子どもから不満をぶつけられる親の幸福 恩着せがましく、みじめさを誇示して、「どうして」症候群で、「あなたさえ幸せならば」 と訴えて、そして最後には「脅し」で育てれば、子どもは親のお気に入りに育っ可能性は ある。 たいきばんせい しかし志のある子には育たない。大きくは伸びない。大器晩成というが、そういう子は 大器にはなれない。優しい大人にはなれない。そういう子どもの、いには年寄りをいたわる 気持ちは育っていない。 そういう子どもは人生の最後には挫折する。それは大人になっても自分の意志がないか らである。他人への思いやりはないのに、他人の顔色ばかりを、つかがっている 7 挫折する人はどこかちが、つのか 182
人は、大人になってから、いつもビクビクしている。 母親が自分に顔を向けないことで、子どもは自分は他人にとって価値がない存在だと思 ってしまう。だから大人になっても人と会うといつも、つまらない人と思われないかとビ クビクしてしまうのである。 そして自分は他人にとって意味のない存在だから、人と会うと気が引けて自分のことを きちんと説明できない。自分の要求も一言えない。そういう人は人といると気が引けてすべ て譲ってしまう。 母親から顔を向けられていない子どもは、自分のことを自分で守るということもできな 、 0 母親が守ってくれることを通して子どもは自分で自分を守るということを覚えていく。 寒い日に外出するときに母親は襟元を暖める注意をする。子どもが薄着で出かけようと するのを追いかけて暖かい服を着せようとする。そういうことで自分の体を自分で守る姿 勢ができてくる。 マフラ 1 をきちんとするだけで体がホカホ力するが、そういうことをしてもらっていな いと、それをする心の姿勢ができていない。 暑さ寒さばかりでなく、小 さい頃、自分の体を守ることを教えられていない。だから自 分の体を自分で守るという発想そのものがない。寒いときに、自分を守るという工夫をし 214
つまり親は意識の上では子どもの幸せのために自己犠牲的に努力しているつもりでいる。 しかし無意識では、つまり実際には子どもを縛りつけておこうとしている それだけに始末が悪い。 オーストリアの精神科医べラン・ウルフの名言であるが、「人は相手の無意識に反応す 子どもは母親の無意識に反応する。 だからこの「あなたさえ幸せならお母さんはそれでいいの」と一言う母親の子どもは、い理 的に成長することにつまずく。 心理的に大人にはなれない 愛という名の支配 葉 る 縛 自分の心の葛藤を他人を巻き込んで解決しようとしている人は多い。その中に「あなた を どが幸せになるならお母さんはどうなったっていいわ」というような言葉を吐く母親はそう 子 いう人である。 識 意 こういう人は、楽をして、人のものを二倍取ろうとする人である。 無 「あなたが幸せになるならお母さんはどうなったっていいわ」と言う母親は子どもが自分 る」。 155
子育ての前に自分の心の葛藤を認め、それを解決しようとすることである。 親だって人間である。好きこのんで心の葛藤に苦しんでいるわけではない。そうなるに はそうなる歴史があってそうなっているのである。 だからそれを認めることである。 認めることと、その自分を責めることは違う。親だって、理想的ではない親に育てられ ているのである。 子どもができることを先回りしてはいけない ひ す 次も先に紹介した短文の訳本の中の一文である。 「子どもが散らかしたものを大人が片づけてはいけない。片づけるのは子どもの仕事」 や子どもができることを大人が先回りをしてはいけない。子どもは体験から学ぶ。子ども には子どもの責任がある。 ひ 大人は子どもに何かを教えて、得意になっているが、子どもが自分の体験から学ぶこと る には大人から学ぶことよりも多いかもしれない。 気 る 逆に大人は子どもから学ぶことが多いことを忘れないように。 や 107
その道のプロが教える 大人の教科書 裏ワザⅧの極意 国語の時間 知的生活追跡班冖編〕 大人の教科書編纂委員会冖編〕 〈メンサ〉 一大人の参考書 「天才—C. 」検定にチャレンジ ! リ「業界地図」がわかる ! ジョセフィン・フルトン シ大人の参考書編纂委員会〔編〕 なせか二緒にいてほっとする人」円六いま、生きるカ 0 のこころの習慣 斎藤茂太 の岡本敏子 プロカウンセラーが教える 版自分をどう愛するか 子どもの心をひらく魔法の会話出生活編〉幸せ。求め方 お父さんの協力が効果を高める 伊藤友宣 春遠藤周作 アジア怪楽園ですたこらさっさ 愛の倫理 女として自分を生ききる、女として愛しきる 旅の数だけ不運がはじける 内山安雄 瀬戸内寂聴 1200 円 1000 円 700 円 1100 円 1400 円 900 円 1300 円 1400 円
たち もっと質の悪い母親は「お母さんを困らせてうれしいの ? 」と子どもを責める。 「お母さんをわざと困らせているの ? ーとまでくればこれは明らかにいじめである。 さらにひどい母親がいる。最悪なのは「お母さん怖いー」と言う母親である。 これで子どもが大人になってノイロ 1 ゼにならなければ不思議である。 こうなれは「親が子どもに与える破壊的なメッセ 1 ジ」などという生やさしいものでは く、ハッキリとした「いじめ」である 方 こうした子どもはまた学校でもいじめられる。家でいじめられることに置れてしまって し 動いるからである。家でも学校でもいじめに抗議ができない。家でも学校でも戦わない。 る す こうして育てられた子どもは、非行には走らないが次第に生気を失って無表情な顔の子 になっていく ダ 方 夛行に走るほうは、煙草をスパスパ吸うお母さんの子どものほうである。こちらは母親 し かを非難して、攻撃できるからまだいい。 ( 註 ) ( 註燔 ) 交流分析の分野では「漫性的で定型化された不快感情」のことを「ラケット」という。 を このラケットはよく他人を操作するために使われる。これを使って育てられた子どもは ろ ノイロ 1 ゼになると私は思っている 簡単に一言えば男をあやつる女の涙である。 なま 119
観を子どもに教え込む。しかし子どもはリンゴである。しかし子どもは自分がリンゴだっ間 たら価値がないから周囲の人々に受け入れられないと思い込む。 そこで子どもは「もっと頑張ればミカンになれる、もう少し頑張ればミカンになれる と頑張るのである。その子どもは自分の行く先はミカンでなければならないと信じている。 そのような歪んだ価値観を信じなければ、今のままの状態でも悩みなどなくなる。 周囲の人も「もっと頑張れ、もっと頑張れ」と励ます。そして「もっと頑張れ、もっと 頑張れ」と励ますことを愛と錯覚している。そう錯覚して激励する大人達のなんとたくさ んいることか 中でも最も間違った励まし方は「あの子にだけは負けないで」である。このような励ま とくれい し方は鬱病者を生みだしやすい家族の特徴である競争心の督励である。 たいたい大学生くらいまできて無気力になってしまう人とか、ビジネスマンまでエリー トコースに乗って頑張ってきたが、最後には鬱病になってしまう人は、親子共々劣等感が 深刻で、「あの子にだけは負けるな。頑張れ、頑張れーと生きてきたのである。 こういう人達は真面目である。仕事熱心でもある。しかし私的なっき合いでは真面目よ り誠実が大切なことを教わってこなかった。だから消耗しきって倒れたときには周りに親 しい人かいない。 ゆが
このタイプの母親は自分が何と言われてもかまわない。子どもがまともな人間になって れればい、。 したがって、ときには「うちの子に限ってそんなことは絶対しないーと言うことが母親 の役目である。 では後の「尊敬してください」ということはどういう意味であろうか これは「子どもだからーと、 しいかげんに扱わないでほしいということである。 子どもの料理と大人の料理は違う。「尊敬してください」ということは、同じものを作 方 えってくれとい、つことではない。 一ム 既大人の料理を作るのと同じような情熱で子どもの料理を作ってくれということである。 大人の料理を作るときと同じエネルギーを使ってくれということである。同じ気持ちで作 る ってくれということである。 て 「子どもだからインスタントでいいや」という考え方はやめてくれということである。 カ る " 今日の変化。に気づく 生 『 asIgrowJ という題のついた詩の中からいくつかを紹介したい。 197
髄まで染み込んでいる。 愛されなければ、大人になっても、わがままでどうしようもない小さい子どもと同じ幼 ーノ性か骨の髄まで染み込んでいる 十分に子どもの頃に遊ばなければ体の中からその欲求は消えない。 愛されもせす、厳しくしつけられもせす、十分に遊びもしない人は、肉体的に大人にな っても心理的には無責任な子どものままなのである。それを大人という表紙で包んである 言だけである。中味は甘え切った無責任な依存心の強い子どもなのである。 ひ さてその子どもが父親になり、母親になってしまった。それで「与える喜び」といって す パも、とてもとても無理な相談である。だから子育てはうまくいかないで当たり前なのであ 気る や子育てがうまくいっている人が、自漫して他の人を非難する資格があるとも私は思えな 子育てに失敗した人を責める前に自分の幸せな過去に感謝すべきであろう。 ひ だからといって、子育てに失敗した人は堂々としていいというのではない。 る やはり自分は親の資格がなかったと反省してしかるべきであろう。 気 る もし十二歳で結婚して父親になった人がいれば周囲の人はどう言うだろう。「かわいそ や 、つに、まだ遊びたい時期なのに」と言うのではなかろうか 、 0 113
、 0 話こ花が咲くという類の会話はできなくなる。 これは大人になってみれば大変な問題である。小さい頃、母親や父親と会話を楽しめな い人は、大学生になると恥ずかしがり屋の人になるということは、すでに子育てシリーズ 一冊目の『子どもを幸福にする愛辛くする愛』 ( 青春出版社刊 ) で説明していることであ 会話を楽しめるか、楽しめないかは人格の問題でもある。何気ない会話ができるという ことは、教授と学生というような、あるいは上司と部下というようなお互いの役割がない 育人格的な関係を楽しめるかどうかということである。 小さい頃、親との楽しい会話で刺激される脳の機能は大変なものだと私は思う。これが い刺激されて発達していないと、苦労して話題を見つけながらでないと会話が続かないよう れな人間になってしまう。感情表現の不自然な人になるのではないか。 自然な感情表現ができずに、大げさな感情表現になったり、逆に無口になったりする。 会 小さい頃親と安心して会話を楽しめないと、子どもは大人になって自閉的傾向が出るの 親ではないかと私は思う。つまり『子どもを幸福にする愛辛くする愛』で述べた恥すかし 楽かり屋の人になるとい、つことはそ、つい、つことである 自閉的という言葉がきつければ、小さい頃親と楽しい会話ができなかった子どもは大人 233