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検索対象: 回転木馬のデッド・ヒート
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1. 回転木馬のデッド・ヒート

回転木馬のテッド・ヒート 村上春樹 見代の奇妙な空間ーー都会。そこで暮 工らす人々の人生をたとえるなら、そ れはメリー・コーラウンド。人はメリー・ ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒ ートを繰りひろげる。人生に疲れた人、 何かに立ち向かっている人・ : : ・、さまざ まな人間群像を描いたスケッチ・ブック の中に、あなたに似た人はいませんか す れ ヒ中月 円 馬樹本 木春・ 一ム面 村定① 6 7 村上春樹① 6 回転木馬のデッド・ヒート 9 7 8 4 0 61 8 4 3 1 9 6 I S B N 4 ー 0 6 ー 1 8 4 5 1 9 - 2 C 0 1 9 5 \ 5 6 9 E ( 5 ) ノルウェイの森上下 風の歌を聴け ダンス・ダンス・ダンス上下 1973 年のビンホール 遠い太鼓 立作羊をめぐる冒険上下 火火 翻夢て会いましよう ( 糸井重里と共著 ) 国境の南、太陽の西 空飛び猫 ( 訳 ) 上カンガルー日和 一三ロ 村 帰ってきた空飛び猫 ( 訳 ) 回転木馬のデッド・ヒート やがて哀しき外国語 羊男のクリスマス 1 9 2 0 1 9 3 0 0 5 6 9 7 カバー装画岡本滋夫 冓談社立庫 社立庫 火火 む 6-7

2. 回転木馬のデッド・ヒート

肪歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲ってしまったことを確認した。 いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、歳の春にして彼は人生の折りかえし点 を曲ろ、つと決、いした、とい、つことになるだろ、つ。 もし歳まで生きると もちろん自分の人生が何年つづくかなんて、誰にもわかるわけはない。 すれば、彼の人生の折りかえし点はということになるし、になるまでにはまだ四年の余裕が ある。それに日本人男性の平均寿命と彼自身の健康状態をかさねあわせて考えれば、年の寿命 はとくに楽天的な仮説というわけでもなかった。 それでも彼は肪歳の誕生日を自分の人生の折りかえし点と定めることに一片の迷いも持たな かった。そうしようと田 5 えば死を少しすっ遠方にすらしていくことはできる。しかしそんなこと つづけていたら俺はおそらく明確な人生の折りかえし点を見失ってしまうに違いない。妥当と思

3. 回転木馬のデッド・ヒート

「その話を書いてみても、 しいけれどね」と僕は言った。 「でもどこかにそれを発表しちゃ、つとい、つことになるかもしれないよ 「かまわないよ、それで」と彼は言った。 「それに発表してくれた方がいいような気もするんだ」 「女の子のことがバレちゃうけれどね、それでも、 しい力い ? 」と僕は言った。僕の経験から言 ( て、実在の人物をモデルにした文章はます百。ハーセントの確率でまわりの人々にそれと知られ 2 ことになる。 「いいさ。それくらいのことは覚語してるよ」と彼はなんでもなさそうに答えた。 「バレてもいいんだね」と僕は念を押した。 彼は肯いた。 「誰かに嘘をつくのは本当は好きしゃないんだ」と彼は別れぎわに言った。「その嘘がたとえ 一人傷つけないとわかっていても、嘘はっきたくない。そんな風に誰かをだましたり利用した しながら残りの人生を生きていきたくはないんだ」 サ僕はそれに対して何か言おうと思ったが、言葉がうまく出てこなかった。彼の言ってること ( 一方が正しいからだった。 行僕は今でも時々プールで彼と顔をあわせる。もうこみいった話はしない。プールサイドで天

4. 回転木馬のデッド・ヒート

いちばん問題なのは、もっと漠然としたものなんだ。そこにあることがわかっていても、きち / と直面して闘、つことのできないもの。そ、つい、つもののことだよ」 「そういうものを、何かしら感しるということ ? 」と僕は訊ねてみた。 彼は亠冂いた。 「たぶんそういうことだと思う」と彼は言った。それからテープルの上で居心輔 悪気に両手の指を動かした。「もちろん僕だってにもなった男が人前であらためてこんなこ を持ちだすのが馬鹿馬鹿しいことだっていうくらいはわかる。そういった類の把握不能な要素 誰の人生にだってある。そうだろう ? 」 「そうだろうね」と僕はあいっちをうった。 「でもね、正直に言って、実際にこんな風にはっきりと感したのは僕にとっては生まれてはじ てなんだよ。つまり自分の中に名状しがたい把握不能の何かが潜んでいることを感したのはさ。 だからそれをいったいどうすればいいのか、まるでわからないんだ」 ロの出しようがなくて、僕は黙っていた。彼はたしかに混乱しているように見えたが、それ「 ドもその混乱ぶりは混乱しているなりにすっきりと筋がとおっていた。それで僕は何も一言わすに縟 サの話を聞きつつけることにした。 彼が生まれたのは東京の郊外だった。昭和年春、まだ終戦後まもない頃である。兄が一人、 あとになって五歳下の妹が生まれた。父親はもともとは中堅クラスの不動産業者だったが、後い

5. 回転木馬のデッド・ヒート

たろ、つ。 今のところ僕にはそんなおりをこのような形のスケッチにまとめるしか手はなかった。これが 本当に正しい乍業であったのかどうかは僕にもよくわからない。本当の小説を書くべきしゃな かったのかと言われれば、僕には肩をすくめるしかない。そして「あらゆる行為は善だ」という ある殺人犯の主張を引用するしかない。僕にとってはこのようなマテリアルをこのようなスタイ ルでまとめあげる以外にとるべき方法はなかったのだ。 僕がここに収められた文章を〈スケッチ〉と呼ぶのは、それが小説でもノン・フィクションで もないからである。マテリアルはあくまでも事実であり、ヴィークル ( いれもの ) はあくまでも 小説である。もしそれぞれの話の中に何か奇妙な点や不自然な点があるとしたら、それは事実だ からである。読みとおすのにそれほどの我慢が必要なかったとすれば、それは小説だからであ る。 他人の話を聞けば聞くはど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々 はある種の無力感に捉われていくことになる。おりとはその無力感のことである。我々はどこに も行けないというのがこの無力感の本質だ。我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生 という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。 それはメリー・ ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回してい るだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない 隹をも抜 二二ロ

6. 回転木馬のデッド・ヒート

具合に長い道のりはどんどん細分化されてい 距離の細分化にあわせて、意志もまた細分化さ れる。つまり〈とにかくこの次の 5 メートルを、冰いでしまお、つ〉とい、つことだ。 5 メートル、水げ ば 400 メートルの距離は 1 一縮まることになる。そのように考えればこそ、彼は水の中である ときには嘔吐し肉を痙攣させながらも最後のメートルを全力で泳ぎきることができたのだ。 し 他の選手たちがいったいどのような思いを抱いてプールを往復していたのかはわからない。 かし彼にとってはその分割方式がいちばん性にあっていたし、またいちばんまっとうな考え方で あるように思えた。物事がどのように巨大に見え、それにたちむかう自分の意志がどのように微 トに見えても、それを〈 5 メートルぶん〉すっ片づけていくことは決して不可能ではないという 事実を、彼はメートル・プールの中で学んだ。人生にとっていちばん大事なことはきちんとし た形をとった認識なのだ。 だから肪回めの誕生日が目前に近づいてきた時、それを自分の人生の折りかえし点とすること に彼はまったくためらいを感しなかった。法えることなんて何ひとっとしてありはしない。間年 の半分の年、それくらいでいいじゃないかと彼は田 5 った。もしかりに間年を越えて生きること ができたとしたら、それはそれでありがたく生きればいし しかし公式には彼の人生は間年なの だ。間年をフルスピードで、冰ぐ そう決めてしまうのだ。そうすれば俺はこの人生をなんとか うまく乗り切っていけるに一いない。

7. 回転木馬のデッド・ヒート

ハウスの主人がやってき 彼女がコーヒーを飲み終えたあと、猫と遊んでいると、コーヒー て、「これからどこに行かれるのか ? と質問した。レーダーホーゼンを買いに来たのだ、と彼 女が言うと、主人はメモ用紙をとってきてその店の場所を地図に書いてくれた。 「どうもありがとう」と彼女は言った。 一人で旅をすることはなんて素晴しいのだろう、と丸石敷きの道を辿りながら彼女は思った。 考えてみればこれは彼女にとっては五十五年間の人生の中ではじめての一人旅なのだ。一人でド ィッを旅しているあいだ、彼女は淋しさや布さや退屈さを一度として感しることはなかった。全 ての風景が新鮮であり、全ての人々は親切だった。そしてそのような体験のひとつひとつが長い あいだ使われることなく彼女の肉体で眠っていた様々な種類の感情を呼び起こした。彼女がすっ とこれまで大事なものとして抱えて生きてきた多くのものごとーー夫や娘や家庭ーーーは今はもう 地球の裏側にあった。彼女はそれについて何ひとっ思い煩う必要はないのだ。 レーダーホーゼンの店は簡単にみつかった。ショーウインドウも派手な看板もない小さな古い 店だったが、ガラス窓から中をのぞくとレーダーホーゼンがすらりと並んでいるのが見えた。彼 女はドアを押して中に入った。 店の中では二人の老人が働いていた。一一人は小声で話をしながら布地の寸法をとったり、ノー トに何かを書きつけていたりした。カーテンで仕切られた店の奥はもっと広い作業場になってい るらしく、そちらからは単調なミシンの土日が聞こえた。

8. 回転木馬のデッド・ヒート

われる寿命ががになり、がになり 、 2 がになる。そんな具合に人生は一寸刻みに引き のばされていく。そしてある日、人は自分がもう歳になっていることに気づくのだ。という っこ、何人いるというのだ ? 人は 歳は折りかえし点としては遅すぎる。百まで生きた人間がいオし そのようにして、知らす知らすのうちに人生の折りかえし点を失っていくのだ。彼はそう田 5 っ 「一歳を過ぎた頃からその〈折りかえし点〉という考え方は自分の人生にと 0 て欠くべからざ る素 0 あるように彼は感しつづけてきた。自らを知るには自らの立「た場所の正確な位置をま す知るべきだというのが彼の考え方の基本だった。 あるいはそういった考え方には、彼が中学校に入ってから大学を卒業するまでの十年近くを ップクラスの水泳選手として送ったという事実も少なからす影響を与えていたかもしれない 水泳というスポーツには、たしかに区切りが必要だった。指先がプールの壁に触れる。それと同 時に彼はイルカのように水中で身を踊らせ、一瞬にして体の向きを変え、足の裏で思い切り壁を 蹴る。そして後半のメートルへと突入する。それがターンだ。 サ もし水泳競技にターンがなく、距離表示もなかったとしたら、 400 メートルを全力で泳ぎき 一るという乍業は救いのない暗黒の地獄であるにちがいない。ターンがあればこそ彼はその 4 0 0 メートルをふたつの部分に区切ることができるのだ。〈これで少くとも半分は済んだ〉と彼は田 5 AJ し、つ う。次にその 200 をまた半分に区切る。〈これで 3 一 4 は済んだ〉。そしてまた半分 :

9. 回転木馬のデッド・ヒート

そのせいかどうかはわからないけれど、彼女は独身だった。もちろんー・ーというのは多少大づ くりではあるにせよますますの美人だったからーーー何度か恋愛もしたし、結婚を申しこまれたこ ともあったし、彼女自身もその気になったこともあった。しかしいざ結婚という段になると、そ こに必す何かしらの思いも寄らない障害が生して、その話は立ち消えになってしまうのが常だっ 「運が悪いのよ」と妻は言った。 「そうだね」と僕も同意した。 しかし僕は全面的に妻の意見に同意したわけではなかった。たしかに人生のある種の部分は運 というものに支配されているかもしれない。そしてそれはまだらになった影のように我々の人生 しかしそれでももしそこに意志というものが存在するな の地表を暗く染めているかもしれない。 らーーーそしてそれが二十キロを走り、三キロを泳ぐことのできるはどの強固な意志であるならば 大抵のトラブルは便宜的な梯子のようなものを使って解決することができるはすだと僕は 田 5 った。彼女が結婚できないのはそうすることを彼女が心からは望んではいないからであろうと 僕は想像した。要するに結婚というものが彼女のエネルギーのはうき星の範囲内に、少くとも全 勺には含まれていないのだ。 そんなわけで彼女はエレクトーンの教師をつづけ、暇さえあればスポーツに励み、定期的に不 運な恋愛をした。

10. 回転木馬のデッド・ヒート

彼はソファーの上に寝そべったまま、その日の最初の煙草に火をつけた。 これが彼にとっての前半の人生、肪年ぶんのあちら側の人生だった。彼は求め、求めたものの 多くを手に入れた。努力もしたが、運もよかった。彼はやりがいのある仕事と高い年収と幸せな 家庭と若い恋人と頑丈な体と緑色のとクラシック・レコードのコレクションを持っていた。 相手はあるクラシックのコンサートで隣りの席に座ったことから知りあった九歳下の女性だっ た。彼女は美人ではなかったが、どこかしら男好きのするところがあった。一一人はコンサートの あとで酒を飲み、そして寝た。彼女は独身で旅行代理店に勤めていて、彼の他にもポーイフレン ドが何人かいた。彼の方にも彼女の方にも、お互いにこれ以上深入りするつもりはなかった。一一 人は一カ月に一度か一一度コンサート会場で待ちあわせ、そして寝た。妻の方はクラシック音楽に はまったく 興味を持たなかったので、彼のおだやかな浮気は露見することなく二年つづいてい 彼はその情事を通じてあるひとつの事実を学ぶことになった。驚いたことに、彼は既に陸的に 熟していたのである。彼は芻歳にして、歳の女が求めているものを過不足なくきちんと与える ことができるようになっていたのである。これは彼にとっての新しい発見だった。彼にはそれを 与えることができるのだ。どれだけ贅肉を落としたところで、彼はもう一一度と若者には戻れない のだ。