家族を愛しているから家族を維持するための労働は喜びであり、それが喜びであるから、 家族は幸せになれる。家族を愛していないならば家族を維持するための労働は苦痛であり、 それが苦痛であるから、家族は不幸せになる。 しかし、今の日本の多くの母親はこのような心理状態になっていないように見受けられ る。そして子どもの側から考えても現代は母親がいなくても生きていかれるようになって しまった。 ファミリーレストランに一丁ナよい、し、コンビニに一丁けよ、、。 「もっと伸ばそう」と欲を出さないこと もう一つスズカケの木が教えていることがある。 母親は「何となくうちの子どもたち、できが悪くてしようがないわ」と不満になること がある。しかしそのできが悪くてしよ、つがない子どもがいるから何となく家には安らぎが あるという場合もある。 安らぎというのはあえて、「私が安らぎを与えているーと感じさせないところから生ま れている。木陰を通してイソップはそのことを言っているのであろう。 木陰から得ている安らぎを旅人は気がついていない。それが本当の安らぎである。
力しようということである。そこから本当の親子関係が始まる これは親子ばかりではなく友人についても同じことである。自分が人と心のふれあえな い人間なら自分を変えなければ優しい友人も逃げていく。友人も淋しいのだから心のふれ あいを求める。 ありのままの現実の自分を認めない人は幸せになれない。幸せとはあるがままの自分を 愛せることである。実際の自分とはあなたの顔であり、あなたの能力であり、あなたの体 ヾ、、 0 である。「あるがまま」が許される、それが幸せである。失敗しても、それてしし 関係もお互いに嘘がない 相手に不満だからお互いに自分の本音を言わない。自分に対しても人に対しても、本音 を言わなくなったら幸せとはほど遠い。 いくらお金があって社会的地位があっても、本音のつき合いができない人は不幸である。 「今の自分でいいんだ」という無理のなさが幸せを呼ぶ。社会的な成功は能力かもしれな いが、幸せは「今の自分でいいんだ」という無理のない気持ちにある。そしてそうした幸 せが続けば人は活力を得る。 自分を認める、相手を認める、それが幸せである。成功は日々の生き方の積み重ねによ ってもたらされるものである。幸福は「いい よ、それで」という気持ちがもたらしてくれ 116
さえ幸せならお母さんはそれでいいのーという強度の依存性について説明したい。 「あなたさえ幸せならお母さんはそれでいいの」 これは愛情の言葉ではない、フロムの言う好意的サディズムの言葉である。 この母親の言葉は表面的な意味は別にして、本質的には「私を幸せにして」という子ど もへの要求である。 そしてこれは子どもに対して、「あなたはこんなよい母親をもって自分を幸せと思え」 という強制でもある。明らかに相手の心の自由を奪うものである。 だからこの言葉は子どもには重く感じられる。この言葉は子どもにはやりきれない の言葉を聞くと生きる気力を失う。そして大人になると周囲の人に敵意を持つようになる。 言それはこう言われて母親から子どもはいじめられているのだから、敵意を持っておかし る 縛 は学ない 0 を この言葉を一一一口う母親の心理と恩着せがましさの心理は深くかかわっている 子 まさに「支配の意図。と「自己不在」が共通である。両者共に相手を自分の思うように 操作しようとしている。まさに隠された「支配の意図」を持っている そして両者共に自分がない。自分で幸せになる力がない。幼児の頃の強度の依存性を残
会 ところで心の葛藤を持った親から強く優れていることを期待された子どもを考えてみよ う。この子どもは自分が強く優れていなければ見捨てられると思い、当然不安になる。下 手をすれば家から放り出さられると思う。 実際に見捨てられるという不安を持たないまでも、親の愛を失うという根源的な不安を 持ってしま、つ。 つまり当たり前であるが、強く優れていることを期待されるだけで子どもは志のある子 に育つわけではない。逆に無気力になる場合もある。いやそのほうが多い。 む 育 強く優れていることは結果であって、それを目的にするとかえって結果は逆になる。愛 を され、守られて子どもは結果として強くなる。 の よく幸せは結果であるという。何かを一生懸命するときに結果として幸せになるので、 あ れ 幸せそのものを目的にして生きると幸せは逃げていくという ふ それはちょうど手のひらの鳥はつかもうとすると逃げていくのと同じだと言われる。 話 志のある子になるのも幸せになるのも結果である の 子 親 志のある子になるのは楽しい親子の会話を持った結果である。 きつもん し 母親から「誰と遊んだ ? 」と検察官のように詰問されたら、恐ろしい。そして「〇〇君 楽 川と遊んだ」と答えるような会話は、子どもの心を成長させるような会話ではない。 へ 231
つまり親は意識の上では子どもの幸せのために自己犠牲的に努力しているつもりでいる。 しかし無意識では、つまり実際には子どもを縛りつけておこうとしている それだけに始末が悪い。 オーストリアの精神科医べラン・ウルフの名言であるが、「人は相手の無意識に反応す 子どもは母親の無意識に反応する。 だからこの「あなたさえ幸せならお母さんはそれでいいの」と一言う母親の子どもは、い理 的に成長することにつまずく。 心理的に大人にはなれない 愛という名の支配 葉 る 縛 自分の心の葛藤を他人を巻き込んで解決しようとしている人は多い。その中に「あなた を どが幸せになるならお母さんはどうなったっていいわ」というような言葉を吐く母親はそう 子 いう人である。 識 意 こういう人は、楽をして、人のものを二倍取ろうとする人である。 無 「あなたが幸せになるならお母さんはどうなったっていいわ」と言う母親は子どもが自分 る」。 155
「子どものために」と言わなくてすむ方法 この僧侶と同じように、母親は息子のために掃除、洗濯、料理に精を出す。母親はこう して自分を売り込んでいる。そして学校から帰る子どもをいつも待っている。母親は自分 のコートを買わないでも子どものコートを買う。母親は自分を立派な人に見せている。 そして言、つ。 ( 註 ) 「あなたが幸せなら、私はそれで幸せ」と。 何歳になっても心理的に大人になれないピータ 1 ハン症候群の若者を生み出す母親は ( 註 ) 「あなたが幸せになるならお母さんはどうなったっていいわ」と言うと著者のダン・カイ リーは一一一口、つ しかし子どもは母親の孤独と不幸を感じる。そして母親が自分を拒否したのには十分な ( 註幻 ) 理由があると思、つと一一一口、つ。 親も子どももお互いへの不満を抑圧している。したがって親も子どもも不幸である。 「あなたが幸せになるならお母さんはど、つなってもいし という言葉は、裏を返せば「い いわ、私さえ悪者になればい、 しのよねーとか「お母さんがいけないのねーとか「私ってバ 158
まで、すべてはこの母親の心の底にある空虚感や不安や恐怖や依存性や自己無価値感等々 から出た言葉である。これらの言葉は、それらを意識するのを防ぐための言葉である。 それらの心理を認めないままで、自分を立派な母親と子どもに認めさせようとする言葉 である。つまりは不安や恐怖の合理化である。 「あなたさえ幸せになってくれればいいの」、こう言われたら子どもは何とも一言えない 非抑制型の子どもはものを投げるかもしれないが、抑制型の子どもは反論できないで 無言になるしかない。 親が与える愛と子どもが求める愛 「あなたさえ幸せなら、お母さんはどうなってもいい」ということは、実は、「私は本当 葉 にしたいことかない」とい、つことを表している 縛「あなたが幸せなら、お母さんはどうなってもいい」と言っているときにこの母親は自分 の無意識に気がついていない。無意識だから気がついていないのは当たり前であるがこ 子 の母親はこう言っているときに、自分のしていることに気がついていない。自分がわかっ 噫ていないとい、つことは自分のしていることがわかっていないとい、つことである。 自分は素晴らしいことをしているつもりで、実は相手を殴っている。自分の中の衝動を
している。 「私はどうだっていいの」と言う人は決して「どうだってよくない」。本当にどうだって いいのなら「私はどうだっていいのーとは言わない。 「私はどうだっていいの」と一一一一口うときには、その人は決して相手の自由を許さない。「私 はどうだっていいのーという一言葉に隠されたメッセージは、「私の期待通りにしろ」であ る。 「私はどっちでもいいんですが、皆さんが : と一一一口、つときには、そ、つ一一一口っている人が とい、つとかタタい。 「どっちでもよくない」。そして皆さんのほうが「どっちでもいし 父親が「俺はどうだっていいんだ。おまえが幸せになるかどうかを俺は考えているのだ」 と息子に言ったときに、息子が「じゃー、勉強やめます」と言えば、父親はパニックにな る。 父親が「俺はどうだっていいんだ。おまえのことを考えているのだ」と子どもに言った ときには、父親は子どものことを考えていない。自分の幸せを考えている。 子どもが早く家を出たくなる言葉 もちろん子どもを縛る言葉「あなたさえ幸せならそれでいいのー「私はどうだっていし 152
「さ 1 、今日も頑張って働くか」と央活に言う父親の姿を見て、子どもも前向きな気持ち鬨 になる。生きるエネルギーも子どもに湧いてくる 生きる力は子どもの頃に接する人によって違ってくる。 いつも親から「イヤだなー」とか「おまえさえいなければ」と言われていたら、子ども は自分をイヤな人間と思ってしまうだろう。 責任転嫁という言葉がある。この恩着せがましさは責任転嫁よりも、もっとひどい。責 任を相手に転嫁しながらも、さらにその相手に感謝を要求しているのである。 恩着せがましさとは逆の言い方が、子どもに生きるエネルギーを与える。生きるエネル ギーとは逆境を乗り切る力である。 恩着せがましさとは逆に「あなたがいるから幸せ」と言ってくれる親がいて子どもは心 理的に成長できる。 直接そういう一一一口葉を一言うというのではなく、「あなたがいるから幸せ」と感じている親 かいるから、落ち込みそうになっても子どもは頑張れる。 恩着せがましい父親は最低の父親と教育学者のニールは言うが、「あなたがいるから不 幸せ」と一言う親は子どもから生きる力を奪っている。 てんか
「いいなー」と思うときには「いいなー」と田 5 う陰に自分達のカ以上の何かがある これをもっとよくしようと思ったときには悪い事柄が起きてしまう。一時のこの凉しさ とか、この清涼感が安らぎであり、幸せなのである。 毎日の生活の中で「ああ、平凡だけれども、でもまあまあ幸せなんじゃないの ? ーとい うときには、それ以上を求めないことである。そしてその平凡な幸せを支えているものは 何かを、もう一度見つめてみることが大事なのである。 案外それができの悪い子どもであることもある。 ひ 今、「この子どもはこんなに優しい子」だと思っている母親もいるだろう。しかしつい す 「もっと成績を伸ばしてやろう」と欲を出してしまう。 気するとプレッシャ 1 でその子の優しさはいっか消えてしまうことが多い。 る や 気がついたときには優しさもなく、成績がよい子どもでもなく、本当のただのできの悪 言い子になってしまっている。 ひ る 「この子はこんなに優しいんだからーあるいは「この子はこんなに成績がいいのだから あるいは「この子は本当にのんびりして、素直だから」などどれであってもいい。 気 る ればそれ以上は求めない。 や スズカケの木の木陰に休みながらスズカケの木に文句を言わない。 一つあ 101