリアが微妙にすれているので、取 引が成立するわけだ。僕はウエスト・コーストの白人のバンドのものが中心だし、彼はコールマ ンプトンといった中間派に近いものの後期のレコードを集 ン・ホーキンズだとかライオネル・ハ ) ー・トリオのビクター盤を持っていて、僕がヴィック・ めている。だから彼がピート・ジョ ーム・ジャズ』を持っていたりすると、そのふたつは双方の合 ディッケンソンの「メインストリ 意のもとにめでたく交換されることになる。一一人でビールを飲みながら一日かけて盤質や演奏を チェックし、そのような商取引をいくつか成立させるわけである。 彼が僕にその吐き気の話をしてくれたのはそんなレコード交換会のあとだった。我々は彼のア ートでウイスキーを飲みながら音楽の話をし、それから酒の話をし、酒の話から酔払う話に なった。 「僕は昔、毎日つづけて四十日間吐きつづけたことがあるんです。毎日。一日も欠かさすにで 吐 す。とはいっても酒を飲んで吐いたわけじゃないんです。体の具合が悪かったというのでもな 嘔 何の原因もなくただ吐くんです。それが四十日もつづいたんです。四十日ですよ。ちょっと 嫺したもんですよ」
106 いちばん最初に彼が吐いたのは 6 月 4 日だったが、この嘔吐に関しては、彼が文句をつける筋 合はあまりなかった。前の日の夜、彼は相当量のウイスキーとビールを胃の中に流しこんでいた からだ。そして例によって、友だちの奥さんと寝た。つまり 1979 年 6 月 3 日の夜だ。 だから 6 月 4 日の朝の 8 時に彼が胃の中のものをありったけ便器の中に吐いたとしても、それ は世間一般の常識とてらしあわせてとりたてて不自然な出来事というわけでもなかった。酒を飲 んで吐くなんていうことは大学を出て以来はじめてだったけれど、だからといってそれがすなわ ち不自然な出来事ということにはならない。彼はレバーを押してその不夬な嘔吐物を下水に押し やり、机の前に座って仕事をはじめた。体の調子は悪くなかった。どちらかといえば爽夬な部類 に属する一日だった。仕事はうまい具合に捗ったし、昼前にはきちんと腹も減った。 昼飯にハムとキュウリのサンドウィッチを作って食べ、ビールを一缶飲んだ。その三十分後に いた。ぐしゃぐしゃ 一一度めの吐き気がやってきて、彼はサンドウィッチを全部、また便器の中に吐 になった。ハンやハムが水の上に浮かんだ。それでも体には不決感はなかった。気分が悪いという のではない。ただ吐くだけなのだ。喉の奥に何かがつまっているような気がしてそれでちょっと 試すようなつもりで便器の上にかがんでみると、胃の中の何もかもが、奇術師が帽子から鳩とか うさぎとか万国旗とかをひつばりだすみたいに、するすると出てきてしまうのだ。それだけだっ 「嘔吐というのは僕は無茶飲みをした学生時代に何度も経験してきました。乗りもの酔いをした
そしてこれで半分が終ったのだ と ~ 仮は田 5 、つ。 1983 年の 3 月日は彼の肪回目の誕生日だった。妻は彼に緑色のカシミャのセーターをプ レゼントした。日が暮れると一一人は亠冂山にある行きっ・けのレストランにでかけてワインを開け、 魚料理を食べた。そしてそのあと静かなバーでジントニックを三杯か四杯すっ飲んだ。彼は〈折 りかえし点〉の決心について妻には何も言わないことに決めていた。そういった種類の物の見方 は他人の目には往々にして馬鹿げたものとして映るものだということが彼にはよくわかってい 一一人はタクシーで一豕に帰り、セックスをした。彼がシャワーから出て台所に行き、缶ビールを 手に寝室に戻ってくると、妻はもうぐっすりと眠っていた。彼は自分のネクタイとスーツを洋服 サだんすにかけ、妻のシルクのワンピースはそっと畳んで机の上に置いた。シャツやストッキング レ 一は丸めて浴室の洗たく寵に放りこんだ。 彼はソファーに座って一人でビールを飲み、しばらく妻の寝顔を眺めていた。彼女は一月に ーなた , かりだった。彼女はまだ分水嶺のあちら側にいた。皮はもう分水嶺のこちら側にい
誕生日の翌日は日曜日だった。彼は七時に目覚めると湯をわかして熱いコーヒーを作り、レタ スとキュウリのサラダを食べた。珍しく妻はまだぐっすり眠っていた。食事が済むと音楽を聴き ながら、彼は水泳部時代に叩きこまれたかなりハ ードな体操を分みっちりとやった。ぬるめの シャワーを浴び、髪を洗い、髭を剃る。そして長い時間をかけて念入りに歯を磨く。歯磨粉はほ んの少しにして、一本一本の歯の表と裏にゆっくりとプラシを走らせる。歯と歯のあいだの汚れ にはデンタル・フロスを使う。洗面所には彼のぶんだけで三種類もの歯プラシが並んでいる。特 定の癖がっかないように、ローテーションを組んで一回ごとに使いわけるのである。 サそういった朝の儀式をひととおり済ませてしまうと、彼はいつものようには近所の散歩にはで 一かけす、脱衣室の壁についた等身大の鏡の前に生まれたままの姿で立ち、自分の体をじっくりと 点検してみた。なにしろそれは後半の人生にとっての最初の朝なのだ。彼はあたかも医者が新生 児の体を調べあげるように、不思議な感動をもって自分の体の隅々までを眺めた。 思う。彼の話しぶりは正確で要を得ていたし、しかるべき部分では状況を刻明に描写することも できた。彼はそういったタイプの人間だった。 彼はある会員制のスポーツ・クラブのプールサイドにあるカフェテラスで、僕にこの話をし
133 雨やどり い額ではなかったが一応退職金は出ていたし、生活に不安はなかった。彼女は雑誌時代に知りあ いになったヘア・デザイナーのところに行って、髪を今風に短かく切ってもらい、そのデザイ ナーの行きつけのプティックをまわって、新しいへア・スタイルに合った服と靴とバッグとアク セサリーをひととおり買い揃えた。 会社を辞めた二日めの夕方に、かっての同僚であり恋人であった男から電話がかかってきた。 相手が名前を告げると、彼女は何も言わすに電話を切った。その十五秒後にまた電話のベルが 鳴った。受話器をとると、同じ相手からだった。彼女は今度は電話を切らすに受話器をショル ッグの中につつこんでファスナーをしめた。それつきり二度と電話はかかってこなかっ その一カ月の休暇はのんびりと過ぎ去っていった。結局旅行には行かなかった。よく考えてみ ればもともとたいして旅に出るのが好きというわけでもなかったし、それに男と別れた二十八の 女が一人旅をするというのもなんだか絵になりすぎていて興ざめだった。彼女は三日間で五本の 映画を観て、コンサートに行き、 , ハ本木のライヴ・ハウスでジャズを聴いた。そして暇になった ら読むつもりで積んでおいた本を片はしから読んだ。レコードも聴いた。スポーツ用品店に行っ てジョギング・シューズとランニング ・。ハンツを買い、近所を毎日十五分はど走ってみた。 はじめの一週間はそれでうまくし 、った。煩雑で神経のすりへる仕事から解放されて思う存分好 きなことができるというのは実に素晴しいことだった。気が向くと料理を作り、日が暮れると一