体 - みる会図書館


検索対象: 回転木馬のデッド・ヒート
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1. 回転木馬のデッド・ヒート

に入って床屋に行き、部屋をかたづけ、洗雇をしました。そして僕はだんだんもとの僕に戻っ いきました。あまりにも僕が簡単にもとの僕に一民ってしまったので、僕は自分・目身が信用でき くなってしまったくらいでした。本当の僕はいったい何なんだってね」 彼は笑って膝の上で両手の指を組んだ。 「一夏中僕は勉強しました。学校にあまり行かなかったせいで、僕の単位は風前の灯でした。 面の問題は休みあけに行われる前期試験で、僕は出席不足をカバーするためにはかなり良い成 を取らねばなりませんでした。僕は実家に帰って、はとんど何処にも出かけすに試験勉強をし、 した。そうしているうちに、僕はだんだん彼女のことを亡 5 れていきました。そして夏休みもは 1 んど終りになって、気がついてみると、僕はもう以前はどは彼女に夢中ではありませんでした」 「うまく説明できないんですが、のぞき見をすることによって、人は分裂的な傾向に陥るんじ ( ないかと僕は思うんです。あるいは拡大することによってと言った方が良いのかもしれませんは れどわ。つまりこういうことです。僕の望遠レンズの中で、彼女はふたつに分かれるんです。 女の体と彼女の行為にです。もちろん通常の世界では体が動くことによって行為が生します。 うですよね ? でも拡大された世界ではそうじゃないんです。彼女の体は彼女の体であり、彼 の行為は彼女の行為です。じっと見ていると、彼女の体はただ単にそこにあり、彼女の行為はみ のフレームの外側からやってくるような気がしてくるんです。そうすると彼女とはいったい か、と考えはじめるんです。行為が彼女なのか、あるいは体が彼女なのか ? そしてそのまん

2. 回転木馬のデッド・ヒート

僕がこの本に収められた一連のスケッチのようなものを書こうと思いたったのは、何年か前の 夏のことだった。そのときまで僕はこのような種類の文章を書きたいと思ったことは一度もな カったし、もし彼女が僕にその話をしてくれなかったら・ーー・そしてこういう話は月一三の題材とし て成立し得るものなのかどうかと質問しなかったとしたらー・ー僕はあるいはこの本を書いていな かったかもしれない。そういう意味ではマッチを擦ってくれたのは彼女だったということにな る。 しかし彼女がマッチを擦ってから、その火が僕の体に燃えうつるまでにかなり長い時間がか かった。僕の体についている導火線のうちのある種のものはひどく距離が長いのだ。ときにはそ れはあまりにも長すぎて、僕自身の行動規範や感情の平均的な寿命さえをも超えてしまうことが ある。そうなるとその火がやっと体に届いても、もはやそこには何の意味も見出せないというこ

3. 回転木馬のデッド・ヒート

女の子との関係が妙にこしれたせいで下宿を追いだされる羽目になって、それで友だちのア ートに転がりこむことになり、スキーもやらないくせにわけのわからないスキー仲間のグル プに受け入れられ、あげくのはてにどうにも好きになれない女の子に腕枕をしてやることになる なんて、考えるだけで気が滅入った。こんなことをしているべきではないのだと僕は田 5 った。で もだからといって何をすれば良いのかという段になると、僕にはそれはそれで何ひとっとして展 望がなかった。 眠るのをあきらめてもう一度目を開け、天井からぶらさがった蛍光灯をばんやり眺めている と、僕の左腕の上で彼女が体を動かした。でも彼女はそれで僕の左腕を解放してくれたわけでは なかった。逆に彼女はまるで僕の内側にすべりこむような格好で、僕の体にびったりと体をつけ てきた。彼女の耳が僕の鼻先にあり、消えかかった前夜のオーデコロンとかすかな汗の匂いがし のた。軽く折りまげられた彼女の脚が僕のももにかかっていた。寝息は前と同じように、安らかで め 規則的だった。あたたかい息が僕の喉にかかり、わき腹の上のあたりで彼女のやわらかな乳房が 、、皮女はジャージーのびったりしたシャツにフレア・スカートをは 女それにあわせて上下してした。彳 きいていたので、僕は彼女の体の線をはっきりと感しとることができた。 はそれはどうにも妙な具合だった。それが他の場合で、相手が他の女の子だったとしたら、僕は けっこうそういった立場を楽しむことができたんじゃないかと思う。でも彼女が相手ということ で、僕はひどく混乱していた。正直なところ、僕はそんな状況にいったいどんな風に対処すれば

4. 回転木馬のデッド・ヒート

はこびませんでした。僕にはもう彼女の生活をのぞかないでいることはできなくなっていたから ートの灯を見ていると、僕の体の中にはそれを です。野球場の向うに見えるばんやりとしたアハ 拡大して切り刻んでしまいたいという欲求がどんどん大きくなっていくのがわかりました。そし て、それを押えきることは僕の意志のカでは不可能でした。ちょうどロの中で舌がどんどんふく らんで、しまいには窒息してしまうのと同じようなかんじです。それはなんといえばいいのか、 セクシュアルな感情であり、それと同時に非セクシュアルな感情なんです。まるで液体みたいに 僕の中の暴力性が毛穴から浸みだしてくるようなそんなかんじなんです。そういうものを止める ことはたぶん誰にもできないんしゃないかと僕はいます。そんな暴力性が僕の体の中にひそん でいたなんてそれまで僕自身にも認識できなかったんです」 「そんなわけで、僕は押入れの中からまたカメラと望遠レンズと三脚をひつばりだして前と同じ ( し力なかったんです。そ ようにセットし、彼女の部屋を眺めつつけました。そうしないわけによ、、 れは、彼女の生活をのぞき見するというのは、既に僕の体の機能の一部みたいになっていまし た。だから目の悪い人が眼鏡を外すことができなくなるみたいに、映画に出てくる殺し屋が手も とから拳銃をはなせないみたいに、僕はカメラのファインダーが切りとる彼女の空間なしには生 活していくことができなくなっていたんです」 「当然のことながら、僕は世の中のその他のいろんなものごとに対する興味を少しすっ失ってい きました。学校にもクラブにもほとんど顔を出さないよ、つになりました。テニスとかハイクとか

5. 回転木馬のデッド・ヒート

誕生日の翌日は日曜日だった。彼は七時に目覚めると湯をわかして熱いコーヒーを作り、レタ スとキュウリのサラダを食べた。珍しく妻はまだぐっすり眠っていた。食事が済むと音楽を聴き ながら、彼は水泳部時代に叩きこまれたかなりハ ードな体操を分みっちりとやった。ぬるめの シャワーを浴び、髪を洗い、髭を剃る。そして長い時間をかけて念入りに歯を磨く。歯磨粉はほ んの少しにして、一本一本の歯の表と裏にゆっくりとプラシを走らせる。歯と歯のあいだの汚れ にはデンタル・フロスを使う。洗面所には彼のぶんだけで三種類もの歯プラシが並んでいる。特 定の癖がっかないように、ローテーションを組んで一回ごとに使いわけるのである。 サそういった朝の儀式をひととおり済ませてしまうと、彼はいつものようには近所の散歩にはで 一かけす、脱衣室の壁についた等身大の鏡の前に生まれたままの姿で立ち、自分の体をじっくりと 点検してみた。なにしろそれは後半の人生にとっての最初の朝なのだ。彼はあたかも医者が新生 児の体を調べあげるように、不思議な感動をもって自分の体の隅々までを眺めた。 思う。彼の話しぶりは正確で要を得ていたし、しかるべき部分では状況を刻明に描写することも できた。彼はそういったタイプの人間だった。 彼はある会員制のスポーツ・クラブのプールサイドにあるカフェテラスで、僕にこの話をし

6. 回転木馬のデッド・ヒート

、え、何も起らなかったわ。三人のドイツ人が和気あいあいと冗談を言いあっていただけ」 「じゃあ、どうしてお母さんはその三十分のあいだに離婚する決心ができたんだろう ? 」 「それは母親自身にもすっとわからなかったの。それで母もひどく混乱していたのね。母にわか ることは、そのレーダーホーゼンをはいた男をしっと見ているうちに父親に対する耐えがたいは どの嫌悪感が体の芯から泡のように湧きおこってきたということだけなの。彼女にはそれをどう することもできなかったの。その人はー・ーそのレーダーホーゼンをはいてくれた男の人は の色をべつにすれば、うちの父親と本当にそっくりの体型をしていたの。脚のかたちゃら、お腹 のかたちゃら、髪の薄くなり具合までね。そしてその人が新しいレーダーホーゼンをはいていか にも楽しそうに体をゆすって笑っていたの。母はその人の姿を見ているうちに自分の中でこれま で漠然としていたひとつの思いが少しすっ明確になり固まっていくのを感じることができたの。 ンそして母は自分がどれはど激しく夫を贈んでいるかということをはじめて知ったのよ」 一妻が買物から戻ってきて、彼女と一一人でおしゃべりを始めてからも、僕は一人ですっとその 一レーダーホーゼンのことを考えていた。三人で食事をとり、それから軽く酒を飲んだときも僕は まだそのことを考えつづけていた。 「それで、君はもうお母さんのことを憎んではいないの ? 」と僕は妻が席を立ったときを見はか

7. 回転木馬のデッド・ヒート

168 で、母親の方はかなりきちんとした会釈だった。しかしいすれにせよ、彼らの会釈から受ける印 象は同じような程度のものだった。それは会釈にはしまって会釈に終り、その先のどこにも行か なかった。 我々はホテルのダイニング・ルームでその親子ととなりあわせてもひとことも口をきかなかっ た。我々は我々二人のあいだの話をし、親子は親子のあいだの話をした。我々は子供を作るかど うかや、引越しゃ借金や仕事の将来のことなんかを話しあった一それは我々一一人にとって二十代 最後の夏だった。親子がどんなことを話しあっていたのかは僕にはわからない。彼らはだいたい が無ロだったし、ロを開いてもおそろしく声が小さかったのでーーーまるで読唇術でも使っている みたいだったーー・僕にはとてもその内容を聞きとることはできなかった。 それから彼らは実に静かに、割れものでも扱うみたいにそっと食事をした。ナイフやフォーク やスプーンの立日さえも、ほとんど聞こえなかった。ときどき彼らの一切はまばろしで、、つしろの テープルを振りかえってみると何もかもが消滅しているのではないかという気がするほどだっ 朝食を済ませると、我々は毎日アイスポックスを持ってビーチにでかけた。我々は体に日焼け オイルを塗って、ビーチマットに寝転んで体を焼いた。そしてそのあいだ僕はビールを飲みなが らカセット・テープ・プレイヤーでロー 丿ング・ストーンズだかマーヴィン・ゲイだかを聴き、

8. 回転木馬のデッド・ヒート

ヴェールだけは絶対に落とすことができない。年をかさねるにしたがってこれは決定的になっ くる。そして俺も父親と同じようにいっかは一一重顎になるだろう。結局はあきらめるしかない 腹についてはプラスとマイナスが六分四分というところだった。運動と計画的な食事のおか ~ で三年前に比べて腹は格段にしまっていた。にしては上出来だ。しかし脇腹から背中にかけ一 の贅肉は生半可な運動でそぎおとすことはできない。横を向くと、学生時代のまるでナイフで , 昔に比べれ ~ いだような腰のうしろの鋭い泉は硝え失せていた。陸器にはそれはど変化はない。 全体として生々しさが幾分減ったようでもあるが、それも気のせいかもしれない。セックスの「 妻とのあいだにもヰ 数はもちろん日はど多くはないが、今のところインポテントの経験はない。 的な一不はよ、。 全体として見れば身長 173 センチ、体重キロの彼の体はまわりにいる同年代の男たちの と比べてみれば比較にならぬはど若く保たれていた。歳といっても十分に通用するはどで + る。肉体的な瞬発力こそ衰えはしたが持久力に限っていえば、彼の肉体はトレーニングのせい 一一十代の当時より進歩さえしている。 しかし彼の注意深い目は自らの体をゆっくりと覆っていく宿命的な老いの影を見逃しはし った。頭の中のチェックリストにはっきりと刻みこまれたプラスとマイナスのバランス・シー トが何よりも雄弁にその事実を物語っていた。どれだけ他人の目をごまかせても、自分自身を )

9. 回転木馬のデッド・ヒート

ハンティング・ナイフ 173 暑さに我慢できなくなって顔をあげると、女の方は既に体を起こして、両手を膝にあてて空 + 見ていた。彼女も僕と同じようにたつぶりと汗をかいていた。小さな赤いビキニがむくんだ白、 肉にしつかりとくいこんでいて、丸い汗の玉が獲物にむらがる微小な虫のようにそのまわりを 4 おっていた。腹のまわりにはまるで土星の輪のように脂肪が付着し、手首や足首のくびれさえ が今にも消え失せようとしている。彼女は僕よりは幾つか上に見えた。もっともそれはどの差、 あるわけではない 二つか、せいぜい三つというくらいだろう。 女の太り具合には不健康な印象はなかった。顔だちも悪くない。ただ肉がっきすぎているだは なのだ。磁石が鉄粉を吸い寄せるように、脂肪がごく自然に彼女の体にまつわりついてくる ( だ。彼女の脂肪は耳のすぐ下からはしまり、なだらかなスロープを描いて肩に下り、そのまま のむくみへと直結していた。まるでミシュラン・タイヤの看板のタイヤ男みたいだった。彼女 ( そんな太り方は、僕に何かしら宿命的なものを想起させた。世の中に存在するあらゆる傾向は べて宿命的な病いなのだ。 「すごい暑さじゃない ? と向うの端から女が英語で僕に声をかけた。大抵の太った女がそう あるように、少し甘ったるいかんしのする高い声だった。低い声を出す太った女にはあまり会 ( たことかない。。 とうしてなのかわからない 「まったくね」と僕は返事をかえした。 「ねえ、今何時ごろかわかるかしら ? 」と女が訊ねた。

10. 回転木馬のデッド・ヒート

ポーイフレンドが方をつけてくれた。何人かの人々は彼女は将来その専門の分野で相当な成功・ 収めるだろうと信していた。その当時彼女の歩みを妨げるものは何ひとっとして存在しないよ、 に田 5 えた。一九七〇年か七一年か、そのあたりのことだ。 僕は変ないきかかりから一度だけ彼女を抱いたことがある。抱いたといってもセックスをし ~ ざこね わけではなくたオ 」単に物理的に抱いただけだ。要するに酔払って雑魚寝をしていて、気がっ たら隣りにたまたま彼女がいたというだけのことなのだ。よくある話だ。でも僕はその時のこ、 を今でも奇妙なくらいはっきりと覚えている。 僕が目をさましたのは夜中の三時で、ふと隣りを見ると、彼女は僕と同じひとつの毛布に まって気持よさそうに寝息をたてていた。それは六月のはしめで雑魚寝には絶好の季節だっ いくら若いとはいえ体の節々が痛′ が、敷布団なしにじかに畳の上に横になっていたせいで、 だ。おまけに彼女は僕の左腕を枕がわりにしていたから、体を動かそうにも動かせなくなって 1 まっていた。ひどく喉が乾いて気が狂いそうだったが頭を払いのけるわけにもいかないし、か」 ってそっと首を抱きあげてそのあいだに腕をどかせるというわけにもいかなかった。そんな一 とをしている最中に彼女が目をさまして、その結果僕の行為が変な風に誤解されでもしたら、 としてはたまったものではないからだ。 結局少し考えてから、僕は何もせすにしばらくのあいだ状況の変化を待っことにした。その、