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検索対象: 救いの思想大乗仏教
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1. 救いの思想大乗仏教

ブッダは突きはなす に記載され、一般にもよく知られている。しかし、この説では説明かっかないことかいく つもあることが現在分かっている。 ますひとつは、仏像が生まれたとされる一世紀頃には、ガンダーラにおいてギリシア人 が活発に活動した形跡がほとんどないことである。アレクサンダーのインド遠征は紀元前 三二五年。仏像が誕生したのを紀元五〇年とすると、その間に四〇〇年近い隔たりがあ る。アレクサンダーの率いたギリシア軍の一部は、確かにヒンドウークシュの北、現在の アフガニスタン北部に王国 ( グレコ日バクトリア王国 ) を作っているが、紀元前一四〇年頃には それも崩壊し、以後目立った活動はない。亡国のギリシア人がヒンドウークシュを越えて ガンダーラに移り住み、仏教に出会ったというのはロマンチックかもしれないが、何千体 何万体という仏像を何世紀にもわたって生みだしたガンダーラ仏教文化の担い手としては あまりに線が細い。 フーシェ説で説明がっかないもうひとつは、ガンダーラとはば同じ時期、マトウラーで イ像か誕生していることである。マトウラーの仏像はガンダーラ仏とは様式が違う。彫り ギリシア調の顔立ちを持っガンの深いギリシア神像風ではなく、伝統的なインド彫刻の流れをくんだ全く別種の作風であ ダーラの仏像 る。石質の違いもあるが、ガンダーラ仏は緑色や暗灰色といった寒色系の落ちついた仏像 か多い。見る人を深い瞑想にいざなうタイプのブッダである。対してマトウラーでは、赤 い砂岩に、肉付きがよく、力感のある、見ていると元気が出るようなブッダを刻んでいる。 このマトウラー仏の誕生にギリシア人が関したとは到底考えにくいのである。 ギリシア人ではないとしたら誰か ~ フーシェ以後、さまざまな学説が提出されたが決 を

2. 救いの思想大乗仏教

千手観音像 観音菩薩のいる風景 自らの身分をおとしめてまでしてこの世に現れる救済者、という最強の意味になる。 ースターとして生み出されたのである。 まさに観音菩薩は究極の、現世救済のスー 観音菩薩の変身 さらに重要なのは、観音菩薩が、数ある「菩薩」たちの中でも唯一、その姿形を自山に変 身できる性格がえられていることである。『法華経』によれば、観音菩薩は、救いを求め る人に最も適した姿をとって現れるとされる。仏の姿はもちろんのこと、ヒンドウー教ゅ かりの神々、長者や役人、僧や尼僧、在家の男女信者、婦人や子供などなど、その姿は三 十三にも及ぶ。この自在な変身は、相手によって臨機応変に説法を変えたとされるゴータ マ・ブッダのセラピー・対機説法の伝統を受け継いでいるようにも思える 定型を持たない観音菩薩は、それゆえ歴史の中でも増殖し続ける。私たちは今でも多く の、時には名もない寺でさまざまな姿をした観音菩薩に出会うことができる。千本の手を 持っとされる千手観音、十一面観音、憤怒の表情を浮かべる馬頭観音。すべての人々に救い をえるためには二本の手だけでは足りない。あまねく世界を見渡すためにはひとつの顔 では足りないド き分けのない者どもには厳しい怒りの表情を向けて叱りつけ救い出すこ ともあるだろう。人々の想像力の数だけ、救いの数だけ、観音菩薩は彫られ、刻まれた。 インドから中国へ、観音菩薩の旅は続いた。本来、性別などない存在ではあるが、イン ドにおいて男性名詞として登場した観音菩薩は、中国大陸に至って劇的な変身を遂げてゆ 私たちが中国の村々で出会った観音像は、ほとんどすべて女性の姿をとっていた。こ れは長い歴史の中で中国の人々が、あるいは自分の母親や身近な女性の中に、より多く観 149

3. 救いの思想大乗仏教

観音像に鏡を向ける人々 観音菩薩のいる風景 像」建立は、最も改革開放が進む中国沿海部で行われた最大のイベントであった。 立錐の余地もないはど式典会場を埋めつくした人々は、手に手に鏡を持ち、争うように それを高くかざして金箔に輝く観音像に向けていた。聞けば、そうすることで観音菩薩の 霊力を吸収し、ご利益にあずかることかできるのだという 「私たちは台湾から来た一番大きな在家仏教団体のツアーです。二五〇人いますが、合わ せて二六〇〇万台湾ドル ( 一億円強 ) の寄進をこの観音像建立のためにしてきました」 観音菩薩はどういう存在ですか。なぜ、それほどたくさんの寄進を行うのですか 「観音菩薩は慈悲の仏様、現世利益の菩薩です。健康や財運、家内安全をもたらし、私た ちをいつも見守り救ってくださいます。観音菩薩がいることで、私たちは安心します」 誇らしげに語る男性信者。さまざまな参加者のインタビューを聞いていくうち、私は、 不思議な思いにとらわれはじめていた。ここでは、仏教の祖ともいうべきゴータマ・ブッ ダの存在感が希薄なのである。仏教発祥の地・インドから遠く離れた「東アジアーの島で、 仏教は観音菩薩への熱狂的な信仰に姿を変えていた。 観音信仰の広がり 巨大な観音像は、突如、この島に出現したわけではない。普陀山は古くから中国四大聖 地・観音菩薩の聖地としての歴史を持つ。 けごん にゆうほっかいぼん 普陀山の「普陀」とは、経典『華厳経』「入法界品 . に観音菩薩の住処として記される「補 だらかせん 陀洛迦山」に由来していると考えられる。四方を海で囲まれたインド南海上の小島が観音 ふだらか 菩薩の住む楽上とされ、「ポータラカ」と呼ばれた。その音写が「補陀洛迦」である

4. 救いの思想大乗仏教

も」法華経普門品部分 ( 壁 南壁盛唐 観音菩薩像 ( 絹本著色 ) ニューテリー国立博物館蔵 敦煌は中国から西域への出入口に位置し、前などの説話図が好まれ、隋・唐以降は法華経変ドラマかさまざまに繰り広げられたが、他の探 漢時代に政治的進出拠点として敦煌郡が置かれ相図や浄土変相図など、経変画といわれる仏典検隊に先んじていち早く行動を起こしたのはス タインである。彼はここから多くの古写本、仏 てより、東西をつなぐ交通の要衝として繁宋しの経意を表した大乗仏教の主題が流行する。 た。敦煌には有名な莫高窟のほかに、安西楡林仏像は彩色塑像が一貫して造られ続けるが、画類を持ち出すことに成功する。例えば、阿弥 窟、西千仏洞などの石窟寺院がある。 初期のものは様式的にインド・ガンダーラ、お陀浄土図や薬師浄土図などの各種浄土図、千手 敦煌を代表するのは、なんと言っても莫高窟よび西域の仏教造像の影響が強い。第一一七五窟千眼観音、十一面観音などの観音菩薩像といっ である。壁画の主題は各時代の信仰を反映しての本尊交脚弥勒菩薩坐像は、その典型的な作例た仏画類て、その主題は多岐にわたる。時代的 にはハ世紀から九世紀にかけての優品が多い。 変化していくが、大略的にいえば、北朝期にはである。 小乗的色彩が強い仏伝図、本生図、譬喩説話図蔵経洞 ( 第一七窟 ) 発見に際し、各国探検隊の シルクロードの仏教美術 105

5. 救いの思想大乗仏教

その「ある場所」とは、実体化した死とも実体化し ・親鸞の死のとらえ方 た浄土とも違う場所です。親鸞はその場所を仏教用 人間は死ぬとき、どういう死に方をするか、知る 語で「正定衆の位」と言っています。 ことはできません。当たり前のことですが、親鸞は 比喩でいえば、王様や天皇になる前の皇太子のよ 仏教者として初めてそういうことを言っています。 うなもので、皇太子になれば、次は王様や天皇にな つまり、人の死は不定だから、一回だけ念仏を唱え て明日死んでしまうかもしれない。あるいは五〇年るのは決まっています。この皇太子の位が「ある場 所」であって、そこへ行けば浄土へ行ける。それが 生きて長く念仏を唱えられる生涯であることもあり える。もちろん、分からないから念仏をたくさん唱 「本当の死」だということです。それは「現世」と「来 えなければならないという言い方もできない。さら 世」の間の「ある場所」です。 には、念仏など唱える余裕もなく死ぬことだってあ 法然は、ひたすら念仏を唱えれば、必す浄土に行け ると言っています。ところが親鸞になると、念仏を唱 りえるから、臨終の念仏が大切だということもな えれば浄土 ( 来世 ) に行けるというのではなく、「あ 一念にこめられて悔いないはどであれば一念で る場所」に行けると言っているのだと思います。 さらに、その「正定衆の位」から「現世 , の人の中にま この親鸞の解釈は、 ) ) 、 ししカえれば「死」を現在でも 通用するほどのリアルな姿まで追いつめたともいえ みれて生きることができたときに、初めて衆生 ( 民 ます。ばくは、この親鸞の「死」のとらえ方が好きで衆 ) の救済は可能になるというのが親鸞の考え方で す。 す。 仏教は生死を超えようとして、さまざまな教義を ・不徹底な救済 生み出しました。親鸞にとってもそれは間題だった 親鸞の晩年の弟子に『歎異抄』を書いた唯円大徳と いう人がいます。その唯円が「正定衆の位」に到達す と思います。親鸞の場合、「本当の死」とは、肉体の る前に、目の前に倒れた人がいたとすれは、それを 死でもなく精神の死でもない、「ある場所」だという 助け起こすということはどうなんだと質問していま 解釈をとっていると思います。

6. 救いの思想大乗仏教

圓光仏学院 台湾 引き受け場としても機能してきた。時代は変わり、今では出家を目指す多くの女性たちが 集う場となっている。入学資格は、三五歳以下の独身であること。年齢制限は厳密なもの ではなく、本人の強い意志が認められれば入学が許可される。既婚者であれば、配偶者の 同意書が必要となるが、中には離婚してここに入ってくる者もあるという 彼女たちの一日は、朝四時から夜一一時頃の就寝にいたるまで、仏学はもとより、日本 語・英語、中国古典、儒教思想などの授業と、その前後に行われる読経や瞑想などの修行 課目で埋められ、自山時間は一日わすか一一時間から三時間しかない。 出家を目指す彼女たちの動機はさまざまである。人生における何らかの挫折や絶望が彼 女たちをここに向かわせているのではないかという甘い予測は、取材を始めてすぐに裏切 られた。出会った女性の多くは、驚くほどポジティヴに仏の道を選択していたのである。 仏学院在学中に出家を果たした諦融法師 ( 二八歳 ) は、大学選抜試験で全国第一五番の成 績をとって台湾大学に合格した才媛であった。スペンサーに没頭し、やがては政治の分野 で社会に出ようとしていたが、次第に、政治が本当に自分にとって必要かどうか疑間を感 じ始め、政治よりもより広く社会に貢献できる手段として仏教を学ぶことを決意した。 現在、大学三年部に所属する林玉釧さん ( 三七歳 ) は、高雄に暮らす父親の反対からいま だ出家できすにいるが、かっては、台北でインテリアデザイナーとして活躍し、喫茶店を 経営するキャリアウーマンだった。その活躍ぶりは当時、数々の雑誌が時代最先端の女性 として紹介記事を組むほどだったという。経済社会で勝ち抜くことが彼女の生きがいだっ たのだが、 その分、従業員や周囲の失敗を許すことができなかった。ある日、同居してい 181

7. 救いの思想大乗仏教

修行の説明を受ける参加者たち ( 霊巌山寺 ) てこの島に渡って来たとき、その人々の移動とともに仏教も伝来したといわれる。国家政 策としての仏教伝来でなかったため、それは民間色の強い、当初からさまざまな信仰を混 交した仏教だった。新たな仏教の波が押し寄せたのは、戦後、日本敗戦によってその支配 が終わった時代である。大陸の内戦によって逃走してきた国民党とともに大量の僧侶がや って来た。大陸中国が社会主義国家に生まれ変わり、その政策のひとっとして伝統的宗教 に孑圧か加えられたためである。文化大革命の時代を経て、大陸中国で断絶された仏教の 伝統は、皮肉なことにその当時の大陸出身僧侶の移動によって台湾に伝えられている その後台湾は、飛躍的な高度経済成長をなしとげた。現在、その経済的豊かさは、仏教 寺院への寄進の増大など、台湾仏教を支える力となっている。他方、経済成長が加速化し た時代、台湾は大量の出家希望者を生み出した。豊かになればなるはど、その経済社会を 脱出し、出家の道を選ばうとする人々が増加してきたのである。剃髪し、仏の道に進もう とする人々は、神仏混交の信仰には満足できない意識を持っているはずである。台湾の 人々の生活を支えてきた神仏信仰の裏側で、より純粋な「ブッダーの教えを学ばうとしてい る人々が多数生まれていることは、見落としてはならない現象である。 私たちが台湾中部南投県埔里にある霊巌山寺を訪ねたのは、出家し正式な僧侶になるた めの儀式が開催されると聞いたからであった。当初、テレビ局のカメラは一切入れたこと がないとの理山から取材を拒否され、半ばあきらめていたのだが、台湾の仏教会長・浄心 長老のロ添えによって、最後の数日間を取材することができた。 台湾では年に一一回、台湾全土から希望者を募って「三壇大戒ーと呼ばれる仏教儀式が開催 第六章台湾・新しき仏国土 178

8. 救いの思想大乗仏教

3 台湾 される。在家一般信者をも含めた参加者は三〇〇〇人にも及ぶという。在家者は一週間 出家者は一か月の修行生活をそこで送り、戒律を授かることになる。今回の参加者は、台 湾の各寺院から本人の希望によって選抜派遣された出家者およそ六〇〇人と、それをはる かに上回る二〇〇〇人の男女在家信者であった。私たちの案内に立ってくれた戒師のひと り、自本法師によれば、単に剃髪しているといっても出家にはさまざまな段階があり、そ れぞれに戒律が必要なのだという。「三壇大戒ーの第一壇とは、沙彌 ( 男 ) ・沙彌尼 ( 女 ) になる ための戒律であり、第二壇は比丘 ( 男 ) ・比丘尼 ( 女 ) の戒律、そして第三壇は菩薩として仏道 を歩むための「菩薩戒ーである。段階を経るごとに戒律の数も増える。それをこの期間、集 「三壇大戒」を修了してコニ壇正中的に修行することによってマスターしてゆくのだという 授」を受ける出家した比丘尼た 戒律に関わる教義は複雑で多岐にわたり、その全体を要約することはできないし、その ち 知識もない。朝三時から始まる修行の日課は、日々、より高度な新たなメニューに移行し てゆくのであるが、彳 一丁為そのものを見ればどこかどうちがうのか、判別も難しい。 興味を持ったのは、「菩薩戒ーについてであった。「菩薩戒ーは、遵守すべき戒律の差こそ あれ、出家者にも在家者にも授けられる。自本法師によれば、「菩薩戒 , の根本は、菩薩の 精神を、生きている自分たちが実現することにあるという。強調されるのは、例えば観音 菩薩が自らの悟りの位を捨てて、救いを求める人々のために力を尽くす慈悲の精神であ る。観音菩薩はすべてのこの世で苦しむ人を救い、彼らを救いの境地 ( 解脱 ) に導くまでは、 という決意があったとされる。一人残らすす 自らは決して再び解脱の境地には戻らない、 べての苦しみがこの世から消えてなくなることなど永遠に不可能なことに思われるが、そ 物ー叫物襲 7 179

9. 救いの思想大乗仏教

成道の地ブッダガャーのマ八 ホディー寺院大塔。 「空」とは何か いう執着と、「我である」という執着の否定である。人間の執着の中で最も強いものは言うまでも なく自分自身の自我への執着、すなわち「我執」である。古い経典に説かれる「無我説」は、このよ うな我執を捨て、それにこだわらす、とらわれないことを強調する点に特徴がある 「無我説 , のもう一つの意味は、何かあるものについて「我が物である、「自分の所有である」とい う考えを否定することである。何かあるものを自分のものと思い、自分に属するものとする考え は、我に対する執着から生じる。しかし、人間も物もすべて縁起しているものであり、無常の存 在である。所有する私も永遠の存在ではありえないし、所有される物も常に生じ滅しているもの である。そこには執着すべきものは何もないと知り、「我がある、「我である」「我が物である , とい とブッダは説いた う執着に苦しむ心を解き放してやらなければならない、 ブッダはここでは「空」という言葉こそ用いていないが、我執を含めたあらゆる執着を離れた、 とらわれのない人間の在り方を説いているのであり、これは初期の大乗経典で説かれる「空の世 界 , にそのまま通する教えと言ってよいであろう。 『般若経』の説く空観 初期の大乗仏教運動はブッダへの熱烈な信仰を中心に、仏塔を崇拝し、仏像を作るとともに、 けごん はんにや 多くの経典を制作することによって始められた。こうして、『般若経』『華厳経』『法華経』『維摩経』 あみだ むりようじゅ 『阿弥陀経』『無量寿経』などの経典が作られたが、これらはインド仏教史の上で初期大乗経典と くうがん 呼ばれる。最初に成立したのは『般若経』で、この経典に説かれる「空観、と、それに基づく大乗菩 薩の実践は、それ以後に作られたさまざまな経典のべースとされた。「空観、という「観」の字を加 えた場合、空という立場に立って人間や社会を観ることを表している。理論として空を理解する のではなく、空ということを自覚し、体得することであると言ってもよい。『般若経』を始めとす る大乗経典で「空」と言うとき、それはすべて「空観、を意味するのである。 ゆいま

10. 救いの思想大乗仏教

観音はなせ生まれたか を奏し、その中で十方の諸仏は声を揃えて観音菩薩の願いが果たされることを証明したのである この『悲華経』によれば、観音菩薩と阿弥陀如来との関係が密接不離であることがわかる。観音 菩薩は過去世においては阿弥陀如来と父子の間柄として結ばれており、未来においては阿弥陀如 来の後継者として成仏することが述べられているのである。 観音菩薩が世の中の人々の苦しみを救うことを典型的に説いたのが『観音経』である。『観音経』 とは『妙法蓮華経』の第二五章の「普門品」のことである。観音菩薩は衆生のさまざまな苦しみを救 おんぞく ってくれるのであるが、①火難、②水難、③暴風難、④刀杖難、⑤鬼難、⑥枷鎖難、⑦怨賊難の 七難が説かれる。これら七難は、私たちの現実の生活の中にしばしば起こる苦難である。そのよ うなとき、観音の名を称えれば、観音はこの七難を除いてくれるという。これらの七難は不慮の 災厄が多く、実際にその時にあたれば恐布を起こすことになる。その恐怖を除き、安心な、明るい というのが『観音経』の教えなのである。 生活を続けるために観音の力に頼らなくてはならない、 次に『観音経』は私たちの二求 ( 衆生の二つの欲求。普通は安楽と長命。ここでは良い男子と女子の両方を得るこ りようがん と ) 両願を満足させることを説いている。子宝を得るという意味は、多くの子を得ることだけで はなく、良い子を持っということが本当の子宝を得ることになる。観音に祈ることによって聡明 福建省廈門・南普陀寺大悲閣な男子や、美しい女児に恵まれるという。子宝を授けてくれるのが、中国の送子観音である の千手観音 民衆の中に生きる観音 東京の浅草観音は観光客と参拝人でいつも賑わっている。門前の商店街も活気に満ちた賑わい を見せている。台湾の台北の竜山寺でも全く同じ風景が見られる。観音にお参りするとともに門 前の夜店や露天商を見ることが大きな楽しみになっている。それは庶民が買いたい、食べたい、 着たい、飾りたいものが全て集まっているからであり、すさまじいばかりの庶民のエネルギーに 満ちている。これらをみても、観音はまさしく庶民の中に生きている神であり、仏であることが 17 ろ