者は、愛されたいという過度な欲望の持ち主であるが、愛する気持ちはあまりない 「彼川 らは、絶えす自分や自分の問題で頭がいつばいだから、人の面倒を見るだけの時間やエネ ルギーもないし、そうする気持ちもない」とエリスは述べているが、その通りである。 与える喜びがある子育て しかし与える喜びがなければ子育ては困難だけになってしまう。与える喜びがあれば子 育ての困難に打ち勝てる。その喜びがなければ、子育ては辛いだけの仕事になる。 しかし、愛することができるためには愛されることの欲求が満たされていなければなら ない。子どもから親になるということは「愛」と聞いたときに、愛されることではなく、 愛することをイメージするような人間に心理的に成長していなければならない。 ( 註ロ ) 愛する能力かないうちに親になるということはものすごいことである。マズローの言葉 を使えば、欠乏動機が激しいときから成長動機にしたがって行動しろという命令と同じな のである。 欠乏動機とは、マズローによれば「安全、所属、親密な愛情関係などの基本的欲求が欠 乏しているときに、それを満たそうとする動機である」。それに対して成長動機とは、「基 本的欲求が満たされ、自己実現への欲求に動かされることである」。
こころを育てるのに一番大切なこと 子どもの心を育てるのに大切なのは、親が子どものすることに対し恩に着ることである。 子どもが何かをしたときに「ありがとう、助かるわー」と母親が言うことで子どもは満足 する。そしてさらに「やる気」になる。 子どもが家の手伝いをした。そのときに「そんなことよりも勉強をして」と母親が言っ たとしたら、子どもはまず「やる気」をなくす。 それだけに親が子どもに恩着せがましいのは子どもの心を破壊する。恩に着せることで 成長できるのに、恩に着せられるのだから心理的に成長できないのは当たり前である。成 長できないばかりでなく、生きる力を失う。何かをやろうとする意欲を失う。 子どもの心を育てるのに大切なのは、子どもがしたことに親が恩に着ることである。 やる気になるひと言、やる気をなくすひと言
「助けてくれ」と言うことは親への簡単な要求のようだけれど、親自身が心理的に成長し ていないと子どもを助けられなし 、。心に葛藤がある親にはそれが難しい。 「親が期待する人間になる」ことを「子ども自身がなりたい人間になる」ことと親が思い 込んでしまう。 心に葛藤がある親は自分が子どもと一緒にいたければ、子どもが自分と一緒にいたいと いう気持ちは認知できる。しかし自分が子どもと一緒にいたくないときには、子どもが一 緒にいたいという気持ちは認知できない。 同じように、「親が期待する人間と「子どもがなりたい人間ーとが一致するときには、 子どもの気持ちは認知できる。 ところで、子どもが「こうなりたい とはっきりと望んでいる場合には、それを助ける ことは難しくない。 ことに心理的に成長している親の場合には。 ところが子ども自身が何を望んでいるかがわからなくなっているときには、それにどう 対処していいか親にもわからないことが多い 子ども自身も自分が何になりたいかがわからなくなっているとき、子どもが何を望んで いるかを親が知ることは難しい。子育てで最も困難な時期である。
しい会話のできる子に育っていくだろう。 家事を " 技術。ではなく " 、と考える 最近家庭の仕事がつまらないと言う女性が多くなっている。たぶん子どもが嫌いな母親 である。 そういう母親は料理を作るときに「たかが料理」と思う母親なのだろう。「たかが料理ー と思う人は料理の進歩がない しかし子どもにとって、母親がどういう気持ちゃ態度で料理を作るかで料理は違う。料 理をコミュニケーションと感じている母親もいる。 料理を技術と考えるか、心と考えるかは大切なことである。 母の料理なら安心と感じる子どもは日々心理的に成長するであろう。有名料亭のおいし い料理で子どもは成長するのではない。 子どもが病気になったときに、有名料亭の料理と母親の料理とどちらを食べたがるだろ うか。青年になって外国に留学してホームシックになったときに、どちらの料理で元気が 回復するだろ、つか 優しい母親の努力の一つはコミュニケーションである。そのコミュニケーションのため 212
む。あるいは歳をとって気がついたら誰も自分の周囲には人がいなかったという場合は、 今まで周囲にいた人を限むに違いない。 「あんなに子どものために働いて生きてきたのに」と成長した子どもの態度を嘆いている 母親が今の日本には何と多いことか。あるいは退職して「部下のために頑張ってきたのに、 冷たい」と昔の部下の態度を恨んでいる年寄りの何と多いことか それらの人たちも実は自分の世界があれば、嘆き悲しんだり、人を恨んだりすることは なかったのである。 言 たち ひ もし質の悪い人にしか出会えなかったとしても「自分が今この人達をこうして助けてい す ても、自分が歳をとったときにこの人達が自分を助けることはできない」とわかるからで 気ある。 やそして「自分の世界」を持てばよかったのである。そうしたら自分を取り巻く人間関係 言は変わっていた。 ひ る 「自分の世界」を持って生きれば人に対する恨みはずっと少なくなる。自分も「自分の世 界」で生きてきたのだから人を許せる。 気 る 実は「あんなに子どものために働いて生きてきたのに」と成長した子どもの態度を嘆い や ている母親は、「自分の世界」を持てない女性だったのである。
挫折したときに「あー、きれいになりたいとばかり思って自分のためにお金を使って、自 分はなんてことをしたのか」と素直に反省できる。しかしこの母親は自分のためにお金を 使っているわけではない。子どものためにお金を使っているのである。 自分は努力したけど、それでも子どもの求めているものを与えられなかったのだとわか らない限り、今度は子どもを責めだす。「私がこんなに苦労をしているのにという恨み である。 子どもが求めていたのは父親と母親の関心であった。親から積極的に関心を持たれるこ とであった。母親がパ ートで働いて塾の授業料を払ってくれることではなかった。父親が 豸サラリー マンになって働いて家を経済的に支えてくれることではなかった。 もちろんそうしたことをしなければ、また子どもは親に不満を持つ。どちらにしたって 言子どもは親に不満や憎しみを持つのである。子どもが完全に満足する親など実際にはいな 、 0 を どそして多くの場合にはトラブルがありながら子どもは成長していく。親子の間のトラブ 子 ルは成長の過程である。多くの子どもは親とぶつかりながら、普通の市民になっていく。 意 しかし中には本当に、い理的におかしくなる五歳児の大人やピータ 1 ハン人間もいる。そ 無 の場合には、「あなたさえ幸せならそれでいいの」と言う母親は子どもにとっては通常の
子どもをうまくほめるコッ 子どもをうまくほめる秘訣は、「真剣さ」と「繰り返し」。 これで子どもはエネルギーが湧き、志のある子に成長していく。 ある問題のある子がいた。家庭では手に負えなくなっていた。 その子どもが先生とある部屋で遊んでいる。 その子はバスの運転手。 先生はバス停でバスを待っているお客さん。 8 生きる力がわいてくる聞き方、伝え方 190
プロローグでは少し厳しいことを書いたが、実は子育てはうまくいかなくてよい。 人間だからそう理想の子育てはできない。大切なのは実際の自分の姿に気づくことである。 自分は決して今立派なことをしているのではなく、いじめているのだと知ればよい。 よい子育てをする母親は素晴らしい芸術家である。 子どもを作ることは芸術作品を作ることである。子育ては最高の芸術活動である。 自然を相手にした親の生きざまが子どもという存在に表れる。子どもはその家の文化に ふれて成長する。 その人の子ども時代からの歴史が、その人である。 母親が懸命に働いても子どもはまともに育たなかったのであれば、今現在失敗している あとがを」 244
子どもの態度が不満だから出る親の言い方 フロイデンバーガーは燃えっき症候群の人を育てる親は「どうしてもっと誰それのよう ( 註 ) になれないのよ ? 症候群の人だと言う。 たとえば親戚中の誉れの叔父さんがいるとする。すると母親は子どもに「どうして叔父 さんのようになれないの ? 」と言うが、母親だってその叔父さんのようにはできない。 ( 註 ) 成長する子どもの落とし穴は「親族の英雄」である。 言母親が「どうして : : : 」と言ったときには、たいてい非現実的なほど高い基準を子ども に課している。 の 「どうしてできないの ? 」という言い方は意地悪な言い方である。子どもの態度に不満に なっている で そして「どうしてできないの症候群」になる。 「どうして勉強できないの ? 「どうしてこれくらいのことがわからないの ? と言うと あ て きの母親は意地悪な気持ちになっている。 し だから子どももその母親の無意識にある悪意に反応して、素直になれないのである。 「どうして」と言う心理は、「支配の意図と自己不在」である。自分の意志のある人は盟
っても常におびえている。「自分は悪くないーといつもそれを主張しなければ生きていけ 何かにつけて「おまえのせいだ」と責められて成長してきているのだから、いつもびく びくしている 言かか何かを一言えば、それは自分を責めていると感じてしまう。そうなれば人が何を言 おうとすぐに自分は悪くないと言いたくなる。あるいはいつも相手に迎合していなければ 怖くて仕方ない 葉 言 普通の会話はなかなかできない。「それを取って」と食事のときに言われても、「どうし て取ってくれないんだ」と責められていると感じてしまう。 の 相手に対してとんちんかんな対応をする人は、いっ責められるかと怖くてしようがない のである。そのことばかりが気になって相手が何を望んでいるかがわからない。そして相 で 手が望んでいることと違ったことをしてしまう。一生懸命なわりには的はずれなことばか りしている あ て し こういう人の中には、責められていないのに責められていると錯覚して怒り出す人もい どる。「ここまで一生懸命しているのに、何で責められるんだ」という怒りである。自分を 守るために場違いなことを言い出す。 139